第十七話 みんなが幸せになる方法は、ある
アンフィトリテらと合流したポセイドンは、この機に、オケアノス海に点在するメロード族の島々をひとつの国として統一することを宣言した。
先のキティラ島における紛争は、オリンポス帝国に帰国したアテナによって国際的に周知され、タルタロス王国海軍の海賊行為も、その背後で暗躍していた商人ギルドの存在も、その後の調査ですべて白日のもとにさらされた。
また、実質問題としても、タルタロス海軍はほぼ壊滅状態であり、オケアノス海はメロード族が制したことになる。
結果、オケアノス洋上の制海権は、オリンポス帝国のお墨付きのもとポセイドンのものとなった。
ここに、ポセイドン王国が成立する。
ポセイドン王国は、国際的に拍手喝采とともに迎え入れられた。
無人島は、島主となったアフロディーテによってキティラ島と名づけられ、ポセイドン王国の自治領となった。
キティラ島の存在は、メロード族のひとびとにとっても非常に興味をひくものであった。
あのタルタロス海軍を撃退したということもさることながら、かれらが、そのタルタロス王国から逃れてきた子どもたちであるということも興味の対象であった。
やがて、すこしずつメロードの若者たちがキティラ島に住みつくようになり、アフロディーテの認可を受けて、島のあちこちにいくつもの集落ができた。
また、海路が安全になったためオケアノス近海の交易は盛んになった。
この交易には、タルタロス王国の商人ギルドも含まれている。
アフロディーテはキティラ島議会での話し合いを経て、キティラ島をポセイドン王国の外交の窓口とすることを承諾した。
外交窓口を一本化したいと考えるポセイドンの意向はもっともであったし、その任を受けるのは位置的に見ても、やはりこのキティラ島が最適だと思われた。
ただし、キティラ島を外来者たちの無法地帯にするつもりはない。
ヘルメスは、「玄関都市」という提案をした。
誰の家にも玄関はある。
来客は裏口や窓からは入ってこない。
まずは玄関から訪ね、そこで主人と話をする。
場合によっては応接室へ通され、そこで歓待を受ける。
それでも家の奥へは立ち入ることはない。
それが当然である。
ならば、国も同様であろう。
つまり、貿易も移民も観光も、すべて一箇所に集約するのである。
外から来た者は、特別の許可なしに島内に立ち入ることは出来ない。
自由に出歩くことが出来るのは、さだめられた領域の中だけである。
ダイダロスが図面を引き、都市計画はすすめられた。
そして二年あまりの歳月を経て、キティラ島にポセイドン王国の玄関港が建設された。
ひとびとはこの港を「自由都市」と呼んだ。
当初、自由都市は、タルタロス王国からポセイドン領内への侵入を牽制することを目的にしており、その建前を、海外からの来賓をより手厚く歓待するためということにしていた。
ところが、思いもかけずその建前が真実となった。
ひとたび自由都市が建設され、そこへひとびとが集まってくると、そこにはありとあらゆる趣向を凝らした歓待がひろがった。
もともと「利益」という概念のないメロードたちにとっては、「ひとによろこんでもらう」ことこそが喜びだったのである。
自由都市には世界各国からの来賓が集まり、移民も増えた。
そして、それぞれ民族別の地区に分かれた一大国際都市が誕生した。
自由都市には、観光施設や劇場、興業施設がいくつもひらかれ、世界からの来賓を歓待した。
都市内では世界中の文化が競合し、世界中の物産が寄せ集められた。
これも、自由都市が島の住民の生活を侵さず、ルールに従って領域内に終始したためにむしろ自由に発展を遂げることが出来たのだといえる。
そして、メロード族のこれまで通りの穏やかな生活も守られた。
自由都市への移民の中には、子どもたちの両親らもいた。
かれらはキティラ島の自由都市に移民できるということを知ると、その多くが意を決して移民の道を選んだ。
愛する我が子たちのそばで暮らしたい。
それが親の本質である。
しかしその多くの場合、残念ながら、もはや子どもたちと一緒に住むことはできなかった。
まず自由都市の移民者は、特別な場合以外、子どもたちの住む本島に入ることが出来ないのである。
両親たちは途方にくれたが、両親が来たという知らせを聞いた子どもたちは、すぐに自由都市に駆けつけた。
かくて再会は果たされた。
しかしそこで一部の両親たちは、もはや一緒に住めなくなった別の理由を知る。
つまり、子どもたちがすでに結婚して所帯を持っていたのである。
テセウスとパリティア、アタランテとメレアグロスなど、幾人ものカップルが出来上がっていた。
これは思いがけない驚きであり、喜びであった。
時おり会って、いずれ生まれる孫の顔を見るという日々も、それはそれで幸せというものである。
しかし、何もかもが順調に進むわけではない。
世の中の問題はなおも解決しておらず、その影響は誰もが無視できないものであった。
自由都市において、移民による犯罪が頻発しはじめたのである。
