芹那の話 其の肆
そこから和也はまた何日も眠り続けた。起きてもあやふやな記憶の中をさまようように、意味のわからないことをぶつぶつと言い続け、唐突にコトリとまた眠った。
「いったい、どうなってるのよ……」私は和也を背負い、また歩き続けた。それでも、コトネを助けた時の和也は、ほんの少しだけど以前の和也と変わらない表情を見せてくれた。私にはそれがほんの少し励みになった。
それにしても、こんなところでうちの座敷童の生きた姿を見ることができるなんて。私はそう思い、何度もコトネの顔を思い出した。それに大丈夫なのかな。おじいちゃん、ずっと寝てるって言ってたけど。病気か何かでなければいいけど。
私はあまり気が進まなかったけれど、和也が言ったように亡霊の行列がやって来る方に向かって歩くようにした。どこかにたどり着くと言う保証が欲しかったのだ。今までずっと太陽の沈む方に向かって歩いていた。そんな心許ないやり方以外に出雲に近づく方法がわからなかったのだ。
亡霊の行列を見ながら歩くためには、私たちは夜に歩く必要があった。薄気味悪いことに変わりはなかったが、何日も見続けているとそれなりに慣れてきて、もう怖いと思うこともなくなった。
ある日、いつものように暗い森の中を月明かりを頼りに歩いていると、遠くに焚き火の明かりが見えた。
「人? こんなとこに? まさか人さらいじゃ!?」と思いながら、私は和也を背負いながら恐る恐る近づいた。すると焚き火の揺れる炎に当たりながら、大きな木に寄り掛かるように座り目を閉じる一人の若者がいた。組んだ腕の中には、大きな剣を抱いている。
「誰だ?」若者は目を閉じていたが、私たちがまだ木陰から覗いているだけでその気配に気づき、声をかけてきた。
「あ、あの、私たち……」
「動くな!」そう言って剣を持った若者は急に立ち上がり、剣を振りかざすと私たちに向かってきた。
「ま、まって!」そう言う私の言葉も聞かず、若者は私の首を落とそうかとでも言う勢いで、すれ違いざまに剣を横に振りぬいた。
私は思わず頭を抱え、目を閉じた。が、「いぎゃあ!」という悲鳴に後ろを振り向くと、そこには若者の振りぬいた剣に首を落とされた老婆のような化け物が死んでいた。
「こんな夜に、剣も持たずに森の中をうろつくとは、どう言う考えをしている」よく聞くと、それは女の人の声だった。
「そ、その、これには事情があって……」と言いかけて私は息を呑んだ。「か、香奈子?」
「ん?」と言って私を見つめるその若者は、どこからどうみても……、い、いや、香奈子に瓜二つなんだけど、背も高く、睨みつける眼差しに幼さがなく、どうやら私より年上のようだ。
「あの、いえ、ちょっと友達に似ていたもので」私はそう言ってごまかした。
「私が女だからと言って驚いているのであろう」
「そ、そう言うことじゃないです!」
「別に構わんが」
「あの、お、お名前は?」
「そちらが先に名乗るのが礼儀であろう」
「そ、そうよね。私、芹那と言います。こっちは和也」
「芹那に和也、変わった名だ。私はヤエと言うものだ。剣士をしている。この辺りは化け物が多くてな。村に化け物が出れば、私は雇われ、化け物を退治している」
「か、香奈子? 香奈子!」いつの間にか和也が目を覚ましていたようで、目の前にいるヤエさんにそう叫ぶと、いきなりすがるように飛びついて行った。
「何をする!」ヤエさんは軽く身をかわすと、飛びつく和也に足をかけて転ばせた。
「か、香奈子! 僕だよ、和也だよ、わかるだろ? どこにいたんだ。よかった、生きてたんだね? 香奈子、香奈子、香奈子」
「和也! やめなさい。違うの、この人は香奈子じゃないのよ?」そう言って私は再びヤエさんにすがろうとする和也を抱きかかえるようにして止めた。
「すみません。さっき話した友達に似ているもので、勘違いしているんです」
「それにしてもなんだ、そいつは」
「目の前でその友達が殺されたんです。この子も元々は剣士で、その子を救えなくて、それでこんな風になってしまって……」
「香奈子! 香奈子は死んでなんかいない! 香奈子、僕だよ、和也だよ!」和也は泣きながらそう訴えた。
「事情はよくわかった。だがそいつから手を離すな。また飛び掛かられてはかなわん」
「わかりました。ごめんなさい」
「こんな夜中だ。お前たちもここで寝ろ。私のそばにいれば安心だ」
