第二十一話 アポロンフィーバー
しかし、商人ギルドのミダスは、アポロンの前にたちはだかった。
次期首相を決める政党の密議は、商人ギルドの計画のうちにある。
このままで良いわけがないではないか。
ミダスは身のこなしの悪そうな老議員たちを引き連れ、悠然と議会を後にしようとするアポロンたちの前に立った。
「アポロン王子! あなたは、いったい何をはじめるつもりなのですか!」
議事堂前の広場である。
すでにアポロン派としての立ち位置を決めた若手議員たちと、ミダスにつきしたがう老いた政党政治家たち。
ふたつの集団がにらみ合う。
アポロンは怪訝そうに相手を見つめ、左右の議員たちにたずねた。
「・・・かれは、だれだ?」
「商人ギルドのミダス総帥です」
「知らぬ。商人ギルドが何の用か」
そのやりとりだけで、ミダスは全身の血がひくような喪失感に支配された。
今、商人ギルドは世界経済を実質的に支配している最高の権力組織なのであり、ミダスはその総帥なのである。
それを知らぬと・・・!
もちろんパフォーマンスに決まっている!
だが、ひとを馬鹿にしすぎるのではないか?
いや・・・これは、敵意か?
・・・宣戦布告、ということか?
・・・戦う?
ヘリオス王の王子と…?
ミダスは、ともすれば取り乱しそうになる自分をおさえながら、かろうじて声を上げた。
「け、経済に依存する幸福は真の幸福ではないと、あなたはおっしゃる!
しかし世界は経済なくしては成り立ちませぬ!
いったいあなたは、世界を原始の時代にでもおとしめようと言うのですか?」
「ああ・・・」
アポロンはしらじらしく、合点がいったようにうなずいた。
「たしかに君は私の述べたことをしっかりと聞いてくれていたようだ。
しかし、私の言うことの意味が理解できなかったのだな。
そうかも知れぬ。
じつに、そういう者はいくらでもいるはずだ。
なにしろ、これまでお前たちのようなものたちがあぐらをかいていた世界とは、まったく異なるものの考え方に変わるのだからな。
・・・やれやれ、それをこれからわたしはひとりひとり懇切丁寧に説いて回らなければならないのだ」
「な、なんですと」
「しかしな、困ったこともある。分からぬ者には、どこまで説いても分からぬのだ。
だからわたしは、先に、社会制度を変える。
その新しく変わった世界の中で、ひとびとがそれぞれ真の幸福について考え直せばよい。
もし、ひとびとが新たな世界を気に入らず、お前たちが望むような支配社会が心地よいと感じるのであれば、ほおっておいてもすぐに元に戻ることになるだろう。
お前たちが、いちいち案ずるようなことではない」
二の句がつげないミダスに対し、アポロンは微笑みかけた。
「ミダス殿。わたしはもう王子などと呼ばれる歳でもない」
「こっ・・・これはっ・・・」
ミダスはしくじった。虚をつかれたのだ。それだけ手持ちのカードに差があった。
「・・・し、失礼しました。・・・アポロン首相」
ミダスは、たった今この若者が国会の面々を手玉に取ってまんまとこの国の首相の座についた大ぺてん師であったことを思い出した。
ただの小僧だとあなどってはならない相手なのだ。
しかしだとすれば、この国の未来は・・・商人ギルドによる経済支配はどうなってしまうのだ?
