第九話 ありのまま、ていねいに一日を生きる
アンフィトリテたちが海辺へ行き、アルテミスたちが森へ、ディオたちが川向こうの草原へ向かうと、空洞前の広場はずいぶん人数が減った。
こちらでは、ヘパイストスたちが日干し煉瓦や陶器の作成に忙しい。
アフロディーテは数人の子どもたちと一緒にアシをよって、編んでいる。人数分の履き物を用意するのは並大抵のことではない。
また、アレスはひとりで黙々と、竹を割って細かい道具をいくつも作っていた。
竹を割り、加工して、栓とひもをつけて水筒をつくる。
物差しをつくり、筆をつくり、竹のスプーンとフォークをつくった。
コンパスをつくり、六分儀をつくり、天秤をつくった。
竹槍をつくり、農具をつくり、桶をつくり、背負子をつくった。
そこへ大柄な少年がふらりと現れた。
ダイダロスという少年で、子どもたちの中では年長である。
無口で、いつもひとりでぼんやりとしている。
「・・・・・・」
ダイダロスが来ても、アレスは何も言わない。
こちらもまた無口な男である。
ふたりは黙ったまま、一緒に作業を協同し始めた。
ダイダロスは見様見真似で竹細工をつくって行った。
最初は何度も失敗していたが、アレスは何も言わなかった。
しかしそのうち、ダイダロスはアレスの手元を見ながら学び出し、じきに次々と同様の物を作り出して行った。
アレスが森へ行くと、ダイダロスもそれに従った。
しばらくしてふたりは大量の竹を持ち帰り、アフロディーテからアシのひもを受け取ると、広場の周囲に垣根を建てて行った。
相変わらずアレスとダイダロスはほとんど言葉を交わさなかったが、機嫌が悪いというわけではない。
アレスが竹を縦に地面に突き立てて、横にした竹を結んで行こうとすると、重さに負けて竹が倒れた。
二人は黙って倒れた竹を見ていたが、そのうち、ダイダロスが竹を斜めに組み合わせて柵を作ってみた。
柵は丈夫になった。
アレスは地面に穴を掘り、そこに柵を立てると、柵の足元を土で埋めて倒れないように固定した。
柵は倒れなくなった。
その間、二人は終始無言だったが、ふいにニヤリと笑うと、肩をたたき合って笑った。
アンフィトリテたちは漁をする。
メロードは水棲民族でもある。
さすがに大渦をこえることは出来ないが、泳ぎはかなりうまい。
小さな手製の網でも、そこそこの数の魚は捕まえることができた。
魚のほかにも、貝や海藻もとれた。
とった魚は、竹をくんだ板にのせ、干しておく。
ここは日差しが良いので、乾物をつくるのにはちょうど良い。
小一時間もすれば、ある程度の状態にはなるので、あとは広場にもちかえって日陰につるしておけばいい。
一連の作業は、アンフィトリテ、トリスタン、アルビオンの三人でほとんど事足りた。
子どもたちは、砂浜の奥に打ち上げられていた大きな流木のところにかたまっていた。
コーンッ カーンッ
アルゴスとイアソンが一心不乱に流木を彫り続けており、そんな二人を浜辺に座り込んだ三人の女の子たちが黙って眺めている。
年頃の女の子たちにとって、汗水たらして流木と格闘している少年たちを眺めることは、それなりに楽しいらしい。
当の少年たちはただひたすら流木を彫りながら、途切れ途切れの会話を続けていた。
「さっきは・・・! びっくり・・・! したよ・・・!
俺が・・・! 丸木舟の・・・! 話を・・・! した途端っ・・・!
あんな・・・! おおごとにっ・・・! なっちまう・・・! なんて・・・! さ・・・!」
「お前がっ・・・! 悪いわけじゃ・・・! ないさ・・・!」
「こんな・・・! 丸木舟でっ・・・! どこへも・・・! 行けるはず・・・! ないのにさ・・・!」
「ち・・・! ちがうよっ・・・! そういうことじゃ・・・! ない・・・!」
「何・・・? 何だって・・・!」
「丸木・・・! 船が・・・! 作れると・・・! したら・・・!
