第一話 笛吹きと子どもたち
タルタロス王国の港町。
その夜、月は高く、街を照らしていた。
子どもたちはそれぞれまるで同じような哲学的ゆううつを抱いて、その月を見あげていた。
ふと、風にのって音楽が聞こえてきた。
港に不思議なサキソフォンの音色がながれていた。
むせび泣くように、はげしく、雄々しく、あまく、せつなく。
そのあやしげなメロディーにつられるように、あちこちの戸口から子どもたちが現れ、サキソフォンの音色のする方へ歩きはじめた。
断じて、魔法の力などに操られていたのではない。
子どもたちは、いずれも強い決意をもって歩き出していた。
一方、決断ができずに家のなかにとどまる子どもたちもいた。
しかし、決意することができた子どもたちは、ひとりずつ、またひとりずつ、夜の港へ歩き出していた。
サキソフォンの旋律は、うたう。
ゆくか きみたち あらなみのはて
ななつの竜の おおうずのはて
われら人類 百万年
すべて つちよりうまれきて
すべて うみにかえるもの
だいちのめぐみ うみのさち
ものをつくって いえをたて
まもり そだてて みらいへつなぐ
しぜんをこえる 道はない
ぶつりをこえる 法はない
しんおん こきゅう いのちのリズム
しおさい なみだ そして かぜ
やがて子どもたちは港にあつまる。
月明かりに照らされて、仮面をつけた男の影が映し出される。
仮面の男は振り返りもせずに、ひたすらサキソフォンを吹き続けていた。
むせび泣くように、はげしく、雄々しく、あまく、せつなく。
じきに、子どもたちが家からいなくなったことに、大人たちが気づく。
ひとびとは血相を変えて家を飛びだした。
そのうち、子どもたちが港に集まっていることが分かった。
騒ぎを聞きつけて、近くに住むひとたちも港に集まって来た。
子どもたちが夜中に家を出て港に向かっているという通報は、保護者会から学校を通じて、商人ギルドにも伝わった。
なぜ商人ギルドが関わって来るのかというと、あまりに長くつづく不況の中、商人ギルドのみがあらゆる分野で利益を独占しているからである。
いまや王国政府も商人ギルドの意図に従って動いているようなものであり、学校にしてもその運営権限は商人ギルドにあると言って良い。
子どもたちを学校に通わせることについての損益も、最終的に商人ギルドの利益につながるのだ。
そのため、どうしても事あるごとに連絡がたどり着くことになるのである。
そうではあるが、商人ギルドの総帥をつとめるミダスは、報告を聞いて少々腹を立てていた。
子どもたちの行動に対してではない。
夜中にいちいちこのような報告をギルドマスターである自分のところにまで届けて来る、組織のシステムに対してである。
だが、このようなシステムになってしまっているのは、商人ギルドが学校の細かいことにまで口を出して、微細な損失の責任をいちいち追及して来るクセがあるからである。
自業自得ではあるのだ。
「このようなことは現場で対処すればいいことではないか。いったい当直の者はなにをやっている!」
そしてそのあげく厄介ごとの対応は、まるごと当直の責任者に押しつけられる。
子どもたちの後を追って港にまで来た親たちは、月光に照らされてサキソフォンを奏でる仮面の男の姿を見た。
そして、楽師のまわりにたたずむ子どもたちの影を見た。
そこにギルドの兵士たちも駆けつけて来た。
ことは一大事の様相を呈していた。
「これはどうしたことだ。・・・おい、君たち、夜も遅い。早く家に帰りなさい」
ギルドの兵士が声をかける。
すると、ひとりの子どもの影が振り返り、そして答えた。
「ぼくたちは演奏を聞きにきたんだ。これはぼくたち自身の意思だ。なぜいけない」
兵士が真っ向から反抗されるのを見て、大人たちは気色ばんだ。
資本主義の蔓延するこの国の既成概念において、労働力ではない、つまり成人していない子どもたちは大人たちから見て低い地位にある。
つまり、子どもごときに正論をぶつけられるのは、自尊心のみで成り立つ大人たちにとって腹立たしいことであった。
(なんて生意気な子どもだ)
(いったいどこの子だ)
(親はいったいどんな教育を)
ざわめく大人たちの間から、ギルド服を着た男が進み出た。
知らせを聞いてかけつけてきた商人ギルドの管理官で、ヘルメスという。
「あー、君たち、さっさと解散しないと学校に通告するぞ」
