補足メモ2 戦後タルタロスの経済と教育 (読み飛ばし可)
だがたしかにその時代、オリンポス帝国のような大国の先導は必要だったのかも知れない。
戦後、ひとびとはオリンポス帝国の発行する通貨を共通のモノサシにして公正で効率のよい商売をおこない、金もうけをし、いろいろな事業に投資をし、活発な商業宣伝をおこなった。
戦争で荒れ果てた世界に貿易が広がり、技術や文化は拡散し、ひとびとは一見豊かになった。
しかし、利益と便利がひとびとに浸透しきった時、それを支配するのは経済である。
ほどなくして、世界は通貨経済の大きな落とし穴に落ちることになる。
通貨は腐らない。
野菜や魚のように腐ることがなく、人間のように老いて衰えるようなこともない。
だから、ひとびとは通貨を手元に貯めるようになる。
それを生きる活動の目標にしてしまう。
さらに多く貯め込むために、値上げをしたり、品質をおとしたり、買いしめをしたり、ウソの宣伝をしたり、悪いウワサを流したり、いままでしなくても良かったようなことをするようになる。
はじめは有望な事業を支援するために行われていた投資活動も、やがては見返りを求めるだけの営利活動に変わる。
利益のために行われるなりふりかまわない開発は自然破壊や公害をおしすすめ、そのためさまざまな疫病も頻発するようになった。
世の中を導くべき政府も、法律家も、兵士も、役人も、教師も、医者も、学者も、権威をふりかざす者たちこそが金の亡者となった。
ひとびとのこころが荒むのは、あっと言う間であった。
金持ちになった者たちの手元に莫大な通貨が貯め込まれて行く。
当然、ひとびとの間に流通するべき通貨が足りなくなってくる。
つまり、ひとびとは貧しくなる。
そして、買いものができなくなる。
世の中には豊富な物資もサービスもあふれているというのに、誰もそれを買うことができない。
物資はみるみる鮮度を失い、サービスはそこにじっと待機したまま機会を失う。
さらにその一方では、飢え死にするひとも出て来る。
食料も物資もあふれかえっているのに、それらは腐り、鮮度を失い、機会を失い、消え去って行くのだ。
しかし誰も気にしない。
金にならなければ誰も助けあわない。
金にならないことはすべて忌避される。
金にならない家族関係は無駄。
金にならない娯楽は無駄。
金にならない哲学は無駄。
金にならない芸術は無駄。
人生を満たす時間は、少しでも長く雇用されること、少しでも多く稼ぐことに費やすべし。
そして文化水準は停滞し、幸福感は失せる。
ひとびと同士のいさかいが増し、犯罪が横行する。
ひとびとは、金のために悪を為すことはそれほどおかしなことではないと言い始める。
そして世界の荒廃を尻目に、商人たちの勢力はますます拡大していく。
経済至上主義を根底にすえた民主主義の発展。
それ以降、どの国でも政府議会を占めるのは富裕層を背景とした政党であった。
政党を構成する為政者たちは、己が利得を捨て去ることができない。
かれらの多くは若いころから学業にはげみ、高度な知識を身につけた者たちである。
しかし、かれらの見るものはあくまでも現社会における利得であり、成果による名声と、地位の確保が最終目的であった。
かれらの築きあげた社会は一定の利益を上げはしたが、やがて経済が世界のすべてを支配するようになると、それ以上の吸い上げが立ち行かず、空回りをはじめた。
かれらのして来たことは、ひとびとの幸福や進歩に貢献することではなかった。
世界から富を吸い上げる競争でしかなかった。
世界の進歩は長く停滞し、ひとびとは不幸にまみれた。
世界は破滅に向かって突き進んでいると言えた。
そんな中からハデスという男はあらわれた。
その一介の貿易商にすぎなかった男は、かの悪名高き「商人ギルド」を設立すると、狡猾な手腕でもって手当たり次第にさまざまな産業を傘下にしたがえ、世界経済を支配して行った。
経済界の支配者となったハデスは、「最も富む者」と呼ばれ、恐れられるようになった。
結局、世界は支配者の首をすげ替えただけだったのであろうか。
一方、この多大な授業料をもって、ひとつのことを学んだ者もあった。