いつか・・・! 帆船・・・! だって・・・! つくれる・・・!」
「そりゃ・・・! そうさ・・・・・・えっ?」
ふいにアルゴスは手を止めた。
その目は、波打ち際の方を見ている。
「なんだ・・・?」
さっきまで何もなかった砂浜に、こつ然と人の姿があらわれたのである。
誰かが倒れている。
たった今、誰かが打ち上げられたのだ。
「た、大変だっ」
イアソンとアルゴスは弾けるように立ち上がると、砂浜に倒れている人影に向かって走り出した。
「えっ、なに? どうしたのっ?」
「人が・・・! 倒れてるんだ! ・・・みんなを呼んで来て!」
「わ、わかったわ!」
女の子たちは、急いでアンフィトリテたちを呼びに走った。
知らせを聞いて船乗りたちが駆けつけると、イアソンらが気を失っている小柄な遭難者に水を吐かせていた。
「・・・この人、助かるかしら」
カーラ、ゼーティア、イカリア、三人の女の子たちが心配そうに見ている。
「そうさねえ・・・」
アンフィトリテは言葉に窮した。
昨日の嵐に巻き込まれた者なのだとしたら、もう溺れてから一昼夜が過ぎていることになる。
もしそうだとしたら助かる可能性は低い。
「ん、あれは・・・?」
アンフィトリテは、波に揺られて沖に流されて行こうとしている船の残骸のようなものを見た。
視線に気づいたトリスタンが海に入り、その板切れを拾って来る。
それは、船の甲板の一部だった。
もしこの遭難者が、ギリギリまでこの板切れにでもしがみついて一昼夜生き抜いていて、しばらく前に力尽きて溺れたのだったとすれば、助かる可能性はある。
一同は、あらためて遭難者の衣服や顔をよくよく見る。
見てそして、アッ、と声を上げた。
それはボロボロに破れ、見るも無残な状態になってはいたが、間違いなくギルドの制服であり、子どもたちはその顔立ちに印象があった。
何と、商人ギルドのヘルメスである。
「ごぽ・・・がぱッ・・・! うぐっ・・・ううう」
その時、ついにイアソンの救護活動のかいがあって、ヘルメスは水を吐き出し、息を吹き返した。
これは・・・また、何たる悪運の持ち主であろう。
「うわあ、えらいヤツを助けちまったよー」
アルゴスは、目を丸くした。まさに天敵を助けてしまったわけだ。
「ううむ、これは・・・」
「え・・・えっ、なに?」
遭難者を助けることに一所懸命で、その相手が誰だったかなどまるで気にもとめていなかったイアソンが、周囲の様子の変化に戸惑う。
その横でヘルメスが意識を取り戻し、苦しげにもがき出した。
「うう・・・ぐぐ・・・う・・・もう、なんだーッ・・・この・・・ン?」
ヘルメスはパチリと目を開けると、まだはっきりしない頭で状況を把握しようと試みた。
「・・・う、う? ・・・ううっ?」
混乱している。
大渦に巻き込まれて遭難し、今この砂浜に打ち上げられて誰か親切な人たちに助けられたらしいことまでは察することが出来た。
まずその記憶に到来したのは、大渦にのみ込まれて船と共に海中へ沈み、真っ暗な深海へ引き込まれた時の恐怖。
そして大勢の兵士たちが散り散りに渦の回転からゴミくずのように吹き飛ばされて行く様子。
荒れる海原をひとり板切れにつかまって波間をさまよった時の孤独。
そして、自らがいかにちっぽけな存在なのかを思い知らされたこと。
ついに力尽きて板からすべり落ちた時に見た走馬灯のようなこれまでの人生の景色・・・。
そして、いま。
「は・・・」
ああ、助かったのだ。
まだ生きていられるのだ。
ヘルメスは、神に感謝した。
そしてバタバタと起き上がると、助けてくれたに違いない周囲の人々に対して、平伏した。
「・・・あーっ、ありがとうございますっ! この御恩はけっして、忘れ・・・ わす・・・えっ?」
船乗りたちはむしろ、ことの顛末に可笑しみを感じていたらしい。
困ったように腕組みをしながら、小さく笑っている。
くすくすと笑われている気配を感じて、ヘルメスはそろりそろりと上目づかいにまわりを見た。
いや、いちいち顔を覚えているわけではないが、事情は察せられた。
・・・間違いない、あの子どもたちである。
ヘルメスは思わず赤面し、情けない声で叫んだ。
「え・・・えーっ。うわ・・・ちょっと、待って」
「ぶはッ・・・!」
