第八話 誰のものでもなく、誰のものでもあるもの
アフロディーテが手を上げた。
「それはつまり・・・言い方にもよるけれど、要するに・・・ここに独立国をつくろうと、そういうことなのですね」
アテナは、その言葉には少しためらいを示した。
「領土的な問題もあるでしょうから・・・今はまだ、国家という構想を言っているわけではないのです。
ただ、もしここが外界から切り離された場所であるのなら、やむを得ず新しい社会を築くということは仕方のないことではありませんか」
「ふむ、あり得ないことではない・・・な」
仮面の男がひとりうなずく。
それを受けるようにしてアテナもうなずき、続けた。
「そして、そうやって出来上がった社会制度がよりすぐれたものであるのならば、いずれタルタロス王国もそれを取り入れることになるのではありませんか?」
しかし、ディオは首をかしげた。
「ん・・・そんな、上手く行くものかね」
ディオは真顔で言っていたが、その声には揶揄する響きがある。
「ああいう連中の本質的な特性は”学ばないこと”なんだぜ」
「たしかにそうです。王国が変わるのならば、子どもたちはいつでも王国へ復帰することが出来るでしょう。
しかしそうでないなら、その時はおそらく・・・それこそ独立国をつくるための戦いをはじめなければならないのかも知れません」
「いや、そうなる可能性は高い」
それまで黙っていたアレスが、腕組みをしながら言った。
「要はその覚悟があるかどうかだ。現に連中はあの港で、子どもたちを捕らえようと兵士を差し向け、ついには海軍まで動員した」
一同はうなずき合った。
見方によれば、あれは商人ギルド・・・タルタロス王国の側による、子どもたちへの敵対行為とみなして良い。
タルタロス王国の言い分としては、子どもたちを含めその親たちも、すべてのタルタロス国民はタルタロス王国の所有物だと考えるような程度の低い愚かな誤認から起きたことだろうとは思う。
しかし、意見の相違に対して武力を用いたことには違いないのだから、そこから逃げおおせた子どもたちがタルタロス王国と敵対することは当然と言わねばならない。
警官であろうと兵士であろうと、強制力としての武力を使うということはそういうことである。
「言い方は悪いかも知れないが・・・」
と、前置きしながら、アレスはしかし冷徹に言う。
「・・・つまるところ俺たち大人は、子どもたちを王国に突き返して身の安全を守るか、それとも子どもたちを守って王国に戦いを挑むのかのどちらかを選択しなければならないのだ」
あまりの正論に一同は静まり返った。
代わりにアンフィトリテが、快活に笑い出す。
「ハッ、そりゃそうだ、あんたが正しい。あたしが馬鹿だったよ。
そうだ・・・そうだともさ。子どもたち自身がどうしたいか決めるのは重要だけど、私たち大人がどうするか決めることだって重要なのだものね。私たちの本質が子どもたちにとって敵か味方か分からないうちに、適当に結論を出せるわけはないんだものねえ」
「俺たちは、子どもたちの期待を裏切れんだろう。もはや」
アレスは、犬歯をのぞかせてニヤッと笑った。
「・・・つまりこんなことは話し合うまでもなく、結論は初めから出ていた、ってことか?」
ディオは肩をすくめた。
「ならば結論は簡単ね。私たちは子どもたちを守るために、タルタロス王国とたもとを分かつ!」
アフロディーテが言い放った。
アテナもうなずく。
「そう、未来を守るために」
方針は決まった。
しかし・・・。
「ん~」
ディオはすこし考えたあと、意を決してみんなの前に進み出、あえて問いかけた。
「なあ、念のために聞くけどさ。本当にそんなこと出来るのか? 既存の世界に喧嘩を売って、おれたち、生きて行くことが出来るのか?」
ディオは、アレスを指して言った。
「アレスは普段は無口だが、本当は好戦的なヤツなんだぜ。おれたちはうっかり変な方向へ踏み出しているんじゃないだろうな?」
「・・・・・・」
アレスは怒りもせずに、黙ってディオの話を聞いている。
ディオは続けた。
「子どもたちを守るのは結構。正義を行うのも結構。
しかし戦争だって? 戦争の怖さを知らないわけじゃないだろう?
