第十二話 提督の憂鬱
その一方で、タルタロス王国は混迷している。
先の追撃戦において、大渦にのみ込まれて散って行った兵士たちもいた。
軍船を失った海軍も大きな痛手をこうむったと言える。
王国の財政にも少なからず被害が出たはずだ。
しかし、タルタロス王国にいる者たちの中で最大の被害者といえば、どう考えてみても子どもたちを失ってしまった両親たちではないだろうか。
かれらから見て、かような事態におちいってしまった原因は、第一に学校の支配的なやり方にあると言える。
そしてそれを後押ししていた商人ギルド、それを容認した王国政府に責任があると考えるのも仕方のないことである。
だが、事実は奇なり。
おかしなこともある。
タルタロス王国の実際は、まったく違った。
何と、保身を重んじた学校側が先に、子どもたちの両親らを訴え始めたのである。
こんなことになってしまったのは、親たちが子どもたちを甘やかしたからだと言うのだ。
つまり最大の被害者は、大切な収入源を失った学校側だと言うことである。
これがすなわち、経済支配下におけるひとびとの物の考え方であった。
たしかにこのような学校側の訴えは、後世にしてみれば滑稽なまでに傍若無人なものである。
しかしこの時代、かれらにとってはこれが当然だったのである。
学校側は、今後も学校運営を維持するためには、たとえ子どもたちが学校へ来ていなくとも親たちが学費を支払い続けなければならないと訴えた。
さらに、今後このようなことが繰り返されない為にも、この事態を招いた親たちに指導的制裁を与えることを堂々と主張したのである。
見せしめが必要だと言うのだ。
もちろんこのような学校側の強硬な態度の裏には、商人ギルドの存在がある。
ギルドマスターのミダスが学校の経営者たちに、収益が下がればそれなりの制裁を加える用意があると常にほのめかしていたからである。
しかしそれは商業に邁進する者たちのやり方の中ではごく当たり前のことであり、そこに善悪を考慮する余地はない。
それが、お金というものの作り出した世界である。
当然ながら、親たちは学校側の態度に対して心底驚き、ショックを受けた。
多くの者は失墜させられた体裁を嘆き、逃げ出した子どもたちを恨んだ。
しかしまた、学校側の態度をおかしいと感じ、憤りを感じる者たちもいた。
そして、そう言った者たちの中から王国政府へ直接訴え返す者も出て来た。
商人ギルドも用心深く手を打ち、先回りをして政府の役人たちには根回しをしていたのだが、こういったものは完全に防ぎきれるものではない。
やがてこれらの訴えは、然るべきコネクションから、王国政府に伝わった。
この事態に至って、ようやく王国政府も無視できない事態になって来たのである。
とりあえず王国政府は学校側の訴えを退け、各地の政治家たちは保護者らの慰撫に回らなければならなくなった。
学校がおかしいのはわかる。
理屈としてはわかる。
しかしそれをどうこうするには、まず誰かが制度を変えてくれなくてはならない。
そうでない以上、だれが好き好んで世の中の通例と戦うものであろうか。
とりあえずは、問題が厄介な方向へ転がらないように、立ち振る舞う以外にない。
任期内に問題が起きなければいいのだ。
しかも王国政府には、現在、オリンポス帝国からの圧力がかかっている。
オリンポス帝国の賢者会は、子どもたちの未来を考え、子どもたちを学校から解放し、自由に学ぶ環境をつくるべく改革をせよと言う。
またその他各国から、このことはタルタロス王国の帝国連合に対するひそかなる反抗心のあらわれではないかという声が徐々に上がりつつあった。
もちろん王国政府の要人たちは権力者としての地位を失いたくないだけであったので、このような帝国の態度には腹が立ちはしたが、だからと言ってそれに逆らって反乱を起こすようなことは考えていなかった。
しかしそうは言っても、身近にいて顔色をうかがって来る商人ギルドの連中に面と向かって、にべもない態度を取るわけにもいかない。
かれらの政治はいつも玉虫色なのである。
民衆の敬意や信頼に因らない支配というものは、そもそも非合理に出来ているものだ。
非合理というものは、ちょっとした正論によって瓦解する。
だからこそ権力がそれをしばりつけ、人々の頭を押さえつけて来たのだ。
ここでそれを崩すような危険を冒すわけにはいかない。
このような日和見的対応に学校側は不満であったが、かといってここで逆らって王国政府と争うことになりでもしたら一巻の終わりである。
王国政府のいうことは、聞いているふりをしておかなければならない。
このような軟弱なやり取りの中で、タルタロス王国は戦後社会を運営して来たのである。
このような愚にもつかない連中によってひとびとは右往左往させられ、人生を消耗させられ、あるいは命すら奪われていたのである。
支配者たちが愚かであることが仕方のないことだと言うのなら、その原因は、未来のためにたたかうことをやめてしまったひとびとのせいなのだろう。
しかし商人ギルドも、ただ黙っているわけにもいかない。
商人ギルドの権威と立場としては、何としてでも王国海軍を動かし、渦の向こうに逃げた子どもたちを連れ帰る必要があった。