さらに、タルタロス王国からの移民者たちの一部が自由都市の中で派閥をつくり、メロード族に対する反発活動を行いはじめた。
はた目には文化の異なる異民族同士の単なるいさかいであるように見えたが、これはどうひいき目に見てもタルタロス移民側の一方的な攻撃であった。
分かる者には分かる。
タルタロス王国に根づく商人ギルドは、まだ恨みを忘れてはいないのだ。
キティラ島に流れ着いた子どもたちがはじめてつくった、あの広場の集落。
今、そこにはかれらの議事堂が建っている。
木造の簡素な建屋ではあるが、しっかりとした造りの大きなものである。
議席は大きく四つに分けられている。
ひとつには、議長であるアフロディーテと、ヘパイストス、ディオ、アレスら冒険者たち。
もうひとつは、ポセイドンやアンフィトリテら、メロード族の代表者たち。
そして、アポロン、アルテミス、アテナ、ヘルメスたち、タルタロスやオリンポスから来た者たち。
それと、テセウスやイアソンら、建国にたずさわった子どもたちが座っている。
「まず、みなさんの意見を聞かせてください」
アフロディーテは、ポセイドンなど主要な者たちを集めて意見を問うた。
今後、タルタロス王国、そして商人ギルドとどのように接して行くかということをである。
商人ギルドは、あくまでもキティラ島に対する攻撃をやめないつもりなのだ。
「まあ、自由都市を、本島から切り離しておいて良かったと思うよ。これが島全体に広がっていたらと思うと、ゾッとするぜ」
ディオは軽い口調で言ったが、ことは深刻である。
「確かに・・・」
アポロンはうなずいた。
「そして、騒ぎはすべて自由都市内で起きている。すなわち、これらのことは水面下で行われているのではなく、国際的に白日の下にさらされていると言える」
これもまた、自由都市を建設した狙いのひとつであった。
自由都市には、すでに多くの主要国の大使館が集まっているのだ。
「このまま放っておいても、かれらの工作活動は沈静化せざるを得ない。
道理はひとびとの目に明らかであり、ひとが平穏を望むものである以上、かれらの行為は抑圧されることになる。
そして、かれらが暴れれば暴れるほど、国際的にタルタロス王国の信用は失墜し、商人ギルドの悪意は周知されてしまうだろう」
「じゃあ、放っておくのか?」
「・・・そうはいくまいな。
その結果、商人ギルドが自然消滅してくれれば良い。
だが、それまでにどれだけかかるか分からないし、その間に生じるひとびとへの被害も捨て置けない。
さらに、もし、かれらに加担する者たちがあらわれた場合、やはり我々はかれらと最終的な決戦を踏まえなければならなくなるだろう」
「でも、タルタロスから来た移民がすべて、商人ギルドの手先ってわけじゃないのよ」
と、アルテミス。
「やつらは、われわれに恨みがあるのだろう? ここで叩き潰すというのならともかく、このまま過去を忘れて手を取り合うようなことは出来まい」
と、アレス。
「じゃが、どうすれば良いものかのう」
と、ヘパイストス。
「いや・・・方法はありますよ」
ヘルメスが顔を上げた。
「商人ギルドは組織です。そして営利組織です。営利組織である以上、利益にならないとなれば手を引かざるを得ない」
「ふうむ・・・。あやつら、海賊行為をも営利行為と考えてたようだからな」
と、ポセイドン。
ヘルメスはうなずいた。
「他国の都市を混乱させて、治安を悪化させるのも利益につながることと信じてのことでしょう」
「でも、だとしたら、それこそあんなやつらを止めることなんて出来ないんじゃないのかい?」
と、ポセイドンの妻アンフィトリテ。
「金儲けが生きがいのような連中だもんな」
と、ディオ。
しかし、アテナはきびしく否定した。
「かれらがそれを生きがいとするのは勝手です。しかしそれで他の者たちを苦しめようということが許されるはずはありません。ひとびとの幸福と自由を守るために、抑えなければならない欲というものもあります」
「だが、かれらには分からぬ」
アポロンが言った。
「ヘルメスくんの言っていることは分かる。かれらが金の亡者であることをやめない生き物である以上、それをどうこうできるものではない。だから、物理的に利得の通用しない世界にしてしまえばいいと・・・そういうことなのだろう?」
ヘルメスは大きくうなずいた。
「ええ、そうです。その通りです!」
しかしまた、ディオが不審げに口をはさむ。
「何を言うかと思えば・・・。かりにそんな方法があるとして、どうやってそれをタルタロスにさせるんだよ」
「出来るさ。簡単ではないがね」
アポロンは軽く笑ってみせたが、それはひどく凄みのある笑みであった。
ディオは、ただ肩をすくめた。
(こいつ・・・またなにか一人でたくらんでやがんな)
すると、ディオの代わりにヘパイストスが挙手をした。
「出来るかどうかも気になるが、それがどんな方法なのかも気になるわい。ちょっと簡単に説明してくれんかな、ヘルメスどの」
「あ・・・はい。そうですね。簡単にとは行かないかも知れませんが・・・」
