第十四話 わらう仮面
そんなカサンドラの葛藤をよそに、アテナはさらに続ける。
「世の、一般の社会はそのように自由の法則で成り立っているのです。
しかるに、権威に守られたあなた方、教育の使徒は自由の法則を無視し、学校という場に義務という名の牢獄を置いているのです」
アテナは冷静さを欠くことはない。しかし、徐々にその口調は熱を帯び始めていた。
「そもそも、王国にいて子どもたちが自由でいられるのなら、子どもたちが逃げ出す理由はないでしょう?
しかし、国家は、ギルドは、学校は、そして親たちは、子どもたちの自由を認めず、学校へ通い続けることを強いているではありませんか?」
カサンドラは言い淀んだ。
アテナの容赦ない言及の前に、論理的な逃げ場がない。
すがるものが見出せなくなったカサンドラは、学校教育というものの根源的善意に逃げ込もうとした。
「そ、それは、子どもたちのためを思って・・・」
しかしそれは、論理の袋小路でしかない。
アテナは真っ向から挑みかかって来る。
「子どもたちのためを思うなら、何故自由にさせてやらないのです?」
「が・・・学校に通わなければ、知識も広がらないし、人との接し方も分からなくなりましょう!」
「学校でなければまともに育たないという理屈は、いったいどこから生まれてくるのです?」
アテナのまっとうな問い掛けは、関係者たちの胸に痛烈なクサビを打ち込んだ。
「押しつけの知識は、自ら学んだ知識の足元にもおよびません!
人と人の接し方はつねに日常からつちかわれるものです!
教室などというせまい場所にたくさんの子どもをとじこめれば、力関係が生まれるのは物理的に当然のこと!
ヒエラルキーは人の本質を押しこめ、従うだけの人間、争うだけの人間を育ててしまうのです!
学校は、子どもたちの自由な成長と尊厳をそこなわせているのです!
あなた方には、それが分からないのですか?」
「・・・!」
もはやカサンドラは追いつめられた。
思考力がもたない。
だが、分かる。
たしかに、アテナの言い分は正しい。
そのことは常にタルタロス王国の教育界でも取り沙汰されていたことだ。
教育という名の圧政。
それに巻き込まれて青春をそこないつづける国民たちの、もう何十年にもおよぶ歴史。
この国は、まったくおびただしい数の可能性をうしない、進歩を停滞させて来た。
それが、対外的にも致命的な国力の衰えとして証明されている。
そう、世界は今や、タルタロス王国を軽んじ始めている。
「う・・・っ」
それが分からないのか、と言われて、カサンドラは動転してしまった。
それはエリート教育者としての屈辱であると同時に、稚拙で脆弱な信念がつまづく瞬間でもあった。
カサンドラは思わず、責任を転嫁すべく、言いわけをはじめてしまったのである。
「・・・が、学校はただ教育の機会を与えているだけです。
そ、そう・・・親たちがいけないのですよ。
親たちが勝手に子どもたちを学校に通わせなければならないと思い込んで、子どもたちに無理を強いているのです。
学校は、子どもたちに対し、いつでも好きな時に休んで良いと言ってるのですから!」
カサンドラは自分の顔に浮かび上がっている薄笑いが、自分でも、気持ちがわるいと思った。
しかしそれをかき消すだけの意志力が、すでに彼女には不足していた。
そしてそのカサンドラの前で、アテナは嘆かわしげに首を振るのだ。
「その見解は、ごく最近の協定によるものですね。
それはオリンポス賢者会がタルタロスに対し、教育の在り方、子どもたちの自由について言及して来たから、仕方なく王国政府が発表したものでしょう。
しかし学校の現場ではそれを周知していないし、子どもたちに対する圧力は何一つ変わっていないではありませんか。
学校が周知しないのに、親が知っているわけがないでしょう」
「それは・・・」
しまった。
カサンドラは蒼白になった。
つまらない言質を取られてしまった。
しかしそれは、ある意味仕方のないことだったとも言える。
学校側の不義理はハナから明白であり、それを弁護しなければならないカサンドラの立場は、そもそも不利この上ないものだったのである。
恥をかくことが負けだと言うのであれば、ここに来てしまったこと自体が間違いだったのだ。
アテナは続ける。
「現に、あなたはそれを知っているのに、親御さんたちはそんなこと知りもしません。
つまり学校は周知すべきことを周知せず、それを怠って来た。
もしもそれが意図的なものだとすれば、それは王国政府に対して反逆行為をしていると言うことではありませんか」
終わりである。
カサンドラは口をパクパクさせたまま、二の句が継げなかった。
しかし・・・。
「反逆行為だと・・・この盗人どもが!」
突然、ラオコーン提督が声を荒げた。
