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第十話 人類は退化しない

 この後はもう、一気呵成であった。


 まず、ディオたちが島を探検してまわり、さらに多くの有益な作物を見つけて来た。

 荒れ地には豆や芋、そしてブドウ。

 草原にはトウモロコシ。

 丘には野菜や麦、綿花が茂っていた。

 さらに川の奥の湿地帯には水稲が自生していたのである。


 自生しているものを採るだけでもかなりの収穫になったのだが、ディオたちは今後のために広場の周囲を切りひらき、川から水を引いて農地にした。

 もちろん農具も人手もそろわないため、近代的な農業は出来ない。


 だからディオは、農地は作っても「耕さない」ことにした。

 竹槍で地面に穴をあけて、そこに種をまくだけにしたのである。

 もちろん、農薬も肥料も使わない。

 雑草はそのままにし、虫もほおっておく。


 害虫に思える虫も、ほおっておけばまたそれを食うものが現れる。

 作物が実るころには鳥や動物に取られる部分もあるだろうが、全部は食われまい。

 作物とて生き延びたいのである。

 そう、それもまた共存。

 自然のままで良いのだ。

 むやみに地面を掘り起こしてしまうより、自然のままにしておいた方がよく育つ。

 手をかけずに全体の半分も収穫できれば、十分な成果と言えるだろう。





 綿花が手に入るようになると、アフロディーテらは糸をつむぎ、布を織った。

 しかし最初は、衣類をつくるにしても、針もハサミもない。

 アフロディーテは、そのことをヘパイストスに相談した。


 その時、ヘパイストスは旅支度をしていた。

「うむ、ちょうど良いタイミングじゃ。

 鉱脈を探しに行こうかと思っての」


 ヘパイストスは、ちょうど煉瓦釜戸の仕事をヒューリアら子どもたちにまかせられるぐらいになって来たところだったのである。

「一枚でも布地ができたら、アレスのやつに渡しておいてくれんか。フイゴを作れと言うたら分かるはずじゃ」

「フイゴ? ああ、あれね。釜戸に風を送る道具ね」

「そうじゃ。鍛冶場が出来れば、針でもハサミでも何でもつくれるからの」





 ヘパイストスが鉱脈探しの小旅行に出かけてしまうと、アフロディーテは子どもたちと一緒に綿糸をこより、竹で組んだ手製の織り具で手織りの布を作った。

 そしてそれをアレスのところへ持っていく。


 ヘパイストスからあらかじめ指示を受けていたアレスは、竹を使ってすでにフイゴの枠を用意していた。

 受け取った布に樹脂を塗り、空気のもれを防ぐと、枠に張ってあっという間にフイゴを作り上げる。

 このフイゴがあれば、釜戸の火力は格段に上がるだろう。





 ヘパイストスの鉱脈探しは、早かった。

 三日もするとヘパイストスは、いつもの革袋に砂鉄を詰め込んで帰って来た。

 赤い色をした鉱川を見つけたという。

 その付近には鉄鉱脈があるはずだった。


 アレスから完成したフイゴを受け取ると、ヘパイストスは持ち帰った砂鉄を溶かして鍛冶仕事をはじめた。

 最初に作ったのは小さなノミであった。

 これがこの島、最初の鉄器である。


「青銅器とかはつくらないのかい?」

 ディオがきくと、ヘパイストスは首をかしげた。

「なんじゃと?」

「ほら、鉄器文明の前にさ。よく青銅器文明とかっていうじゃないか」

「青銅は合金じゃ。宝飾器づくりや錬金術のひとつじゃろ。役に立たんし、鉄器より前につくる意味がわからんわい」

「だって古代の遺跡からは青銅器はでてくるけど、鉄器なんかはよほど後の時代のものしか見つかってないらしいじゃないか。むかしは鉄器をつくるのが難しくて青銅器しかつくれなかったってことじゃないのか?」