今じゃ兵器も進化している。知ってるだろう? あの、古代兵器を。罪もない人がたくさん死ぬんだぜ。いわれもない庶民が兵役に駆り立てられ、人殺しをさせられる。
そのきっかけをつくろうとしてるんじゃないのか、俺たちは? ・・・あんたら、その覚悟が出来た上で言っているんだろうな?」
「そう、まさにそこだろう!」
「わっ」
いきなり仮面の男が割って入り、ディオをひるませた。
「私たちはまさに今、正義を行うか否かの話をしている」
仮面の男の口調は相変わらず物静かなものだったが、その底に得体の知れない闇のようなものがあった。
「ディオニソス君・・・いや、ここにいる全員の心の中に、間違いなく、死への恐怖がある!」
仮面の男はみんなの前に進み出ると、まるで魂をわしづかみにするような目で、その場にいる全員をひとりひとり見渡した。
「死は誰でも恐ろしい。死を恐れない者はいまい。死への恐怖は我々を支配する。 ・・・しかし、我々には幸いなことに寿命がある」
「幸い・・・?」
アルテミスが怪訝そうな顔をした。
エルフの一族はいつまでも若々しく、一般的には寿命が長いと言われている。
しかしそれも多少長いと言うだけであって、実は永遠の命があるわけではない。
死への恐怖も知っているし、失われる悲しみも知っている。
狩猟の現場では、つねに命との対話がなされる。
獲物を狩り、その命をうばって糧とする。
そしてそれをふるまうこと。
その意味との戦いが、そこにはある。
だから、アルテミスは狩りをするようになってから、ことさらに命の意味については敏感なところがあった。
もし、生と死を冒涜するような言葉が出て来るのなら、それは許すことはできない。
「・・・寿命が、幸いですって?」
「そう、幸いだ!」
仮面の男は断言し、そして静かに笑った。
「我々は寿命があるからこそ、ひとつの真理を理解することが出来る。人間、いつかは死ぬ・・・死なない者はない、ということを、だ」
仮面の男の言葉は、まるで呪いのように一同の心をぬいとめた。
とくに年端もいかない子どもたちには痛切な一言である。
しかし、子どもたちはみな自分たちの運命に立ち向かうように、真っすぐに仮面の男を見つめていた。
アルテミスは返す言葉を失い、奇妙な既視感を覚えながら仮面の男を見つめていた。
この、不可思議な説得力。
すべてを道理のもとに帰趨してしまう論理。
まるで・・・。
仮面の男は子どもたちの様子を見ると、ひとりでうなずいた。
「大切に大切に一日でも長く生きられるように、健康に気をつけ、安全に気をつけ。
・・・争いごとをさけ、敵をつくることをさけ、文句もいわず、ひとに干渉せず。
・・・ながいものには巻かれ、えらいひとにはへつらい、金持ちにはさからわず。
・・・世間体を気にし、目立たぬよう全体に同化し、支配者にしたがう家畜となる。
そして・・・!」
仮面の男はひときわ声をひそめ、地に響くようなささやき声で、言い放った。
「悪におどされれば・・・悪の手先になることもいとわない」
それはまるで、呪歌のようであった。
「それが死の恐怖がもたらす、人のサガというものだ」
仮面の中の冷たい瞳は、ひとりひとりの心臓を凍りつかせる。
仮面の男は神話の神のごとき残酷さをもって、一片の真理を解き明かし、一同に突き付けたのだ。
「つ、つまり・・・」
ディオはゴクリとのどを鳴らした。自分の声が震えてくるのが分かる。
だが、ここで引き下がるわけには行かなかった。
みんなが後悔せぬよう、暴走せぬよう、あえて憎まれ役を買って出たのだ。
そして今ここに、真理を語る者がいる。
いまは、真理を追究する時なのだ。
「つまりっ・・・あんたは、俺たちが死の恐怖に恐れをなして、正義を行うのをしぶり、あ、悪に加担するのではないかと、そ・・・そう言っているんだなっ!」