世界大戦を戦い抜いたクロノス帝が崩御した後、オリンポス帝国を引き継いだ新たな皇帝ゼウスは、ひとびとから「考える者」「全知の王」と呼ばれた。
ゼウスは、世界の本質がひとびとの「幸福」から成り立っているものであり、それはすべて人間のもつ根源的な「自由」によるものだという結論に至った。
「世界を支配するということは、世界の面倒を見るということである。その気概無き者は、支配者である資格を持たぬ」
皇帝ゼウスは、帝国議会の壇上で宣言したのだ。
「財のため出世のために学ぶものは、賢者ではない。己が好奇心のため、未来のために学び、知を研鑽するものこそが、賢者である」
そう呼ばわると、ゼウスは私財を売却して賢者たちを招集した。
ゼウスは、かれらを優遇しなかった。
給金は最低限の生活を保障する程度。
「賢者」という肩書き以外に得るものはない。
出世の余地もない。
そんな待遇でもかまわないから、ゼウスとともに己の知恵を世のために使いたいと考える者たちのみを集めたのだ。
幾度もの選考をかさねて、多数の賢者たちがゼウスのもとに集った。
ゼウスは「賢者会」を開き、世界に新たな認識を啓蒙すべくはたらきかけた。
賢者たちは地道な提案と活動をつづけ、長い年月のすえに、過剰な経済活動による一部の問題については緩和されていった。
しかしすぐに賢者たちは気づいた。
どのような解決もいずれ表面的な改善にすぎず、根本的な解決には至らない。
ようするに、どうやっても人々の心の中から「お金を稼がなければならない」という強迫観念がぬぐい去れないのである。
とくにこの傾向は、大戦に敗れたタルタロス王国のなかに色濃く残っていた。
かれらには戦勝国であるオリンポス帝国に対する恨みがある。
今度は経済活動によって勝ちのぼりたいという気概がある。
しかし怨恨が生みだす思いは決して人を豊かにはしないし、新たな邪悪に入りこむ余地を与えてしまうものである。
それが証拠に、ハデスはまもなく商人ギルドの本部をタルタロス王国に移し、この国の経済を確実に支配した。
ハデスにとっては、この怨恨に満ちたタルタロス王国こそが、次の世界支配の拠点にふさわしいと考えたのであろう。
賢者会がいくら懇切丁寧に道理を説いても、このタルタロスのひとびとにだけは話が通じなかった。
それはそのはずであった。
すでにタルタロス王国のひとびとはみな、子どもの時から「学校教育」を受けさせられることによって経済至上主義が徹底されていたからである。
いまさら、「幸福」や「自由」などという言葉が通じるはずもなかった。
そのようなものは、この国のひとびとにとっては夢まぼろしでしかない。
はじめはそこまでではなかった。
すべてそのようになった背景には商人ギルドの暗躍がある。
敗戦後、タルタロス王国は立ちおくれた状況をとりもどすため、国民の教育に心血をそそいでいた。
ハデスは、そこに目をつけた。
まず、かつてオリンポス帝国が侵略のために国民を兵士に仕立てあげなければならなかったように、商人ギルドはひとびとを労働者に甘んじさせなければならなかった。
商人ギルドは善意をよそおって学校をつくり、そこへ子どもたちを通わせることを強制するよう王国政府に仕向けさせた。
子どもたちの分の昼食を無料で用意すると言われれば、餓死寸前だった親たちは、これ頼らざるを得まい。
学校で恩義を受け、教育された子どもたちは労働者になるための訓練を受け、社会にしたがう心がまえを身につけさせられる。
子どもたちの学力は一時的に上昇し、産業界における技術の発展、商業界における経済的な高度成長をうながすことにはなったが、競い合う機械として生きる国民たちの心は年々むしばまれ、数十年のあいだにそのゆがみが表面化しはじめた。
もちろんゼウスはそんなことをゆるしはしない。
子どもたちが学ぶのは、子どもたちの自由意志によるものでなければならないのだ。
戦後、ゼウスはすべての人間の「自由」を保障しており、世界に向けてそのことを主張している。
つまり、子どもたちを学校に通わせるように「強制すること」はゼウスの方針にそむくことにもなる。
だから商人ギルドはゼウスには逆らわないようにしておきながら、「子どもたちに教育を供与する善」をたてまえにかかげ、
