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永遠のアルチュール

作者: 野馬知明

月曜日、定年間近い大田忠警部補は遺体の第一発見者として土岐明に任意で事情聴取を求めた。蒲田署の取調室に同行した。署にむかうパトカーの助手席で、大田の相棒の三沢開は土岐の名刺を見ながらスマホでウェッブ捜査を始めた。


取調室で、最初に、大田が質問した。

「もう一度、織田操子さんを発見した時の状況を説明してくれる?」

 土岐は鼻孔を大きく開いた。震えるような声で話す。息が荒い。

「彼女と蒲田の自宅で、夜の8時に会う約束をしていました。僕が時間に遅れて、彼女が携帯電話で文句を言ってきました」

 相棒の三沢が割って入ってきた。

「なんて言ってきたんですか?」

「なんでいないのって」

「いないって、あなたが自宅に?」

「ええ」

 大田が聴取をつないだ。

「それでどうした?」

「駅前の喫茶店セザンヌを指定しました」

「蒲田の?」

「ええ」

 土岐は唇を尖らせて話す。むかついている感情を隠せない。

「その喫茶店で会った?」

「8時半すぎに着いて、店中を探したけれどいないので、もう一度携帯をかけて」

「出なかったんですか?」

と三沢が先走った。大田が目線で三沢を注意した。

「それから?」

「携帯に出なかったので、自宅に向かいました」

「位置情報を確認しなかった?」

「設定していなかったので」

 土岐はぬるいお茶に口をつけた。喉を鳴らす。大田も茶碗に手をのばす。

「どのくらい手前で彼女を確認した?」

「数メートル。暗かったので。最初はまさかという感じで。うつ伏せだったけど、体形と髪型で彼女と分かりました」

「遺体はさわっていないですね」

と三沢が詰問する。

「あなたのほかに、目撃者はいませんでしたか?」

「だれも。出血が多かったので、とりあえず、119に電話しました。どうしたらいいのかわからなくって、おろおろして操子さんの名前を呼び続けました」

 大田がお茶を飲み干した。茶碗をコトンと置く。

「現場の証言と同じだな。で、彼女との関係は?」

「クライアントの娘で、同情から時々飲食を共にするように」

 三沢がボールペンをノックした。

「クライアントって誰のことですか?」

「彼女の父親です」

「あなた、何屋さんですか?」

「便利屋です」

「名刺の土岐明調査事務所というのは、なんでも調査するということですか?」

「ええ」

「で、彼女の父親はあなたに何を依頼したんですか?」

「別居している妻の浮気調査です。娘を置いて突然家出して、財産分与を求めてきたので、浮気に違いないというのがクライアントの推理です」

 大田は大きく息を吐いた。くさい。

「それと娘の殺害と何か関係がある?」

「クライアントのプライベートについては守秘義務があるので」

 突然、三沢が机を叩いた。茶碗が揺れた。

「なにいってんだ、おまえ、探偵の登録をしてないだろう。偉そうに守秘義務なんぞと、ほざくなよ」

 大田が三沢の手を机の上から押しのけた。

「なにか、こころあたりは?」

「なにも。彼女はとても心優しい、いい子です。父親は変わり者で、ちょっととっつきにくいのですが」

 大田は大きくうなずいた。

「父親はなにやってんの?」

「高卒の派遣社員です、データ処理関係の。いまは、自宅待機になっています」

「母親はどんな女?」

「まだ、依頼を受けたばかりで、数回尾行した程度です」

 三沢は肩をすくめた。

「なんであなたの自宅で会おうとしたんですか?」

「情報入手です。母親のことを知りたかった。それに、彼女、父親と一緒にいるのが、苦痛だというので。蒲田は彼女の大学に近いんです」

「彼女は8時まで、どこにいたんですか?」

「大学が終わってから、バイトだと」

「どこのバイト?」

「さあ。彼女はスポットでやっていたみたいで」

「よるの8時から女子大生と自宅で歓談ですか。それだけですか?」

 土岐が三沢の顔をにらみつけた。大田は土岐の目に話しかけた。

「ボーイフレンドいなかったのかな?」

「男女共学の大学だから、程度はともかく、男友達はいたでしょう」

「ひとりも知らない?」

「ええ」

 大田は聴取を切り上げた。

土岐を署の玄関へ見送ったあと、二人は駅前の閉店間際の居酒屋の奥で、酒を交わした。

大田が言う。

「土岐は175センチぐらいだな」

 三沢が生ビールを飲みながら答える。

「僕と同じぐらいだから、そんなもんでしょう。それが?」

「女の子は頭頂部を殴打されてる。たぶん真上からの打撃だ。あの子は165センチ近くあったから、175センチだと、頭頂部のやや下になるはずだ。犯人の脇の下の高さは160センチ近くあるはずだ」

「害者は土岐の二階の自宅玄関まで鉄製の外階段を上り、不在を知って、携帯電話を掛け、駅前の喫茶店で待ち合わせるため、階段を降りかけて転落した?」

「頭頂からは落ちないだろう」

「自殺を図って、頭から転落した?」

「遺体は、階段を降りて、二三十メートル先にあった」

「じゃあ、かがんだときに、殴打された」

「可能性はある」

「ホシが飛びあがって、殴打した」

「可能性は少ない。とりあえず、180センチぐらいの人物を探そう。たぶん男。まず、現場周辺の監視カメラをチェック」

「これからですか?帳場も立っていないのに」

と三沢はしり込みした。

「どうせこのヤマはひまな俺とお前に投げられる。初動が重要」

 二人は事件現場から蒲田駅前までの監視カメラと防犯カメラを辿った。大田は瞼が重くなっていた。日付の変わる時刻だった。

現場の土岐の住居前の路地には防犯カメラも監視カメラもなかった。路地を出ると小さな飲食店が散見される裏通りになる。どこにも防犯カメラはない。街路灯もない。駅前近くの飲食店街には照明はあるが、防犯カメラは見当たらない。駅前通りの金融関係のビルには監視カメラはあるが、被害者と駅と現場を結ぶ動線からは遠い。

二人は翌朝、防犯カメラと監視カメラの録画をチェックすることにして帰宅した。



翌火曜日、朝、帳場が立った。検死と現場検証の結果、殺人と断定された。人手不足で、初動捜査終了後は手すきの大田と三沢の二人の担当となった。

遺留品の学生証を見ながら、三沢が大学に電話連絡を取った。保護者の携帯電話の連絡先に電話を掛けたが電源が切られている。

自宅住所に出向いた。地下鉄根津駅で下車した。植木鉢が蝟集する細い路地を地図ナビに誘導されてゆくと、低いモルタル塀で囲われたアパートにでた。たてつけのわるい門扉を開けて、右端のベニアドアを三沢がノックした。名前を呼んだが応答がない。隣の室にも声をかけたが、そこも不在のようだ。背筋が寒くなった。

大田は現場に戻ることを優先させた。正午近くの現場に戻って、駅までの動線をたどりながら防犯カメラと監視カメラの録画CDの借用に奔走した。手間取った。

昼過ぎに署に帰ってから、もう一度遺族に電話した。父親の携帯電話につながったが出ない。留守番電話に哀悼の言葉とともに遺体確認を依頼した。

三沢は自分の机のデスクトップで録画データをサーバーに順次とりこんだ。最も鮮明な画像はJRの改札近くだった。照明と画素が多い。

容姿にも服装にも際立った特徴がないというのが、操子の特徴だった。犯人が尾行していたとしたら、彼女の背後に映っているはずだ。午後8時前の乗客は数珠つながりだ。7時30分から8時までに180センチ前後の男は数人いた。いずれも細身で、三十代はこえていない。凶器らしきものを隠し持っていそうな者も探したが、めぼしい画像はえられなかった。とりあえず、長身の数人の男の頭部の画像を拡大して、プリントアウトした。画像が荒い。

