第五話 ま、なんとかなるでしょう
渦というものは、怖い。
深い海の下へ下へと巻き込み、引きずり込む。
まず、息が出来ない。
猛烈な水流によって、身動きが取れなくなる。
船の残骸、砕けた木片が襲いかかって来る。
そして、水圧。
人並みの体力では、肉体そのものが耐え切れまい。
浅めの水域に跳ね飛ばされたからと言って、安心もできない。
海底から突き出した岩や珊瑚に激突死する可能性もあるのだ。
つまり、通常なら生存の確率は極めて低い。
しかし、この世には不思議なこともある。
いくつもの激しい大渦に巻かれて沈んで行った者たち・・・。
しかしその一部の者には、まるでそれが必然であるかのように幸運がもたらされた。
荒れくるう混沌のはざまの一瞬に、次の渦に引き寄せられ・・・。
そっと手の平に乗せられたかのように、おだやかな砂浜に打ち上げられたのである。
日が昇る。
さわやかな風が吹く。
砂浜に流れ着いたいくつもの人影は、やがて息を吹き返した。
「姐さん! 姐さん! 起きてくだせえ!」
アンフィトリテは体を起こして周囲を見まわした。
晴れ渡った青空の下に、武骨な大男の顔がある。
「・・・ポリュフェイモス・・・・・・お前、助かったのか。他のみんなは?」
ポリュフェイモスの巨体の肩越しに、数人の船乗りたちが起き上がって来るのが見えた。
「・・・いやもう、どうにもこうにも。うちらの仲間は・・・姐さんを入れて、ざっと七人てとこです。あとはあの冒険者たちと楽師と、子どもたちですが・・・」
アンフィトリテはきびしい表情でこの現実を受け止めながら、浜辺に打ち上げられた面々を見た。
ポリュフェイモスの言うとおりである。
そこには多くの子どもたちと、あの冒険者たちと楽師・・・しかし、アンフィトリテの仲間たちの姿はわずかしかなかった。
あの船には四十八人もの船乗りたちが乗っていたというのに!
アンフィトリテはひとりひとりの顔を確認し、その数を数えた。
まず自分自身、メロード族の女船長アンフィトリテ。
そして、腕利き戦士のオリオン。
我が子であり、測量士のトリスタン。
そして、その弟であり、見張り台係のアルビオン。
タイタン族の巨漢、ポリュフェイモス。
同じくタイタン族の操舵士、ブリアレオス。
ホビット族の料理番、シレヌス。
たった、七人。
「七人・・・・・・七人かい」
アンフィトリテは嘆息した。
四十八人いた船乗りたちが、たった七人になってしまったのである。
「なんてこった」
あとの者たちは助からなかったのかもしれない。
あるいはどこか別の場所に打ち上げられているのかも知れない。
だが今は、かれらの無事を信じるしかなかった。
「でも・・・あんたたちが無事だっただけでも、良かったよ」
アンフィトリテはポリュフェイモスにそう言うと、船乗りたちに他の者を助けるよう指示を出した。
何にしてもトリスタンとアルビオン、二人の息子がそばにいてくれたことは心強かった。
五人の冒険者たちと例の仮面の男も、おなじ浜辺に打ち上げられていた。
いずれも体力には恵まれていたため、それぞれがほぼ同時に起き上がり始めた。
「・・・おっと」
仮面の男は、顔からずれていた仮面をあわてて直す。
「・・・・・・・・・」
目のいいアルテミスは、その素顔を一瞬垣間見たが、はっきりと見ることは出来なかった。
しかし、とても端正な顔立ちであったように思える。
ゆうべは焚き火の炎でよく見えなかったし、まともに話をする機会もなかったのだが、改めて見ると、見知った人物に似ていなくもない。
タルタロスの王宮にいるはずの兄に、物腰が似ている。
「ね、どうして顔を隠しているの?」
アルテミスがたずねると、仮面の男は笑った。
