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第十五話 命と自由を秤にかけて

 ザッ・・・!


 兵士たちの軍靴が白砂を巻き上げる。

 その真正面に、黒鉄の長槍をたずさえたアレスが躍り出た。


「来い」

 アレスは一言だけつぶやくと、長槍をかまえた。

 他はいない。


 子どもたちはアテナとヘルメスのかまえた大盾のうしろに集まっている。

 小高い砂丘の上にはアルテミスら、弓をたずさえた者たちが並んでいるが、その他の部隊はいない。

 巨漢のポリュフェイモスとブリアレオスがひとりずつ、砂浜の両翼に立っているが、アレスの戦いに参加する様子はない。


 前線に立ったのは、じつにアレスただひとりだったのである。


「何の真似だ!」

 さけぶラオコーンに、アポロンがかえす。

「知らぬか、軍神アレスを!」


 すると、アレスはブンブンと音を立てて槍を振り、駆け出す気配を見せた。

「来ないなら、こちらから行く」


 兵士たちは見た。

 その魔獣のごとき眼光を。

 そこにいたのは、血に飢えた戦いの魔王であった。

 本能的な恐怖が押し寄せる。

 兵士たちは、ただがむしゃらに恐怖をすすぐべく、目の前の軍神に突撃して行った。

「うわーっ」


「!」

 アレスが笑う。





「うあーっ」

「ひぃぃーっ」

「あうーっ」

 突進して来る兵士たちは、アレスが振り回す長槍にバタバタと打ち倒されて行く。

 鎧袖一触である。

 数では歯が立たない。

 一度に襲いかかったところで、長槍のひとなぎで何人もの兵士が吹っ飛ばされていくのだ。

 矢を射かけても、すべて長槍にはじかれ、物の役に立たない。


 勇猛で知られる幾人もの勇士たちが戦いを挑んだところで、かるくいなされただけで槍に打たれ、次々と積み上げられてしまう。

 まず、アレスとまともに打ち合える者がいなかった。

 戦士としてのレベルがちがうのだ。


 しかもアレスの縦横無尽の戦いは、かなりの広範囲をカバーしており、大きく迂回しなければその背後へ突き進むことは不可能だった。


「・・・な、なんて奴だ」


 アレスの体力は尽きることがない。

 どれだけ暴れまわってもその勢いは、いや増すばかりであり、兵士たちは集団ごと後退を余儀なくされていた。


 タルタロス海軍の兵団はアレスたったひとりの長槍によって、今にも瓦解寸前である。

 もはや持ちこたえるだけで精一杯であった。





「ま・・・回り込めいっ!」

 ラオコーンは迫り来るアレスの恐怖に抗いながら、兵士たちに指示を出した。

 しかし、アレスひとりに気圧されている兵士たちの士気は低い。


 かろうじて少数の兵士たちがアレスの猛威を迂回して背後に回ろうとするが、そこへ横槍が入る。

 テセウスやヘラクレスたち、アレスから戦い方を教わって来た少年たちが急襲したのである。


「やぁぁーっ!」

 それは少年たちにとって初めての戦いであった。

 ひょっとしたら、手にした武器がいずれかの兵士を突き殺すことになるかも知れない。

 いや、自分自身が・・・いや、友が・・・いや、背後にいるかよわきものたちが、死ぬのかも知れない。


 いやしかし、それは戦う者、戦いに巻き込まれた者の運命である。

 死ぬかもしれない。

 死なせるかもしれない。

 戦う恐怖と、その意味。

 しかし今、少年たちには、死を賭しても守らなければならないものがある。


「う・・・うわっ! こ、子どもかッ?」

 兵士たちはひるむ。

 しかし、一旦ぶつかりはじめた槍を引くことは容易ではない。

「わッ、わッ、なんとかしてくれーッ」


 ひるむな!

 子どもたちは自らに念じた。


 牙をむけ!

 ひるませろ!

 大人たちに、おれたちの本気を見せつけろ!