帰宅準備をしながら、三沢がつぶやいた。

「女だったとしたら。尾行していなかったとしたら。身長がもっと低いとしたら。凶器を持っていなかったとしたら」

「思いこみは危険だが、あんまり手を広げても収拾がつかん。時間を食う。証拠が消える。記憶がとぎれる。どっかで仮説を立てて折り合いをつけなきゃ捜査はできん。先入観を持つなと言うバカなやつもいるが、先入観なしでどうやって捜査を始める。通り魔の線は、とりあえず、後回し」

と大田は目をしょぼつかせた。三沢はパソコンの電源をおとした。


その翌朝、水曜日、大田は当直の警部補から遺族の遺体確認が深夜にあったと告げられた。三沢が再び、被害者の保護者に電話した。出ない。三沢は殺害された操子が通学していた大学に再度連絡した。紹介されたのは非常勤講師の平林だった。研究日だというので、池袋の喫茶店ピサロで待ち合わせた。早めに行ったが、平林はすでに来ていた。30代半ばに見えたが、丸顔の頭髪が薄い。挨拶もそこそこに三沢が着席するなり、質問した。

「操子さんの担任だと大学から紹介されましたが」

「キャリアデザインという訳の分からない演習を担当させられています」

「訳がわからないというと?」

と大田がアメリカンを注文しながらきいた。

「そんな演習、私自身、大学で受講したことも聞いたこともないんです」

「たしかに。わたしもそうです」

と三沢が同調した。

「クラス担任のようなもので、毎週ホームルームのようなことをやってます」

「操子さんはどんな学生でしたか?」

「開講してまだ1か月もないので、名前と顔すら一致しないような」

「でも、担任なんですよね」

「退学しないようにメンテを任されています。この大学は授業料、命ですから。殺されたというので、学生課で改めてファイルを見て顔写真と名前を確認したような状況で。美人ではないけれど、素直そうな子で」

と平林は幼児のような口調で話す。

「友人関係はわかりませんか。とくに身長が180センチをこえるような」

 三沢は蒲田駅改札を通った男のプリントアウトした画像を見せた。

「この中に、見知った男はいませんか?」

 平林はつまらなそうに目を落とした。

「見覚えはないですね。長身男子はクラスに何人かいますが、それが犯人なんで?」

と平林は三沢と目を合わせようとしない。

「いや、参考までにというだけで。そのクラスの中に親しそうな男はいましたか?」

「どうでしょう。かれらも1年生で、出あって1か月程度ですから。ゴールデンウイークあけで。ぼくも担当しているのはその科目だけで」

 三沢はずっとボールペンを持つ手をとめている。

「クラブ活動とかは。はいっていませんでしたか?」

「個別面談をしたときには、興味をもっていなかったようで。大体、運動も文化活動も全く興味を持っていない連中で」

「担当しているクラスの学生が、ですか?」

「いいえ、全学的に。そもそも、今回、大学院の指導教授の紹介で非常勤になったんですが、都内にある大学にもかかわらず、初めて聞いた大学で」

「わたしも、そうでした」

と三沢が同調する。大田は浅く腰かけている平林の身長を目で測りながら爪を立ててレシートをつまみ上げた。

「参考までに、月曜日の夜8時頃、どちらにいましたか?」

 平林の眉がつりあがった。

「失礼な。自宅ですよ」

 大田は挨拶もせずに、レジに向かった。


二人は昼食をとったあと、被害者の自宅アパートに再び向かった。やっと電話連絡が取れた。根津駅から近い。発砲スチロールの細長い花壇が並べられた狭い路地の突き当りにその木造アパートはある。しもた屋風の門扉を開けると、長屋のような二階建てのアパートがある。低い灰白色の塀を隔てて、1階の部屋の窓がある。大田が声をかけた。1階右端のドアから無精ひげの男が顔を見せた。

二人は、2DKのダイニングキッチンに通された。天井が低い。

大田が先に口を開いた。

「このたびは、ご愁傷さまで。ご遺体はいまどちらですか?」

「近くの寺だ。明日火葬する。カネがかかる」

「ところで、事件当日のお嬢さんの行動を知りたいんですが」

「朝出て行ったきりで」

「いつも、そんな感じで?」

 男にやつれた様子はない。

「夜中に帰って来て、遅くまでパソコンにかじりついて」

「事件後、なにかありました?」

「夜中に、尻の青い新聞記者が来ただけで。ほかには、なにも」

 男の顔に表情がない。三沢が操子のスマホを取り出した。

「お預かりした遺品で。他の遺品は霊安室の枕元に置いときました。データを取らしてもらいました。情報は捜査以外には使いませんが、後先になりましたが初動が重要なので。一応承諾書にサインを」

「情報をタダでとるか。まあ、しょうがないか」

と男は乱雑にサインした。

「あと、ここにノートパソコンがありますが、これもお嬢さんは使っていましたか?」

「ときどき」

「これもちょっと拝見したいんで、借用書を書かせてください」

「レンタル料を欲しいところだが、しょうがないか。仕事で使っているので、早く返してくれ」

 ノートPCには中古量販店のシールが貼られていた。三沢はカバンにそれをしまった。大田は、名刺を差し出し、

「気づいたことがあったらここに連絡を」

と言い残して、そのアパートを出ようとした。

「参考までに、ご主人は月曜日の夜8時頃どちらに?」

「アリバイですか?そこの陣七という居酒屋です」

 署に帰る途中、不忍通りの「陣七」という居酒屋に寄って織田のアリバイを確認した。


上野から京浜東北線に乗った。車中で三沢は操子の父親に見張りをつけることを提案したが、大田は退けた。人手がない。

 帰署してから、三沢はスマホから取り出したデータをもとに、操子の唯一のLINEに書き込んだ。

(ミサコ)「こちら警察。操子の話を聞きたいんだけれど、明日学食で会えない?」

 すぐに既読があった。

(イトウ)「おばけ?いいよ。正午にメジコで」

大田は日誌を書き、書類を整理して、帰宅した。三沢はノートパソコンのデータをすべてサーバーにとり出してから、帰宅した。


 翌朝、木曜日、大田は署内会議にかりだされた。三沢は操子の父親に電話し、今日中にノートPCを返却することを伝えた。それから取り出したデータをサーフィンした。文書はほとんどない。写真がほとんどだ。スマホにあった写真と同じものがいくつかあった。書籍、音楽CD、絵画、野良猫、白板、キャンパス風景、時刻表など、雑多で脈絡のない写真が、日付ごとにファイルに格納されていた。フリーメールは大学とアンケートサイトからの連絡がほとんどだった。フリマからの売買連絡のフリーメールがいくつかあった。消去済みのフリーメールの中身は、販促の宣伝だけだった。スマホのSNSと同じような友人同士のフリーメールは皆無だった。お気に入りのサイトにはアンケート、マップ、飲食店ナビ、フリマ、ECポータル、大学図書館、古書店、古物商、郵便などが登録されていた。三沢はひとつひとつアクセスして確認した。10近くあるアンケートサイトには膨大な量の回答済みアンケートの記録があった。それぞれのマイページの登録名は(みさこ)(美砂子)(美紗子)(美沙子)となっていた。フリマの出品評価を見ると星2つ、購入者としての評価は星1つになっていた。古書の出品評価を見ると、「よい」という評価が30%になっていた。出品サイトの点数は、合計すると五千点近くあった。すべてを確認しなかったが、重複している出品があるようだった。