ヘルメスはいそいそと説明を始めた。
「・・・つまり、通貨による貯蓄が損失を生むようにすればいいのです。
具体的に言えば、定期的な造幣によって通貨の価値を継続的に日々低下する仕組みにすればいい。
そうすれば、貯め込んだ通貨は日々価値を失って行くことになるので、貯めるよりも他の物に換金して行く方が得になる」
「貴金属や芸術品に換金するようになる、ということかの」
ヘパイストスは腕組みをしながら、興味深げに耳を傾けた。
「はい。そうなれば、通貨そのものは民間に流れ出します」
「んー、よくわかんないんだけど」
アルテミスは首をかしげた。お金のことはわかりにくい。
「その、テイキテキナゾウヘイって何?」
「ええとですね・・・通貨ははじめから大自然の中にあったものではありません。
それは、ひとつの国家が、自国内の経済活動のために製造し、その価値を保障することでひとびとに価値を認めさせたものです。
ですから、それを大量につくれば、価値が下がるわけです」
「どうして?」
「つまり、ええと・・・ごめん。アテナ、お願いします」
ヘルメスは説明に困って、アテナに助けを求めた。こういうことはアテナがうまい。
「ええと、そうですね」
アテナはすこし考えながら、説明を始めた。
「国のつくった通貨の総量は、その時点でその国内にあるすべての商品とサービスの合計と等価であると考えられます。まあ概念的な考え方ですし、きっちりとは言えない部分もあるのですが」
「・・・うん、そうなのね」
アルテミスはゆっくりかみしめるようにアテナの話を聞いた。
その場にいるテセウスたちも懸命に話を聞いている。
「ですから、通貨の総量が少なければ、一枚の貨幣でとても多くのものを買うことができます」
「・・・うん」
「ですが、大量に通貨を発行して世の中にバラまけば・・・」
「通貨の価値が、さがる?」
「どの家にでも金貨が百枚あるという社会と、どの家にでも金貨が一万枚あるという社会では、物の値段はことなるでしょう」
「・・・うん。わかる」
「つまりそうなると・・・言い方はわるいですが、金持ちの人たちが貯め込んでいる通貨の価値を、国家が意図的に目減りさせることが出来るということになるのです」
「ん・・・?」
「たとえ少しずつでも毎日、通貨の価値が下がって行くなら、大量の通貨を貯め込んでいる金持ちは、毎日大損をすることになります。
ですから、たとえ明日買えるものでも、今日買っておいた方がトクだということになります。
金持ちは通貨を貯め込むことよりも、ひとびとから商品を買いつけるようになります。
通貨はひとびとに返し、商品やサービスを手に入れる方が良いからです」
「ええと・・・なんか、ひとびとが損してる感じだけど、いいの?」
「商品もサービスも、ひとびとの人生の余剰から産み出されるものです。
なぜなら、商品もサービスも、ひとびとが自らの意志で売ろうと決めた時から発生するものだからです。
ひとびとが大切にしているものは、財産でも、誇りでも、命でも、勝手に買い取ることはできません。
それが経済のルールです」
アテナはちょっと息を吸って、はっきりとした声で言い置いた。
「お金で買えないものがある、ということこそが、経済の重要な本質なのです」
「・・・そういえば、お金で買えないものはなーい・・・なーんて言葉、聞いたことがあるわ」
アルテミスが思いをめぐらせると、アテナは切って捨てるように言った。
「ええ、当然ですが、それは嘘です」
思えばあれも、世の中を混乱させるための呪文のようなものだったのかも知れない。
これも商人ギルド・・・ハデスの術策だったのだろうか。
そこにヘルメスが付けくわえた。
「たいがいの商品もサービスも基本的に一過性のものです。
いくらでも、ひとの作業や大自然の中から生まれ出てくるものです。
そして消耗し、劣化し、鮮度を失い、時機を失って消えゆくものなんです」
「それで、金銀宝石や美術品で貯め込むことになるのじゃな」
ヘパイストスがうなずく。
アテナはつづけた。
「つまり、金持ちたちがお金を手放せば、それらはひとびとの方へ流れて行くということです。
そうなれば、ひとびとの暮らしは平穏になります。
ひとびとの暮らしが平穏なものであれば、欲得にあせる者も減ります。
ひとびとが欲得に興味を示さなくなれば、
家族とともに暮らすこと、
自分の好きなことを楽しむこと、
おいしいものを食べること、
健康を謳歌し、愛を語ること、
世の中のことを考え、未知の世界に思いをはせること、
ひとを楽しませることに喜びを見いだし、知の探究にいそしむこと・・・。
そういった、本当にひとびとひとりひとりが心から欲し望むことを希求するようになります。
利得のみに人生を見いだす者は、ごく一部のものとなります。
商人ギルドの観念に従うもの、賛同するものたちは大いに減ることになるでしょう」
「それいい!」
ようやく得心がいったのであろう。アルテミスは顔を輝かせた。
「それって、すっごく素敵なことじゃない?」




