第十六話 誰にしも大団円
艦隊だ。
たしかに艦隊が見える。
「まさか・・・援軍」
ラオコーンは頬がゆるむのを感じたが、考えてみればそんなはずはなかった。
王国に残している軍船は、未完成の新造艦が一隻のみである。
本国が無防備になるのを承知で全艦で出撃したのだ。
もはやタルタロス王国に艦隊はない。
では、帝国の援軍が・・・?
しかし、それもまた虫のいい話である。
考えうることは、もはやひとつしかない。
しかし、ラオコーンはまだ、それが認められず、呆然としていた。
考えてみればわかること。
だがそれを考えられないことがある。
認められない・・・ということだ・
相手は間抜けな素人ではない。
百戦錬磨の冒険者たち。
そしてポセイドンの海賊たち。
そしてさらに、賢者アテナと、ギルドのヘルメス。
また、あのアポロン王子が、黙って手をこまねいているはずがない。
その事実はまもなく明らかになった。
「か、海賊旗! 海賊旗ですーっ!」
それは、悲痛な叫び声であった。
「・・・む、むむむ」
ラオコーンは、もはや認めざるをえない。
敵を過小評価しすぎた。
司令官として無能を示す、最大の失敗だといえる。
「て、撤退だっ・・・急げ! 囲まれるぞ!」
ラオコーンたちはもはや外聞もなく、大慌てで旗艦へと引き返して行った。
こと、こうなってしまえば、逃げるしかない。
軍船三隻で攻め寄せたタルタロス王国海軍が、たった数十人の・・・しかもそのほとんどが子どもたちである非戦闘員たちのあつまりに、なすすべもなく撃退されたのだ。
しかも・・・あとで分かったことだが、兵士に死者はひとりもいなかったのである。
「あれは・・・」
砂丘の上に立っていたアルテミスは構えていた弓をおろして、沖に見える船影に目を凝らした。
先頭の帆船のマストに黒い旗が見える。
「あれは、海賊旗・・・?」
たしかにそれは海賊旗に見えた。
しかしこの艦隊規模は、ただの海賊ではあるまい。
先頭を進む船の船首に、威風堂々たる大柄な人影が見える。
「あ、ああ、あれは・・・」
アンフィトリテは歓喜の声を上げた。
「・・・あのひとだ。・・・あの人だわ。・・・生きてた!・・・生きていた!」
「あ、あれは・・・ありゃあ、ポ・・・ポセイドン・・・ポセイドンの旦那だッ! うひゃーっ!」
船乗りたちは余程うれしかったのか、子どものようにとびあがって喜んだ。
アルビオンの望遠鏡を奪い合うようにして沖を見る。
ポセイドンの旗艦のかたわらに、小さな帆船が見える。
その甲板上に数人のメロードたちとともに、シレヌス、そしてイアソンとアルゴスが誇らしげに手を振っている姿が見える。
かれらは、この短期間の間にメロード族と交渉し、ポセイドンたちを見つけ出し、さらにその大艦隊を動かすことに成功したのである。
ラオコーンら、タルタロス海軍のものたちは見逃された。
かれらはアレスや子どもたちが黙って見守る中、いまやたった一隻となってしまった旗艦におたおたと逃げ込んで行ったのである。
収容される兵士たちを確認しつつ、タイミングをみて、船を浜辺から離脱させる。
ただの敗退ではない。
軍人として、人生最大の屈辱であった。
ラオコーンは自らの老いを認め、また、時代の流転を感じた。
(もはや、降格はまぬがれまい・・・)
ラオコーンは、いまさらそのようなことを考えている自分の情けなさに、また涙をにじませた。
一方、船室の隅では、カサンドラが爛々と憎悪に燃える目を伏せている。
カサンドラの胸中は、賢者アテナに言い負かされた憤怒で渦巻いていた。
かつてこれほどまでの屈辱を受けたことはなかった。
何としても、必ずいつか、復讐を果たさねばならないと思った。
そんなカサンドラの思いをよそに、船はゆっくりと浜辺を離れて行く。
「ああ・・・」
「あの子たちが・・・」
船べりに立ち並ぶ親たちは、遠目に子どもたちの姿を見つめながら絶望的な嘆息をもらした。
かれらは見たのだ。
子どもたちが槍をかまえ、弓をかまえる姿を。
海軍の兵士たちに引けを取らずに戦い抜いた姿を。
子どもたちは魔法にでもかけられて操られていたのだろうか。
いや・・・今ならわかる。
あの子たちは大人たちの世界を嫌い、自分たちの世界を築いたのだ。
だから、それを守るために必死に戦ったのだ。
それぐらい分かる。
親なのだから。
「み、みなさんご心配なく!」
カサンドラは慌てた。
「・・・まだです。まだ方策はあります! 必ずお子さんたちは私たちが取り戻して見せますから!」
必死に説得するカサンドラ校長に対し、子どもたちの親たちは肩を落としつつも、何か観念したような面持ちで心境を伝えた。
「お気持ち、ありがとうございます。・・・しかし、これはもうこれで仕方のないことかも知れません」
「何をそんな、弱気なことを!」
親たちはかぶりを振り、少し憑き物の落ちたような眼差しで微笑んだ。
「あの子たちは、自分の意志で自分の道を見つけたのですね」
「えっ、ええっ?」
「いいえ、いいえ、私も王国の学校で教育を受けた者です。もはや私たちの固まりきった頭では、あの子たちの新しい考えについては理解できません。じっさいのところ、本当に・・・親としてこれでいいのかどうかは分かりませんが。ですが、少なくとも・・・」
一瞬、ためらうように言い淀んだ。
カサンドラは、この先の言葉は出来れば聞きたくないと願った。
しかし言葉は続いた。
「・・・少なくとも、今の私たちのすべきことは・・・あの子たちの前途に立ちふさがることではなく、無事を祈ることだけです」
「な・・・そんな」
カサンドラは心底くやしいと思った。
これは、どう見てもアテナの勝ちだ。
はじめからアテナは有利だったのだ。
道理にかなったアテナが勝つのは当たり前ではないか。
これは私の能力が劣っていたせいではない!