 昼前に大田がデカ部屋に戻ってきた。三沢はこれから操子の大学へ友人イトウに会いに行きたいと申し出た。大田は一瞬ムッとした顔を見せたが、付いてきた。

 二人が大学の学食「メジコ」についたとき、1時近くになっていた。三沢は(ミサコ)になり替わって、LINEに書き込んだ。

(ミサコ)「警察だけど、イトウさんいまどこ」

 すぐに、窓際で、手が上がった。幼稚園児の割烹着のようなブラウスを着ている。大田が近づくと、

「ういてる。おそい。でも、本物の刑事に会うの初めて。普通じゃん」

とうれしそうだ。

「イトウさん?」

と三沢が軽い声をかける。

「ハンドルネームはね。ほんとは、糸井っていうの」

「操子さんのこと、教えてくれる」

「あんまし知らない。クラスが同じだから、二人LINEを作っただけ」

「担任は平林先生?」

「そう。あのキモくてムズイの。『糸井さんかわいいね』って顔を近づけてくるの。キモイったらありゃしない」

「なにか事件に心当たりないかな?」

「わりといい子だった。勉強はできないみたいだったけど」

「ほかには?」

「それだけ」

「背の高い男の子で、親しいのはいなかった?この写真の中に見覚えは?」

と三沢はテーブルの上にB5画像を三枚広げた。女子学生は食い入るようにみた。

「しんない。背はともかく、男に興味なかったみたい」

「バイト先、知ってる?」

 糸井は不意打ちを食らったように大田を見て首をすくめた。

「知ってる子いるから、聞いとく」

 チャイムが鳴った。

「もう、授業だね」

と大田はすぐに席を立った。ひじで三沢の肩を小突いた。周囲の学生の視線が集中している。

「大学の線は、とりあえず、後回し」

と憮然としている。


 帰署してすぐ、三沢はパソコンを立ち上げて、大田を手招きした。

「どうやら、操子の趣味はC2Cのようです」

「なにを売買してるんだ?」

「いろいろです」

「たとえば?」

「たとえば、古書の出品ではですね」

と三沢はサイトを開く。

「専門書がおおいですね」

「たとえば?」

「医学書とかです」

「たとえば?」

「解剖学というのがありますね」

「なんだそれ。害者の学部は文系だろ?」

「そうです」

「関係ねえじゃねえか」

「出版年を見ると十年前です」

「つうことは、操子は小学生じゃねえか」

「自分のものじゃないでしょう。とにかく、古書売買のサイトだから」

「じゃあ、父親か?」

「父親は高卒の派遣社員で、今は自宅待機。職種はデータ処理ですかね。ご存知ですよね」

「関係ねーじゃねーか」

「午後、ノートPCの返却がてら、父親に聞いてみましょう」


 夕方、在宅を確認して二人は再び、操子の父親のアパートを訪ねた。キッチンの調理台にむき出しの白い骨壺が置いてあった。

三沢が先に切り出した。

「古書のサイトで、お嬢さんが医学書を出品しているんですが、どうやって入手したんでしょうか」

「近くに医学部の医者が住んでいて、紙ごみを出す日に、捨ててあったのを拾ってきたらしい」

「でも、高価そうな本ですよ」

「おおかた、定年退職して、整理したんじゃないの」

と織田はめんどくさそうだ。三沢が首をかしげていると、織田は補足した。

「医者は金持ちだから、すてるのさ。どうせ大学の金で買ったもんだろう。操子は小遣い稼ぎでそれを拾ってきちゃあ、ネットで売っていたみたいだ。あの子はなんでも拾ってきちゃ、売ってた」

「その、拾ってきたものはまだありますか?」

「あるよ、あの子の部屋の押し入れに詰まっている」

「ちょっと、見せてもらえますか?」

「捜査令状あるの?」

 大田と三沢は顔を見合わせた。大田が口を開いた。

「任意でお願いします。一刻も早くホシをあげたいんで」

「見物料がほしいところだが、まあ、いいか」

 男は6畳の殺風景な部屋の押し入れを開けた。加齢臭がした。大田は首をのばして、覗き込んだ。下の段には布団が押し込められていた。上の段には古書が山のように詰め込まれていた。古書の脇には文房具、鉄亜鈴、硯、掛軸、額縁、家電製品など、雑多なものが押し込められていた。どれも古物だ。

「買い手がつくと、どこにあるかわからなくって、一日中、ひっくりかえしてた」

大田はため息を吐いた。

「趣味だったんすかね」

「学費を稼いでいたようだ。バイトもしていたけど。大学は偏差値の低いくせに、学費だけは有名大学と同じで、バカ高かった」

「親孝行ってことすか」

「ああ、いい子だった」

 大田はすこし目を潤ませた。ハンカチをとりだした。

「同じような年ごろの娘がいて」

「そう。変な便利屋には気をつけないと」

「土岐とかいう私立探偵?」

「弁護士に紹介されたんだ。着手金払えといわれて、金がないんで、と言ったら紹介してくれた。もう、くびにした。あいつが一番怪しい」  

「第一発見者がホシっつうのは、よくある」

と大田が言うのを三沢がつづけた。

「そうだとしても、動機が。何か心当たりありませんか?」

「自宅に連れ込んで、いたずらしようとしたんだろう」

 三沢は操子の容貌を思い出して反論しようとしたが、言葉をのみこんだ。

大田は三沢の腕を引いて、そのアパートをでた。

三沢は細い四つ角のごみの集積場所を確認した。低いブロック塀に張り出されたごみ収集の案内に紙ごみの回収日は月曜日と水曜日となっていた。

 大田は根津署に立ち寄ることを提案した。近くだったので、三沢は応じた。

根津署は蒲田署の半分程度の規模だった。大田が受付の女事務官に手帳を見せた。

「この近所に医学部の先生で、最近定年退職した人いる?」

「東大医学部が近いので、上野桜木の方の高級マンションには何人かいますが、このへんは下町で、駅に近くて便はいいんですが、木造の古い建物ばかりで」

「いないということですか?」

と三沢はいらだったように言う。

「ええ」

「じゃあ、操子はどこで、古書とはいえ、高額の医学書を手に入れた?」

と大田は自問した。

「ぼくの中学の同級生で、神保町で古書店をやっているのがいるんですが、寄ってみますか?」


 二人は地下鉄を利用して、神保町に向かった。その店は、古書店街の真ん中辺にあった。久闊を叙すと、三沢は切り出した。

「古書のフリマで、文系の女子学生が高額の医学書を出品しているんだけど、どうやって入手したかわかる?」

 うずたかい古書に囲まれた店主はほとんど禿げ頭で正岡子規を彷彿とさせた。

「ときどき変なのが読みもしない古書を買っていくけどね。多分フリマで転売しているんだろうけど、若い女の子は見たことがない」

「読みもしないってどうしてわかるの?」

「だって、ジャンルがばらばらの専門書ばかりを。たしかに専門書は古書でも高く売れる。小説やベストセラーは100円でも売れない」

 大田が後ろから首をななめにしてあいさつした。

「古書の店舗販売とネット販売はどういう関係にあるんで?」

「最近、アメリカから大手の古書販売仲介業者がやって来て、バカでかい倉庫をおっ建てて、ネット専門でやっているけど、ショバ代が高いんで、うちはやってないけど、最近始めた業者はそこに登録してやってるみたいだね。なかには店舗をもたないやつもいる。ショバ代とは別で売値にも定率で手数料を取られるから、そういう業者は1冊1円で売ってる」