「鉄器は日用品じゃ。何度でもリサイクルするから、いちいち残ってはおらんじゃろ。青銅器とかの宝飾品は王族の宝物になるから副葬品として残るってだけじゃよ」

「え・・・そうなんだ」

「わしゃ考古学者じゃないからな」

「そりゃそうだ」

 ディオは笑いながら、なんでも鵜呑みにするもんじゃないなと思った。





 島に鍛冶場が出来た。

 すぐにポリュフェイモスやブリアレオスら、体力のある者たちが駆り出され、鉄鉱掘りが始まった。

 最初は出来たばかりの小さなノミで掘るしかなかったが、わりと崖面の浅い場所に鉄鉱層が見つかったので、ある程度の鉄鉱石は確保できた。


 ヘパイストスは次々に鉄器を作り出した。

 鉄の鍋は調理の幅を広げ、塩づくりや調味料づくりにも役に立った。

 火力の調整がきくようになるとさまざまな陶器がつくられるようになっただけではなく、少量だがガラスの精製もできるようになった。


 そして、針とハサミも出来た。

 最初は粗末な物だったが、針とハサミが出来るとアフロディーテたちは大喜びした。

 アフロディーテたちは草花の汁で布を染め、簡単なつくりの衣服を作って行った。

 綿を入れた寝具などもつくられるようになった。


 しかし鉄器の導入に一番喜んだのは、アレスたちだったかも知れない。

 木材や薪を割るオノ、

 木材を切るノコギリ、

 板を削るカンナ、

 穴をあけるキリ、

 打ちつけるクギとカナヅチ。

 いずれも木工や建築には欠かせない重要な物ばかりである。


 アレスたちは小屋づくりをはじめた。

 糸とおもりを使って高低レベルを測り、きっちりと土台をつくる。

 木製の板をしき、固定して床にする。

 竹と土とアシワラで壁をつくり屋根をふく。


 最初は男女別の大きな小屋をつくってそこで寝起きしていたが、そのうち小さめの小屋もたくさん建てられるようになり、やがて全員に個別の小屋が行き渡るようになった。





 また、鉄製工具が整ったことで、木工の技術はますます精度を上げて行き、さまざまな道具も作られて行った。


 そしてついにダイダロスが車輪を作った。

 荷車をつくったのである。

 このことによって、物資の運搬が格段に楽になった。


 遠心分離機もできた。

 これはプティアという少女の発案によって、ハチミツの精製に役立った。


 水車小屋ができ、農地の灌漑用水をくみ上げるのに便利になった。

 さらにこれは煉瓦や竹を利用した上水道をつくるきっかけにもなり、じきに農地の肥溜めにつながる下水道を配備することにもなった。


 機織り機がつくられると、アフロディーテの布づくりもますます盛んになり、衣類や寝具も充実して来た。





 木工のために幾本かの樹木が切り倒されるようになると、アルテミスは平地に場所を取って植林を始めた。

 今から育てれば、何十年かのちには立派な雑木林になる。

 その後は計画的に、そこの若木を切るようにすればいい。

 そうすれば、これ以上自然の山林を荒らすことはなくなるだろう。


 その一方で、日々の木工作業によって発生する木粉やおがくずは、紙をつくるための恰好の原料となっていた。

 木枠に張った布に木粉や乾いた薬草とでんぷんをといた液を広げ、平らにして乾かす。

 始めはバリバリの繊維くずのようなものしか作れなかったが、改良に改良を重ね、ようやくそれなりの紙が作れるようになってきた。

 出来の良いものは文書づくりに、それ以外のものは生活用紙に回す。


 紙の普及は、島に文化の香りを思い起こさせた。


 紙が出来るとアテナは、書物を書いたり、子どもたちに学問を教えたりした。

 かつて理想をとなえていた「自由大学」の実践を行ったのである。

 学問の強制はしない。

 ただ好奇心のままに尋ね、学ぶのである。

 そこには一切の拘束も行事もない。

 ただ自由に学ぶために利用される場があるだけだ。

 それは子どもたちにとっても、理想の場であった。


 そのうちやがてヘパイストスたちの苦心が実り、ついに印刷機ができた。

 これは大変な物であった。

 金属製の精密機械を手作業で、一部の狂いもなく仕上げたのだ。


 これによってアテナの書物は、写本から印刷物へと移行して行った。

 簡単な連絡にも、読み物などが書かれた広報紙が配られるようになった。

 これは、娯楽の拡散であった。


 また、音楽好きのオルフェという少女は笛や竪琴などの楽器をつくって独りで練習していたが、仮面の楽師の助言によってみるみる上達し、詩作、作曲から、歌唱の能力まで発揮するようになった。

