夢、あの日……
「ふぅ~やっと終わったぜ~」
納期が明日と言う、企画書を書きあげた俺は、大きく背伸びをするとそう言葉を零した。
時計を見れば、午後11時55分……。
後5分で誕生日も終わりか、今年も一人だったな……。
そう思った途端侘しさを感じ、帰りにコンビニでケーキでも買って帰ろうと席を立ちあがろうとして電源を消し忘れたPCが視界に入った。
「おっと、危ない。省エネ省エネっと……」
独り言を呟き、マウスを握りシャットダウンボタンへとカーソルを移動させた瞬間――。
ディスプレイに、砂嵐が入ったと思えば突然暗転した。
黒い画面上に、今まさに誰かが打ちこんでいるかのように白い文字が浮かび上がる。
ようこそ、アンダーワールド ニルクヘイム へ
入力を促すかのように、画面上のカーソルが点滅する。
「なんだ? バグか? 明日、システムに詳しい奴に修理頼むか……」
安易にそんなことを考えていた俺は、PC本体の電源ボタンを長押ししようと手を伸ばした刹那、ディスプレイへと何かに引き摺り込まれた――。
瞼を開き、凝り固まった体を伸ばすことで解し上体を起こせば、自分がいつの間にか意識を失っていたらしい事に気づいた。
「どこだよ……ここ……」
大小さまざまな色とりどりの水晶のような四角い透明な物体が並ぶ、見慣れぬ空間にただポツンと座り周囲を見回していた俺の前に、小さく淡い光を放つ丸い物体が現れた。
「なんだよこれ……」
『ハジメマシテ。轟 拓サン』
「――っ!!」
突然、頭に声が響き自分の名を呼ばれたことに驚いき後ずさる俺の周囲を、丸い物体がクルクルと回る。
『ソンナニ オドロカナイデ クダサイ。ワタシハ、アナタノセカイデ イウトコロノ カミサマデス』
「え?」
カミサマだと? 何なんだいったい……。
そう考えたところで、ハッと思いだす。
最近まともに眠っていたなかったことや、食事すら抜き仕事をしていたことを……まっ、まさか、俺は過労死したのか??
全身に悪寒を感じ、自身を守るように両手で包みこんだ。
『シンパイ シナイデクダサイ。 アナタハ シンデイル ワケデハ アリマセン』
「じゃぁ……なんで?」
『アナタニハ アルセカイヘ イッテイタダキタイノデス』
「は?」
『ゴセツメイ シマス』
そう言って、カミサマと名乗った球体は俺に説明を始めた。
彼? 彼女? どちらかは判らないが、それが説明した内容……に俺は驚愕した。
このカミサマが守護する世界では、多くの人間が魔族により殺されているらしい、その魔族はとても厄介で、適正を持つ者以外倒せないと言う。その適正については説明してくれなかったが……とりあえず、人間を守る為に、俺はここに呼ばれた。と言うことのようだった。
「拒否権は?」
『アリマセン』
「まじかよ。ぶっちゃけて言うけど、俺……運動音痴だぞ?」
『モンダイアリマセン』
「元ゲーマーなだけだぞ?」
『ダイジョウブデス』
「魔法も使えないぞ?」
『マホウハ スベテ ツカエルヨウニ デキマス』
「えー、でもなぁ死ぬかもしれないんだろ?」
『フロウフシヲ キボウシマスカ?』
「うーん。死なないのも嫌だな……それに痛いのも嫌だし……」
『……デハ、イタミヲ カンジナイカラダニ シマスカ?』
「うーん。でも魔族倒しても俺に何があるの?」
『ユウシャニ ナレマス』
「悪いが、やっぱり断りたいんだが……」
俺の出した答えはこれだった。
過去を振り返り、色々考えてはみるものの俺には、荷が重いと判断した。
『ソレハ デキマセン アナタノ ノゾムモノ スベテヲ アタエマス デスカラ ワタシノセカイヲ スクッテクダサイ』
カミサマは俺の望む物を全て与えると言う。
『ユックリデ カマイマセン カンガエテ クダサイ』
なんだか、凄く気を使われている……そう考えると、申し訳ない気分になるも、考える時間を与えて貰ったことに感謝しつつ、独り頭の中で冷静に今後を考え始めた。
うーん。どうしたものか……俺としては、過去の俺の経験側から無理だと判断した訳だが、カミサマがここまで言うんだから、行くべきなんだろうな……でも、痛いのも死ぬのも殺すのも嫌なんだよなぁ……。
面倒な事になったな。折角の誕生日だったのに、ケーキすら食えなかったぞっ! つか……彼女すら……あぁ、考えてたら鬱になって来たわ。
どうせ、現実世界では俺に恋なんてする女の子はいなかったし……異世界に行って、勇者になって彼女つくって……むふふ的なこともしちゃったりなんか……って違うだろう。その前に死ぬかもしれないんだぞ! 魔族とは言え知性ある生き物を殺すってことだぞっ!