「楽師は道化。道化に顔は要らぬ」
分かるような、分からないような言い分である。
だが誰にだって聞かれたくない過去はあるものだ。
アルテミスはそれ以上の詮索はやめた。
今はそれどころではない。
七人の船乗りたちと五人の冒険者たちはきびきびと動き、浜辺に打ち上げられた子どもたちを起こしにまわっていた。
幸い。
実に幸いなことに、子どもたち二十四人は一人も欠けず、そしてかすり傷ひとつなく助かっていた。
さらに、思いもよらぬ人物も同じ砂浜に倒れていた。
オリンポスの賢者、アテナである。
目を覚ましたアテナは子どもたちの無事を喜びつつも、この惨事に至った直接の原因として、ギルドの行いを止めることのできなかった自分を責めた。
「私にもっと力があれば・・・。兵士を使って子どもたちを捕らえさせようとするなど、大人のすることではありません。商人ギルドの行いには目に余るものがあります」
アンフィトリテは肩をすくめた。
「まあ、この子たちから話は聞いたけどねえ。しかし、本当にそこまでするものかね。嫌がっている子どもらを無理矢理学校なんぞへ行かせても、仕方ないだろうにさ」
アテナは首を振った。
「教育が、かれらの稼ぎ口になっている以上、どうすることも出来ないのです」
「なんでさ」
すると、少し離れたところで話を聞いていた仮面の男が説明した。
「それがかれらの続けて来た支配の方法。今さらやめるわけにはいかない。なぜなら、かれらもそうやって耐えながら出世の道を勝ち取ったのだから。まあ・・・社会の歪みというやつだな」
「ハッ・・・!」
意外な方向から吐き捨てるような声があがったので、一同は一斉に振り向いた。
「社会の歪みですって? 自然の摂理だとでもいうの?」
砂浜に座り、矢のない弓をはじきながら、口汚く吐き捨てたのはアルテミスだった。
「戦後、タルタロスのヘリオス王は、敗戦の責任を受けて権限を王国政府にゆだねることになったのよ。
おかげで愚かな王族による独裁が起こる可能性はなくなったけど、国に主体性がなくなってしまったわ。
政治家たちは自らの保身と利益しか考えないから、国政を進歩させる理由がない。
現場は、いつまでたっても現状を維持させることしか考えない。
そこにどんな不具合が生じているか、道理からどれだけ反れてしまったのか考える余地もない。
そこで弱い者たちが、どんなつらい思いをしているのか、知りもしない!」
いつも屈託なく明朗さがとりえのアルテミスにしては、めずらしく感情のこもった述懐である。
「へえ・・・あんた、タルタロスの政治に詳しいんだね」
「・・・あ」
アンフィトリテに指摘され、アルテミスは思わず口をおさえた。
「・・・あ、兄の受け売りよ」
「あんたの兄さん、活動家でもしてんのかい?」
「べ、勉強家なのよ」
「ふうん・・・そうかい?」
アンフィトリテは、そう言いながらアフロディーテの方を見た。
アルテミスは今回、商人ギルドから依頼されたタルタロス西部辺境の竜退治で、はじめてアフロディーテたちの仲間に加わった新参の冒険者である。
アフロディーテらもアルテミスの出自については何も聞かされていない。
冒険者たちはそれぞれ他人の出自は詮索しないようにはしているが、アルテミスのふとした時の物腰や言動から、ある程度のことは推測できた。
蓮っ葉なしゃべり方をしているようで、どこか気品がある。
アフロディーテも、アルテミスが王室関係者であることに、うすうす感づいてはいた。
アフロディーテはタルタロス王家の詳細については知らないが、数年前に王女が出奔して大騒動になったことがあったことは耳にしたことがある。
あれからその王女は無事、王宮に帰ったのだろうか?