ミダスは震える声でたずねた。
「首相・・・いったい何をはじめられるおつもりなのですか」
全身を気持ちの悪い汗がつたう。
策士としてのし上がって来たミダスには、直感的な予感があった。
おそらくアポロンは、今の経済支配による社会制度をくつがえそうとしている。
それは、ミダスら既得権益にすがる者たちにとって、どす黒い混沌の予感であった。
アポロンは少し考えていたが、ちょっと悪戯っぽく笑うと、あっさりとミダスの質問に答えた。
「ベーシックインカム、だ」
「・・・!」
ミダスは耳の遠くなるような衝撃をおぼえた。
ミダスはただ愕然と、立ち去って行く若手議員の集団を見送るよりすべはなかった。
これまでの定例国会では、もちろん秘密裏にではあるが、初回議会の前にあらかじめ誰が首相になるか決まっていた。
だから初回議会の議事はきわめて手短かに終わり、首相就任の儀式やセレモニーもあらかじめ予定された段取りによって滞りなくスムースに執り行われるようになっていた。
しかし、今回はその段取りが大幅にくるった。
その結果、ことの次第はすべてアポロンの指示のままに進行することになった。
このような場合、国王の近侍たちがイニシアチブをとって事を運ぶべきなのだが、段取りが狂ったことを見越してか、アポロンが率先して次々に指示を出し、すべてを取り仕切ってしまうのだから仕方がない。
もはや、アポロンに任せておくしかなくなってしまうのだ。
アポロンは、生まれ持っての君主であり、リーダーであったといえるだろう。
宮中のひとびとも、その場に居合わせた議員たちも、それを目の前で実感するしかなかった。
儀式自体は簡単なものである。
ヘリオス王が、議会によって決められた新首相をただ承認すれば良いのだ。
そしてその時、同時に各大臣の任命を示した組織表を提出し、一緒に認可してもらうことになっている。
このようなことは、密議によって、あらかじめ自分が首相になると分かっている者にしか出来ないはずである。
が、アポロンはそれも用意していた。
首相になるために帰って来たのだ。
はじめから、勝つつもりでいた。
アポロンは、議事堂で首相に選ばれるとすぐさま、その場で各大臣を指名して行ったのである。
通常、大臣は首相以外に十二名選ばれる。
国防大臣、外務大臣、法務大臣、財政大臣、建設大臣、農業大臣、森林大臣、海洋大臣、工業大臣、経済流通大臣、教育文化大臣、厚生労働大臣である。
この十二名は全員、国会議員から選んでも良いが、半数の六名だけでも良い。
その他の六名までは、国会議員ではなく一般国民の中から首相が抜擢しても良いということになっている。
決まりとしては確かにそうではあったが、実際に一般国民から大臣が指名されることはほとんどなかった。
政党同士のパワーバランスによって、各党の議員からそれぞれ何人ずつが大臣に選ばれるということが、あらかじめ協議されているからである。
当然、民間人などの入り込む余地はないし、そんなことは思いもよらないことである。
ところが新首相アポロンの登場によって、この毎回定例の秘密協議がすっかり破綻してしまい、まったく無意味なものと化してしまったのである。
もはや、政党の議員たちが内閣に入り込める可能性は消えたと言っていい。
アポロンは、あらかじめ六人の若い女性スタッフを引き連れて来ていた。
カリオペ、クレイオ、エウテルペ、タレイア、メルポメネ、テルプシコラである。
いずれもタルタロスに埋もれていた賢者たちであった。
これはアポロンがまだ王室にいた頃から手配し、見つけておいた逸材である。
アポロンは彼女たち六人の賢者を一括し、「国務大臣」として指名した。
「国防大臣、外務大臣、法務大臣、財政大臣、建設大臣、農業大臣、森林大臣、海洋大臣、工業大臣、経済流通大臣、教育文化大臣、厚生労働大臣?
・・・ふう、馬鹿馬鹿しい。
国政とはすべてを統括して知り、そして考えねばならぬものだ。
こまごまと分担した上で、その知識も意欲もない者をあてがって何ができる?