「タルタロスは、オリンポスに苦汁をなめさせられてきたのだ! オリンポスが世界を侵略して来た事実を、知らぬわけではあるまい」
タルタロス王国に忠誠を尽くす立場にある男の、突然の怒りであった。
だが、その怒りですら、アテナには通じない。
アテナにはアテナの痛みがあるからだ。
「確かにオリンポス帝国の歴史は侵略の歴史です。それはいずれ事実として認めなければならなくなるでしょう」
アテナは穏やかに、しかし凜とした声で言い放った。
「しかしオリンポス帝国は戦後世界のあらゆる問題を鑑みることで、すべてを支配することとはすべての面倒を見なければならなくなるということだということにようやく気がついたのです。
そして、すべての面倒を見ることなど無理だと知った皇帝ゼウスは、人々の本質的な自由、つまり人権というものの重要さを改めて認識するようになりました。
そして、それこそが人の心と知恵、文化と技術を進歩させるカギだと知ったのです。
それを理解した国々はまたたく間に教育制度を改革し、子どもたちの人権を確立し、みるみる豊かな精神文化を取り戻しました。
しかるにタルタロス王国は一部の既得権益者たちの利益を拡大させることを重視した為に、逆方向へ失墜して行ったのですよ!」
「・・・!」
アテナの凍てついた声は、ラオコーンたちのすがる固定観念に氷の牙のごとく突き刺さり、その心胆を寒からしめた。
「し、しかしわしらには、オリンポスの連中の・・・あの、鼻持ちならん態度が許せんのだ!」
ラオコーンの声は悲痛なものであった。
軍人であるラオコーンにとって、教育だの人権だのということはどうでも良いことである。
ただいつか帝国に一矢報いるつもりで、タルタロス王国の発展を鼓舞して来たのだ。
いまさらオリンポス帝国の善意などを認めるなどできるはずがなかった。
「・・・・・・・・・」
これが戦後の痛みなのだ。
アテナにもそれは分かる。
タルタロス王国西部の沿岸地域には二つの大きなクレーターがある。
それはあの大戦末期に、オリンポス帝国がタルタロスの反乱を鎮圧するために使用した禁忌の古代兵器による傷跡である。
あの日、何万という罪もないタルタロスの国民が一瞬にして灰になったのだ。
そこはアテナやアレスたち、タイタン族の故郷でもある。
アテナは、いまだにその地を通りかかる度、勝手に目から涙があふれた。
しかし・・・!
しかしだからこそ、頑として、子どもたちの為に次の未来を見つけなければならないのだ。
それこそが生き残った者たちの使命であろう。
アテナはラオコーンの悔し涙に応えるようにうなずいた。
だがしかし、それは感傷でしかない。
言わねばならないことがある。
「確かに未だにオリンポス帝国の立場をもってして支配者を気取る者たちもいます。
しかし、今、オリンポスには新たな善が生まれているのです。
もはや過去の侵略者と同義ではありません。
それを見極める目こそ、タルタロス王国の為政者に必要なのではありませんか。
オリンポスが徹頭徹尾の善だとは言いません。
しかしだからと言って・・・タルタロスが悪に走ることはないでしょう!」
周囲から嘆息がもれた。
これ以上は無理だ。理でかなう道理がない。
「く・・・くっ!」
ラオコーンは、右腕を振り上げようとした。
「ぜ、全軍・・・」
背後の兵たちに、ざわっと緊張が走る。
それは、全軍進撃の合図である。
ラオコーンの迷いのない一振りと、一声の号令があれば、全軍は手はず通りに動き出す。
すべては武力が解決する。
しかし、ラオコーンは迷った。
理でかなわぬなら、力で・・・?
つまり、理に敗れたことを証明するのか?
ラオコーンの右腕は肩をしゃくっただけにとどまり、ヒジから下は力なく垂れ下がったままであった。
苦みが口内にひろがり、脂汗が頬をつたう。
・・・いや、だがしかし軍人は、やらねばならぬのだ!
「・・・!」
ラオコーンが意を決した、そのとき・・・!
その時、高らかな笑い声が響いた。
「ハーッハッハッハッハ・・・!」
小高い砂丘の上に、仮面の楽師が立つ。
「こちらはたかだか数十人、しかもその大半は子どもたちだというのに、ずいぶんな陣容だな。ラオコーンよ!」
「なに・・・!」
ラオコーンは息をのんだ。その声に聴き覚えがある!
「だ・・・誰だ。そ、その声・・・」
「私だ、ラオコーン」
楽師は仮面を外した。
そこに、エルフ族特有の端正な顔立ちがあらわれる。
「まさか・・・」
知っている。
いや、知らぬわけがない。
「まさか・・・王子! アポロン王子かっ?」
ラオコーンは、目をうたがった。
「・・・と言うことは、そちらにおわすは・・・アルテミス王女!」
ラオコーンは驚いたかもしれないが、冒険者たちはもっと驚いた。
「えーっ!」
あの夜の港で、たった一人でサキソフォンを吹いていた仮面の楽師が、アルテミスの兄、タルタロス王国の王子だったとは!
