第二話 海賊船
逃げる。
大人たちはこの言葉を常に否定的に用い、子どもたちに聞かせ続けてきた。
逃げるとは、勇気のない証拠。
逃げるとは、情けない行為。
逃げるとは、卑怯なおこない・・・。
しかしそれは真実だろうか。
生き物は逃げる。何かあれば逃げる。
野生の世界において、逃げないことは愚かである。
逃げる。
それは理にかなった当然の行為であったはずだ。
本当は、誰しも逃げるのだ。
そして、逃げるからこそ争いが起きない。
生き物の世界は弱肉強食の過酷な世界と言われる。
だが、人間のように同種族の集団がわざわざ兵器をもってまで殺し合ったりはしない。
意にそわない場合は、逃げればよいからだ。
そして自然界には、逃げ場が無限に広がっている。
逃げる場所を持たないのは閉じ込められた者たち、すなわちそれは、捕虜、囚人、奴隷、家畜などであろう。
じつは、国家というワクに閉じ込められた国民たちも、同様なのではあるまいか。
大戦後、人類はおびただしく増加し、逃げるべき無限の荒野を失った。
そして人類は、ひとの群れ、雑踏のなかに逃げ込むすべを覚えた。
集団と同化して、なるべく自らの姿を見えないようにし、順にイケニエとなる覚悟を覚えた。
しかしそれもまた、家畜の生き様である。
タルタロスの国民は、逃げるという選択肢を失い、家畜となる道を選んだ。
一色に塗りつぶされた社会常識が、国民にそれを強いているのだ。
しかしいま、子どもたちは逃げ出した。
自らの意志で逃げ出したのだ。
学校から、家から、国家から逃げ出したのである。
勇気がないからでも、情けないからでも、卑怯だからでもない。
未来をつなぐために必要なことだとわかるから、逃げ出したのだ。
逃げる子どもたち。
それは、いま、この世界にとってかけがえのない希望の姿であった。
「あーっはっはっは! そうだ! 子どもたち! 走れ! 嵐の果て、暗黒の果てまでも駆けぬけろ! うわーっはっはっは!」
片手にサキソフォンをかかえた仮面の男が、狂ったように叫んでいる。
演奏は終わっていた。
「ああっ・・・子どもたちが、子どもたちが・・・! だ、誰か」
大人たちは、突然のことに子どもたちを追いかけることができなかった。
大人たちは、子どもたちが何か得体の知れない力にだまされて集められてしまったのだと思っていたかった。
しかし、事実は違った。
見ればわかる。
子どもたちは自らの意思で逃げ出したのだ。
大人たちの社会から。
兵士の一団が迫ってくる。
「もはやこれまでね。私たちも逃げましょう」
アフロディーテの声をきいて、四人の冒険者たちも子どもたちの後を追うようにいっせいに砂浜に走り出した。
砂浜の先は行き止まりだ。
しかし今は、逃げるしかない。
「逃がすなーっ! 追えーっ!」
ヘルメスの号令で兵士たちが追う。
突飛ばすように押しのけられた大人たちが、へなへなとその場にすわりこむ。
「あーっはっは! はーっはっは!」
兵士たちの突進する先に、仮面の男が立ちはだかっていた。
このままでは兵士たちに跳ね飛ばされ、踏みつけられてしまうに違いない。
しかし仮面の男は、ただ高笑いを続けている。
「どけー!」
兵士たちが口々に叫ぶ。
仮面の男は兵士たちの先頭が目の前まで来ると、一気に息を吸い込み、大音量でサキソフォンを吹き鳴らした。
ブァァァァーーーン!
「ウワーっ!」
突然の大音響に先頭の兵士たちが立ちすくみ、後続の兵士たちの突撃を背後からうけて瓦解した。
転倒し、もがく兵士の山を迂回するように、さらに後続の兵士たちがあふれ出る。
しかし仮面の男は、さらに激しくサキソフォンを演奏しはじめた。
ブァゥ
ォォォォーーン!
プァラララー!
プァラ
プァラリラー!
プァラパパパ
パパッパァーン!
大音響。
しかしそれは、旋律を伴っていた。
ひとつのリズムが、立て続けに次のリズムへと変幻し、聞く者たちの注意をうばう。
「う・・・?」
子どもたちを追って走り出そうとする兵士たちの足が、思わず止まってしまった。
むせび泣くように、はげしく、雄々しく、あまく、せつなく。
旋律は問いかける。
さあ きけ
さあ かんがえろ
自分のすがたを もういちど見なおせ
いきるものには いのちがある
いのちの時間には かぎりある
あす しぬいのち
きょう しぬいのち
兵士はたたかう いのちをかけて
なんのため? いきるため? まもるため?
いったい なにを まもるため?
