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第六話 原始にかえる

 一行が森を抜けると、そこには広々とした川原が広がり、清廉で豊かな川が流れていた。

 子どもたちが喜んで水辺にかけよっていく。

「これで水は確保できるわね」

「おーい、用足しは川下でするんだぞー」

 ディオが余計なことを言う。

 みんな笑ったが、大事なことではあった。


「多分この辺りなら食料も手に入ると思うわ。何人かついて来てくれると助かるんだけど」

 アルテミスが言うと、アンフィトリテが仲間たちを集めた。

「だったら、ここで二手に分かれよう。子どもたちも休ませなきゃならないからね。・・・アフロディーテさん。あんたにアテナさんと子どもたちを任せていいかい」

 アフロディーテはうなずく。

「ええ、適当な場所を探して、今日のねぐらを用意しておくわ」


 すぐにアンフィトリテは仲間たちをあつめ、ポリュフェイモス、ブリアレオス、シレヌスにはこの場に残ってみんなを守るよう指示し、オリオン、トリスタン、アルビオンにはついて来るように言った。

「・・・しかし、武器ひとつないってのは、厳しいもんだな」

 守る、という仕事を考えるにあたって、トリスタンは自分たちがみな丸腰であることを、あらためて不安に感じた。

 武器を持たない人間の、大自然に対するあまりの脆弱さを思い知った。

「まあ、道々、木切れでも拾っていこうよ」

 アルビオンの方はそのあたり、割り切っているらしい。


 人生何があろうと落胆することはない。

 無いなら無いで何とかして来たからこそ、いまの人類があるのだ。





 すると、川原で石を拾っていたヘパイストスが、振り向いて声を上げた。

「わしもここに残るぞい」


「分かったわ。アレスとディオは来てくれるよね」

 アルテミスが確認をうながすと、アレスは静かにうなずいた。

「俺は素手でも戦える」

「た、たしかに・・・。アレスなら熊でも倒しそうね」

「うむ」

 倒したことがあるらしい。


「そうだな、探検は身軽な人間の方が向いてるか。船乗りさんたちと、アルテミスとアレスと俺と・・・で、あとは」

 ディオが振り向くと、仮面の男はうなずいた。

「私も、ここに残ろう」

「それがいい。そもそも子どもたちは、あんたについて来たようなものだしな」

 ディオが子どもたちの方を見ると、その中の数人が顔を上げた。

「あの・・・! 僕たちも行きます。連れて行ってください」

 見ると、なかなかしっかりした顔立ちの少年たちである。

 先程のイアソンもいる。

 女の子も二人ほど加わっていた。

「ええと・・・ひぃ・・・ふぅ・・・八人か。うーん、いいのかな。ねえ、アフロディーテ」

「本人たちが行くって言っているんだからいいんじゃない? 船でも頑張ってたわ、その子たち」


 こうして、アルテミスたち大人七人と、子どもたち八人は森の奥へと入って行った。

 今日の食料の確保と、地形の確認が主な任務である。





 残った者たちはそれぞれ足を休めながら、川原の近辺を探索し始めた。


 そんな中、ヘパイストスはひとり川原に座り込み、先程砂浜で集めて来た白砂を木の葉に乗せて、平たい石を磨いていた。

「旦那。それは何ですかい」

 ポリュフェイモスとブリアレオスが寄って来ると、ヘパイストスはその磨ききった平たい石を見せた。

 石はすっかりきれいに砥がれ、刃物のようになっている。

「ほれ、石のナイフの完成じゃ。持ってけ」

 ヘパイストスは、さらに次の石を磨き始めている。

「旦那、これ・・・今の間にやったんですかい?」

「ふほほ。コツがあっての」

「すげえ・・・さすがドワーフはあなどれねえ」

 ブリアレオスは石の刃を指でさわりながら、ほとほと感心した。

「お前さんたちもやってみるかの。とりあえず道具は多い方がいい」

「ええ、是非。教えてくだせえ」


 そこへ、数人の子どもたちを連れたアフロディーテが様子を見に来た。

「あら、あなた。もう出来たの?」


「あ、アフロディーテさん。見てくだせえ、旦那の作ったこの石の刃を。こいつは神技ですぜ」

 興奮するポリュフェイモスたちに対し、アフロディーテは嬉しそうに笑った。

「このひとは、こういうことが得意なのよ」


 ヘパイストスが顔を上げる。

「アフロディーテ、上流にアシの群生が見えたぞい」