「1円?」

と三沢が素っ頓狂な声をあげた。

「買い手に負担させる送料は別なんで、送料で稼いでいる」

「ということは、送料がバカ高いの?」

「いやそうでもない。古書店が定額を支払って古書をその会社の倉庫におさめると、契約上送料はその定額にふくまれているから、売れれば送料が出店者に振り込まれる」

「ということは、送料が売上になる?」

「だから、多売できれば、送料をかき集めて、ショバ代の定額以上になれば、それが出品者の利益になる。もともと古書はタダ同然の二束三文でかき集めてくるから、定額さえなければ、いい儲けになる。だけど、儲けているという業者は聞いたことがない。大儲けしているのは、胴元の外資系のネット古書販売仲介業者だけ。日本の大手取次業者は、新刊の書籍販売の取り次に胡坐をかいていて、このビジネスモデルに気付かなかった」

「そういえば、アメリカには新刊の取次業者っていないんだよね」

「アメリカの書店は、基本、出版社から直接買い取って店舗に並べる。書店がリスクを取る。そこに目をつけたのがアメリカのネット業者だ。品ぞろえの中に新刊書もとりそろえた」

 直帰の帰宅途中で、大田が同じ自問を繰り返した。

「操子はどこで医学書を入手した?」


 翌日、金曜日、三沢はもう一度、(みさこ)のフリマサイトを詳細に見た。購入履歴を見ると、くだんの医学書があった。そのサイトで、その医学書を検索すると、SOLD―OUTになっていた。出品者は(ドクター)というハンドルネームで、取引のコメントが残っていた。

(みさこ)「商品説明にない線引きがあったんで、ゆうパックで返品しますので、返金してください」

(ドクター)「出品時に点検しましたが、線引きはありませんでした」

(みさこ)「じゃ、返品しますから、再点検してください。いずれにしても、キャンセルしたいので、返金してください」

(ドクター)「返品しなくてもいいので、こちらの送料だけでも負担してもらえませんか?」

(みさこ)「いいえ、全額返金してください」

(ドクター)「わかりました。全額返金します。返品は結構です」

 三沢は(ドクター)の出品を閲覧した。発送方法がクリックポストであることを確認し、送料込み300円のマンガがあったので購入した。配送先は蒲田署とした。遅れてきた大田にそのことを説明した。

 午後、たまたまデカ部屋にいた二人は緊急に発生した強盗事件の初動捜査に駆り出された。


三沢が購入したマンガは翌週の月曜日、蒲田署に配送されてきた。三沢は、昼食後にそれを受け取った。

「このクリックポストの住所で操子に医学書を販売したいきさつを聞きましょう」

 二人は配送元の住所のある川崎市に向かった。住所は、工場跡地に建てられたタワーマンションにあった。ハンドルネーム(ドクター)の人物は3階の住民だった。その住民は蒲田署を記憶していた。身長は170センチほどだった。

「警察がなんでマンガを買うのか、理由がわかりませんでしたが」

「こちらのヤサを知りたかったもんで。ところで、ハンドルネーム(みさこ)に医学書を売ったのは覚えていますか」

「忘れられないです。言いがかりも、いいとこですよ」

「コメントで、返金したうえで、返品不要、と返信していますが、要するに送料を支払ったうえで、ただで商品をあげるということですよね」

「返品するというのは、脅しなんですよ。送料着払いで返品だから、800円とられます。送料込みで千円で販売したんですが、送料ですでに800円支払っているので、返金したうえで、返品されたら、向こうで線引きしたあとで商品が返って来ても、1600円の赤字になります。返品不要とすれば、現金の赤字は800円ですみます。商品はなくなりますが」

「ウエッブサイトの主催社に相談したんですか」

「胴元は大企業です。千円程度の取引では動かない。『当事者同士で解決してくれ』という紋切り型のコピーメールが送られてきただけです。泣き寝入りするだけです」

「でも、かりに取引が成立したとしても、あなたの利益は200円ですよね」

「梱包や発送の手数料です。利益ではありません。胴元に代金の10%を手数料で取られるので、手元に残るのはたった100円です。そこからノリ、紙テープ、紙袋などの梱包コスト、郵便ポストまでの輸送、パソコンやプリンターの減価償却と電気代、古書の倉敷料などのコストを出します」

 大田は三沢の傍らでしきりにハンカチで涙目を拭いていた。

「そんなもんで」

「基本的に、このサイトに購買者として参加している人はおカネのない貧民ばかりで、わたしは、ボランティアとして参加しています。やつらはハイエナのように安物を探しているんです。金持ちは新品を買います。この中古サイトには参加していません。でも、もったいないでしょ。本は読みたい人の手にあるべきですよ」

 かえりがけに、身長を聞き、事件当夜のアリバイを確認して二人は帰署した。


 翌火曜日、三沢はもう一件の取引のトラブルを発見した。このトラブルは、削除したフリーメールを復元した中にあった。取引相手は、東京郊外の小さな古書店だった。

(美紗子)「本が臭いので、とりかえてもらえますか。返品します」

(古書店)「どんな匂いですか」

(美紗子)「かび臭い」

(古書店)「古書だから、目に見えない多少のかびはあるとおもいますが」

(美紗子)「かびアレルギーなんです」

(古書店)「わかりました。全額返金します。返品は不要です」

 三沢はこの古書店に電話を掛けた。自己紹介はしたが、事件のことは言わなかった。

「この取引を覚えていますか?」

「かび臭いというクレームは初めてだったので、覚えています。タバコ臭いというのは何件かありましたが」

「全額返金で、返品不要ということは、古書をタダであげるという意味ですか?」

「そうです。受注千件中何人かは、こういうのがいるんです。千円程度の取引で、時間を食うのは馬鹿らしいので、ネット販売のコストと考えています。住所は知っているので、犯人は割れているけど、万引きのようなものです。カビ臭はしないという証明をとって販売することもできますが、証明書コスト込の価格で売れると思いますか?汚れだとか、線引きだとか、書き込みだとか、クレームに事欠かないんですが、全頁のコピーを証拠としてとるだけのコストをかけられますか?ただ問題はこのサイトでは売り手の評価は公表されるんですが、圧倒的多数の買い手の評価は公表されないんです。だから圧倒的少数の売り手は買い手の評価を見ながら商品を販売することができない。逆に数万の買い手は数百しかいない売り手の評価を見ながら買うことができる。どうしてだかわかりますか?」

 反問にあって、三沢は電話を切った。別のフリマサイトで、この古書を検索すると出品されていた。ただし、ハンドルネームは(美砂子)になっていた。

 外出からデカ部屋に帰ってきた大田に三沢はこのことを説明した。大田は疲労困憊したような顔をしている。

「どれも高くてもせいぜい数千円の取引だろ。高額骨董品取引ならともかく、そんな金額で人を殺すか?」

 三沢は汚れきった床に目をおとした。

「C2Cの線はあきらめますか?」

「スジが悪かったかも知れねえな。高額オークションで、偽物をつかませたってえデータはあったか?」

「いまのところ、ないです」

「もう一度、監視カメラにもどるか?」

「どこをみるんですか?」

「事件当日の朝から。根津駅から」

 三沢が大きく息を吸った。大田は三沢の肩を叩いた。

「早くしないと、録画が上書きされる」

 三沢が椅子からとびあがった。

「昼飯くってから行きましょう」

 午後いちで根津駅の録画で操子を確認した。その前後の録画データを借用しようとしたら、駅長がコピーを用意してくれた。

 根津駅から大学までの乗り換えを乗換ナビで検索し、最低料金の経路をたどった。乗り換えは2回あった。乗換駅の大手町で操子の録画を探し、その前後の録画データを借用した。大学から蒲田までの乗換駅での録画は後日に回した。