そして、こういった矛盾のツケは、現場にしわ寄せるものである。
この場合、それは王国海軍に押し寄せた。
しかしこれはそもそも、かれらが商人ギルドの手先となって海賊行為をくり返していたことに対する自業自得というものかも知れない。
先に王国政府から、行方不明の子どもたちの捜索を急ぐよう厳命が下された。
その動きを知った商人ギルドが、子どもたちを発見したら無理にでも連れ帰るように念を押しに来た。
それを知った帝国の賢者たちが、子どもたちの意志を最優先にするべきだと主張して来た。
さらに、それを知った子どもたちの親たちが、自分たちも船に乗せてくれと迫って来た。
あまりといえばあまりな混乱ぶりに、王国海軍の事務局は連日の対応に追われて、その機能をマヒしてしまった。
この時、タルタロス王国海軍は、かつて誇っていた十四隻の軍船をポセイドンらとの戦闘ですでに八隻をもうしなっており、前回子どもたちを追撃した三隻もことごとく沈没してしまった。
つまり、残った軍船は、たった三隻。
今、商人ギルドの支援で建造中の一隻を入れても、わずか四隻しかないのである。
当然のことながら、兵士たちも大幅に減少している。
この陣容で、いつ現れるとも知れないポセイドン艦隊を警戒し領海を守りつつ、あの七つの渦の向こうにあるという島へ、どうやって攻め込めと言うのだろうか。
子どもたちが島に漂着して、ほぼ二ヶ月。
王国政府内の統一見解は、ポセイドン海賊団が子どもたちをさらって行ったというものである。
追撃した海軍の軍船は、海賊の反撃にあって撃沈。
商人ギルドのヘルメスや賢者アテナもともに生死不明ということになっている。
王国海軍を任されているラオコーン提督は、正直言ってこの件には関わりたくないと思っていた。
次々と上官が左遷されて行く中で、破格の出世を果たしてしまった男である。
何事もなく定年を迎えて、退職金をもらいたいところであった。
しかし上手くはいかないものである。
島を取り巻いていた渦が忽然と消えてしまったという報告が届いたのだ。
「そんな、まさか・・・」
ラオコーン提督は、天を仰いだ。
渦が消えたという報告はまもなく王国政府において検討され、さっそく出動命令が出た。
出動の目的はあくまでも、子どもたちの保護である。
名目は名目として、その実、王国政府の本当の狙いは新たな領土の確保という命令であることはラオコーンにも分かっている。
もちろん、王国政府はそんなことは一言も言ってはいないが、現場の責任者というものはそれを裏読みして組織の利益を考えなければならないものだ。
それが優れた従属者に課せられた理想であり、忠誠というものだ。
ひとびとはそのように教わり、学んで来た。
もちろん、何かあった場合、その責任は現場責任者が取ることになる。
それは、あの商人ギルドのエリートであるヘルメスの時もそうだった。
なにゆえ、ひとは支配者たちの都合の良いように使われなければならないのか。
そして、どうしてそれを甘んじて受け、自らすすんで従うのか。
ラオコーン提督は釈然としない現実に思いを巡らしてはみたが、もし支配に逆らって自由な道へ一歩足を踏み出した場合に見えてくるであろう世界を考察するための想像力が決定的に欠けていた。
ある種の者たちなら、そこから始まる自由の世界に素晴らしい生きがいと喜びの意味を見出しただろう。
しかし、それを想像できない者たちにとっては、考えるだに恐ろしいことなのである。
これは、幼いころから親や学校、周囲の環境に教育された結果としか言いようがない。
不幸と言えば不幸だが、彼らはほぼ一生、その不幸に気がつくことはない。
だがもしも、死の寸前にでもそのことに気がついたとしたら、それこそ本当に残酷なことではないだろうか。
とはいえ、ラオコーン提督にとっての不幸は、ただひたすら目の前の現状であった。
商人ギルドの面々が、子どもたちを確保した後の扱いについて入れ代わり立ち代わり念押しに来る。
かれらは王国を脱走した子どもたちの反体制的心情を「精神汚染」と呼び、保護した後は親元に返さずに精神修養のための特別施設に隔離するべきだと言っている。
だから、両親たちがそれを阻止できないように速やかにギルドに引き渡せと言うのだ。
ところが賢者会の面々も、ギルドの目論見は察知しており、くれぐれも子どもたちに手荒な真似をしないように訴えかけて来る。
ギルドの動きを懸念した子どもたちの親たちも、島への同行を求めて来る。
大混乱であった。
もはやラオコーン提督の胃はキリキリと痛み出し、頭も朦朧として来る。
判断能力がマヒしていたとしても仕方のないことであろう。
あれよあれよという間にバタバタと出撃準備が整い、気がつけばタルタロス海軍の三隻の軍船は軍港を出ていた。
旗艦には子どもたちの両親や賢者たち、さらに商人ギルドの管理官たちが無理矢理乗り込んでいた。
ラオコーンは、もう放っておくことにした。
かれらを乗せて問題が出ても責任を問われるが、追い返したところで結局どうこう言われてしまうわけだ。
もう、どうでもいい。
とにかく命令で出撃するだけなのだ。
たかだか子どもを連れ帰るだけ、なにほどの問題があろうか。




