第十一話 予兆
冒険者たちと船乗りたちは、帆船で島のまわりを測量してまわり、島の地図を作り上げると、次に周辺海域の海図を作成しはじめた。
アンフィトリテたちはこの島がオケアノス海のどのあたりなのかということについて見当をつけていた。
位置的に見て、この島がメロード族たちの領域にあることはまちがいない。
タルタロス王国からそれほど離れていないということも予測できた。
この島がいまだ手つかずの状態で保たれて来たのは、周囲を取り囲む渦のおかげだったと言える。
獲れるサカナの種類からしても、このあたりの海には温度差のある潮のぶつかり合いがあることがわかる。
また、島の周囲には、いくつもの切り立った岩が取り囲むように点在していた。
これらが渦の原因だと言うことは大いに考えられる。
もし、それらの岩礁を人の手で打ち砕くことが出来たとすれば、渦の一画をくずせるかも知れない。
しかしそのためには、少なくとも渦を越えてそのそばにまで近寄らなければならない。
それは容易なことではないだろう。
だが、この島からの脱出はまったく不可能というわけではないということだ。
問題は島から出られないことではなく、タルタロス王国の存在である。
すくなくとも今、島を出ることなどは誰も考えてはいない。
みな、この島に自分たちの世界を築くことに夢中になっているのだ。
むしろ、タルタロス王国からいかにこの社会を防衛するかの方が問題だったのである。
ところがそんな矢先、異変が起きた。
天候がくずれ、嵐が来たのである。
住居や防風壁、食料や水源の確保など、一通りのインフラが完成していた後だったのは、実に幸いだった。
嵐は思いのほか激しく、子どもたちを恐怖させたが、集落自体にはほとんど実害はなかった。
しかし嵐が去った後、かれらは本当の試練に見舞われなくてはならなかった。
岩礁のひとつがくずれ、渦の一画が消えたのである。
「そんな・・・馬鹿な」
子どもたちの知らせを受けて浜辺に集まって来た冒険者たちは、愕然とした。
浜辺に近い一つの岩礁が跡形もなく消え去っており、その一画にだけ穏やかな海域が波打っている。
大型の軍船でも、ゆうに通り抜けることができる広さであった。
ふつうなら、これで島から脱出できるチャンスだと考えるところである。
何しろ彼らは、いまや帆船まで持っているのだ。
しかし彼らの目的は、島に新たな社会をつくることであった。
島から脱出することではない。
渦は、彼らの社会を外敵の恐怖から守って来たのだ。
このままでは、間違いなくタルタロス海軍がやって来る。
「・・・あ、あれは?」
その時、アルテミスは沖の方に船影を見た。
「・・・軍船だわ!」
「まさか・・・もう攻めて来たのか?」
ディオは驚いてアルテミスの示す方向を見たが、さすがに何も見えない。
「ううん、たぶん偵察よ。見張り台のアルビオンが、時々沖に船影を見るっていってたけど・・・本当だったのね」
「やつら、渦が消えたことに気づいたかな」
アレスは沖をにらみながらつぶやいた。
「今気づかれていなくても、時間の問題だぜ」
ディオは苦い顔をした。
「来るわね」
アフロディーテは息をのんだ。
今までは渦に守られてきたが、そのような障壁がなくなってしまえば、かれらはただ数十人の島民に過ぎない。
上陸して来る海兵たちに抵抗しきれるものではないだろう。
そうなればどうなる?
冒険者や船乗りたちは逃げなければ、捕まるか殺される。
そして子どもたちは結局またあの世界に戻り、同じことを繰り返す人生を強いられるのか?
一同は、おなじ問いを胸に秘めて顔を見合わせた。
生きる上での理想はある。
ほんとうは、死を賭してでも、誰を傷つけてでも、自分自身が「良い」と思ったことをすべきなのだ。
そうでなければ人類は進歩しない。
人類の未来を思うなら、己の生き死にや後世の風評を気にしている場合ではない。
だがそれは理想であり、暴論とも言える。
本当に、ひとはそこまで冷徹に人生と向き合えるものなのか?