「そう! 自分の死、他人の死、愛する者の死・・・すべて、人は恐れるものだ!」
仮面の男の言うことは正鵠を射ていた。
アレスは腕組みをしてうなずき、言葉をついだ。
「だから支配を行う者たちは、死を支配の道具にする!」
そしてアフロディーテも長い髪をひらめかせて、言い放った。
「でも、どうせ、人はいつか死ぬ!」
さらにアルテミスも唇をかみしめながら、言葉をしぼり出した。
「そうよ。どうせ死ぬなら、死の恐怖に支配されて悪に加担して生きるよりは・・・!」
そして、その言葉を引き継いだのはディオだった。
「・・・悪に挑み、戦って死ね・・・ってことか。まあ、それが冒険者ってものだよな」
「なるほどねえ」
アンフィトリテもうなずいた。そして、言った。
「戦争に巻き込まれて罪もない人が死ぬのは、民の命を自分たちの所有物のようにしか考えないような為政者たちのせいだろう。
そもそも侵略する国や支配者、簒奪者なんかが現れなければ戦争など起きやしないわけさ。
侵略に抵抗したり、支配に逆らって自分たちの居場所を主張する者が悪いわけじゃあない」
「そうです! そして・・・争いを恐れるあまりに、子どもたちの未来を閉ざしてしまっては、元も子もありません」
アテナに決意に満ちた目で見つめられて、ディオはあわてた。
「わかった、わかりましたよ。あんたたちの言うことは正しい。認める。認めますよ!」
ディオは全身で息を吸って大きなため息をついた。
しかしそれは、じつに爽快であった。
しかしディオはまた、次の壁が目の前に立ちはだかっていることを認めなければならなかった。
「・・・でもなあ」
確かに、アテナの正義も、アレスの理屈も、仮面の男の言う真理も、どれも正論だ。
だが、どうする?
具体的にはどうすればいい?
保証もなしに人は動くのか?
少なくともディオは、この行く先に一抹の不安を感じている。
そしてそれは、ディオだけのものではないだろう。
「・・・でも、どうするんだ。おれには国づくりなんてピンと来ない。
アテナさん、少なくとも賢者のあんたは、何か目算みたいなものがあって言っているんだろう?」
「ええ、それは・・・。いずれにしても皆さんと話し合って決めて行かなければならないことですが」
アテナはうなずいた。
「てことは・・・やっぱり、何か考えていることがあるんだな?」
「はい、それは」
「ふーん・・・」
ディオは、子どもたちの方を見まわした。
「じゃ、お前さん方はどうするんだい?」
子どもたちは冒険者たちのやり取りを聞きながら、それぞれに何か思うところがあるようすであった。
しかし、考えが至るまでには、いま少しのきっかけが必要らしかった。
ディオは重ねて聞く。
「ええと、な。おれたちと一緒にここで国づくりするってことで・・・それでいいのか?」
「まあ、ね」
ややあって、テセウスが口を開いた。
「まだよく分からないけど、これは、やるしかないことだと思う。それに、これは俺たちの問題だろ。やるべきだよ」
子どもたちはそれぞれが自分の意志で力強くうなずいた。
思いはひとつである。
反対する者はなかった。
そこへ、ヘパイストスが釜戸の方から出て来た。大きな器のようなものを抱えている。
「なーんじゃ、まだゴチャゴチャやっとったのか?」
「あ、それは?」
「陶器じゃよ。お前さんたちがグタグタやっとる間にしっかり焼きあがったわい」
それは、つやのある光沢でおおわれた、ちゃんとした陶器の大鍋であった。
「すごい・・・こりゃあ、土鍋だ。使えるのか?」
「当り前じゃ」
ヘパイストスは笑った。
「心配なんぞせんでも、何とでもなる。失敗を恐れてても始まらん。やるか、やらんかじゃ」
匠の先人に言われると返す言葉もない。
さすがにディオも笑った。
ヘパイストスなどに言わせれば、この世の大抵のことは杞憂に過ぎないのだろう。




