第三話 女海賊アンフィトリテ
子どもたちと冒険者たちは、船の主アンフィトリテに丁重に迎え入れられた。
船室に入ると、シレヌスというホビットの料理番が出て来て、一同に温かいスープをふるまってくれた。
船内はあわただしく船乗りたちが走り回っている。
嵐が来るという。
「ギルドの兵士たち、この船を海賊って呼んでいたみたいだけど・・・」
アフロディーテがたずねると、アンフィトリテは笑った。
「ああ、確かに。あたしらはタルタロスからポセイドン海賊団とかって呼ばれているよ」
「ポ、ポセイドン?」
ポセイドンと聞いて、子どもたちが身を乗り出す。
「あの、ポセイドン?」
「すごい! これ、ポセイドンの船なんだ!」
アンフィトリテは笑った。
ポセイドンたちの活躍は、子どもたちの世界でも快哉をもってむかえられているようだ。
船乗りたちも照れくさそうに笑っている。
海賊と呼ばれてはいるが、こうして見るとごく普通の気のいい男たちである。
ふと、アフロディーテがいぶかしんでたずねた。
「あ、でも・・・たしか、ポセイドンは・・・」
「あのひとは必ず帰って来る。だから、あたしは留守を守る理由があるのさ」
事情があるらしい。
わからなくもない。
故郷を離れて別動隊として外敵と戦いつづける日々。
かれらがこの過酷な戦いをつづけて行けるのも、いまだポセイドンの求心力があってのことだろう。
アンフィトリテが例えポセイドンの妻でいくら健気に頑張ろうとも、ここから先は実績が求められる。
ならば、今回の襲撃が失敗に終わったことで、アンフィトリテの立場はつらいことになっているのではないか?
「まったくね」
アンフィトリテは笑う。
「厄介なことだよ。嵐に乗じて軍港を襲撃するつもりが、しくじっちまった。ここじゃ入れてくれる港もないしね。・・・嵐は困るけど、一旦、沖に出るしかないねえ」
そう言いながらも嵐については日常茶飯事なのだろう。
アンフィトリテからはまったく憂いは感じられなかった。
「まあ、何というか。迷惑をかけてしまったの」
ドワーフが言うと、アンフィトリテは笑った。
「なに、これもお導きさね。船が沈めば一蓮托生。むしろこんな船に乗せちまって悪かったかもねえ」
「いや、めっそうもない」
メロードは海の民である。
が、だからと言って船が沈んで無事でいられる保証はない。
子どもたちは首を振った。
「いえ、ぼくたち、とても感謝しています。浜辺で行き止まりが見えていて、もう駄目かと思っていたんです。それを助けていただいて」
「まあ、良かったかどうかは、これからなんだけどねえ」
アンフィトリテは冒険者たちの方を見て、たずねた。
「あたしたちはとにかく嵐をやり過ごしたら、島の隠れ家に帰還するつもりなんだけどね・・・ええと、アフロディーテさん、だっけ? あんたたちはどうするんだい?」
「私たちはとくに行く当てがあるわけではありません。どこかの街道近くにでも降ろしてもらえれば。それまでは船の手伝いをさせてください」
「そうかい。ええと、あんたたち何か出来るのかい?」
「基本、荒仕事が専門ですけど、私は薬草の調合や料理、裁縫や機織りも出来ます」
アフロディーテが言うと、ドワーフも答えた。
「わしはヘパイストス。ちょっとは名の知れたエンジニアじゃ。細工も機械も扱えるぞい」
すると、ホビットも名乗りを上げる。
「おれはディオ。ディオニソスだ。ブドウ農家の生まれでね。そうだな、ここで出来そうな仕事は料理ぐらいかな。シレヌスさんの手伝いが出来るよ」
タイタンの剣士は静かにうなずいた。
「俺はアレス。大工仕事をしていたことがある。船の修理にでも使ってくれ」
エルフの射手は、片手に持った弓づるをはじいて見せた。
「私はアルテミス。弓が使えるけど、遠視も出来るから見張りの役に立てるかもしれないわ」
その名前を聞いてアンフィトリテは、ふと怪訝な顔をした。
「アルテミス?」
「え、はい?」
「あ、いや・・・ちょっと立派な名前だと思ってさ」
「そ、そうですか」
すると、子どもたちも立ち上がった。
「僕たちにも、何か手伝わせてください」
アンフィトリテは、ちょっと考えて言った。
「うん・・・そうだね。あんたたちにも何かやってもらおう。でもそれよりももっと大事なことがある」
「何ですか」
「すぐに答えを出さなくていい。ただ・・・いつ、どこでこの船を降りるか考えるんだよ」
「えっ?」
「このまま、この船にくっついて来ちまっていいわけはないだろう」
「ぼくたちは、そのつもりです」
「あんたはそうかも知れない。でも、他の子たちもみんなそうなのかい?それにその考えにしたって、いつ変わらないとも限らないだろう?」
「それは・・・」
「気持ちは分からなくもないけどさ。まあ、もう少しはよくお考え。
あんたたちは我慢ならなくなったから逃げて来たんだろ?