カサンドラはあまりのくやしさに一筋の涙を流しながら、正道に身を置けなかった自身の不遇を呪っていた。
ああ、ずるい。
アテナはずるい。
私も道をたがえずに、あのように正義をつらぬいて生きてさえいれば・・・。
神よ、私はくちおしい・・・。
その一方で、目の前に居並ぶ親たちはいずれも、どこか清々しさすら感じられるような微笑みをたたえて、早くも遠景になりつつある浜辺をみつめている。
「ああ・・・!」
カサンドラは悲嘆にくれた。
タルタロスのゆがんだ意地はたった今、敗北したのだ。
しかしそれは、ひとつの救いでもあった。
カサンドラは、ただ祈るように手指を組み合わせ、無意識に薬指のリングをなでていた。
カサンドラには帰るところがあるのだ。
浜辺にボートが並び、屈強なメロードたちがゆっくり上陸して来た。
その先頭にひときわ大きな男がいる。
波涛のような白ひげをたくわえた威厳のある人物、この大艦隊の提督ポセイドンであった。
その大男に一目散に駆けつけ、飛びつくようにして首っ玉にかじりつく姿があった。
ポセイドンの代理として仲間を率いて来た女性、ポセイドンの妻たるアンフィトリテである。
「あんたっ・・・! 生きていたんだねっ」
「すまんかった、心配をかけた・・・! 渦が消えたと聞いて、大急ぎで駆けつけたのだ! 無事で良かったアンフィトリテ! やっと・・・やっと会えた・・・!」
「お、親父ーっ!」
そこへ、トリスタンとアルビオンが駆けつけて、同じようにしてポセイドンの巨体にしがみつく。
「うおお、トリスタンっ! アルビオンっ! よくぞ、母さんを守ってくれたな!」
若者二人の体重にさすがのポセイドンもよろめいたが、しっかりと砂地に足を踏みしめ、これを受け止めた。
「親父ーっ」
「あんたーっ!」
大男ポセイドンは泣きじゃくる三人を抱きしめながら、豪快に泣き叫んでいた。
いかめしい顔が涙でくしゃくしゃになってしまっている。
オリオン、ブリアレオスやポリュフェイモスも、同じようにボタボタと涙を流している。
そこへぞろぞろとメロードの船乗りたちが集まって来た。
アンフィトリテの船に乗っていた船乗りたちである。
大渦にのまれた後、無事にポセイドン艦隊に合流していたらしい。
何人か行方の分からなくなった者たちはいるようだが、いずれも反乱を企てていた者たちの一味らしい。
遭難したのではなく、逐電したものであろう。
たしかに、水棲民族であるメロードたちが、海で簡単にくたばるわけはない。
そしてそれとは別に、おだやかな風の吹く砂浜の上で、互いに微妙な表情を浮かべて対峙している者たちがいた。
アルテミスとアポロンである。
「・・・なんで黙ってたのよ。あの港で会った時から気がついていたんでしょお?」
「・・・なんというか。演奏中だったのでな。その後、あの騒ぎだろう? タイミングを逸してしまったのだ」
「だからって」
「タイミングを逸するとな・・・あらためて正体をあらわすのは、かっこうが悪くてな」
「あのねえ」
アルテミスが腰に手を当てると、アポロンは恥も外聞もなく両手を合わせて謝った。
「・・・すまん。私もお前が出て行ってから色々考えさせられてな。結局逃げ出して来てしまったのだ。いや、その・・・決して、お前を連れ戻しに出て来たわけではないのだぞ」
アルテミスは、まごまごと弁解する兄を見てため息をついた。
「・・・ちっとも変わってないのね。お兄さま」
そして、笑った。
小さな帆船が浜辺につき、イアソンとアルゴス、シレヌスが降りて来た。
子どもたちが駆けあつまり、互いの無事をよろこび合う。
かれらはついに自分たちの手で、勝利を勝ち取ったのだ。
この勝利は、世界にとっても大きな意味を持った。
こののち、この戦いをきっかけに、メロード族はひとつの連合国家を名乗るに至る。
オケアノスの大海に出現したポセイドン王国は海洋の重鎮として君臨し、世界に新たな均衡をもたらした。
航海の安全は保障され、海洋交易も国際交流も盛んになり、世界は一大発展期をむかえる。
島はキティラ島と名づけられ、ポセイドンの庇護下に置かれた。
またタルタロス王国も、ついには革命的な変貌をとげることになるのだが、それはまた次の物語である。