一同は不謹慎に思いながらも、ついにこらえきれずに大笑いしてしまった。
その日の収穫は大きかった。
アレスらは広場のまわりをおおまかに垣根で囲み、大空洞脇の斜面を利用して見張り台となるヤグラを建てた。
さらに続いて、みんなが住むための小屋づくりを始めている。
早くに帰って来たのは川向こうの草原を調べに言ったディオたちである。
ディオたちはそこで、水稲の群生を見つけて来た。
それだけではない。
他にも芋や豆、野菜や薬草、香辛料、そして綿花まで見つけて来たのだ。
まさに大収穫である。
「ここからは、あなたの腕の見せどころね」
アフロディーテの言うとおり、ここからは農業にくわしいディオの出番であった。
「はは・・・アレスのやつ、心にくいね」
アフロディーテから出来たばかりの簡易な農具類を手渡されると、ディオは笑った。
アレスは、ディオたちが成果を上げて来ることを予測して、今後の計画に必要となりそうな農具をひととおり用意しておいてくれたのだ。
「まあ、まかせておいてくれ」
ディオは、アレスの気づかいに心から感謝すると、さっそく農耕と灌漑の計画を立て始めた。
次に戻って来たのはアルテミスたちである。
獲って来た十羽ほどの山鳥を料理番のシレヌスらにあずけ、見て来たことの報告をする。
「ここの上の丘を登ってみたのだけど、結構大きな島ね」
アルテミスの話によると、ここは南北に伸びる大きな島の南端らしい。
中央から北部にかけて山地が広がっているが、かなり森が深く、やはり人の住む気配はないという。
「無人島、ね・・・」
アフロディーテは、まわりの活気あふれる様子を見まわしながらうなずいた。
「ま・・・むしろ、都合が良かった、と・・・いうことかしらね」
「なんか・・・さ」
その横で、ディオが自嘲的に笑った。
「なあに? 無人島じゃ、良くないの?」
「いや、そりゃそうなんだけどさ」
アルテミスの割り切り方に、ディオは思わず肩をすくめる。
「本当にさ。あいつらにとってやっと安心して生きて行ける場所が、こんな無人島でなければならない、なんてな・・・」
「ま、しょうがないよ」
アルテミスは屈託なく笑う。
「駄目なものはダメ。あーんなところで我慢して生きて行くより、こっちの方がよっぽど楽しいと思うわ」
「しょうがない、ってのは分かるよ。でもさ・・・あの子たちを見てるとさ。あらためて・・・あんなタルタロス王国のような世界がそのまま放っておかれて現存しているってことに、納得がいかなくなるんだよな」
「いずれ、変わる」
かたわらの木陰で休んでいた仮面の男が答えた。
「変わらぬものはない。
物理にはベクトルという力がある。
どんなことでも正しい流れに、いずれおさまる。
あの子たちのように、違うと思うものに背を向けること。
君たちのように、正しいと思う道に突き進むこと。
そのような力が関わり合って、いずれ大きく物事を変えて行くのだ。
焦ることはない。
変えようと思う者が立ち上がる時、ものごとは変わる」
「ん・・・そうだな。そう、信じるよ」
ディオは数々の冒険を経る中で、世の中の多くのひとびとが自分たちが支配層に支配されている家畜であることすら知らない愚か者たちであるという認識を持つようになっていた。
だから、少なくともそのことを知り、冒険者として自由を勝ち得ている自分たちは、かれらよりはマシな存在であると考えていた。
しかしそれでも、この仮面の男の言動や雰囲気からは、そんな冒険者たちよりもひとつ上の次元があることを感じられた。
よくはわからないが、おそらく考えていることの次元が違うのだ。
ふと、ディオは、この仮面の男が何者なのか気になった。
「なあ、あんたさ。・・・ひょっとして」
そう、言いかけた時・・・。
「アンフィトリテ・・・!」
アルテミスの嬉々とした声が上がった。
林の通り道から、網をかかえたアンフィトリテが戻って来るのが見えた。
その後ろから、海藻を運ぶカーラ、ゼーティア、イカリアの三人の女の子たちの姿がつづく。
「おかえりーっ、どうだった?」
「ああ、ここはいい漁場だよ。たぶん、潮の合わせ目なんだね。渦が出来るのもその辺りが原因かも知れない」
目新しい収穫物に、子どもたちが集まって来る。
「うわー、なんだこれー」
「海藻よ。体にいいのよ。その辺りにでも干しておきましょう」