「そんな・・・まさか」
アテナとヘルメスも驚いた。
もちろんヘルメスは王室の人間に面識があるわけではなかったが、タルタロス王国の王子と王女がこんなに身近にいたなどとは思いもしなかった。
それは、アテナも同様である。
しかし一番驚いていたのは、実の妹であるアルテミスそのひとであった。
「やっぱり、お兄さまっ? なんで? えーっ? えーっ?」
アポロンは片手に持った竹笛で、洋上のラオコーン艦隊全体を指して言う。
「軍を退け、ラオコーン。
後方の軍船に民間人たちを載せて来ているのだろう?
どうせ、ここで戦端を開く気はあるまい。
仮に戦ったとして、艦隊の圧力ごときで我々が屈するとでも思ったか」
アルテミスと同じくエルフであるアポロンの目は、旗艦の甲板から身を乗り出して子どもたちを見ている保護者達の姿を確認していた。
他の二隻には兵士たちの姿しか見えない。
ラオコーンは唸る。
「そ・・・その数で、戦いになるとでも?」
「あなどるなよ、ラオコーン。
いったん戦端が開かれれば、数など関係ない。
はっきり言って我々の方が戦い慣れているし、こちらの戦意はそちらをはるかに凌ぐ。
・・・無傷では済まんぞ!」
ラオコーンは脂汗を流して、アポロンを見上げた。
何か策があるのかも知れない。
兵を退けと言っておきながら、アポロンは明らかにラオコーンを挑発している。
まるで戦端を開くことを望んでいるかのように。
しかしラオコーンには、それ以外の問題もある。
万が一、王子を手にかけたとあっては、たとえ任務に成功してもヘリオス国王の恨みを買わないわけにはいかない。
確かに国王は敗戦後、その権限を失ってはいる。
しかし、依然としてかつての栄光を望む王権派も多い。
国王の存在は、厳然としてタルタロスに君臨し続けているのだ。
さらに下世話なことを言えば、直接国王から非難を受けるようなことはなくとも、王家に対して不遜な行動を取ったという事実は、十分に他のライバルたちによる一斉攻撃のネタになり得るということもある。
彼らのように競争を勝ち抜いて出世して来たエリートたちは、常に足を引っ張り合っているのだ。
だが、いずれにせよ、このまま黙って引き返すわけには行かなかった。
ラオコーンは脂汗を垂らしながら不敵に笑いながらも、カマをかけてみた。
「あ・・・あくまでも、お父上に逆らいなさるのか」
アポロン王子に反逆の意志ありと言うことであれば、状況も変わる。
しかし、アポロンはにべもない。
「私は父に逆らっているわけではない。ただ自由の法則に従っているだけだ。・・・それに、私の行いに異を唱えているのは父ではない」
「・・・何ですと?」
ラオコーンは目をむいた。
確かにヘリオス王が、出て行ったアポロンやアルテミスを捜索させるような命令を直接出したことはない。
当時、周囲の者たちは騒然としていたが、ヘリオス王自身はただ困惑し、我が子の安否を心配していただけに過ぎない。
王室の安泰に気を使っていたのは国王その人ではなく、その存在によって自分たちの権限を保っていた貴族や既得権益者たちである。
アポロンは、それを笑う。
「私の行いに異を唱えていたのは、お前たちハデスの犬だけだ」
「・・・!」
ハデスの名を出されて、ラオコーンはひるんだ。
王国海軍、王国政府、その背後にいる商人ギルド。
その創設者であるハデスのことを、アポロンは名指ししている。
間違いなくアポロンは、現行の支配体制の本質を見抜き、それに対して真っ向から戦いを挑んでいるのだ。
それらが「正」ではなく、「偽」であると。
「正」こそ我にありと、宣言しているのである。
アポロンは開戦の責を負う覚悟を決めている。
(忠に因る者は忠に。武に因る者は武に。
一度転びに転んで頭を打たねば、自らの姿を見直す余地も生まれぬ)
どうあがいても、この石頭どもに理を説くことは叶わないと見た。
(だれも・・・ケガなどしないでくれよ・・・!)
息を吸い、運命という大敵に向けて笑ってみせる。
ラオコーンは叫んだ。
「そ、その言葉・・・お国に戻られてから、後悔して頂きますぞ」
「そうとも、この島は貴様らの領土ではない!」
アポロンの勝ち誇った笑みを見て、ラオコーンは逆上した。
もはやこれまで・・・!
いや・・・ラオコーンのそれは、決断と呼べるようなものではなかったのかも知れない。
変革する時代の奔流に巻き込まれて憔悴しきった者の、行きつくべきところだっただけなのかも知れない。
相手の抱擁力の中に、自らの責を傾け、しなだれかかっただけだったのかも知れない。
ラオコーンは、意志と責務のはざまに引きちぎられるような悲痛な声で叫んだ。
「行けー・・・ッ! 全員捕縛せよっ!」
ついにラオコーンの腕が振り降ろされ、合図を待ちわびていた兵士たちが一斉に動き出す。
戦いが始まったのだ。