「ありがとうございます」
パチパチと薪の爆ぜる音に耳を澄ませ、その炎の温かさに頬を撫でられながら、私はいつしか眠り込んでいた。夢の中で見るのは、決まって二つのシーンだった。一つ目は、和也と香奈子と三人で笑い合ったこと。二つ目は、香奈子が殺され、何もかも死に絶えた世界で和也と二人きりになった時のこと。決まってそこで目が覚める。
「どうした? うなされていたぞ」
「えっ!?」私は眠りにつく前のことがうまく思い出せず、目の前に香奈子がいることに一瞬戸惑い、そしてそれがヤエさんだと言うことに思い至った。
「昔のことを夢に見ていたんです」
「香奈子と言う者のことか」
「ええ。この子、和也の恋人でした」
「コイビトと言うのは、妹のことか」
芋? ああそうか、学校で習った気がする。この時代じゃあ、恋人のことを妹って言うんだ。
「そうです。イモです」なんだか私はそんなくだらないことが可笑しくなってクスリと笑ってしまった。
「なにが可笑しい」
「いえ。私がいた場所と、言葉が違うなって」うまく説明できなかった。
「いつの時代であろうと、どんな場所であろうと、大切な者をまもれないことは悲しいことだ」
「ええ、そうです……」
ヤエさんは時々、焚き火の中に薪の代わりの木を折って入れた。湿気た生木はなかなか燃えず、シューシューと蒸気を上げ、やがてジワジワと黒く燃え始めた。
「そいつは、強かったのか?」
「ええ。どんな化け物にも命がけで向かって行きました」
「そいつはなぜそれほどまでに戦った」
「この世を守るためです」
「この世を?」
「ええ。そして大切な人を失った敵を討つために」
「そしてまた、大切な人を失ったと言うのか」
「そうね」私はヤエさんにあらためてそう言われると、和也のこれまでの人生がとても悲しいものに思えてしまった。私よりまだ子供で、こんなに弱そうな体で、大切な人を失い、戦って戦ってぼろぼろにされて、こんなにまでなって……。私は思わず膝に眠る和也の頭を抱きしめ、泣いた。
「お前たちは、これからどこへ行く?」
「出雲の国です」
「出雲? ここからか」
「はい」
「遠いぞ。鬼にも会う」
「はい」
「そこに、何がある?」
「和也を、立ち直らせる人がいます」そう信じるしかなかった。
「そしてそいつは、また戦うのか?」
「えっ?」と私は思ってしまった。和也は、また戦うのか? 私は、また和也を戦わせようとしているのか? こんなにボロボロになって、打ちひしがれて、いろんなものを背負って、こんな小さな体で、まだ子供の心だと言うのに、まだ和也に頼り、戦わせようとしているのか?
「まあそれも良い。それがそやつの宿運であるのなら、逃れられるものではないのであろう」
逃れられないの? できるなら、私は和也に戦わせたくない。もういいじゃない。ここまでやったんだから。これ以上、心も体も壊して、何と戦えと言うの?
「なぜおまえが迷う?」
「私が? 何を迷うの?」
「今お前は、そいつが戦うことに迷いを感じたであろう」
「ええ……。どうしてこの子ばかり、傷つかなくてはいけないのかと……」
「それを憐れむのか?」
「憐れむ?」
「そいつが負った傷を、お前は不憫に思うのか」
「ええ……、何も和也ばかりが傷つかなくても。そう思うわ」
「その傷は、そやつが望んだ結果としてついた傷なのであろう」
「どう言うこと?」
「戦わずにはいられない理由があった。戦わなければ悔やむ理由があった。ならばその傷は、そやつが己の宿運に真っ当に生きてきた証ではないのか」
「そんな! こんなになることが、和也の望んだことだと言うの!?」
「見ろ……」そう言ってヤエは立ち上がり、着ている物を脱いで背中を見せた。「幾度となく鬼に刻まれた傷だ」その背中は、もはや原型をとどめないほどの多数の傷に覆われていた。中には首元から腰のあたりにまで伸びる傷もある。
「私はこの傷に、一つとして悔やむものはない。私も時には、己の大切な者の命を失った。だがしかし、それ以上に、誰かの大切な者の命を救いもした。たとえさらなる傷を負い、この命を落としたとしても、誰かに憐れまれるような生き方はしていない。それが剣士としての誇りであり、幸福だと思っている」
私は返す言葉を失った。ヤエさんの言ったことに納得したからではない。それはあまりに、香奈子が言いそうな言葉だったからだ。