「魚は? 魚もいた?」
「魚もあとから来るよ」
アンフィトリテは、後から順に到着するものたちをしめした。
「そうか・・・これで全員そろうな」
ディオはまわりを見まわすと、機敏に立ち上がった。
「ん、何だい? ディオ」
「アルテミスからの報告を聞いてもらおうと思ってさ」
「ああ・・・島の地形を見て来たんだね」
アンフィトリテは笑った。だいたいの予想はついているということらしい。
「ああ、もうちょっと待っておくれ。すぐに残りの子たちも来るから」
すこしおくれて、イアソンとアルゴスが二本の竹竿に大量の魚をぶら下げて運んで来た。
「やったな・・・大漁じゃないか!」
そして続いて、トリスタンとアルビオンが竹を組んだ板を運んで来る。
板の上には、ぐったりと弱りきった人物が乗せられていた。
「おお・・・ご苦労さ・・・! ・・・て、お前はーッ!」
言いかけて、ディオは腰を抜かさんばかりに驚いた。
アテナが走り寄って、声を上げた。
「へ・・・ヘルメスさんっ!」
この事には、一同みんな驚いた。
あの、商人ギルドの手先ヘルメスである。
子どもたちを捕らえようと追い立て、兵士や海軍まで動員して、ついにはこのような場所に流れ着くような事態に追いやった・・・。
・・・あの、張本人である。
「・・・・・・・・・」
実のところ、子どもたちにとっても、この天敵とも言えるヘルメスがこの場に現れたことは非常な驚きであった。
ヘルメス、そして商人ギルド・・・タルタロスの大人たち、という存在は、子どもたちにとって恐怖の象徴でしかない。
とはいえ、そのヘルメスの打ちひしがれた姿は、どう見ても憎しみの対象とは言い難かった。
むしろ、一両日たった今になって、まだ生き残った人がいて、無事にここに合流出来たという奇跡が・・・なんとなく・・・
そう、なんとなく喜ばしかった。
「・・・よかったね」
そんな声が、子どもたちの間から聞こえた。
「よかった。・・・まだ、生きてる人がいたんだ」
少し前・・・。
ほんのわずかな時間だったが、あの船の中で船乗りの仲間たちと一緒に困難と戦った。
そのことは子どもたちにとって、忘れられない経験であった。
浜に打ち上げられてから、今ここにいない人たちのことは出来るだけ考えないようにして来た。
かれらは、波に沈んでしまったのかもしれない。
でも、もしかしたら別のところに流れたり、誰かに助けられたりしているかも知れない。
だから、分からないことはなるべく考えないようにしていた。
しかし、本当は心配でたまらなかった。
本当は、そのことをみんなで気のすむまで心配し合って、もっとお互いにその不安な気持ちを確かめ合いたかった。
そんな気持ちが、ボロボロなヘルメスの姿を見たとたん、子どもたちの心の中から一気に噴き出してしまったらしい。
「よかった・・・本当に、よかった」
「よかったね・・・よかったね」
子どもたちは互いに肩を抱き合いながら、べそをかきはじめた。
「・・・あなたたち」
アテナは、突然泣き出した子どもたちを見ておろおろしながら、また自分の目にも涙があふれていることに気がついた。
「もう・・・。あなたたちったら・・・」
「ば・・・馬鹿だな」
口ではそう言いながらも、アンフィトリテにも分かった。
今まで気丈に振る舞ってきた子どもたちが、どうして泣き出したのか。
分かるから、涙があふれた。
「なんというか・・・これは、なんというか・・・のう」
ヘパイストスも鼻をすすっている。
みな、口を押えて嗚咽をこらえていた。
船乗りたちは涙もろいもので、大柄な男たちが声を上げて泣き出すさまはそれなりに圧巻ではあった。
そしてもっともこれがこたえたのは、当のヘルメス本人であったろう。
呼吸もままならないほどにボタボタと涙を流しながら、息も絶え絶えに突っ伏してしまっている。
「・・・も、もう・・・かんべんして」
かれはもはや涙を流す体力も失われつつあって、かろうじて神に祈りをささげていた。
「・・・心が洗われすぎて。し、死にそうです」
「うぷっ・・・!」
そばで聞いたディオが思わず噴き出してしまう。
一同も笑った。
さんざ泣き笑いをし、あとはたくさんの収穫物を調理して分け合って食べ、今日もぐったりと眠ることになった。




