第十八話 十字架を背負う者が必要なときも、ある
しかし、ディオが横やりを入れる。
「でもさ、そんなにうまく行くのかい? そんな簡単なことだったら、どうして今まで誰もそうしなかったのさ」
「しているさ」
アポロンが顔を上げた。
「すくなくとも大抵の大国はしている。通貨の造幣量を調整して経済のバランスをとる。そのようなことなど国家経済の基本中の基本。していないはずがない。
今、我々はここでタルタロス王国の矢面に立たされている状態なので、どうしてもピンと来にくいと思うが・・・。
だが・・・世界各地を旅した者たちならば、その目で見てきたはず。
子どもたちが学校から逃げ出したりしている国はあったか?
ひとびとが生きるために家族から離れて生活をしたりしている国はあったか?
国内に食糧があふれているのに、貧困のために餓死する者がいたりするような国はあったか?
世界の主要大国の中でもそんなことになっている国は、現時点ではタルタロス王国ぐらいなのだ」
「そ・・・そういえば」
「ふつうの国では、ひとびとの生活は国家によって保障されている。それがいわば、国家の矜持というものだからだ。国民を食べさせることが出来ない、国民を守ることが出来ない国家は、ただそれだけで無能であるといえる」
「でも、それじゃどうして?」
ディオが疑問を示すと、一同はアポロンの反応を見守った。
アポロンはしずかに立ち上がると、一同の前に出た。
「今から言うことは、ものごとの一側面だ。信じるも信じないも勝手だ。だが、これはタルタロス王家にいた者として、君たちに伝えておかなければならないことでもある。だから、おのおのの頭で真偽を確かめつつ、よく、聞いてほしい」
そして、アポロンは語り始めた。
「ご存知のとおり、タルタロス王国はオリンポス帝国が一方的に支配する世界に対して反乱を起こし、そのおかげで世界は自由を取り戻した。
しかし、タルタロス王国は敗戦し、オリンポス帝国の軍門に下った。
オリンポス帝国はタルタロス王国が再び反乱を起こさないように、かれらに封印をほどこす必要があった。
いわばハデスの商業ギルドとは、タルタロス王国にとっての封印なのだ。
通貨による経済が浸透し、民主主義という名目がかかげられたことから、自由経済が闊歩するようになる。
自由経済が浸透すれば、働かざる者食うべからずと言う言葉がひろまり、金で買えないものはないと豪語する者もあらわれる。
こうなってしまった国家は、もはや善意というものにまで値段がつけられる。
文化も幸福も自由も、そして命や誇りまでもが売り買いされるようになる。
金でどうにでもなる国はもはや国ではない。
それは、単なるシステムだ。
つまるところ農業であり・・・牧畜だ」
「ぼ・・・牧畜かよ」
それはきわめて辛辣な物言いである。だが、アポロンは顔色一つ変えずに言ってのけた。
ディオは思う。
この男はこわい、と。
たしかにアポロンはすぐれている。
宇宙の真理とも言うべき物理的な基準で、じつに冷徹に物事を見、語る。
しかしその在り方は、まるで神話の時代の神に近しい。
真理をつらぬくために、すべての非合理を正す意志を備えているように見える。
この男がもし動き出せば、世にはびこるあらゆる悪徳は滅び去ることになるのではないか?