無理だわ―。俺ハエさえ殺した事ないわ―。とそんなことを考えていた俺の前にいた丸い発光体が突然、ボンと爆発した。
それに驚いた俺は、まるで死んだ蛙のように後ろへとひっくり返った。
「我の居ぬ間に……小物が入り込んだか……」
今度はなんだよ? そう思いつつ、体勢を元に戻しせば眼前に、白いローブを着た神々しいオーラを全身から発する、髭も髪も白く長い爺さんが浮いていた。
「誰!」
「お前が誰じゃ?」
「あっ、名乗り遅れ申し訳ありません……私、●×△会社、企画設計課で、プログラマーをしております。轟 拓 と申します」
そう言って、スーツの左の内ポケットから名刺入れを取り出し、両手で名刺を差し出せば、相手も何やら髪を差し出しつつ自己紹介してくれた。
「我は、この世界の主神 ヘルムスである……」
読めない文字の名刺? を貰い、主神であるヘルムス様になぜここにいるのかと問われ、先ほどの話をしてみたところ……大変ご立腹な状態になった。
「あの……それで私はどうなるのでしょうか?」
「ふむ……それについてなのだが、もとに戻すにはしばし時が必要となる。その間、我の世界でも楽しんでおいてくれ」
「はぁ? 魔族を倒せとかではないんですよね?」
「そんな事をする必要はない!」
「そうですか……なら、戻れるまで楽しませていただきます」
「では、楽しんでくるがよい」
そう言うと、ヘルムス様が何やら呪文のようなものを唱え始め、視界が光に包まれ眩しさに耐えかねた俺は瞼を閉じた。
大勢の人の声が耳に届き瞼を開けば、東南アジアのような服装の男女が大勢行き交い、市のような露店が沢山立っている場所に、俺は立っていた。
物珍しさから、周囲を見回しつつ歩を進める。菓子の甘い香りに誘われ立ち寄った露店で、菓子を購入しようとして財布を取り出した途端、ここが日本ではない事に気付き購入を断念する。
あー。マジで腹減った……。そう思いつつ市場を見て回る俺の頭に、ヘルムス様の声が響く。
「すまぬ。小遣いを渡し忘れていた。ポケットに入れておく自由に使うがよいだろう」
うぉぉぉ。まじかぁ。ありがとうございます。ヘルムス様!