「まあ、それにしても」
ディオは砂浜に座り込んだまま、互いに助け合っている子どもたちのようすをながめて言った。
「幸い・・・というより、不思議な出来事でもあったよな。そう・・・まるで、何か慈愛に満ちた神の手が、子どもたちと、そして善意ある我々とを大渦の地獄から救い出してくれたような」
アンフィトリテは笑い飛ばす。
「ハハ・・・あたしたちは海賊だよ」
「ならば、わしらは冒険者じゃ。どんな試練も乗り越えてみせるわい」
ヘパイストスは、大きく歯をむき出して笑った。
その姿は武器も鎧も身に着けておらず、ただの太ったヒゲ面の親父に見える。
「でも・・・」
と、アルテミスはつぶやいた。
広がる砂浜。
内陸を望めば、行く手を阻む大森林。
その彼方に山岳が見える。
海を見れば、沖にいくつもの切り立った岩礁が見える。
それはまるで海岸を取り囲むように海中から生えていて、荒い渦を発生させている。
おそらくここは、あの大渦の向こう側である。
渦の海域は陸地から離れた沖にあったのだから、ここは島であろう。
あの大渦の真ん中に、このような島があったのだ。
おそらくは未踏の地。
無人島であろう。
そしてさらに絶望的な境遇を指摘するならば、かれらは船とあらゆる積み荷をうしない、あまつさえ寸鉄おびぬ状況に置かれていたのだ。
アルテミスは、砂浜にいる者たちを指折り数えて、言った。
「冒険者五人、船乗り七人、楽師一人に賢者が一人の・・・大人十四人。それと子どもたち二十四人の・・・合わせて三十八人」
「水も食料も、武器もなし」
横あいからディオが指摘する。
「ねえ、もしかすると、これって絶体絶命なんじゃない?」
「いろいろ海に捨てちまったからなあ。うーん・・・誰もナイフとか隠し持ってたりしないよな」
ディオは念のために聞いてみたが、みな真正直に何もかも捨ててしまっていたようである。
唯一、道具らしい物といえば、アルテミスが握りしめていた弓と、アルビオンが持っていた望遠鏡だけであった。
弓は矢がなければ使えないが、望遠鏡が残っていたことは今後何かの助けになりそうではある。
「これはまあ、役に立つだろうねえ。アルビオン、あんたがしっかり持ってなよ」
「うん、わかった」
アンフィトリテに言われ、アルビオンは少し緊張した顔をした。
「まあ・・・なんとかなるでしょう」
そうつぶやいたのは、アフロディーテである。
「うむ、なんとかなるじゃろ」
と、ヘパイストス。
「生きてるのだものね」
と、アルテミス。
「何とでもなる」
アレスも、不愛想にうなずいた。
逆境には慣れっこなのだ。
各地を転々としながら、野山で寝起きすることも辞さない冒険者たちにとって、このような境遇はたいしたことはないのかもしれない。
もっともこの人数が一人も欠けずに生き抜くには、知恵や経験だけではなく、協力とそして幸運が必要であるにはちがいなかった。
しかし、それでも冒険者たちには憂いがない。
「ねえ、行こうよ」
子どもたちの中から一人の少年が進み出て言った。
確かイアソンと名乗っていた。
「まだ朝みたいだけど、じき陽が高くなったらここはきっと暑いよ。森に入って水と食料だけでも確保しないと」
正論である。
アンフィトリテは大きくうなずいた。
「よし、行こう」
「ええ、行きましょう」
アフロディーテもうなずいた。
しかし、いざ移動という段になってポリュフェイモスは足を止めた。
冒険者の一人が、まだ砂浜に残って何かをしている。
「旦那、みんなもう行ってしまいますぜ」
砂浜にすわりこんでいたのは、ヘパイストスであった。
「や、すまんの。すぐに行くぞい」
「何してんです?」
見ると、ヘパイストスは砂浜の砂を集めてちいさな革袋につめている。
「なかなかいい砂じゃからな。少し持っていこうと思っての」
「砂を、ですかい?」
「そうじゃよ?」
ヘパイストスは革袋の口をキュッとしめると、砂をはらいながら立ちあがった。
森に入ると、アルテミスが先頭に立った。
道々、歩きながら足元に落ちている手ごろな小枝をひろい、たばねて行く。
エルフ特有の嗅覚があるのだろう、しばらくも行くと急に足を速めた。
「川よ」
果たして、すぐにせせらぎの音が聞こえ始めた。