「かえれーッ!」

「ここから出ていけーッ!」

 少年たちは、かれら兵士たちを「撃退」すべく戦いを挑む。


 突く槍、ふりおろす槍。

 受ける槍、はらう槍。


 大人の膂力と、子どもたちの必死の腕力。

 この一撃を、この受けを、一瞬たりとおろそかにしてはならない。

 ただ一度の油断が、すべてを終わらせてしまう。


 集中、闘志、気合・・・。

 命のリスクを知り、戦う理由に疑問をもった時点で負けだ。

 子どもたちには、戦う理由があり、兵士たちにはそれがない。


「むっ・・・くッ!」

 一歩、また一歩、少年たちの決死の攻撃が兵士たちを追いつめて行く。


「みんなっ・・・! 死ぬなッ・・・! 持ちこたえろッ!」

 テセウスが叫ぶ。

 少年たちは、仮面の男・・・アポロンから作戦を聞いていた。


(これは決死のレジスタンスではない。勝てる戦いだ)

(敵を殺戮することが目的ではない。ただ、足止めすればいい)

(作戦がある)

 仮面の楽師は、そう言っていたのだ。





「今だ・・・!」

 アポロンが合図する。


「おう!」

 両翼からとび出したブリアレオスとポリュフェイモスが、砂地から縄を引っ張り出して一気に引き上げる。

 なんたる剛腕!

 すると兵士たちの足下から巨大な網が出現し、転倒する者たちを絡め取るようにまとめて捕獲してしまう。

「うっ、うわぁーっ」


「な・・・姑息なッ!」

 かろうじて大網から抜け出したラオコーンは、ぶざまに捕らえられた半数の兵士たちを見て激昂した。


 が、アポロンは相変わらずニヤニヤと笑っている。

「それ、じきに面目の立たないことになってしまうのではないか、ラオコーンよ!」


 ひゅひゅん!