「ええ、気がついていたわ。それで急いでこの石のナイフを作ってくれたのね。ありがとう、あなた」


 ぼんやりと、石のナイフを受け渡しする二人のやり取りを見ていたポリュフェイモスとブリアレオスは、一拍の間をおいてひとつの考えに思い至り、驚愕した。

「ま、まさか?」

「なに?」

「お、お二人は・・・いや、まさかとは思いますが・・・失礼ながら・・・も、もしかして、ご夫婦なんですかいっ?」


 アフロディーテとヘパイストスは、困惑して顔を見合わせた。

「そうよ」

「そうじゃよ」

「えっ・・・ええーっ?」


 ポリュフェイモスとブリアレオスはお互いの武骨な顔をしげしげと見まわしたあと、ふいに天をあおいだ。

「ああ・・・俺たちもいつか」

「あんな、素敵な奥さんをもらえるかもしんねえってことだな・・・!」

「世の中捨てたもんじゃねえな」

 なにやら手を合わせて空を見上げている。


「どういう意味じゃ」

 ヘパイストスは少しだけ複雑な顔をした。





「じゃあ、行って来るわね」

 ヘパイストスたちから石のナイフを受け取ったアフロディーテは、子どもたちを連れてアシが群生しているという上流へ向かった。

 アシとは、水辺に群生する丈の高い草である。

 乾かせばワラのように寝床にしたり、建屋の屋根にふいたりすることも出来る。

 中が空洞になっているので、ちょっとしたストロー代わりにもなるし、焚き付けにもいい。

 また、こよってナワヒモにすることも出来る。


「次は、動物の骨とかが欲しいのう」

「骨・・・ですかい?」

「穴をあけたりする道具を作りたいのじゃ」

「ははぁ・・・」

 ポリュフェイモスとブリアレオスはよくわからないまま、ドワーフの持つモノづくりの知識と意欲に、ただただ感心した。






 アルテミスらに同行していたディオが戻って来た。

 テセウスという少年と、もう一人活発そうなカイエという女の子を連れている。

「おお、どうした?」

「ほら、果物を見つけたよ」

 ディオは、小脇に抱えた黄色い果実を集まって来る子どもたちに渡しながら言った。

「夜露をしのげそうな空洞もある。いい場所だ。そっちへ移動しよう」

「今、アフロディーテたちが上流の方へ向かったところじゃ。他の者らは、その辺りにいるじゃろうけど」

「じゃあ、俺が伝えに行ってくるよ。みんなは、この子たちについて行ってくれ。頼めるな、テセウス、カイエ」

「はい、それじゃそっちはお願いします」

 テセウスとカイエは手分けして川原やその近辺にいる子どもたちを集め、空洞のあるという森へ案内した。


 途中、何度か草の深いところを抜けなければならなかったが、森が深くなるにつれて草ばえはなくなり土の地面が見えて来る。

 やがて森を抜けると、ひらけた草地に出た。

 広々とした野原が広がり、その向こうに丘の斜面がある。


 ディオの言う空洞は、その斜面のふもとにぽっかりと口を開けていた。

 洞窟というよりは、粘土質の壁に開けられた空洞という感じである。

 かなりの奥行きがあり、とりあえず全員が個別の空間を占有して寝起きするのには困らなそうだった。


 子どもたちが空洞の片隅に大きな葉をしき、そこへ次々と果物を運んでいる。


 そのうち、アルテミスたちも果物を抱えて戻って来た。

「向こうの森はかなり豊富な果樹林になっているわ。これだけでも当分しのげそう」


「いい場所を見つけたのう。この辺りの土は粘土質じゃな。草木が生えにくいわけじゃ」

 ヘパイストスは、さっそく足元の土を掘り返してその成分を確認している。


「森で竹を見つけたわ。これで矢を作れる」

 アルテミスが嬉しそうに笑うと、アレスもうなずいた。

「竹があれば、色々なものが作れるからな」

「だったらもう少し工具になるものが欲しいのう。だれか動物の骨でも拾わんかの」





 しばらくするとアフロディーテとディオたちが、川上から大量のアシを運んできた。

「まあ、いい場所ね。あら・・・果物もいっぱい!」

「うわ、すごい荷物ね。どうしたの、それ?・・・アシよね」

 アルテミスが目を丸くすると、ディオは笑った。

「ああ、カサはすごいけど、重くはない」

「川の上流に群生していたのを刈って来たのよ。乾かせば、とりあえずの寝床にもなるし、ヒモやナワ、履き物や網をつくることもできるでしょう」

 抱えて来たアシの束を降ろしながらアフロディーテが言う。