 子どもたちは誰しも音楽が好きだったので、オルフェのまわりにはいついきひとが集まるようになり、やがて合奏や合唱がおこなわれるようになった。

 そこにアレスらが手早く舞台をつくり上げ、子どもたちが日々演奏をするようになると、まもなく舞踊や演劇まではじまった。


 小さな島の小さな集落に、既存の文明圏に劣らぬ文化社会がひらけはじめたのである。

 それは、知識と知恵次第で、どんな原始状態からでも、ひとはまたたく間に文明社会を復興させることが出来るということの証明であった。









 ヘルメスはじきにみんなに馴染んだ。

 ここにきて、ヘルメスはすっかり人が変わった。肩の力がすっかり抜けていた。

 偏見を改め、冒険者や詩人や船乗り、子どもたちから学ぶことを覚えた。

 これまであくせく学んできたことは、まったく無駄であったとは言わないが、非常に重要な根本を欠いたことであったように思える。


 この島で自活を始めた子どもたちは、日々いきいきと自分の出来る事を探し、人を助け、また助けられて生きている。

 ヘルメスにとって、もっとも衝撃的だったのは、冒険者や船乗りたちの「やりたくないことは、絶対にやらない」という姿勢であった。

 なまけるのも自由、はたらくのも自由なのだ。


 実際には、なまけている者をからかったりする者たちはいる。

 しかし、なまけていること自体を責める者はひとりもいない。

 自分もまた、なまける者であるからである。


「なまける」とは、自主的な「はたらく」の一部である。

「はたらく」は、自主的なものでなければ苦役でしかない。


 人はそれぞれ自分自身でしか知り得ないペースで生きているのであり、それをどうこう言う権利はないし理由もない。

 ひとは、自分以外の他人を動かすことは出来ないのだ。


 だがそれでも、ものごとはちゃんと動く。

 誰かが意義のあることをやり始めると、必ず誰かが手助けに来る。

 それは、ごく自然にそのようになっていた。


 ここに上下関係はなかった。

 確かに、経験の豊かな者とそうでない者、その技術に秀でた者とそうでない者、大人と子どもの違いというものはある。

 しかしそれはどうでも良いことであった。

 一人一人の貢献は蓄積されないし、功績の無い者が見下されるいわれもない。


 これはとてもすごいことのように思われた。

 しかし、ここでは当たり前なのである。

 ここでは上下関係などには何の意味も見出せないのだ。





 ヘルメスが海辺で塩づくりの手伝いをしている時、アンフィトリテの次男であるアルビオンと話をする機会があった。

 かれらは最近、リーダーであるポセイドンが行方不明になったことで、新たなリーダーとしてその妻であるアンフィトリテを立てたのであった。

 その時、リーダー交代による不安や不信、軋轢・・・そういうものは確かにあったらしい。


「・・・父さんがいなくなって、母さんが跡目を継いだ時、やはり仲間内に不安が生まれたんだ。

 今まではうまく行っていたけど、今後もうまく行くとは限らない。

 いくらタルタロス海軍が略奪行為をしているからと言って、このまま戦い続けてもいつかは消耗して、負けてしまう。俺たちのやっていることには、未来がないんじゃないか、ってね」


 アルビオンは遠くにある真実を推し量るような目で、沖を見つめた。

 その方向にあるのはメロードの島々ではなく、宿敵であるタルタロス王国であるはずだった。


「目には見えないけど、そんな直感がみんなの心の中に生まれてしまうとさ・・・

 本当ならこんな生活から離れようとか、やめようとか考えるはずなのに・・・

 どういうわけだか、みんな現状にしがみついてしまうんだな」


「しがみつく?」

 ヘルメスは、アルビオンの意外な述懐に首をかしげた。

 しかしそれは、現実を目の当たりにして来たアルビオンの本音であった。


「うん・・・多分不安になるから、組織の中で安定した地位につきたいと考えてしまうんじゃないかな。

 だから急にみんな競い合って手柄を立てようとし始める。

 そして少しでも自分の方が上だと感じたら、下の者を蹴落としたり偉そうにしたりするようになる」


「なるほど」

 アルビオンの言っていることはヘルメスにも、実感として分かった。


 自分たちの世界が自然で合理的なものであれば、何も不安に感じることはない。

 ただ一時的な繁栄の為の無理な制度や、不合理な仕組みの上に成り立つ世界には、いずれ直感的な不安がついてまわる。

 そういう場所では大概みんな偉そうだし、足の引っ張り合いにもなるものだ。


「上下関係が激しかったり、偉そうな人間が多いのは、そこに未来がない証拠なんだよな」


「ふうむ、なるほど」

 ヘルメスがアルビオンの率直な洞察に感心すると、アルビオンは少し照れくさそうに笑った。


「うん、だからここでの生活には未来があるってことなんじゃないかと思うよ。母さんもみんなも、本当に生き生きしているからね」


 まったくその通りだと、ヘルメスは思う。

 ここにはタルタロス王国や商人ギルドには無いものがある。

 かれらが置き去りにして来た何かが、ここにはあるのだ。





 そして、ついにアルゴスが偉業をなしとげた。


 もちろんイアソンや多くの仲間たち、ヘパイストスやアレスたちのような大人の技術者たちにも手助けしてもらいながらではあった。

 しかしいくども失敗をくり返しながらの根気の作業であった。

 出来るという確信と、イメージを現実化するがむしゃらな欲求あっての賜物である。


 砂に、板に、粘土板に、そして紙に、何度も書き直しながら綿密な設計をする。

 木材をかわかし、けずり、たわませ、すき間をなくして合わせ組み立て、クギうち、樹脂をぬる。

 厳選した木材から、まっすぐな柱をけずり出し、みがく。

 ヘパイストスのつくった頑丈な金具で、要所を固定していく。

 巻き上げ機をつくり、すえつける。


 竜骨、帆柱、船首、船べり、船底、甲板、船室、舵、碇、見張り台。

 そして丈夫な帆・・・。


 ながい、ながい創作の時であった。


 ついに、帆船が完成したのである。






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