 翌水曜日、三沢は大田が出署するのを待って、画像解析を始めた。事件当日の朝、操子の後ろから、根津駅の改札を通った175センチ以上の男を3人選んだ。この3人の体形をソフトに取り込んで、大手町駅の乗り換え通路の画像と比較する。操子が通り過ぎたあとの1分間の画像を流す。類似度60%で比較すると、5人が抽出された。90%に引き上げるとゼロ件になった。70%の類似度で残った人物の画像を拡大し、カラーコピーをとった。サラリーマン風の男だ。根津駅の画像に戻って、3人の顔と比較する。似ても似つかない。三沢がため息をついた。

「どうします。比較範囲を拡大しますか?」

「時間を食ってしょうがねえだろ」

「いや、オート設定にすれば、勝手にやってくれます」

 大田が腕組をといた。

「どうするんだ」

「根津駅の画像をオリジナルにして、大手町の画像を対象とするだけです。操子が通ったあとの根津駅の何分間かの画像を、大手町の何分間かの画像と比較させるか。それと類似の設定パーセントをどの程度にするか」

「犯人が、操子が大手町で乗り換えるてえことを知ってれば、根津駅ではそれほど接近する必要はないな」

「でも、同じ電車に乗らないといけないから、3分以上後ろだと尾行できない」

「じゃ、根津駅は3分に設定するか」

「大手町の乗り換え通路は?」

「そっちも3分にするか」

「そうですね、操子の大学を知っていれば、そんなに接近する必要はないですね」

「類似度は?」

「90パーでいいだろう、とりあえず」

三沢はソフトにデータを打ち込んだ。大田はその動作を不審そうに見ながら、

「そもそも、犯人はどこで犯行を考えていたか?昼ではないだろ。犯人が操子のバイト先を知ってれば、バイトが終わるのを待ってる方が、時間の節約になる」

「殺人が、合理的かどうか、分かりませんが、バイト先を知っていれば、とうぜんそうするでしょうね。犯行計画があったとしても、明るいうちではないでしょうね」

「比較は何分かかるんだ」

「結構かかります」

「それじゃ、操子のバイト先をあたるか」

と大田は大あくびをする。

「非常勤講師の平林はスポットだと言ってましたが」

「いや、それを言ったのは、土岐だ」

「でも、事件当日のバイト先のスマホ履歴がないんですよ」

「じゃ、どうする?」

「糸井という女友達に聞いてみますか?ほかの友達に聞いておくと言ってましたから」

 大田は渋面をつくった。

「面倒だな。苦手なんだよ。ああいう、キャピキャピした女の子」

「いやあ、二人LINEで聞いてみます」

「なんだその、ふたりラインてえのは」

「二人だけのLINEという意味です。ふつうLINEはグループでやるもんなんです」

 三沢はスマホで乗っ取ったLINEアプリにタッチした。

(ミサコ)「警察の三沢だけど、操子の事件当日のバイト先わかった?」

 すぐに書き込みがあった。

(イトウ)「牛丼屋じゃないかって」

(ミサコ)「どこの」

(イトウ)「たぶん、大井町あたりの」

(ミサコ)「店の名前は?」

(イトウ)「しんない」

(ミサコ)「ありがと」

 三沢が愉快そうにわらいだした。

「暇な連中だ。授業中じゃないのかな」

 大田が回転いすをきしませて立ち上がった。


 大井町駅前には、異なる系列のチェーン店が4店舗、独立系が2店舗あった。東口のチェーン店の1店舗目で昼食をとった。直後に、店長を呼び出した。眉間にしわを寄せ、迷惑そうだったが、手帳を見せると背筋をのばした。三沢は操子の学生証のコピーを見せた。

「先週の月曜日の夕方、この子、アルバイトで来ました?」

 店長は眼鏡をはずして、コピーをのぞきこむ。

「オレ、月曜はシフトじゃないけど。でも、うちは女の子は雇ってないんで」

 あとの5店舗は西口側にある。品川区役所に向かう通り沿いを1店舗ずつ、潰していった。いずれも、空振りだった。二人は踵をかえした。一旦、駅に戻り、蒲田方面に線路沿いの独立系の牛丼店をめざした。三沢の足が重い。

「偽証ということはないでしょうね」

「動機は?」

「さあ?」

「偽証も一応、証言だ。偽証という証言だ。あとで、ちゃんと整理しておけよ。最後で、有力な証言になることがある。証言が対立すれば、どっちかが偽証だから事件解決のいとぐちになる」

 最後の独立系の店は、丼物の専門店で、牛丼以外の親子丼やかつ丼などのメニューもあった。店舗の内装に派手さがない。三沢が店の奥に入って、店長を呼び出した。昼食時間のかき入れ時がすぎ、厨房でまかないを食べていた。

「なんですか?」

と入道のような店主が出てきた。三沢が学生証のコピーを見せる。

「この子が、先週の月曜日の夕方、アルバイトで来たと思うんですけど」

 店長のこめかみがひきつった。

「やっぱりそうだったんですか」

「なにが、やっぱり?」

と大田が即座にきいた。

「ローカルニュースでやっていたんで。操子という名前は覚えていたんで。織田というのはピンとこなかったけど」

「バイトは何時から何時まで?」

「夕方のいそがしいときだけ。たしか、5時から7時まで」

「おたく、防犯カメラある?」

 店主が苦笑いした。

「そんなもんつけるほど、売り上げがないんで。町会長が『区から補助金が出るんで、つけないか』と言ってきたけど。こっちは、補助金だけが欲しい」

 店主が言い終わる前に、礼だけ言って大田は店の外に出た。風が冷たくなっている。その足で、大井町駅の西口の監視カメラの画像データを入手した。


 帰署すると、出掛けにかけていた画像照合が終わっていた。スリープモードのパソコンを立ち上げ、大井町駅西口改札の画像で操子を探した。4時半過ぎに西口改札を出る画像と7時半過ぎに西口改札に入る画像を確認できた。同様の画像照合を根津駅の3分間をオリジナルとして、対象画像も操子が通過した3分間に設定し、類似度90%で三沢はエンターキーをたたいた。

「これ、時間結構かかるんで、このまま帰宅していいですか?」

 大田はつりそうなふくらはぎをもみながら、

「あしたも、よろしく」

とこたえて捜査日誌を書き終えた。

 

 翌木曜日、三沢はスリープモードのパソコンを復帰させ、画像比較画面を最小化した。

大田が出署するまで、操子のフリーメールをチェックした。フリマサイトの主催者から、

「配送が遅れています」

というメールが3通届いていた。そこに大田がやってきた。大田はキャスターをきしませて三沢の隣にすわった。三沢は画像照合画面を元に戻した。結果は件数ゼロとなっていた。

「ゼロってえこたあねえだろ」

「設定を90%にしましたから」

「エラーっつうこたあねえのか?」

「かも知れませんが、もう一度、照合してみますか?80%に落として」

「きりがねえか。万策尽きたか」

「通り魔のスジはやりたくないですね」

「でも、そうかもしれん」

と大田は窓の外に視線をなげた。灰色の空がくすんでいる。

「やり残したことはねえか?」

「第一発見者の土岐はどうです?」

「どうゆう見立てだ」

「父親も言ってましたが、自分の部屋でいたずらしようとしたら拒否されて、追いかけて行って最後に飛びかかって」

「返り血を一滴も浴びてなかったな。事情聴取で気になることがあったか」

「いけ好かないやつでしたが」

「個人的な感想を聞いてねえ」

「父親はどうです。殺人の大半は親族殺人です」

「なんでわざわざ蒲田くんだりで?」

「担任の平林はどうです。いかにもパワハラとセクハラとアカハラで女の子に手を出しそうな風貌でした。糸井も言ってましたが、目つきがいやらしい。過去の少女殺人犯と風体が似通っている」