んー、それが悪いと言ってるんじゃないんだよ。
しかし、そう決意したのは、ちゃんと何か、理想があってのことなんだろう?
あたしらの世界があんたたちの理想に合うかどうかは分からない。
もしかするともっとひどい場所かも知れないわけだ。
あんたたちは若い。
ちゃんと自分の未来をみつめて答えを出さなきゃ駄目だ。
もちろん、何度答えを変えてもいい。
ただ、今は、あたしらと一緒に来るかどうか、ちゃんと考えて答えを出しな」
「はい・・・わかりました」
子どもたちは殊勝に引き下がった。
異論がないわけではなかったがアンフィトリテの言い分はもっともであったし、それはまだ分別の目覚め始めたばかりの子どもたちに対して逃げ場を与えてくれる提案であった。
判断を任せるということは、相手を子どもあつかいしないということだ。
このあと、子どもたちが決意したことに対しては、すべて子どもたち自身が責任を負わなければならないという意味でもある。
子どもたちはそれを、公正な大人の姿だと感じた。
それは、これまで滅多に見なかった正しい大人の姿であるように思えた。
次にアンフィトリテは、窓辺で荒れる海を眺めている仮面の男に目を向けた。
「あんたはどうするんだい?」
仮面の男はゆっくりと向き直ると、うなずいた。
手に持っているサキソフォンには、まだヘルメスの矢が刺さったままになっている。
「私は自らの衝動に駆られ、あそこでただサックスを吹いていたに過ぎない。しかしこうなったのも運命だろう。
例えば・・・私のサックスがこのようになってしまったことにも、理由がある。形あるものはいつか壊れる。人の命も同じ。道理に従えば、ひとは必ず試練へと導かれる。
嵐の夜、浜辺から沖へと逃げる船。ただこれだけのことでも、すでに詩作は成り立つ」
仮面の男は、うたい出す。
「めのまえには くらやみ
そして 閃光
せまる 追っ手
ふきあれる 嵐
何隻もの しずむふね
うしなわれる 仲間たち
まだまだ その先には
めくるめく困難と 試練が見える」
仮面の男は「見える」と、強く言った。
それはまるで予言者の口調のようであり、船乗りたちは少なからず動揺した。
「姐さん・・・こ、こいつ、なに言ってやがるんですかい?」
口にしたことが予言につながるという言霊の伝説を思い出し、船乗りの一人が気色ばんだ。
仮面の男は笑う。
「フフ、ただの詩作さ。詩人はそこにある森羅万象を事細かにとらえ、そこから起こりうるさまざまな物語を語るのだ」
アンフィトリテは肩をすくめた。
「そりゃそうかも知れないけどさ・・・ここは船の上だよ。めったなことは言わないで欲しいもんだね」
しかし、仮面の男はさらに歌う。
「ふねがある ひとが乗る ふねの中は 閉ざされた世界
せまい世界に ひとが集まり
せまい世界に ひととひとの我が重なり合う
我が重なって 上下が生まれる
上は下から 学ばない
優れたものでも 受け入れない
進歩が止まり 愚かになり 尊敬がかき消える
嫉妬がはじまり 劣等感がうずまく
上がどれだけ 公正なつもりでも 下の野心は おさえられない
上下が敵対 停滞すれば
そこに 悪意をもったアイデアがひらめく
アイデアは 甘い蜜
思いつきは 停められない
よほどの哲学か 信仰心
あるいは 無垢のごとき鉄の忠誠心
はたまた 理論だった美学が必要だ
そして 悪意は鳴動する
だがしかし いつもその前に時は来る
神の怒りが 先手を打って解決する