権威を示す者の登場に、大人たちの間から軽い安堵の吐息がもれる。
しかし、それと同様に子どもたちの影がいっせいにゆれた。
かすかな笑い声が聞こえる。
ささやくように。
「だったら、ぼくたちはもう学校へは行かない」
子どもたちの決意表明に対し、ヘルメスは軽率に笑った。
「はっはっは、評価が下がってもいいのかね。出世できなくなってしまうぞ」
「他人のする評価なんかどうでもいい。ぼくたちはそんなものより、こうやって好きに音楽を聞く自由が欲しいんだ!」
ヘルメスには、子どもたちが何を言っているのか理解できなかった。
「んー? 音楽だったら、学校で勉強すればいいじゃないか」
ぷっ・・・。
子どもたちの影の合間から、失笑がもれる。
「わからないかな! ぼくたちはもう、押しつけられるのはイヤなんだ! 音楽がどうとかいう問題じゃない!」
子どもたちは、大人の頭の固さにじれていた。
「なに?」
ヘルメスは、ようやく子どもたちの怒気を感じた。
「もう一度言うよ。・・・ぼくたちが欲しいのは、自由だ!」
だがヘルメスには、まだ分からない。
ただ、解せぬゆえにイラ立ちがわき、その眉をしかめさせた。
揶揄するような含み笑いが聞こえてくる。
ヘルメスは子どもたちのシルエットを見まわした。
まわりの子どもたちはうつむいて顔をかくすようにしながら、クスクスとわらっている。
その口元には、たしかに大人たちを馬鹿にするような歪みが見てとれた。
「おまえたち・・・このっ、笑うな!」
ヘルメスは、カッとして怒鳴りたてた。このようなあざけりを受けるいわれはない。
しかし、子どもたちはおそれるどころか、ヘルメスの矮小さをあざわらうような冷たい目で見返す。
「くっ・・・こ、この」
つぎにヘルメスの怒りは、いまだ周囲の騒動に目もくれずにサキソフォンを吹きつづけている仮面の男に向けられた。
「おまえっ、おまえは何者だ? こんなところに子どもたちを誘いだしてどうするつもりだったのだ?」
しかし、仮面の男は演奏をやめようとしない。まるで声がとどかないようだ。
ヘルメスはますます苛立った。
「おまえが子どもたちにおかしなことを吹きこんだのだな! おい、兵士たち、こいつを逮捕しろ」
そのとき、女性の声がした。
「お待ちなさい。その楽師はただそこで演奏していただけです」
見ると、焚き火のまわりにそれをかこむ旅装束の者たちがいた。
その中に、高貴な雰囲気をもつ女性がいる。
ヘルメスを止めたのはその女性だった。
「私たちはここで、夕方からずっとかれの演奏を聞いていました。子どもたちは勝手に集まってきたのです」
ヘルメスは、その女性の気品と威厳に気圧された。
「あ、あなたは?」
「私はアフロディーテ。旅の者です。西の山の竜退治の仕事が終わったので、めいめい故郷に帰ろうとしていたところです」
「な・・・なんだ」
ヘルメスは安堵の笑みをもらした。
「ギルドに雇われた傭兵か」
「なんじゃと?」
アフロディーテの脇にいたその仲間たちが、焚き火のまわりから立ちあがった。
ドワーフ族の戦士が、肩をいからせて言った。
「聞き捨てならんのう。わしらは金でうごく傭兵ではない。依頼は受けてもそれぞれの判断で行動する。わしらは自由をすてぬ」
ヘルメスは冷笑した。
「ふん、ギルドから金をもらって働いたのだろう?つまり、傭兵ではないか」
「わたしたちは冒険者よ。傭兵なんかじゃないわ」
エルフ族の射手が、ずい、と片手に持った弓をかざした。
もちろん矢はつがえられてはいなかったが、小心なヘルメスをおびやかすには十分すぎる挙動であった。
「わっ、わわわわわっ、おいっ、兵士ども! こいつらを捕まえろっ」
ことのなりゆきから見てもヘルメスの命令は過剰なものに思われた。
しかし、ともかくギルドの兵士たちは命令違反で降格されたりはしたくなかったので、のろのろおずおずと緩慢な動作で身構えた。
「・・・やるのか」
タイタン族の剣士が仲間たちをかばうように前に出る。
ホビット族の若者も、腰の短刀に手を当てて用心深く身構えている。
一触即発の気配に、周囲に集まった大人たちがざわめく。
兵士たちの動きは、そこにいる子どもたちにも危険を感じさせた。
ギルド役人のいう「こいつら」には、自分たちのこともふくまれているのではないか?
子どもたちは無言で顔を見合わせた。
(にげる?)
(でも、どこへ?)