「そんな度胸がありそうに見えたか?『おかあさーん』って感じじゃなかったか?身長も170ねえぞ」

「バイト先の店主はどうです。誰かに似ていると思っていたんですが、大久保清だった」

「店を閉じて、追いかけて行ったてえのか?」

「強盗じゃないですよね。財布もあったし。もっとも、現金はほとんどなかったけど」

「現金は殺害される前からなかったんだ。バイトもキャバクラじゃねえし。蓼食う虫も好き好きだが、あの顔じゃな」

「現場は暗かった」

「それじゃ、通り魔だ。それは最後の線にしよう。白旗挙げて応援を頼まにゃならん」

「家出した母親はどうですか?」

「そのセンは潰してなかったな」


 昼食後、三沢が第一発見者の土岐に名刺を見ながら電話連絡した。

「その後、何か情報はありましたか?」

「いいえ」

「害者の母親の連絡先を教えてください」

「クライアントに関する守秘義務があるので」

「なにいってるんだ、お前、クビになったんだろ。それに、母親はクライアントじゃないだろう。警察とは仲良くしておいた方がいいよ、仕事柄」


 三沢は大田に母親の住所と勤務先を伝えた。

「自宅は埼玉で、これから行くとすれ違いになりますね。勤務先の方に行きますか。3時出勤だそうで」

「3時?水商売か?」

「土岐がいうには割烹だそうで」

「割烹も水商売だ」

 二人は上野駅前の割烹料理店に向かった。浅草口から出て、浅草通りを浅草署を通り越して、仏具店の隣の「東一」という店の裏口のインターホンを押した。女中風の老婆が出てきた。手帳を見せたが、反応がない。三沢が口を開いた。

「警察ですが、織田さんに聞きたいことがあります」

「オダさん?そんな人はいませんが」

「こちらで働いている女性で、先日お嬢さんが殺害されて」

「ああ、沙希さんですか」

「勤務は3時からときいてますが」

と大田が三沢の後ろから声をかけた。

「ええ。遅刻はしない人なんで、そろそろくるはずです」 

 大田の後ろから、老婆に声がかかった。

「呉さん、どなた?」

 老婆が奥に引っ込み、声の女が入れ替わった。

「沙希ですが、何か?お店は5時からですけど」

「警察の者です。勤務前に申し訳ないですが、お嬢さんのことで、ちょっと、お話をうかがいたいんですが」

「そうですか、おかみさんにことわってきますので、ちょっとお待ちください」

 二人は二三分待たされた。

「表に回ってください。あけますから」

 二人は浅草通りの玄関にまわった。すぐ、中から開錠され、下ろされた暖簾のなかから、先刻の女が顔を出した。

「お入りください」

 L字形の待合の畳の腰掛が二人にすすめられた。

「奥はまだ、片付いていないので」

 二人が並んで座り、沙希が斜め左に腰かけた。大田が先に沙希にひざをむけた。

「このたびはご愁傷さまで。報告が遅くなりましたが、殺害という線で捜査を進めております。私は担当の大田、こちらは同僚の三沢」

 三沢は大田に遅れて、名刺を差し出した。

「いまのところ手がかりがない状況で、今日は、お母様のこころあたりを伺いに」

「思い当たることは、なにもありません」

「友人関係やご親族の関係で、もめごとのようなことはありませんでしたか」

「操子が子どものころ、父親が手を出したことがありましたが」

「暴力ですか?」

「暴行です」

「奥様の別居も、その辺に理由があったんですか?」

「DVです」

「警察に行ったことはないんですか?」

「民事不介入だって、とりあわないんです」

「まだそんなことを言っているんですか。暴行は立派な刑事犯です」

 大田が肘で、三沢を抑えた。

「根津のアパートにおられたことはあるんですか?」

「ええ、しばらく」

「フリマサイトの商品を詰めてある押し入れの部屋は誰の部屋ですか?」

「主人のです」

「ということは、お嬢さんの部屋は?」

「その隣の6畳間です。わたしと二人で使ってました」

「お嬢さんは、フリマをよくやっていたんですか?」

「いいえ、娘の名前を使って主人がやってました」

「そのことを、お嬢さんもご存知で?」

「ええ、いやがってました。あるとき、名古屋の大学の准教授がういろうを持って訪ねて来て、娘に会いたいって。主人が娘の名前で学術書を売ったんで、研究熱心な女子学生と勘違いしたみたいで。ストーカーみたいなやつで、東京で学会のあるたびにやってきて、『会いたくない』って言っても、いつもお土産のういろうを玄関先に置いてゆくんです。主人はその対応を娘に押し付けて、逃げまわってました」

 大田がひざをポンとたたいた。

「お仕事中、お邪魔して申し訳ありませんでした。何か思い出すことがあったら名刺の電話番号に連絡を」

 帰りがけに三沢が立ちあがりながら訊いた。

「ご主人は何でお嬢さんの名前を使っていたんですか?」

「派遣社員になる前の職場で、副業が禁止されていたんです。フリマでの出品が副業になるかどうか分かりませんが、主人は解雇されることをひどく恐れていたんです」


 署に向かいながら、大田が、

「母親の家出は、事件とは関係がなさそうだな」

「操子が母親の浮気相手を知っていたので、口封じでやった?」

「その程度じゃ、ひとは殺せない。巨額の金が絡んでいれば別だが、父親も母親も大した金を持っていそうもない。カネの線はなさそうだ」

「とすると、怨恨」

と三沢は車窓を流れるビル群につぶやいた。

「そうだ、通り魔はニュースにはなるが、殺人全体のごくわずかだ」

「空振りばかりですね。大した金額ではないけど、交通費の請求がむなしいですね」

「捜査は、99パーが空振りだ。最後の1パーで事件が解決する。お宮入りもあるが、ごくわずかだ。99パーの空振りがなければ事件は解決しない」

 帰署してから、三沢はフリマの受注3件を見ることにした。2件は古書の注文、のこり1件は絵画だ。

「注文はいずれも、事件後ですね。出品している人物が殺害されたことを知らないということだから、アリバイになりますね」

「しかし、実際に出品していたのは父親だ」

「そんなことわからないでしょう。配送元も織田操子だから、ストーカーみたいな大学の准教授が東京で学会のあるたびにういろうを持って会いに来た」

「でも、まあ、注文取引を見てみるか」

と大田は息を吐きだしながら三沢をうながした。

 1冊は経営の専門書、もう1冊は心理学の専門書、いずれも2千円を超える値で出品されていた。購入したのは、経営の専門書は大阪から、心理学の専門書は福岡からだった。絵画は額縁入りで、3千円の値がつけられていた。その「美紗子のショップ」のマイページをみると、今週の月曜日にSOLD―OUTとなっている別の古書があった。

 大田が三沢の両肩をはげしくゆさぶった。

「オート配送という機能があるのか?」

「神田古書店の友人が話していたように大手外資系の古書販売仲介業者の倉庫に定額を支払って販売と配送を委託している場合は、オート配送の機能はありますが、操子は個人でフリマサイトに出品しているので、誰かが操子になりすまして配送したということです」

「だれだ、幽霊か、イタコか?」

「ふざけないでください。父親しかありえないでしょ。女房の沙希が言ってたじゃないですか。ブツがあるのはあの6畳間の押し入れです。また配送元織田操子で売ったんじゃないですか?注文した人が地方紙の三面記事の小さな記事を読んでいで、織田操子の名前を覚えていれば、ゾッとするでしょうね」