(そ、それは・・・)
旋律の中の問いが、聞く者たちの胸中にあふれんばかりの弁解となって渦巻く。
サキソフォンを吹き鳴らす仮面の男の前で、兵士たちは完全に足止めをくらい、その場に釘づけになっている。
子どもたちと冒険者たちは、砂浜のはるか先を走っている。
ヘルメスは怒り狂った。
「馬鹿ものーっ! 何をやっている! 早く子どもたちを追わんかーっ」
しかしまるで目に見えない音楽の壁でもあるかのように、だれも仮面の男に近づくことができない。
兵団の隊列はくずれ、後続の者たちも身動きがとれなくなってしまっている。
仮面の男をかこむようにして、兵士たちのひとだかりが出来ていた。
サキソフォンの旋律はますます激しく高揚していく。
「こ・・・このーっ」
小柄なヘルメスは横にいた背の高い兵士によじのぼり、その肩の上にのりあがると、そこから砂浜にいる仮面の男めがけて弓を射た。
ヒュン・・・!
「あっ!」
演奏がとぎれ、思わず声をあげたのは兵士たちであった。
ヘルメスの鋭い矢は、仮面の男の持つサキソフォンの真鍮製の本体をつらぬいていた。
「ひゃっはっはーっ! これでもう吹けまいーッ!」
「むっ・・・!」
いっせいに兵士たちのうらみがましい目が、ヘルメスに向けられる。
「な・・・なんだよっ」
兵士たちににらまれてヘルメスは一瞬ひるんだが、すぐに思いなおして怒鳴り散らした。
「ば、ばかものーっ! 今のうちに早く行かんかっ! お前らみんな解雇だぞーっ!」
「お・・・おおッ」
我に返った兵士たちが、あわてて走り出す。
子どもたちはずいぶん遠くにいる。
しかしそのさきは行き止まりだ。
散開して取り囲めば何とかなる。
「やめさせなさい! 大人が子どもたちをおびやかしてどうするの! 大人が子どもの信用を失うことを自らして!」
アテナは怒鳴った。
商人ギルドの短慮に対して、本気で腹を立てたのだ。
しかしヘルメスは憎々しげに笑うと、アテナから目をそらすようにしてつぶやいた。
「・・・はん、誰も大人を信用なんてしやしないさ。俺だってそうだ。だから大人を打倒する力が要るんじゃないか。力がすべてだってことを、あいつらにはそれを教えてやるんだよ」
怒気をはらんだ声。
それは、抑えきれない独白であった。
「あ・・・あなた?」
賢者アテナは愕然とした。
この世の暗黒を見た思いがした。
戦争が終わり、教育制度が出来てもう何十年にもなる。
そんな中で、ひとはこのように育ってしまうのか。
その時、ざわ・・・と、どよめきが広がった。
「あ・・・あ・・・ウワーッ」
「なにッ?」
兵士たちの叫び声を聞いて、ヘルメスは砂浜の向こうを見た。
「か、海賊船だーっ!」
見ると、武装した帆船が崖の向こう側から現れるところだった。
海神の三つ又槍とドクロをあしらった黒い旗。
「か・・・海賊ポセイドン」
兵士のひとりが呆然とつぶやいた。
タルタロス王国の周囲にひろがる大海には、無数の島が点在している。
このオケアノスと呼ばれる海洋を住居としているのがメロード族である。
かれらは島に村落をつくり、漁猟をして暮らしている。
昔はそれだけでも良かったのだが、オリンポス帝国の猛威から独立を保つため、ある程度の産業力をもって対抗する必要があった。
そのため輸出用に漁獲高を増やすことになり、かれらも船をつくって大規模な漁猟をしなければならなくなっていた。
幸い、サカナは豊富だった。
サカナは漁師たちにとって、海に流れ込む栄養をカプセルにしたようなものであり、海と対話を続けながら漁猟をしている限り、水産資源は枯渇するようなことはない。
が、メロード族の船数が増えて来ると、海上交易で利益を上げていた商人ギルドに要らぬ警戒心を抱かせることになった。
競合相手ということではない。
そもそもメロード族には通貨経済という概念がない。
交易はただ互いの物資を交換するための供給行為であり、そこから利益を生み出すという商人ギルドたちの考え方が理解できない。
しかし、メロード族の船が各地の海域を行き来すれば、それに便乗する者たちがでてくる。
そうなると一部の物資は各地へ行き渡ってしまう。
大した量ではないだろうが、ギルドが貿易権を独占するうまみが薄れてしまう。
ただ単にそれが問題だったのだ。
要するに商人ギルドは、オケアノスの海を独占支配したかったのである。
近年、新たにギルドマスターとなったミダスは利益のためならどんな汚い手も使う男である。
それぐらいのことが出来てこそ優秀なのだと、普段から言い張っている。
かれは王国海軍をそそのかし、かれらに海賊退治という名目でメロード族の船を攻撃させた。
しかし当然ながらメロード族は海賊行為などしてはいないし、そもそもオケアノスの海に海賊など存在しなかった。
だからミダスは、王国海軍を沖合で海賊船に偽装させて、商船を襲わせたのである。