「えっ、刈って来たって・・・あっ、それ石のナイフー! ヘパイストスが作ったの? 私も欲しーい」

 アルテミスがうらやましがるのを見て、ヘパイストスは笑った。

「明日また作るから、それまで待っておくれ。今日は他にもやることがあるぞい」

「何するの?」

「釜戸をつくるのじゃ」

「おお・・・!」

 どよめきが広がった。

 火と釜戸のもつ文明のイメージは、みんなの気持ちに希望をもたらす。


 釜戸と聞いて、力自慢の船乗りたちも集まって来た。

「手伝いますぜ」

「うむ、始めようかの」

 ヘパイストスの指示によって、男たちが川原から大きな石を運んで来た。

 石は空洞の入り口付近の壁ぎわに集められ、組み上げられて行く。

 すき間を粘土で埋めていくと、やがて大きな石釜戸が完成した。


 その間に子どもたちは森で焚き木や落ち葉を拾い集め、日当たりの良い場所に広げていた。

 少しでも乾かしておいた方が火がつきやすいからである。


「で・・・火はどうやって起こしゃいいんだ? 何もないぜ」

 ディオが聞くと、ヘパイストスは片目をつむった。

「まあ普通なら、火打石とかがあればいいんじゃが、あいにくここには何一つ金属がない。こう・・・手で枝をキリキリとじゃな・・・」

「ええっ・・・あれ、出来るのかい」

「ほっほっほ。そりゃ面倒じゃろ。まあ、出来んこともないがの」


 ヘパイストスは笑って、アルビオンを呼んだ。

「すまんが、あんたの望遠鏡を貸してくれんかの」

「あ、はい。どうぞ」

 アルビオンが素直に望遠鏡を渡すと、ヘパイストスはすぐさまそれを分解した。

「・・・あっ」

 と、アルビオンが声を上げた時には、もうそれはバラバラになっていた。

 それこそ神技というか、またたく間のできごとであった。

「な、なにをするんですか」

「これこれ、これじゃよ」

 ヘパイストスはバラバラになった望遠鏡から、楕円形の透明なガラス玉を取り出した。

「・・・何ですか? それは」

「レンズじゃよ」


 ヘパイストスは集まって来ようとする者たちにすこし離れるよう指示し、石釜戸の中に乾いたアシを重ね、そこに黒っぽい葉を一枚置く。

 そしてレンズを太陽にかざし、光の焦点を黒い葉に向けた。


「・・・なにをしているんだ? 魔術なのか?」

 船乗りたちには、ヘパイストスが何かの魔法の儀式でもしているように見える。


 間もなく、光を当てられた黒い葉から小さな煙が上がりはじめた。

 そして、ついに火がつく。

「おお・・・! 火がついた!」

 どよめきが広がった。


「なるほど・・・望遠鏡に、そんな使い方が…」

「晴れた日にしか出来んがの」

 ヘパイストスが手元の部品をカチャカチャと合わせると、あっという間に望遠鏡は復元された。

「ありがとう。また必要になったら貸しておくれ」

「・・・す、すごい」

 望遠鏡を返却されたアルビオンは、ひたすら驚いていた。

「まあ、なんじゃのう。仕組みを考え出してくれた先人あってのことなんじゃがな」

「は、はい!」

 ヘパイストスは、若者の素直な反応を見て、少々照れくさそうに笑った。


 最初は小さく弱々しかった火種が少しずつ燃え始め、とうとう石釜戸の中に炎が上がった。

「や・・・やったあ!」

 一同は快哉を上げる。

「ああ、いいねえ・・・

 火があると、本当に生きていけるって感じがするよ」

 アンフィトリテは、しみじみと言った。





 その間にも子どもたちの手によって、アシや焚き木、果物や竹など、周辺で集められる物はどんどん集められて来た。

 人数がいるのだ。

 何でもできる。

 もっとも・・・。

 至らない国ならば、何億人いても、むざむざ何万人もの国民を事故や犯罪や飢えによって、容易に死なすことがある。

 だが、そこに生きようという情熱がある限り、自由と幸福に重きが置かれている限り、たとえ少人数でも生き抜くことは出来るだろう。

 それを実践して見せるのだ。

 子どもたちにそこまで明確な意識があったかはさだかではないが、少なくともみな一様に生き生きと動きまわっていた。





 そんな中、アタランテという少女が森で鹿の骨らしき物をひろって来た。

 ヘパイストスが待ち望んでいた動物の骨である。

「おお・・・これじゃ、これを待っておったのじゃ」

「そんなに重要なものなんですか?」

 アタランテが聞く。