まるで、あの炎の巨神が世界を巻き込んで焼きつくした神話のように、あらゆる無知蒙昧の衆を巻き込んで・・・。
アポロンはつづける。
「自由経済のはじめは良い。
ひとびとは一攫千金、立身出世を夢見てはげみ、競わぬ者たちを暗愚とののしり、自分たちの論理で世界を破壊して行く。
しかしやがてゲームが進行し、勝者のワクが確定され始めると、ひとびとは気づくのだ。
このゲームはあらかじめ予定調和によって勝敗が定められていたイカサマだったのではないか・・・とな。
いや、たとえ事実がそうでなかったとしても、ひとびとは思う。
すくなくとも、脱落者がただ一人でも出た時点で・・・。
そう、それがゲーム開始よりただ三日目だったとしても、国家はすぐさまゲームを中断し、ルールを改定する必要があった。
そうしなかったのは、やはりそのゲームがはじめからイカサマであったのだと・・・ひとびとは考える」
アポロンはなおもつづける。
「そしてひとびとは、自らの内に眠る怨念に気づく。
封印の下の怨念に気づく。
時代が変わり、あの大戦が過去となった今でも、その恨みは消え去ってはいない。
あの敗戦のことを思い出し、より深く、より暗い怨念がひとびとの心を占めて行く。
かれらは、手にした経済の力を最大限にふるって、帝国に、世界に復讐することを誓う。
そのためには力が要る。
だから、かれらはひとびとを支配して、すべてを奪い、
復讐の尖兵とすべく教育をほどこし、鍛え上げようとする」
アポロンは両脇で沈黙を守っているアテナ、そしてヘルメスを見やって確認した。
「アテナ、ヘルメスよ。これは私の自論でしかないが。
・・・およそ、間違いではないと思うかね」
ヘルメスはゆっくりと、うなずいた。
「・・・およそ」
「はい・・・」
そうこたえてアテナは沈黙したが、やはり、あえて言いそえることにした。
「・・・タルタロス王国が世界に復讐したがっているかどうかは、世の誰にも確証のとれるものではないでしょう。しかし、かれらが世界の第一線に台頭すべく、国民たちに過度の勤労と教育支配を強いていることは、現時点の国家制度の方針からも国際的に危惧されているところです」
「・・・・・・・・・」
一同は沈黙におちいった。
しかしディオは、アポロンの論説に圧倒されながらも、無神経なホビットを押し通すことにした。
「・・・わからねえな。
なら、今、タルタロス王国が造幣すれば、それですべて変わるってことなのかい?
だったらそうすればいいじゃないか・・・ってことを俺は言いたかったんだがな」
アポロンは首を振った。
「友よ、何事にも理由はあるのだ。
すでにタルタロス王国は暗い冥府に足を踏み入れてしまっている。
じつは、たしかに数度にわたってそのような試みは為されている。
一部の政治家たちが、国民に手当金をばらまくために造幣を敢行したこともあるのだ。
・・・しかしそれは徒労に終わった」
「なんでさ」
「焼け石に水だったのだ。
一時的に多少の造幣をし手当金をばらまいたところで、あっという間にその金は金持ちたちのフトコロに吸い上げられてしまう。
また、公共事業と称してその費用は一部の権益者にゆだねられ、ひとびとの手に渡る前に直接吸い上げられてしまうこともある。
造幣は、結局、肥大した資本家たちをさらに太らせるだけのことだったのだ。
それは、単にかれらが一枚上手だったとか、そういうレベルの問題ではない。
ひとびとの観念が、いつまでたっても経済の呪縛から解き放たれないからなのだ」
ディオは頭をかかえた。
義憤がうずまく。
「かー、もう、どうしようもないな。
民を変えるには政府を変えねばならん?
政府を変えるには民を変えねばならん?
・・・それじゃ、堂々巡りじゃないかよ!」
「それはちがいますよ」
アテナは断固したまなざしで言った。
「正すべきは政府であり、民ではありません。
政府無き世でも、命ははぐくまれるのです。
現にこの島がそうだったではありませんか。
メロード族の世界にも、政府などはありませんでした。
これは、絶対です。
絶対に、政府とは後から出来たものなのです。
変えるべきは民ではなく、政府です」
「そう」
アポロンは笑った。
今度は、すきとおるような清々しい微笑みであった。
「ひとびとの固定観念を変えるためには、新たなルールが必要だ。
それを行うことで、ひとびとはめいめいにゲームの目的を見いだし、勝ち筋を考える。
そうして新たなルールでゲームが進行する。
それが面白いルールなら、ひとびとは続けるだろう。
そのルールに納得がいかなければ、そのゲームの場は停滞するだろう」
「つまり」
ヘルメスもうなずいた。