人々の意識の中に
「富裕をめざすことが善」
「出世することが善」
「競争に勝ちぬくことが善」
「学校に通うことが善」
という認識を広めるようにした。
タルタロス王国の大人たちは、金持ちになって贅沢をすることや、他のひとたちの羨望を受けることに憧れを感じていたから、このような商人ギルドの考え方にすんなりとなじんだ。
そして、みずからこぞって子どもたちを学校に通わせ、出世のための競争にかりたてるようになった。
はじめそれは大人たちにとって、単に他の者たちから逸脱して栄光を勝ちとるためのかしこい手段でしかなかったのだが、いつの間にか「そうしなければならないもの」に変わっていった。
その結果、タルタロス王国の子どもたちは嫌々ながらもしかたなく、毎日、学校へ通わなくてはならなくなった。
学校は広い敷地に建てなければならないため、たいていひとびとの住んでいる地区から遠く離れたところにあり、なかには延々と坂を登らなければたどり着けないような場所にあることもあった。
子どもたちは、毎朝決まった時間にそこへ通う。
雨の日も風の日も。
遅刻は許されない。
大量の教科書を買わされ、それらを背中にしょって坂道をのぼる。
たとえ体の弱い子どもでも、それは自分の力で乗り越えなければならない試練なのだと言われる。
給食は有料となったが、その内容は戦後当時と変わらず、どこまで行っても大量供給の範囲内のものでしかない。
かと言って、弁当を持ってくることも、勝手に家に食べに帰ることも許されない。
給食事業の利益を確保するためには、給食制度の継続は不可欠である。
まるで意味のないような午後の授業も、給食維持のためには絶対に必要なのである。
また、高価な制服を買わされ、それ以外のものを着用することは認められない。
髪型も髪の色も、学校の指定したものに合わせなければならない。
そして、乱暴な子どももおとなしい子どももいっしょくたにされて、逃げ場のない狭い教室のなかに一日中とじこめられる。
たとえいじめられても、そこから逃げだすことは許されない。
そういった場所でうまくやっていけるかどうかが、後の出世につながる能力だとされるからである。
そこにひとつの理想形があり、それに近づくことが目標であり競争である。
目指すところはひとつの形への同一化であり、管理しやすいユニットとなることである。
そして、これが十二年間。
子どもたちが、もはや子どもでなくなってしまう年までつづく・・・。
すっかりそれが物理世界の法則だと勘違いさせられた子どもたちは、そのまま大人になり、また自分の子どもたちにそれを強いるようになる。
新たな可能性をもった芽は、「同化をこばむ敵」と見なされてつぶされる。
だから、何十年たっても発想の改革がおとずれない。
商人ギルドの支配は、安泰といえた。
聖歴二〇二〇年頃。
すでに大戦から七十年が経過している。
いや、まだたった七十年というべきか。
タルタロス王国内に蔓延する異常な教育支配は、目に見えないところで多くのひとびとを苦しめていた。
ついにはオリンポス帝国に亡命した家族もいた。
もはやこのようなことは数の問題ではなく、国家としての恥と言うべきものである。
しかし、タルタロス王国は、国際会議における再三の指摘にもかかわらず、教育支配についていっこうに見直す姿勢をしめさなかった。
ついにゼウスは、最も信頼のおける賢者をタルタロス王国に派遣することにした。
賢者の中でもとくにすぐれた知恵の持ち主として誉れの高い、アテナである。
タイタン族の賢者アテナは、もとはタルタロス西部の辺境地域の生まれであった。
その地は過去、大戦末期に帝国が使用した古代兵器によって壊滅した場所でもある。
その傷跡は、今も郊外にある巨大なふたつのクレーターとして残っている。
その地に生まれ育ったアテナは常に、生命の意味、戦いの意味、国家の意味について考えつづけ、オリンポス帝国に渡って賢者の地位を得た。
答えはいまだに出てはいない。
しかし、アテナの目には何が正しく、何が間違っているかはよく分かる。
その基準となるのは常に「自然法」に合うかどうかである。
「自然法」とは何か?