「もちろんじゃとも。お前さんには礼を言うぞい。なかなか森に行っても、こういうものはみんな怖がって持ち帰って来てくれないものじゃからな」

「・・・なんだかとても、綺麗に見えて」

 アタランテが微笑むと、アルテミスもうなずいた。

「生き物の生きた証ですもの。これ・・・鹿よね。つよくたくましい牡の鹿・・・。野生の中で存分に生きたのでしょうね」

「ふむふむ、これはいい骨じゃの」

 ヘパイストスは嬉しそうに笑うと、さっそくその骨を加工し始めた。


 穴あけの道具を作るのだ。

 竹に穴をあけるキリや、ちょっと太めのハリになる。

 これで一気に作れる物が増える。

 アレスは、竹から筆や釣り竿、桶や背負子などを作り出すことができると言った。

 アフロディーテは、アシで編んだものを骨のハリで加工して、ムシロやスダレをつくるつもりらしい。





 そしてまた、ヘパイストスは石のナイフで竹を割り、手早く簡易に竹のヘラを作った。

 その竹べらで空洞の奥を掘り起こし、奥行きを広げるとともに粘土を採取する。

「ふむふむ、なるほど良い粘土じゃ」


 ヘパイストスが空洞のおもてに粘土を運び出し始めると、手の空いた子どもたちが集まって来る。

「わあ、これ何?」

「粘土じゃよ。これでいろんな物が作れるんじゃ」


「いろんな物?」

 ひとりの女の子が、ことさら興味深げに粘土を見ている。

 ヒューリアという。


 ヘパイストスは、ヒューリアの手に一塊の粘土を持たせてやった。

「・・・・・・うわ、あたたかい」


「粘土はな、しっかりとこねてやるとサラサラに混ざって、こんなふうに温かくなるんじゃよ」

「何を作るの?」

「そのうち日干し煉瓦などを作っていくつもりなんじゃが・・・今は、そうじゃな。とりあえず、器じゃな」

「器・・・?」

「土器じゃよ。いい薪が集まれば、木炭も作れる。じきに釜戸に灰がたまって来るじゃろうから、それを使えば陶器も作れる。陶器が出来れば、煮炊きが出来るじゃろ?」

「すごい」

 ヒューリアは、すっかり粘土に魅せられたらしく、目を輝かせてヘパイストスの教えを聞いている。


 やがてヒューリアはヘパイストスと一緒に、もくもくと粘土の器を作って行った。

 中には、小さな人形のようなものまで混ざっていた。


 そのうちにヒューリアと仲の良いヘラクレスやピロクテーテスといった少年たちも、粘土の採掘作業を手伝うようになった。

 こちらはかなりの肉体労働であったが、子どもたちはよく手伝った。


 おかげで夕方までには、日干し煉瓦の生産作業にまでこぎつけたのである。





 その日、日暮れまでに火をおこせたのは幸いだった。


 大空洞の前には大きな焚き火が組まれ、竹と葦と松の葉で作った簡易な松明が広場全体を囲むように照らす。

 夜というのに夜風はおだやかで、寒さは感じなかった。


 子どもたちは、昨夜からの騒動と、なれない作業で体力気力を使い切り、そこかしこの草の上でぐったりと寝込んでいる。

 アフロディーテとアテナは、そんな子どもたちの上に乾いたアシの束をかけてまわった。


「けっこう無理をさせちまったね」

 空洞脇の斜面に座り込んだアンフィトリテが、広場全体を見まわしながら言った。


「ふふ・・・でも、おかげで今夜は何とか生き抜けましたよ」

 アフロディーテは楽しそうに笑った。


 アテナは子どもたちの寝顔を見ながら、しみじみと言った。

「子どもたち・・・家から離れて、不安もあるでしょうに。誰ひとり泣き言ひとつ言わず」


 アンフィトリテは人の心配ばかりをしているアテナを見て、ふふっと笑った。

「そりゃ・・・あんたを含め、大人たちがそれぞれ自由に、自分たちの出来る事をやりたいようにやっているからさ。だから子どもたちは、安心してついて来る」


「そう・・・そうね」

 アテナは、王国の中で見て来たさまざまな大人たちの姿と、そこで生きる暗い表情の子どもたちの姿を思い比べた。

 思いがけず、やむを得ず生じてしまった境遇ではあったが、夕べから体験したこの出来事はアテナの目を大きくひらかせた。

 人間、捨てたものではない、と。





 虚空には、まばゆいばかりの満月が輝き、静かな笛の音が聞こえる。


 樹の根元に腰かけた仮面の男が、竹で作った横笛を吹いている。


 昨夜とは打って変わって、実に穏やかな夜であった。





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