だから人は知恵をしぼる。
これ以上は考えられないという限界まで、脳がキリキリと痛むまで考えるのだ。
そして、そうやって、出来ないことをやってのけて来た者たちが、ここにはいた。
「とにかく、やるだけのことはやってみるべきだな」
仮面の男は、いつものとおりの穏やかな声でそう言った。
「まず方針を決めましょう」
アフロディーテは、一同を集めて言った。
「タルタロス王国に降伏する。
誰かが船で助けを呼びに行く。
みんなで船に乗ってこの島から逃げる。
戦う。
・・・考えられるのは、この四つくらいかしら」
すると、真っ先にヘルメスが声を上げた。
「降伏は考えられませんよ! おそらくタルタロス王国はこの島を新たな領土に加えることを考えます。情報を封鎖して、なりふり構わないことをする可能性もあります。どう考えてもマシな結果にはなりませんよ。私たちにも、子どもたちにも!」
ヘルメスは真剣に訴えた。
ことの原因をつくったギルドの尖兵とは、とうてい考えられない変貌ぶりである。
しかしそれをいちいち揶揄するような者はどこにもいない。
「では、誰かがオリンポス帝国まで行って、タルタロス王国の所業を訴えるか? 外交上の問題によって帝国がどう出て来るかは分からないが、賢者会などアテナの支援をしてくれるひとびとは少なからずいるはずだ」
仮面の男の提案に、アフロディーテがうなずく。
「わたしたちも、それぞれさまざまな場所で人助けをして来ました。各地の冒険者仲間たちが、きっと味方になってくれるはず」
そこでディオが手を上げた。
「なあ、メロード族に助けてもらうというのでは、駄目なのか?
この辺りはそもそもメロード族の領海なんだろう。
おれたち・・・ていうか、子どもたちがメロード族に受け入れてもらえるなら・・・。
ほら、アンフィトリテのところにだってホビットやタイタン族の仲間がいるじゃないか」
たしかに、渦が無くなった以上、時間さえ稼ぐことが出来れば近海にすむメロード族に助けを求めることが出来るかも知れない。
メロード族たちなら、少なくともアンフィトリテたちの味方にはなってくれるだろう。
「じゃが、この島の領土権をめぐってタルタロス王国とメロード族が争うようなことにはなりはせんかの?」
と、ヘパイストス。
「どうなの? アンフィトリテ」
アフロディーテが聞くと、アンフィトリテは少し考えてから言った。
「メロード族はたくさんの部族に分かれていて、もともと統一された国家じゃないわ。
もちろんわたしたちも、タルタロス海軍の海賊行為に対抗するために活動をはじめたわけだし、いざとなればまとまってタルタロス王国に抵抗することは出来るけれど・・・」
仮面の男はうなずいた。
「それで十分。
ならばわれわれも、立場的にはメロード族と同じ自由部族の一つと言えるわけだ。
そしていま、このオケアノスでタルタロス王国の暴挙に対抗できるのは、たしかにメロード族しかいない」
「じゃあ、メロード族をまとめてタルタロス王国に対抗するということ?」
アルテミスが聞く。
その横でアフロディーテは、まだなにか逡巡している様子のアンフィトリテを気づかわしげに見た。
そもそも、ポセイドンはタルタロス王国の矛先がメロード族に向かないようにするために、一族から離れて独自の戦いをつづけていたのである。
タルタロスとメロードが敵対し合うことは、ポセイドンの意志にかなっているのか。
しかし仮面の男は言う。
「しかし実のところ、ポセイドンもそれを考えていたのではないのか。
いつまでも単独で戦っていてもラチがあかない。
いずれはメロード族全体で抵抗を示さなければならない時が来る、と」
仮面の男のさぐるような問いかけに対し、アンフィトリテはうなずいた。
「そうだね・・・いずれは・・・うん、あの人は、そう考えてたのかも知れない。
争いはさけたい。その気持ちもあった。
でも、いずれは・・・そう、何にしても、ここから逃げるわけには行かないってことさ。
あたしたちには、守らなければならないものがある」
「メロード族全体を巻き込んだ戦いになるかも知れんのじゃぞ?」
と、ヘパイストス。
「そうさ。でもね、あたしたちはもうずっと戦ってきているんだよ。生きてる者はみんな、そうさ」
アンフィトリテの言葉に、ヘパイストスもうなずいた。
覚悟のあるなしにかかわらず、ひとはつねに戦いつづけなければならないのだ。
「そうだな」
それまで押し黙っていたアレスが同意した。
「しかし、助けを呼びに行き救援に期待するというのは、不確実すぎるのではないか。