 その足元に、幾本もの矢が一条の列となって突き刺さる

「・・・うッ」

 見れば、小高い砂丘の上にアルテミスら弓の達人たちがずらりと並び、矢をつがえて兵士たちを狙っている。

 場合によっては網に捕縛されて身動きの取れない者たちを、即座に射殺すこともできるのだと言わんばかりであった。


 指揮官であるラオコーンは、味方の無様な有り様を見せつけられた。

 兵士たちの大半が網に絡め獲られ、転倒してもがいている。


 その向こうに、ゆらりと幽鬼のように立ちはだかるアレスの姿。

 鉄槍は、いつでも倒れた兵士たちを突き殺せる状態にあった。


「おのれ、おのれ、おのれっ!」

 跳ね上がるように立ち上がって、ラオコーンは叫ぶ。


 敵が捕虜をどのようにあつかうかはわからない。

 しかし、この場で殺されるよりは・・・。

 ラオコーンは考える。

 有能な司令官ならば、素早く頭を切り替えられなければならない。


「・・・て、撤退だーっ!」

 ラオコーンは網に捕らえられた兵士たちをすみやかに見捨てると、残った兵士たちと共に撤退を開始した。





 数を頼んで上陸して来たのは、威圧によって説得も容易になると考えてのことだったが、結果はやぶへびであった。

 なめ過ぎたのだ。


 ならば船に戻りさえすれば艦砲射撃も行える。

 火砲の威力によって完膚なきまで叩き伏せればよい。


 そもそもカサンドラなどの意向を聞いたりせずに、最初に一撃、大砲でおどかしておけば良かったのだ。

 ラオコーンは砂浜を駆けながら、取るに足らない自己弁護のために、一抹の後悔を一介の学校長に向けてみた。


 しかし・・・。


「フン」

 アポロンは涼やかな目で笑うと、次の合図を送った。

 ヘルメスがラッパを吹く。


 左右の軍船のまわりで突然ブクブクとあぶくが立った。

 ゴボゴボと勢いよく泡立ち、船がぐらりと揺らぐ。


「うわっ・・・な、何だっ?」

 軍船の兵士たちが異変に気づいてあわて出す。


「ふ、船が沈むっ・・・!」

「浸水しているぞっ!」

「船底に、あ・・・穴がーっ!」


 突然、左右に展開していた軍船が、ほぼ同時に沈み始めたのである。


「な、なにーっ?」

 ラオコーンは、目をむいた。


 見ると、軍船の周囲にいくつもの人影が見える。

「し、しまった! メロード族かっ! そうか・・・いつも、この手で!」


 アンフィトリテたちである。


 メロードたちはかなりの時間、水中に潜んでいられる。

 その能力を活用してひそかに敵船に近づき、その船体に穴をあける。

 これが、これまで八隻もの軍船を沈めて来たメロード族の戦法であった。





「・・・お、おのれっ! おのれっ! ・・・撃てッ! 撃てッ! 大砲を撃てーッ! こいつらの真ん中に大砲を撃ち込めーッ!」

 ラオコーンは旗艦に向かって叫んだ。

 こうなった以上、旗艦の火砲で敵を蹴散らす以外に助かる道はない。


 しかしラオコーンの必死の叫びが砲兵に届くよりも、アポロンが次の合図をおくる方が早かった。

 アポロンはその細身で、雷鳴もかくやというほどの大音声を叫んだ。

「撃てえ! ヘパイストース!」


 アポロンの声を聞いて、崖の上に陣取っていたヘパイストスが自作の大砲に着火した。

「そうれ、発射じゃーッ」


 ドォーン・・・!


 大砲の弾は大きく弧を描いて飛び、狙いたがわず、今まさに沈みかけていた軍船の一隻に命中した。


 バーン!


 大砲の弾が炸裂して、軍船の船体が吹っ飛ぶ。

 それは驚くべき威力のものであった。


「な・・・何だ、あの砲はッ!」


 炎上し、崩壊して行く軍船。

 あわてて飛び出し、海に飛び込んでいく兵士たち。


 ラオコーンは顔面蒼白となった。


 これにはアポロンも少々驚き、肩をすくめた。

 崖の上に向かって賛辞の声をかける。

「さすが鍛冶神ヘパイストス! とんでもない物を作るものだな!」


「な・・・ヘパイストスだと」

 ラオコーンは崖の上の大砲を見た。

 たしかに大砲だ。

 かれらはこの無人島で、このわずかな期間にあれを自力で製造したというのか。


「ヘパイストス・・・聞き覚えのある名だ。ヘパイストス・・・まさか」

「そうだ。正真正銘、帝国で内燃機関やら発電機関やらを作り出した、あのヘパイストスだ。今は冒険者となってここにいる」

「うう・・・こんな、こんな、まさか、こんな」

 ラオコーンは、もはや呆然としていた。


「ラオコーンよ。ヘパイストスに旗艦を狙わせないのは、おれの目に民間人の姿が見えるからだ。しかし、旗艦の火砲を使うというなら、容赦はしない。おれの指示で、あの船を沈めてもいい」

 アポロンの声はやさしく静かなものだった。

 だが、その目は冷徹で、容赦のない光をたたえている。

「さあ、どうするラオコーン。大人しく引き返すなら、見逃してやらんでもない」


「く・・・王子。このような・・・このような振る舞い!」

 ラオコーンは腹立ちまぎれに激しくアポロンを非難しようとしたが、アポロンはそれをさらに上回る鋭い目つきでにらみ返した。

「ラオコーンよ。お前たちに我々を非難する権利はない! おれにこのようなことをさせたのは、あなた方、旧い大人たちだと言うことを忘れるな!」


 仕方のないこととはいえ、同国民同士での戦いをしている。

 年端もいかない子どもたちを戦いの場に運用している。

 敵の旗艦には、おそらくは子どもたちの両親たちが乗っている。

 最愛の妹まで、このような危険にさらしてしまった。

 仕方ないとはいえ・・・。


 アポロンは、怒っているのだ。





「・・・・・・・・・ッ!」

 ラオコーンが悲痛な叫びをあげたその時、旗艦の甲板から兵士の声が上がった。


「提督ーっ! 艦影ですーッ!」


「な・・・なんだと! み、味方かっ?」

 振り向くと、兵士たちが沖の方を見て騒いでいる。

 ラオコーンは目を凝らした。


「なに・・・?」

 アポロンの遠目にも、それは見えた。

 艦影が見える。

 数隻・・・いや、それらに遅れてさらに多くの船影が見える。


 大艦隊である。



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