「これまでタルタロス政府がやって来た政策は、ある一点において無意味な、見かけだけの政策だったということです。本当にやるべきことを行うには、為政者の人生を賭けた勇気が必要なのです」
議場に、希望の気配がひらけた。
アルテミスが目をかがやかせる。
「それ・・・それをすれば、タルタロス王国は変わるの?」
アルテミスに無邪気な笑顔を向けられてアテナとヘルメスは、一瞬、言葉に窮した。
保証のできるようなたぐいのことがらではない。
何しろ、有史以来、この問題を根本的に解決できた前例はないのだから。
しかし・・・
「変わるね」
アポロンは席に座りなおし、アルテミスに微笑みかけた。
「もっともそれを誰がするかということだが」
「えっ・・・?」
アルテミスは嫌な予感を感じて不安げな顔をアポロンに向けた。
アポロンの表情からは何も読み取れない。
しかし、こういう時、アポロンはひとりで何か重大な決意をしているのだ。
「ふうーっ・・・!」
突然、ヘパイストスが大きなため息をついた。
「よくわからんが・・・なんでこんなところでよその国の国政をどうこうするとか話し合っておるんじゃろうな、わしらは。・・・余計なおせっかいということはないかのう?」
すると、アンフィトリテが声を上げた。
「たしかにタルタロスのことは、タルタロスの問題。どうなったとしても自業自得は、自業自得。・・・でも、ことタルタロス王国に関してだけは、単に他人ごとと言うわけにはいかないような気がするねえ」
アテナはうなずいた。
「ことは国際問題の域にかかわっているとも言えます」
アポロンは座ったまま片手を開き、一同を捕らえるかのように突き出した。
「つまるところ、外交としてタルタロスに干渉するか、工作としてタルタロスに干渉するか、だ」
「こ、工作・・・? また、不穏な・・・」
ディオは血相を変えた。
アポロンは首を振る。
「国の持つ怨念やら我欲というものは、外交圧力や賢者会議からの通告でどうにかなるものではない。
また、キティラ島、ポセイドン王国が他国に対して工作の一手を使うということも考えにくいことではある。
友よ・・・なにも工作は、国家が行うことでなくても良いのだ」
「どういうことだよ」
「要は、通貨をモノサシとした価値観から、ひとびとの幸福と自由を切り離してやれば良いということだ。
金もうけを生きがいとする者もいるだろう。
だがそれは、個人の勝手。
それとは別に、ひとびとの生活が、ごく当たり前に保障されていれば良いわけだ。
少なくともこのキティラ島ではそんなことは当たり前であるし、多くの国ではそうだ。
この世に守銭奴がいようといまいと、ひとびとは心おだやかに暮らし、自由に文化を発展させて行っている。
それがまっとうであり、だからこそ人類はこの星に生きる価値がある」
「お兄さま・・・?」
アルテミスは不安の的中を確信して、兄を見た。
アポロンのまなざしに決意が垣間見える。
「意志を持った個人が公正に行うことであれば、何者も文句は言えまい?」
「まさか・・・」
「わたしが行く。かの国に帰る時が来たのだ」
一同は、アポロンの発言に目を見張った。
かれはキティラ島、ポセイドン王国をタルタロス王国の魔手から守るために、一度は捨てたタルタロス王家の血筋を利用し、かの国へ帰還しようと言うのだ。
「ああもう・・・これだ」
ディオは額に手を当てて天を見あげた。
アポロンの決意は予測できた。
しかし止められはしない。
アフロディーテは即座に観念した。
「そうね・・・とめられは、しないわね」
この世に、情熱を抱く者をつなぎ止めるものなど、何ひとつありはしないのだ。
「まあ、こっちのことは任せておいて。でも、無茶はしないでね」
「俺がついて行こう」
アレスが立ち上がった。
たしかにアレスがいればどんな危険にも対処できるだろう。
しかしアポロンは首を振った。
「アレス、お前はここに残ってくれ。連中はお前の戦闘力に一目置いている。お前がついて来れば、島が手薄になる。わたし自身の危険などどうにでもなるが、島が危険にさらされる方がよほど困るのだ」
アレスは、この男にしてはめずらしく小さなため息をついた。
「そうか・・・わかった。ならば、俺は俺の役目を果たそう」
「わたしはついて行くわよ。お兄さま一人だけを帰らせるわけには行かないわ」
アルテミスも決断した。
「今度こそ、城から出られなくなるかも知れんぞ」
「誰も私の自由を阻むことは出来ないわ。それに、そういう世の中の不自由をこわしに行くのでしょう、お兄さまは」
アポロンはうなずいた。
「危険もある。しかし、ひとの天命。いつどこにいても同じこと。おまえがそばにいてくれるのは心強い」
「まあ、私は見てるだけだけどねー」
「おまえがのぞむ世の中にしてみせるよ。わたしたちの故郷をな」
こうして、会議は一応の終結を見た。