「なにを意味する?」

「カネがはいってくるんだったら、あの父親なら売るでしょう。派遣の業務もデータ処理だから、パソコンの操作はおてのものでしょう。しかし、サイト登録で織田操子の名前を使っているんだから、これはサイトの規約違反です。操子が生きていれば、規約違反はばれなかったかも知れませんが、操子の死亡後は明白な規約違反です。しかし、サイトの主催者はそんなことは調べないでしょうね」

「そういうことじゃない」

 大田の滑舌がわるくなっている。興奮している。

「殺害とつながるかどうかだ」

 三沢はこたえられない。だまったまま、新規受注の3件の商品の出品サイトを閲覧している。突然、叫んだ。

「あれっ、この絵見たことあるぞ」

 三沢はSOLD―OUTという襷のかかった画像を拡大している。

「どこで見たんだ」

と大田が椅子のまま三沢ににじり寄った。三沢はマウスをクリックし続けた。

「これだ」

と三沢が拡大した画像は背景は異なるが、同一の絵画だった。出品者と購入者のやりとりを見た。

(美砂子)「商品説明になかった汚れが、カンバスの裏にありました。返品しますので、返金をお願いします。証拠の画像も添付するのでよく見てください」

(リタイヤ)「絵はカンバスの裏でなく、表を鑑賞するものです」

(美砂子)「額縁にも3か所、傷があります。これも商品説明にはありません。返品しますので、全額返金をお願いします」

(リタイヤ)「絵画は額縁を鑑賞するものではありません」

(美砂子)「大人の対応をお願いします。はやくおカネを返してください」

(リタイヤ)「キャンセルします。おカネはサイトが預かっています。こちらにはありません」

(美砂子)「まだ、おカネが返ってこないんですが。はやくしろ」

(リタイヤ)「返品は結構です。今後わたしのショップからは購入しないでください」

 三沢の手がフリーズしている。

「おなじ手口だ。美砂子はフリマやくざか」

「この絵を購入したのは誰だ」

 三沢の返事がない。大田は三沢が開いた先刻の画面を腰を浮かせてのぞきこんだ。購入者は(リタイヤ)となっている。大田の大きな顔が三沢の横にある。

「商品と送料を失った人間が、倍の金額で買い戻そうとしているのか?」

「意味不明です。買い戻そうとしているにしても、同じハンドルネームを使っている。操子がどう出るか、探りを入れているのか。自分も同じ言いがかりをつけて、商品を取り戻そうというのか」

 大田が画面の商品説明を指さした。

「しかし、美沙子は額縁の傷やカンバスの汚れはちゃんと書いてあるぞ」

「もともとの出品者だから、これ以外の商品の瑕疵を知っているのかも知れないですね」

「偽物という指摘は有力だろうが、3千円じゃ、そもそも名のある画家じゃないよな」

「一応、あたってみますか?」

「まあな、また空振りかも知れんが」

 三沢は(美紗子)のショップで、絵画を購入した(リタイア)の配送先住所と氏名を確認した。大田の顔がほころんでいる。

「よし、あした朝駆けだ。一応、電話番号を調べて、在宅を確認してくれ」

「証拠隠滅の危険はないですか?」

「草原に獲物が潜んでいたら一発ぶっぱなす」

「逃げるでしょうね」

「所在が分かる。証拠がない時は、証拠隠滅をさせる。それから証拠隠滅の証拠をつかむ」


 二人は金曜日の朝8時に駅で待ち合わせた。配送先住所は東武東上線霞ヶ関駅から徒歩10分ぐらいの私立大学の裏手にあった。通勤で駅に向かう人々をかき分けて歩いた。

三沢は「高橋」という表札の前でインターホンを押した。中年後半の女がドアから顔を出した。

「高橋博さんのお宅ですか?」

と三沢が頭を下げた。女は首をすくめるようにうなづいた。

「ちょっと、お話を伺いたいことがありまして」

と三沢が手帳を見せた。女は三沢の後ろの大田に目を送った。大田は、

「聞きたいことがありまして、蒲田警察署の者です」

 女は二人を玄関先に招き入れた。スリッパを揃えたが、

「いえ、すぐ終わります」

と大田が固辞した。二階から階段を降りてくる足音がした。

「なんでしょうか?」

とゴマ塩頭の男が降りてきた。

「中へどうぞ」

と言われて、三沢が先にスリッパに足を入れた。二人は玄関の隣のリビングに通された。

「すぐ終わりますんで」

と大田が先にソファに腰かけた。

「ネットのフリマで美紗子というハンドルネームの人から絵画を購入しましたよね」

 高橋は目を点にしてうなずく。

「ええ。まだ届いていませんが」

「この絵画はもともと高橋さんが、『砂』の美砂子という人に売却したもんですよね」

「売却したというか、なんというか」

 三沢が横から口を出した。

「詐取されたんじゃないですか?」

「詐取されたかどうか、分かりませんが、クレーマーのような人でした」

「それをどうして買い戻したんですか?」

「あれは、女房の形見だったんです」

「奥さんの形見をフリマで売った」

と大田が確認した。

「すると、先ほどの女性は?」

「女房の妹です」

 三沢が話を元に戻した。

「奥さんの形見を誤って売ってしまったということなんですか?」

「あの絵は女房が結婚した時、実家からもってきたもんで、ずっと押入れの奥にあったんです。女房のものは置いておくと、思い出して辛いんで、捨てるわけにもいなないので、売ったわけです」

「それをまた、どうして買い戻そうとしたんですか?」

「女房の妹が形見に欲しいと言い出して。いまちょうど遺品整理で来ています」

 先刻の女がお茶をもってリビングに入ってきた。大田が訊いた。

「あの絵は貴重なものなんで?」

「安物だと思うんですけど、姉が唯一母からプレゼントされたもので、飾ることはしなかったんですけど、大切にしていました。母は私のことは『かわいい、かわいい』ってかわいがってくれたんですけど、長女の姉については『かわいいと思ったことは一度もない』って姉の前で行ったことがあったんです」

「それを高橋さんが、あなたの許可も取らずにネットで売ってしまった」

「いえ、姉のものは博さんのものだから、わたしはどうこう言う立場にはないんですけど、事情を話したら、博さんが買い戻すと言ってくれて」

 三沢が高橋に目線を戻した。

「でも、よくあの絵を探しだしましたね」

「本当に欲しい絵であれば、返品するなんて言わないはずです。転売しているような気がしたんで、画像検索しました」

「そうしたらヒットしたんですね」

「送料900円かかったものを、送料込みで3000円で買い戻したので、3900円の出費です。最初から義妹にあげていれば払わないですんだカネです」

 大田がソファに座りなおした。

「ご存知ないかもしれませんが、あの絵を売買した織田操子という女子学生は先週の月曜日に殺害されています」

 高橋は大きく目を見開いた。

「えっ、(配送する)というメッセージがありましたけど」

「たぶん、それは出品者の父親だと思います」

 高橋はうつむいて床に目を落としている。

「死亡したら、出品できないんじゃないですかね」

 三沢が手帳を内ポケットにしまった。

「サイトの規約ではそうなっていると思いますが、サイトの主催社はチェックしていないでしょう。アンケートサイトの場合は、たまに電話して本人確認をしているようですが、アンケートサイトの場合は、アンケート数が多い方がクライアントからより多くのアンケート料をとれるんで、あまり積極的に本人確認はやっていないようです」

大田が立ちあがった。

「どうも早朝から、失礼しました。参考までに、先週の月曜日の夜8時頃、どちらにいたか、覚えていますか」

 高橋は即答した。

「この家に、ひとりでいました」

 三沢が玄関に向かう大田の後を追った。

「どうも、お邪魔しました」

 高橋が玄関外まで、見送りに出た。三沢は深々と頭を下げ、高橋が玄関ドアの中に消えかけた瞬間、スマホのシャッターを押した。

 