どのみち、おのおのの利権を争って身動きが取れなくなるか、結託してよからぬ企みをくわだてるだけであろう。
分担は事務レベルの段階で必要になるものだ。内閣の大臣がバラバラになってどうする。否、統括して、ことにあたるべきだ。
つまり、君たちには私のそばで私のサポートをしてもらい、また、必要な時には私の代行として動いてもらいたい。だからもっと前に出て、そのキャラクターをひとびとに見知ってもらう必要がある。
重大な仕事でありストレスも多いだろうが、そのために六人体制を組んでいる。六人で一人分の仕事をするぐらいの気楽さで、事に当たってほしい。
君たちを一括してひとつの大臣職に指名したのは、各分野の専門ではなく、協力し、おぎない合って、全体を治めてもらうためである」
そして、議事堂に集うあまたの国会議員たちの中から、別に六名の大臣を指名した。
これは、新人の若手議員たちである。
その議員たちをアポロンは「地域大臣」として指名した。
タルタロス王国を六つの地域に分け、その各地の言い分を聴取させるのである。
「君たちは可能な限り地域に残り、地域全体の声を聞き、中央に反映させることを重視してもらいたい」
通常、大臣に選ばれるということは、地方を離れて中央に勤務するという事実をともなっている。
何故なら、議会は常に中央にあるのだから。
議員になるということは、地方を離れるという覚悟も必要なのだ。
しかしアポロンは、その必要はないという。
中央の政治に関わるなと言っているのではない。
地方全体の声を集めよという。
そのためにこそ代議士は存在するのだと。
六人の若い議員たちはアポロンの意図を快諾し、その指名を受けた。
奏上の儀式の場。
わずか半刻の間に出来上がったアポロンの組織表を見て、ヘリオス王は肩をすくめた。
「これから誰を敵に回し、何をしようとしているのか・・・教えてはくれぬのだろうな」
ヘリオス王の脳裏には、口をポカンと開けて事態の把握すら出来ていないであろう政党各位らの顔が浮かんでいた。
おかしくもあるが、あまり笑う気にはなれない。
アポロンは深々と頭を下げ、恐縮して見せた。
「わたくしの為しようが世のためにならないのであれば、わたくしのしたことは一時的に国をかき乱しただけであり、いずれその傷跡もわたくしの存在の記憶とともに消え去りましょう。
平穏を尊ばれる国王陛下にはまことに申し訳ございませんが、国というものは時折このような嵐にみまわれるものです。
しかし、もしひとびとが新しい時代を受け入れてくれるのであれば、今この瞬間こそが真の人類史の一頁目として記されることとなりましょう」
ヘリオス王は、かすかなため息をついた。
さかしらな息子も良いが、それはさびしくもある。
「いいだろう。民と対峙せよアポロン。
それが出来る為政者は、少ない。
お前を敵とする者たちについては、余が出来るだけのことをしておく」
「よしなに」
アポロンの屈託のない微笑みを見て、ヘリオス王はやはりまたため息をつく。
もう子どものころのように、本当に無邪気な笑顔は見せてはくれないのだな、と。
「アテナ殿のおっしゃるとおりであったな!」
タルタロス王国の新首相がアポロンに決まったとの報を聞いて、オリンポス皇帝ゼウスは高らかに笑った。
賢者会議の議場である。
その中にアテナもいる。
アテナは微笑み、ちいさく会釈を返した。
「祝辞を送りますか」
「そうしよう。新たなる時代の幕開けだとな」
ゼウスは感無量といった体で、おおきく息を吐いた。
「アポロン殿は、改革をなさるのだろうな」
「ええ、そのために戻られたのです」
「時代が変わるな。我が国もすぐに対応できるようにしておかなければならぬ」
すると、賢者の一人が言った。
「タルタロスに、一歩立ち遅れることになります」
ゼウスは笑う。
「それでよい。
今後、世界はアポロンの改革を受け入れられるかどうかというところで分岐するだろう。
・・・オリンポス帝国は、世界に先んじてタルタロス王国の改革に追従する。
それで充分である」
そして立ちあがり、賢者一同を誇らしげに見まわした。
「諸君らのおかげである。
これでわれわれの歴史はいずれ、過去の忌まわしき罪を清算できる。
民族が、本当の意味で、互いに許し合える時代が来るのだ」
「陛下・・・」
アテナは、子どものように破顔して笑う皇帝の目の端に、ちいさく光るものを見た。