神はいつも冷酷な 善なる者の代行者
冷酷とは すなわち残酷
残酷とは じつに恐ろしい
それはいつも 知らない間に 自然と はじまっている」
船乗りたちは息をのんだ。
たしかに、この襲撃の失敗によってアンフィトリテの立場は悪くなっている。
じつは今、そのアンフィトリテに対し隙あらば反旗をひるがえそうと考えている者たちも、船内に少なからずいる。
その懸念はたしかにあった。
まるでそのことを言い当てられたようであり、アンフィトリテはこころなしか青ざめた。
「・・・どうしてそんなことを」
アンフィトリテが言いかけた時、甲板の方から悲鳴が上がった。
「うわーっ・・・! 何だ・・・これは!」
アンフィトリテらと共に甲板に駆け上がった冒険者たちは、船を囲むように浮遊しているいくつもの青白い発光体を見た。
「うひゃーっ、なんだ、こりゃ!」
「・・・ウィル・オ・ウィスプみたいだけれど・・・この、数は?」
アフロディーテは言いながら身構えた。
わずかだったが、発光体が動いたように見えたのである。まるで、敵の動きを警戒するように。意志をもって・・・。
「なあ、ウィル・オ・ウィスプって、海の上にも出るのか? それに・・・こりゃあ、なんて大きさだよ」
ディオは気色ばんだ。
一般的にウィル・オ・ウィスプとは、沼地などに発生するガスによって起きる静電気現象である。
それが何らかの指向性を持って襲いかかって来ることは、まれにある。
しかし・・・。
「こんな嵐の夜の前触れに、海面近くの風が逆巻いて、小さな電気の玉がいくつも発生することがあるって・・・あのひとに聞かされたことがあるわ」
アンフィトリテは用心ぶかく思案しながら、合図をして船乗りたちを集めた。
「いいかい・・・よくお聞き。あれは電気のかたまりさ。うかつに手を出したらビリビリ感電しちまう。へたすりゃ船が燃えちまうことだってあるんだ。うまくやり過ごせればいいんだけど・・・・・・・・・えっ、何?」
そのとき、パシンッ、と激しい音を立てて発光体のひとつがはじけた。
発光体は、ますます青く輝き、もう限界だといわんばかりにパチパチと放電をはじめている。
そしてさらに、発光体の数は増え続けており、このままでは船全体が覆われてしまいそうな様子である。
「こ、これはまずいかもっ」
アルテミスが悲鳴をあげる。
ヘパイストスは、首をかしげた。
「ふーむ、この船にウィル・オ・ウィスプが集まる理由でもあるのかのう」
「いやあ・・・むしろ」
ディオは、冷や汗をたらしながら、ひきつった笑顔を見せた。
その目がにらむ先には、ただ、真っ暗い海原しかない。
「そもそも・・・この大海原じゃ、この船以外に集まる理由が存在しないんじゃないのか」
船乗りたちも、呆然とその神秘的な光景を見つめた。
見渡すかぎりの海原一面に無数の青白い光球がひろがり、それらがどんどん船の方へあつまって来ているのだ。
「つまり!」
突風に乗って仮面の男の声がした。
「この船そのもの、あるいは船に積んでいる金属類が、あれらを呼び寄せている可能性があるということだ!」
見ると仮面の男は揺れる船べりに立ち、壊れたサキソフォンを頭上高く掲げている。
「えっ! 何を?」
「さらば、我が友」
仮面の男はそのまま何のためらいもなく、真鍮色に輝くサキソフォンを海に向かって放り投げた。
ふいっと、近くにいたひときわ大きなウィル・オ・ウィスプが浮かび上がり、サキソフォンにつられるように暗い海原に消えて行く。