もちろん、商人ギルドに加盟していない船のみを襲うのだ。
秘密裏に活動する王国海軍のメンバーは略奪した積み荷や財宝を獲得し、私財をうるおわせた。
その一方でひとびとは謎の海賊をおそれ、王国海軍はメロード族の船を攻撃する名目を得ることになった。
さらにはまぬけな王国政府から海賊退治の褒章をたまわることすらあった。
そして商業ギルドも、邪魔なライバルたちを破産させる有効な手段を得たのである。
しかしこれに反抗し、戦い続けている者がいた。
メロード族の英雄ポセイドンである。
かれらの仲間はほとんどがメロード族だが、中には他の部族から流れて来た者たちもいた。
実質的には、タルタロス王国海軍の一方的な攻撃に対して立ち上がった複数種族の混成部隊である。
名目は、メロード族そのものとは関係の無い独立勢力という立場であった。
どこにも属さないという意味においては「海賊」と呼ぶしかないのだが、事実上、ポセイドンたちはタルタロス海軍にしか攻撃を仕掛けない。
実際、オケアノスの海でポセイドンたちを「海賊」呼ばわりしているのは、タルタロス王国のみである。
だが、ポセイドンは強い。
戦いがはじまってから数年、ポセイドンたちの戦果は非常に目覚ましいものがあった。
ポセイドンによる統率とその海戦力はじつにすぐれたものであり、この数年の間にタルタロス海軍はすでに所有していた十四隻の軍艦のうち、じつに八隻を撃沈されていた。
ポセイドンは圧倒的に強く、タルタロス海軍は一時、艦隊存続の危機におちいっていたのである。
しかし、ある時、ポセイドンの船が嵐にあって遭難した。
多くの船乗りたちは生きのびたが、ポセイドンは行方不明のままだった。
以後、ポセイドンたちは、長い間なりをひそめていた。
王国海軍はふたたびこそこそと海賊行為をはじめていたが、いつまたポセイドンが現れるかビクビクしながらのことであった。
まさに、そんな矢先のことであった。
たった今、目の前に、そのポセイドンの海賊船があらわれたのだ。
標的は、タルタロス王国海軍の軍港であろうか。
「に、逃げろーっ」
兵士たちは恐慌をきたし、元来た道を駆け戻り始めた。
「ばっ馬鹿ッ、お前たち! あっ・・・わーっ」
ドカーン
落雷のような轟音とともに大砲が放たれ、砂浜に天高く砂煙が上がった。
音と衝撃に、兵士たちはバタバタと倒れ伏し、あわてて起き上がると死にものぐるいで港に逃げ込む。
「く・・・た、た、退避ーっ、退避ーっ」
「子どもたちがっ・・・子どもたちが、海賊にさらわれてしまうーっ」
至る所で悲痛な声が上がったが、ヘルメスはおかまいなしに集まっていたひとびとを退避させた。
「そいつらを避難させろ! 早くっ」
ここで怪我人でも出せば、ヘルメスの降格は間違いなかった。
ヘルメスはヒステリックに叫んだ。
「海軍を呼べーっ! 海賊から子どもたちを取り返すんだ! くそーっ・・・くそーっ・・・何でこんなことにーッ?」
風がうなる。
足早に過ぎていく黒雲の隙間から月光がもれて、荒れ始めた海を照らす。
帆船は、磯の手前にうまく停泊した。
陸から死角になる海岸線を移動し、まさに軍港を襲撃する寸前だったのである。
もちろん磯辺を進めば座礁の危険はあったが、水棲民族であるメロードたちはこのような複雑な地形もすっかり熟知している。
だが、崖の向こうにギルド兵たちが集まって来ているなどとは夢にも思わなかった。
つまり、思いもよらぬ偶然のために今夜の襲撃計画をあきらめなくてはならなくなったのである。
それどころか、いち早くこの海域を脱出しなければタルタロス海軍に取り囲まれることにもなりかねない。
「しまったね。これじゃあ奇襲にならないよ」
女船長アンフィトリテは、歯噛みした。
「姐さん、あれ見てください」
巨漢のポリュフェイモスが甲板からアンフィトリテを呼ぶ。
「ん・・・ありゃあ何だい」
船乗りたちも、砂浜に立ちすくむ子どもたちの姿を見た。
アンフィトリテは、船べりから砂浜の子どもたちに声をかけた。
「ねえ、あんたたち。こんな夜に砂浜に集まって何をしてるのさ」
子どもたちの中の一人が甲板の上の人影を見上げて、返事を返して来た。
「ぼくたち、逃げて来たんだ!」
船乗りたちの間から甲高い口笛の音が上がった。
「おやおや、それはまあ」
アンフィトリテは笑った。
また、風が吹く。
「ふう・・・嵐が来るね。どうだい、あんたたち。今すぐお家に帰るか、あたしらの船に乗るか。たった今ここで決断できるかい?」
海の戦士は決断が早い。
また、そうでなければやっていけない。
子どもたちも即答した。
「行きます! ぼくたちを船に乗せてください!」
打って返るような子どもたちの反応に、船乗りたちは高らかに笑った。
早速、ボートが降ろされ、二十四人の子どもたちと五人の冒険者たち、そして仮面の楽師は次々と帆船に乗り込んで行った。




