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Side ジル・ブラックウェル

 

 貴族は基本腹の探り合いだ。


 幼い頃から父にそう教えられてきた。貴族は損得で動く。いくら笑顔で会話していようが、腹の底では何を考えているか分からない。自分の財産、地位を守らなければ、足元を掬われる。

 俺はそれから必死に勉強をして、剣術を学んだ。ブラックウェルを守るために。


 表情は全てを表すものだ。口元の僅かな歪み、瞳の揺らぎ。感情はあっという間に露呈する。だけど唇は上手い言葉を紡ぐ。うんざりした。


 気がついたら俺は人の顔が識別できなくなっていた。

 関わることで利益がありそうなら丸印が、無さそうならばつ印、関わってもろくなことにならないやつは黒く塗りつぶされている。




 はじめてあいつ、ローズ・アメリアに会ったのは、6歳のときだった。

 母の友人が親戚の子を引き取ったらしく、その少女が俺と同じ年だったから会わせたい、とのことだった。


 驚くことにローズ・アメリアの顔は、とてもはっきり見えた。


 目を見張った。どうして顔が見えるんだ。

 あいつは明るさと元気だけが取り柄という感じの女だった。話していても利益なんてない。けれど利益を気にせず話せる相手だと思うと嬉しかった。


 それから何度か会ったが、それ以上何か思うことはなく。



 12歳になって久しぶりに会うことになった。

 ああ、頭を使わず話せるやつだ、と思ったけれどすぐにがっかりした。


 あいつは俺を覚えていなかった。「そういえば」と口に出して、それから引きつった笑顔を向ける。


 なんだよ、こいつも一緒か。


 そう思うと同時に顔にもやがかかった。ピンクのバラみたいな髪でやっとあいつだと識別できるくらいにしか見えなくなった。


 だが、そのもやはかなり不安定だった。

 その日、あいつは俺を驚かしてけらけら笑った。その時もやは薄くなった。チェスをして俺に勝ちまくってしたり顔をしている顔は見えた。だが「俺を忘れていたか」と問いかけると「これからは忘れないでしょうね」と淡白な返事が返ってきた。もやは濃くなった。


 あいつとの間に婚約の話が出ていると知ったのは、あいつが帰る頃だった。お互い、興味はないだろうが母の望みなら、と受け入れる覚悟はした。だが母は強要するつもりはないと言うから、しばらく考えないでいようと思った。




 それからもあいつの顔のもやは消えかかったり濃くなったりしていた。


 あいつほど、分からないと感じた相手はいない。

 元気な令嬢だとは思っていたが、剣術を学んで、本を大量に読み、魔法にも積極的に取り組む。あいつは女で、何もしなくても生きていけそうな顔を持つ。加えて測定不能、という学園に通うには致命的な魔力量なのに。

 理解できない。話していても分からない。


 ローズ・アメリアと関わることでナイン・アメリアは敵意を向けた。自分の地位を守る上で、生徒会長になるのが手っ取り早い。そう考えていた俺はローズ・アメリアは上手く使えるんじゃないかと思った。

 それと同時に嫉妬を向けられている、ということがなぜか優位に立てたように思えた。


 だんだん気になって仕方がなくなっているのも事実だった。あいつが何をしているのか気になる。あいつの視線の先に何があるのか気になる。あいつが何を考えているのか気になる。




 魔法合宿最後の夜、俺は父から教えられた場所へ向かっていた。


 この6日間、ほとんどの時間をラギーとあいつと過ごした。年相応に遊んで、勉強した。あいつは終始楽しそうに声を出して笑っていた。


 あいつはおそらく俺を友人くらいには思ってくれていると思う。それなのに、俺はお前の顔すらちゃんと見えないんだ。



「…………げ、ジル様」



 あいつの声だった。帰ろうとするから引き留めて少し場所を譲ってやった。

 隣に座る間、あいつは無理に喋ろうとはしなかった。心地よかった。星を見上げている横顔はきっと、楽しげなのだと思う。なのに、見えない。

 こんなにも見えないことが辛いと感じたのは初めてだった。


 思わず疑問を吐き出すと、「普段からそんな小難しいことを考えているんですか」と呆れられた。さらに「分からないから楽しいんじゃないか」と言う。


 そんなわけないだろ。どんなやつだって何か裏があって、それぞれの欲のために動いている。人の動力源は所詮利益でしかない。



「強くなりたいから、ですかね」



 と、ローズ・アメリアは笑った。大したことないでしょう、と困った声色で言う。

 嘘は見られなかった。たぶん、それが本心なのだと思う。あいつは何か利益のために動いているわけではない。


 その瞬間、もやが消えた。


 星明かりで、あいつのピンクの瞳は煌めいていて。久しぶりに見たあいつの顔に耐えられなくなって俺は半ば無理やり帰らせた。




 明日から、きっとあいつの顔がよく見える。

 俺は、どんな顔をしていたらいい? またもやがかかって見えなくなったりするのだろうか。


 そう考えながらロッジに戻ると、教師たちが慌てていた。王宮の召使いもいる。顔は皆真っ青だ。


 第二王子が連れ去られた。

 ああ、またかと思っていると今度は女子ロッジの担当の先生が大慌てでやってきて、叫んだ。


 ローズ・アメリアの姿がない、と。


 心臓が跳ね上がった感覚がした。

 あいつのことだ、きっと誘拐犯を見かけて追いかけていったのだろう。なら、あいつは裏の森の奥へ進んでいるに違いない。


 俺は寝ていたラギーをゆすり起こして先生たちに話を伝えるよう頼んだ。そのまま俺は裏の森へ走った。



 案の定、森の奥にあいつの姿があった。けれど、誘拐犯ではなく何か別のモノと対峙している。何かは分からないがとにかく逃げた方がいいと思った。

 あいつは自覚なしなのだろうが、目に見えて疲労していた。きっと魔法を乱発したのだろう。このままではあいつも危ない。必死で俺は縄を焼き切った。


 俺は王子を担いで走った。本当は死にたがりのこいつではなく、ローズ・アメリアをおぶってやりたかった。



 眠っているあいつを見守っていた。少し落ち着こうと水差しを持って部屋を出ると水差しを持つ手が震えていることに気がついた。


 たぶん、これは利益抜きでの感情だ。

 だから顔が見れて嬉しく思っていて、こうして心配している。目を覚まさなかったらどうすれば――



 だから、どんな顔をしていいか分からなかった。


 黒く塗りつぶされたレイ王子が、ローズ・アメリアに婚約を迫っている、なんて。


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