さっそくポケットに手を突っ込んでみれば、数枚の硬貨の感覚を捕えた。それを掴み取り出せば、金貨が数枚掌にのっている。
先ほど断念した菓子を売る露店に戻り、菓子を購入し腹を満たした。
この世界の人たちは働く事に意欲的なのか、どの店を見ても生き生きとした表情をしてよく笑っている。日本とは大分違うなと感じつつ、こうして街の中を歩き好きな物を買い食べ歩くのは、いつ振りだろうかと振り返ってみれば……大学時代以来だと気付いた。
大学を卒業し、今の会社に入って以来休みらしい休みはなく、ブラックと言ってもいいほどの社蓄業務をこなして来た。おかげで彼女はできず……三十路の誕生日を迎えてしまったわけだが……。
そう言えば、三十路を過ぎたら魔法使いになれるんじゃなかったか? などとくだらないことを考え、ひとり嘲笑した。
噛みタバコを売っている露店の親父から、景色が最高だと街の北にある塔を進められ、気が向いたので行ってみることにした。
こう言うゆっくりした時間は、社蓄となって以来だなと感慨に耽りつつのんびり歩き塔へと歩を進めた。
街並みが少しずつ変わり、活気あふれた人々の出す音が徐々に消えていく。
自分がまるで、物語の主人公になったように感じた。
見慣れぬ、白い建物に赤い屋根が並び、石畳の道は古道のようで……心が童心に還ったかのようにワクワクする。
あぁ、忘れてたなぁこういうの……子供の頃は、やる事なす事全てが冒険で新鮮だったのに……。
三十路の誕生日に、まさか自分が異世界で過ごすなんて思わな思わなかった……。
クツクツと喉を鳴らし歩いて、塔へと到着した。案外道のりは平坦だったが、すれ違う人や物に一々興味を惹かれ、覗いたり観察したりしていたせいか、既に陽は傾き始めていた。
石で造られた立派な塔を見上げつつ、その上部へと登るための階段を探せば、内部に石で造られた螺旋階段を発見した。
かなりの段数がありそうだな……と気合を入れ登る。
運動不足が祟ったせいか、直ぐに息は上がり、太ももがピクピクと痙攣しはじめる。
「ふぅ~。やばい……まだ半分も登ってないのに、もう限界が近い……」
そんな事を誰もいないのに声に出しつつ、ここを紹介してくれた、露店の親父の言葉を思い出す。
「塔からの景色は絶景だ! 一度見ておいた方がいいですよ!」
それほどの景色が見れるのであれば、是非見てみたいと運動不足の体に鞭を打ち登った。
塔の最上部に作られたであろう、テラスの様な見張り台から差し込む、濃いオレンジ色の光が薄暗い道を進んできた俺の視界を塞ぐよう見せつけた。
その光に目を眇め、手で光を遮るようにして残り三段の階段を登りきる。
「はぁ。はぁ。漸く着いたか……はぁ」
一度、壁に背を預け息を整えつつ、テラスへと歩を進めた。
どこか懐かしさを感じる景色を見回せば、その全てが一色に染まっている。
白い壁が、赤い屋根が、涼しく感じる風に揺らされる木々が、遠くに見える海が……そして、街を歩く人々が……全てが、ただ、夕日に照らされ濃いオレンジ色をしている。
「なんて、綺麗なんだろう……」
ただ、茫然とその景色を日が沈むまで眺めた。
日が完全に沈み切り、月が中ほどに登り優しい光で大地を照らし、煌めく宝石をちりばめたように星が瞬く頃、その知らせが俺の頭に届いた。
「待たせた。元の世界へ戻す」
ヘルムス様の声に無言で頷き、了承すれば自然と眠気に襲われた――その刹那、彼の声が聞こえた。
「私の世界はどうであった?」と……。
最高だった。と考えることで答える。それが、ヘルムス様に伝わったかは判らない。
「うーん」と長い夢を見ていた気分で、体を伸ばし瞼を開けば、並んだ机に見慣れたPCが視界に入る。
日本へ戻って来たのだと理解した。
その後、スマホを開き確認すれば、俺があの不思議な現象を体験した時間と日付だった。
そう。まだ俺の誕生日は終わっていなかったのだ。
慌てて椅子に座り、要らない紙を裏に返すとあの世界を振り返り、見た全てを書きだしていく。
それはまるで小説のプロットを書くように――。
塔の上で景色を眺めている間に、子供の頃の夢を思い出した。
年齢を重ねる度、現実を知り、叶わないと決めつけ、諦めていた……忙殺される毎日に、いつの間にか忘れてしまっていた夢だった。
それは――小説家になること。
今すぐは無理かもしれない、けれど……いつか、いつか必ずヘルムス様の世界を俺は書いてみせるよ。
心の中で、ヘルムス様に向けそう誓った――。
読んで頂きありがとうございます。上手くまとまっていればいいのですが……(笑