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ヒロインの忘却力恐るべし

 

 わたしは目の前で首の角度やばくない? と思うほど顔を背けている男の子に顔を引き攣らせていた。


 ……いや、この子どう見ても攻略対象でしょ。


 名前はジル・ブラックウェル。しかも公爵家。

 いたずらにかきあげたり、たらしたりした漆黒の髪に夕日のようなオレンジ色の瞳。それに、小生意気な顔。

 乙女ゲームアプリのアイコンを飾ってそうなタイプ。


 頭上では母親どうしが馴れ合わない子供どうしに困ったように「おほほ、この子ったら」と夫人スマイルを発動しあっている。


 わたしはそんな空間が気まずすぎて、思わず「あの……」と目の前の少年に向かって声をかけてみた。

 しかし。



「バーカ! お前なんかブースっ!!!」



 12歳とは思えない低すぎる語彙力だ……!

 しかもどこかへ行ってしまった。


 そんな息子の様子を見守っていた夫人は一瞬般若になったものの、すぐにわたしに向かって謝った。

 正直、あんな罵倒毛程も痒くないけど。そよ風レベル。



「せっかく久しぶりに会われたのですから、お母さまたちは気にせず楽しんでくださいな。わたしはお庭を見て回っていてもいいでしょうか?」



 夫人が快く承諾してくれたので、わたしは庭に行ってみることにした。





 それにしても、わたしの忘却力はハンパじゃない。

 あんな美少年、一度見たら一生覚えていそうだがわたしは完璧に忘れてしまっていた。会ってから「ああ、そういえば」と呟いてしまったくらいだ。


 きっと、本来なら乙女ゲームの舞台となるハイドレンジア学園で運命の再会を果たすのかもしれない。向こうは覚えているから、忘れているヒロインにちょっと冷たくあたり、やがてはそれが執着へ……


 思わず身震いした。

 気を紛らわせようと周りを見渡せばお庭にはバラの花がたくさん咲いていた。中でもわたしの髪色と同じローズピンクのバラが多くて、ここに紛れたら気づかれなさそう。


 ほんの遊び心でいい感じの隙間に入り込む。棘も切られていて怪我をする心配もない。さすが公爵家。

 バラの擬態に満足して出ようとしたら、向こうの方から噂の美少年がキョロキョロしながら歩いてくるのが目に入った。


 ……ここで、変にスイッチが入るのは、わたしの悪い癖だ。




 ターゲットとの距離、2メートル……1メートル……目の前。



「ゔらあああああーー!!」

「ぎゃあああ!?!?」



 ダミ声で襲いかかると、ジルは腰を抜かした。

 少しでも「下品なやつだ」と思ってもらおうと脅かしたのだけれど、思わずけらけらと笑い転げてしまった。出てきた涙を拭うと完全に睨まれていた。ロックオンって感じだ。



「……お前、良い度胸してんじゃねーか」

「あはは……」

「俺と戦え!! 今のは俺への挑戦状と受け取ったからな!」



 ジルはぷりぷりと怒って歩いていく。

 どうやら、女子に擬態からのダミ声に驚かされてしまったことが相当お冠らしい。


 挑戦状……まだ無対策のわたしにその言葉は怖すぎる。それに、負け試合と分かっていて臨むなんて憂鬱でしかない。





 連れて行かれたのは、意外にも室内だった。

 部屋に置いてあるのはグランドピアノに本、地図……思わず首を傾げてしまう。



「あのう、一体なんの戦いをするんですか……?」

「ふっふっふ、あれだ!」



 ジルが得意げに指さしたのはチェス盤。相当やりこんでいるのか年季を感じる。ジルは自信満々に好きな色を選んでいい、と上から目線だ。


 ――どうやら、負け確試合ではないらしい。




「チェックメイト」

「なっ……まじかよ」



 盤上にはコーナーに追い込まれた黒色のキング。わたしの白いクイーンがキングの動きを封じている。



「わたしの5連勝ですね」

「もう1回だ!」

「えー、まあ何度やってもわたしが勝ちますけど?」



 なんだかんだノリノリで6回戦目スタート。

 この調子で勝ちまくって、自信を喪失させてやろうと思う。



「なんつーか、お前みたいな令嬢はこういうのやらないと思ってた」

「あら、ご令嬢が全員お茶を飲んでおしゃべりするしか趣味がないとでも? あ、わたし次チェックできちゃいますけど」

「ああ、ちょっと待て考えるから」



 まあ今までのわたしならできなかったと思う。アメリア家にはチェス盤はないようだったし。前世のわたしがチェスなど大半のボードゲームを網羅していたおかげだ。


 ジルはというと、むむ、と真剣な顔でチェス盤と睨み合っている。得意なチェスでボロ負けしたんだから、もっと怒ると思ったが杞憂だったらしい。



「なあ、お前さ、俺のこと……その、本気で忘れてたのかよ」



 突然改まってどうしたんだ。

 さて、ここで「忘れてました!」と言ったらまたバカだのブスだの言われる。でも「覚えていた」と言って昔の思い出的なのを求められたら困る。



「今日から忘れることはないでしょうねぇ」



 これからわたしはあなたから身を守らないといけないしね! そういうのを含めて言ったけれど「あっそ」とジルはそっぽを向いてしまった。




 それから公爵家のメイドさんたちが噂のセンスの良いお菓子を持ってきてくれたおかげで、すっかりチェスをやりこんでしまった。


 あれからジルはわたしに3回くらいしか勝てなかったけれど、「次は全部勝つ!!」とへこたれないようだった。

 さりげなく次宣言をするあたり、きっとチェス友達ができて嬉しいに違いない。そうだと思いたい。


 母の元へ向かうと、帰りの馬車の前で井戸端会議を繰り広げていた。ジルと2人で戻ってきた様子を見て夫人たちは顔を明らかにニヤつかせた。



「やっぱり昔した約束、できそうね。こんなに仲良くなってくれるなんて」

「お母様、何の約束ですか?」

「え、2人の婚約話」

「「はっ?」」



 わたしもジルも思わず声を上げてしまった。

 どうやらお互いに男の子と女の子ができたら婚約させよう、的な話が出ていたらしい。

 わたしは居候の身のようなものですが、と思っているともう長く一緒にいるのだから家族同然だと言われてしまった。それはとっても嬉しいけれど。



「ね、ローズちゃんどう? ジルかっこいいでしょう」

「あ、いや、そうですけれど……」



 あああ、ブラックウェル家の整った顔立ちの圧が。

 でも婚約なんてしてしまったらわたしの身が危ない。


「チョットソウイウノマニアッテマス」とわたしは馬車の中にフェードアウトした。

 母たちは照れていると判断したらしいけど、「お互いに婚約者は作らないでおきましょうね」と約束していた。


 わたしは馬車の中で盛大にうなだれた。


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