 帰署の途中で大田は市役所の出張所に寄った。高橋博の女房の死亡年月日の確認が目的だった。手帳を見せて、窓口で聞いた。日付は操子が殺害された日の1か月ほどまえだった。

三沢が大田に問いただした。

「女房が死んだ日とヤマとどういう関係があるんですか?」

「義理の妹がなんで今日いるのか、ちょっとひっかかった」

「姉の遺品の整理でもしてたんじゃないですか?高橋がそう言ってましたよね」

「高橋があの絵を出品した日がわかるか?」

 駅に向かいながら三沢がスマホを開いた。通勤客が迷惑そうな目線を追い越しざまに三沢に投げかける。大田は三沢に歩調を合わせる。改札を抜けて、混雑するプラットフォームに立った時、三沢が強い声でささやいた。

「2か月前ですね」

「ということは、女房はまだなくなってなかった」

「余命いくばかり、ということで、遺品になりそうなものを整理し始めたということですかね」

「高橋の身長はどのくらいだった?」

「170はなかったですね。165あるかないか」

 突然、大田が今は言ってきたばかりの改札から駅の外に出た。三沢はあわてて後を追った。

「何か忘れ物ですか?」

「朝飯だ」

と言いながら、大田は急ぎ足でうどんのチェーン店に入った。大きなガラス窓から、高橋の家の玄関が見える。

「ゆっくりたべろ」

と大田がかけうどんの麺を一本ずつすする。目線は高橋の家の玄関に張り付いている。

「なにか動きがありますかね?」

「ないかもしれん。警察が来ることは想定していなかったはずだ」

 三沢も高橋の家の玄関を注視した。

「裏口から出て行くことはないでしょうかね?」

「あるかもしれん。二人だと目立つから、あの家の裏手がどうなっているか、見てきてくれるか?」

 三沢はうどんを食べかけのまま、高橋の家の裏手に回った。うどん屋の大きなガラス窓越しに、大田は三沢の動きを追っていた。すべての人の流れが駅に向かっている。ひとりではあるが、逆方向の三沢の動きは目立っていた。三沢は高橋の家の隣から、裏手に回った。5分もしないうちに、三沢は戻ってきた。

「高橋の家の裏に駐車場がありました。車はありません。遠目ではありますが、高橋の家に人の気配はなかったようです」

「いったん引き揚げるか」


 二人は満員電車で、蒲田署に向かった。帰署する前に現場に寄った。

「現場百遍だ」

と大田は左手の土岐の二階事務所を見上げながら言う。一階は零細な印刷屋、印刷屋の手前は居酒屋だ。居酒屋は裏通りと表通りの角にある。居酒屋の裏口が50センチほど裏通りにつき出ている。居酒屋の建物の壁と裏口の間にビール瓶の空きケースがある。

「ちょっと乗ってみい」

と大田が三沢に命じる。三沢はビール瓶のケースに足をかける。足元を確認して両足をのせる。大田が土岐の二階事務所の玄関を指さす。

「鉄階段の2階玄関が良く見えるだろ」

 三沢は言われるまま目線を送る。

「あそこで操子が土岐の不在を知って、電話をかけたんですね」

「165センチでも十分見えるだろ。そこのビールの空き瓶で操子の頭頂を一撃」

「でも、当日空き瓶は全部チェックしましたよね。血痕も頭髪もついていなかった」

「5、6本の空きがあったよな」

「凶器は持ち去ったのか」

「元に戻す馬鹿はいないだろう」


署には11時ごろについた。デカ部屋の自分の机につくと三沢はため息をつきながら、

「高橋はアリバイがありますよね」

「いつ調べた?」

「だって、操子が死んだって知らなかった」

「そうゆうのはアリバイってえ言わねえんだ」

「死んでいたと知っていたら注文はださないでしょ」

「ハンドルネーム糸へんの(美紗子)と織田操子が同一人物だとどうしてわかるんだ」

「高橋が最初に絵画を売ったとき、配送先は織田操子になっていたはずです。そのとき、高橋はハンドルネーム『砂』の(美砂子)と織田操子が同一人物であると知る。同時に自宅住所も知る。高橋が先週の月曜日、どこかのニュースで織田操子の殺害を知れば、同一人物が殺害されたことを知るんでは」

「自分が売った糸へんの(美紗子)が『砂』の(美砂子)と同一人物であることは、絵画検索をして知ったはずだ。その時、織田操子と糸へんの(美紗子)と『砂』の(美砂子)が同一人物であることを知ったはずだ。しかし、織田操子が殺害されたことを知っていたかどうか、確認は取れない」

 三沢が弥勒菩薩のようにてのひらを頬にあてた。

「高橋が、織田操子と糸へんの美紗子と砂の美砂子が同一人物であると知っていても、織田操子が殺害されたことを知らなければ、一度売った絵画を買い戻したのは偶然ということですか」

「かも知れない。しかし、高橋はお前と同じ誤りを犯したかもしれない」

「わたしが何か間違いを言いましたか?」

「お前は、織田操子が死んでいると知っていれば、同一人物の美紗子の出品している商品に注文を出さないはずだから、アリバイになるといった」

「だって、死んだ人は商品を配送できないでしょ」

「だから、高橋は注文したことをアリバイにしようとしたんだ」

「注文したということは、織田操子の死亡を知らなかった。知らなかったということは、自分は殺害犯ではない、という論法ですか?」

「しかし、その論法は死亡した人間は商品を発送できない、だから死亡を知っていれば注文しないという行為が前提だ。実際は死亡を知っていても注文はできるから、その前提は成立しない。したがって、糸へんの美紗子の絵画を買い戻すという行為はアリバイにはならん」

「ところが、発送したというメッセージが届いた。このメッセージを書いたのは、たぶん操子の父親ですね」

「いいか、よく考えろ。高橋が織田操子の死亡を知っていたとしたら、絵画の買い戻し注文はしない。なぜなら、糸へんの美紗子と砂の美砂子と同一人物であることを知っているからだ。絵画の買い戻し注文をしたということは、織田操子の死亡を本当に知らなかったか、自分が殺害したかのどっちかだ。殺害したとすれば、買い戻したという行為をアリバイにしようとしたんだ」

 三沢は大田の言うことが良く理解できなかった。大田は三沢の目を見て言った。

「単なる偶然かもしれない。高橋は単に、織田操子の死後、絵画を買い戻す注文を出した。その行為をアリバイにしようとしたというのは、勘繰りかもしれない。もし、アリバイにしようとしたのであれば、自白したようなものだ。やらずもがな、ということだ」

 三沢は大田の話を聞きながら、スマホの画像データをパソコンに取り込んだ。

「高橋の画像を、月曜日の午後8時の蒲田駅の改札の画像と照合してみましょうか」

「玄関先の後姿の写真か?」

「顔は写せなかったんですが、後姿だけで照合してみます」

 三沢は画像照合ソフトを立ち上げた。画面右側に今朝のスマホの画像、左側に午後8時前の蒲田駅改札から吐き出された乗客の後姿の動画を映し出した。操子の後ろ姿に続く3分間の動画にスマホの高橋の後姿で90%類似度で検索をかけた。動画の再生速度を2分の一に設定して、三沢はリターンキーを叩いた。照合開始10秒で、動画の中に黄色い線描で縁取られた人物が描きだされた。その縁取られた黄色い線描が動画とともに粘菌の早送り画像のようにうごめく。

大田が三沢の背中をたたいた。

「やったな」

「あとは動機ですね」

「適当にストーリーをでっちあげて、あとは検察の仕事だ。ところで、あの絵画にタイトルはあったか?」

「永遠のアルチュール」

と三沢はこたえた。                           了


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