本当にそれは、助けになってくれるものだろうか。
ひとにはそれぞれ、事情や立場というものもある。
よしんば誰かが来てくれることになったしても、その救援が間に合わない可能性も高い。
さらに言えば、いざという時、貴重な戦力が減っていると選択肢がなくなることがある。
俺たちは数が少ないのだ」
「たしかにその通りだ。しかし敢えて言わせてもらう」
仮面の男は言った。
「まず、われわれは信じるべきだ。
この世界に必ず味方はいる。
このことは大前提であり、このことを疑ってはならぬ。
その上で、アレスの言うことももっともだと思う。
戦力の集中は、兵法の基礎といえるかも知れん。
しかしいずれにしても、まずは艦隊を撃退するしかないのだ。
救援を待つにしても、一旦タルタロス軍を撃退して時間を稼ぐぐらいのことは出来なければならぬ。
そして、そのための作戦ならある。
貴重な戦力をいかに使うか。
それを考えてみた上で、なにが無駄でそうでないかを判断しても良いのではないか」
「わかった」
アレスはうなずいた。
「では、その作戦を聞こう」
仮面の男はあらためて一同の前に立った。
「要は、タルタロス艦隊を追い返すことが出来れば良いのだ。撃滅する必要はない」
「船で迎撃する必要はないのか? 敵艦は少ないんだろ」
ディオが聞く。
だが、これにはオリオンら船乗りたちが難色を示した。
「まってくれ・・・襲うのはラクだが、守るのは容易じゃないぞ」
仮面の男も同意する。
「そうだな。たしかに・・・敵の艦数は少ないかもしれない。しかし、我々の船は一隻。一隻は一隻だ。二隻、三隻の敵艦に囲まれればそれでおしまいだ」
「一隻じゃ、戦いようはないってことかい?」
「海戦は野戦とおなじ。隠れる場所がなく、速度と段取りで決まる。つまり、数そのものが物を言う。融通が利かん」
「きびしいなあ」
ディオはため息をつく。
しかし仮面の男はかぶりを振った。
「だから、船は戦闘には使わない。それに、アンフィトリテたちには別にやってもらうことがある」
「ん?」
アンフィトリテは、用心深く仮面の男を見た。
「あなたがたにしか出来ない戦い方があるはずだ」
「・・・ああ、なるほど。あたしたちのやり方をやれってことだね。ふふ、驚いたねえ・・・あんたそんなことまで知ってんのかい?」
仮面の男は、メロード族の戦士たちを見まわして言った。
「この戦いは、あなた方にかかっていると言ってもいい。奴らに無く、我々にある戦力。それを活かす以外に勝ち目はない」
アンフィトリテたち船乗り一同が、うなずく。
仮面の男が自分たちに何をさせようとしているのか、重々承知しているのだ。
「じゃあ、船はどうする? やっぱり使わないのか」
ディオが聞く。
「やはり、メロード族のところに救援を求めに行くべきだろう」
「ついでに女の子や小さい子を逃がさなくてもいい?」
と、アルテミス。
「いや、船は小さい。余計な人数を載せる余地はない。船足も落ちる。途中で拿捕されて人質に取られる可能性もある。
なによりこれはわれわれの問題であって、救援に応じるかどうかはメロード族の意志による。
また、逃げた方が安全だとも言い切れない。ここは、この場でふんばる以外にないのだ」
「なら、シレヌス。あんた行っておいで」
アンフィトリテに言われて、シレヌスはうなずいた。
「そうですか。おれも一緒に戦いたかったんですがねえ。まあ、しょうがないです。たしかに、この中じゃおれが一番良さそうだ」
「たのむよ・・・あんたに任せるからね」
「ええ、うけたまわりました。まかせてください。だけども・・・さすがに一人で船を動かすのは・・・」
すると、すぐに子どもたちの中からイアソンとアルゴスが立ち上がった。
「ぼくたちが行きます!」
イアソンとアルゴスは、当の帆船をつくるのに最も貢献した子どもたちである。
いつもアンフィトリテたちと行動を共にし漁猟の手伝いもしていたから、当然、船の操作も出来る。
「おお、お前さん方なら任せられるな。よろしくたのむよ」
シレヌスは頼もしい船乗りの参加によろこんだ。
「イアソンたちも貴重な戦力なんだが、ここは仕方ないだろうな。アレス」
仮面の男はアレスの方を見た。
「適材適所ということだ。こちらは問題ない」
アレスはニコリともしない。
「こっちは俺たちにまかせておけよ」
テセウスやヘラクレスたち、アレスから戦い方を習っている子どもたちがそれぞれ腕を振り上げる。
「それじゃあ、わしの秘密兵器も用意するとするかの」
ヘパイストスも、腕組みをしながらうなずいた。