見れば、目の前は真っ黒な海。
霧がただよい始め、夜空には雲がながれはじめた。
月明かりがかすみ、なまぬるい風が吹きよせる。
仮面の男が奏でるサキソフォンの旋律はますます激しくなり、いまやクライマックスをむかえようとしていた。
「待ってーっ、待ってください」
通りの暗がりから声がした。
息を切らせて駆けつけて来たのは、白い賢者服をまとったタイタン族の女性である。
「げ・・・賢者アテナか? むうう、また厄介な!」
ヘルメスは、たまたまの夜勤でほとほと厄介な役まわりになってしまった自分の巡り合わせをうらんだ。
(ただあのサックス吹きを逮捕して、子どもたちを無事に連れて帰ればふつうに手柄になったはず。それがどうして、賢者アテナなんぞが出てくるような事態に・・・)
賢者アテナといえば、まさに今、商人ギルドや学校と教育問題で真っ向から対立している人物である。
しかもその後ろ盾はあのオリンポス帝国のゼウス皇帝が組織した賢者会であり、それがために最近徐々に学校側の旗色が悪くなって来ているのだ。
(これはまずい・・・ヒジョーにまずい)
ギルドは足を引っ張り合う世界である。
うっかりすれば、出世どころか全責任を押しつけられて解雇されてしまうことも考えられる。
ヘルメスは、苛立って怒鳴った。
「うーっ! 賢者アテナ、なぜここに!」
「知らせを聞いて駆けつけたのです!」
アテナは呼吸を整えながら、必死に言葉を発した。
「ええい! ここは・・・ここはっ、あなたのような方が出てくるようなところではなーい!」
「いいえ、この子どもたちをこのように追い込んでしまったのは、私たち大人の責任です!」
アテナは、心痛な面持ちで子どもたちの顔をひとりひとり見つめた。
子どもたちは当惑しながら、事の成り行きを見守っている。
アテナには、環境に追い詰められた子どもたちの悲壮な決意がよくわかった。
サキソフォンの音色だけを頼りに、夜の港に集まってきたその気持ちがよくわかった。
この子どもたちは、社会に強制された運命に、自ら立ち向かおうとしている。
環境にしたがって生きてきた従順な家畜のようなこれまでの人生に、勇気をもって決別をしようとしているのだ。
「ああ・・・!」
アテナは、思わず口走った。
「ごらんなさい! 子どもたちのあの目を! ああ、この子たちなら大丈夫・・・こんな子どもたちがまだいるのなら、この国の未来は、きっと大丈夫・・・」
その悲壮で勇敢な、けなげな意志を思うだけで、アテナの目には涙があふれた。
ヘルメスはぎょっとした。
アテナの涙はヘルメスには理解できない。
ただ何か、そこにはヘルメスには理解できない真実が存在するらしかった。
しかしそれを認めることができるほど、ヘルメスの見解は豊かではない。
アテナの涙はヘルメスを苛立たせただけであった。
そしてアテナは、そんなヘルメスの苛立ちに気がつかない。
ただ、嗚咽をこらえるので精いっぱいだったのである。
しかし、そんなアテナの感慨をよそに、事態はすでに取り返しのつかない局面に移ろうとしていた。
港から見える大通りの方が騒がしくなった。
「おお! やっと来たか!」
ヘルメスが快哉を上げる。
ギルド兵士の増援がやってきたのだ。
「よし、捕まえろ! あの冒険者たちも、子どもたちもみーんな捕まえるんだっ!」
「な・・・なんてことを!」
アテナは非難の声をあげたが、もはやどうしようもなかった。
風が吹く。
月明かりが明滅し、夜空を黒雲が覆っていた。
「アフロディーテ、これはまずいぜ」
短刀をかまえたホビットがうなる。
「商人ギルドなんかにつかまったりしたら、あることないことでっち上げられてまともな裁判もうけられなくなっちまうよ」
「なら、やるか・・・」
タイタンの剣士が、腰にさした刀剣に手をかける。
「そういうわけにはいかないわ」
アフロディーテは頭をふった。
もちろん今後の仕事のこともある。しかし、そもそも兵士たちはただ命令にしたがっているだけなのだ。むやみに傷つけたくはない。
「では、逃げるかの」
ドワーフは逃げ道をさがしたが、行く先には砂浜しかなかった。
砂浜の先はけわしい磯辺につながっており、切りたった崖がたちふさがっていてその向こうは見えない。
磯まで逃げれば行き止まりだ。
その先は海しかない。
「でも、子どもたちが・・・・・・あっ!」
エルフの射手は、子どもたちの方を見て思わず声をあげた。
子どもたちが砂浜に向かって走り出したのである。
通りの向こうから押しよせてくる兵士たちの姿をみて迅速に判断し、それぞれの意思を通じていっせいに駆け出したのだ。