それは、宇宙の万物における物理法則である。
引力の法則、熱の法則、光の法則、大気の法則、力学の法則、生き物の法則・・・それらと同じ宇宙の法則である。
その法則下においては、人類がおのれの都合によって打ち立てた常識やきまりなどはまったく問題にならない。
あらゆる先入観を捨て、人類という存在を一時的に惑星の上にはびこる有機生命ととらえ、その人類が宇宙的にどのような存在意義をもち、これからどの方向へ進んで行けばいいのかを考えなければ「自然法」はわからない。
故郷タルタロス王国の教育支配に関する、賢者アテナの言い分はこうだった。
「タルタロス王国は、まず学校制度を廃止し、子どもたちを自由にしなければなりません。
今、多くの子どもたちが大切な時間をうばわれ、自信を失い、可能性をとざされています。
学ぶことは自由のなかでしか生まれず、強制的な教育はかえって子どもたちの進歩を阻害します。
学校というものは強制によって成りたつものではありません。
自由に利用することのできる施設としてこそ、人々の役にたつのです。
ひとの学びは、すべて独学によって進歩するものです。
教育とは、子どもたちにとって、きっかけにすぎません。
自由に学問を学び、問うことのできる独学環境の整備こそが重要なのです」
またアテナは、子どもたちの自由行動を拘束し、学校独自の規則を強要し、狭い教室に半日もとじこめ従わせる教室拘束型教育制度についても、辛辣に批判した。
「固定された密室に多くの生徒を同居させ、
その軋轢下で競わせ、また、へつらい合うことを学ばせ、
それを社会適応の鍛錬だとする考え方はおおいに間違っています。
それはコミュニケーション能力の育成などではありません。
それは古来、軍事利益を欲する国家が、兵士もしくは奴隷を従わせるための手法であり、
ひとの権利をおとしめ、家畜あつかいする愚行です」
そして、以下のように結論づけ、タルタロス王国政府に対応をせまった。
「タルタロス王国は、すみやかに国民の人権を尊重するという原点に回帰しなさい。
学校とは、学問の場であればよいのです。
その施設を利用するかどうかは、国民の自由意志によらなければなりません。
賢者会議はタルタロス王国に対し、国民が自由に利用できる大学制度、
すなわち自由大学制度を推奨します」
しかしこのような理屈が、王国独自の学校教育を受けて育ってきた者たちに理解できるはずもない。
商人ギルドは、より従順な労働者をもとめているだけであり、学問だとか自由だとかいう問題はまったく興味の外なのである。
つまるところ、われとわが大成にのみ目が向いている狂戦士なのであり、世界や未来、文化的価値によって尊厳をみとめられるべき「人類」の在り方などについては、これっぽっちも興味がない。
むしろかれらは、学校制度こそが社会を維持しているのだと信じている。
かれらは出世のために自由も遊びも青春も切り捨て、やっとの思いで定職という名のちっぽけな既得権益を得たのだ。
正直言って、いまさら制度を変えられるのは困る。
国際外交の矢おもてに立たされているタルタロスの王国政府はこの件に関して検討に入らざるを得なかったが、その一方で商人ギルドと学校は賢者アテナの言い分を当然のように無視していた。
いくら政府がなまぬるい指針表明をかかげたところで、親から学校から教育を受けた子どもたちは簡単にその既成概念から脱却することはできない。
ほうっておけば、じきに民意がふたたびこれまでどおりの腐敗した社会に引き戻してくれる。
大戦後の既成概念にとらわれたかれらの認識は、自分たちの従来の考えかたが正しいという頑なな考えで占められている。
だから、いずれゼウスや賢者たちの言い分こそが、すたれて消え去ってしまうものだと踏んでいた。
いま、このあらたな時代を生きるひとびとには、まさかそんな愚かなことがと思われるかも知れないが、実にそのとおりだったのである。
つまり、そのような時代であったのだ。
そしてその間にもタルタロス王国の子どもたちは、そんな大人たちの支配する社会から逃げ出すことを考えはじめていたのである。
さあ、お待たせした。
物語のつづきをはじめよう。




