七十一話 金の使い方
ここは『あおぞら孤児院』。
王都の外れの貧民区に位置し、薄汚れた多くの建物に囲まれた、古い教会を活用した施設だ。
教会自体も古く薄汚れているが、建物の中は天井に窓があるため、中は非常に明るいつくりとなっている。
そして、ここに住む孤児たちが明かるい笑顔を絶やさず頑張って生きていることもあり、貧民区の暗い雰囲気とは少し隔離された場所であった。
王都にあるこの孤児院に寄ったスカイは、ほいっ、と簡単にずっしりとした袋を院長に渡して立ち去った。
実に金塊の9割もそこに置いていき、軽くなった荷物を背負ってスカイは学校へと戻っていった。
まさか袋の中に大量の金塊が入っているとも思っていないだろう院長は、その後腰を抜かすことになる。
度重なるスカイからの寄付により、孤児院では日に日に受け入れる孤児を増やしつつあった。
当然、衣服や食事に回す資金も増えたし、雇える人も増えて来ている。
余ったものは、貧民区に分配もしている。
ギリギリの生活の中、突如現れるスカイの多額の寄付は本当にありがたいもので、その感謝の心は彼らの行動にも出始めていた。
最近孤児院では、食事を頂く前に、生命を分けてくれた神への感謝の後、いつも気軽に寄付しに来てくれるスカイへの感謝の祈りが行われる。
驚くことに、このお祈りは子供たちからの提案であった。
しかもほとんどの子が心の底から感謝し、無駄遣いは控えようと考える、敬虔な子供たちばかりである。
スカイがその気になれば、下手な宗教団体を遥かに上回るレベルの組織が作れてしまうかもしれない。
当然スカイのそんなつもりはなし、それほどまでに感謝されていることも知らない。
残った金塊に思いを馳せて、レメに何をご馳走してやろうかと考えていた。
アエリッテ・タンガロイにも肉を奢る約束をしていたことを思い出す。どうせなら一緒にご馳走してやろうと息巻いていた。
その帰り道、道端に座り込むおじさんを見かけた。
明らかに意気消沈した様子は、何かとても重大なことに巻き込まれたに違いない様子。
道行く人は面倒ごとに自分も巻き込まれないように、おじさんのことを見て見ぬふりをした。
王都に住む人は若干冷たく見える部分はあるものの、それは賢くなければ生きていけないこの世界の性なのだ。困った人間に手を差し伸べるというのは、基本的には愚かな行為と言っていい。
見捨てて、自分だけが生き残る、それが賢い生き方である。
「どうした?」
愚かにも、スカイは声をかけてしまった。
「ははっ、わざわざ気にかけてくれるのかい?」
近くで見ると、優しい顔をした小太りのおじさんだった。
話し方も丁寧で、人の良さがうかがい知れる。
よくよく観察してみれば、着ている服も上等なものだ。少なくとも、道端に座り込むタイプの人間ではない。
「起き上がれないなら手を貸すぞ」
「そういう訳ではないのですが……。まあ、精神的に起き上がりたくないというか」
「背負ってやってもいいぞ」
「どこまでもお優しいのですね」
優しくしている自覚がなかったので、その言葉に少し驚いた。
スカイとしては、本当にただ何となく立ち上がらせてやろうと気軽に近づいただけだったのだ。
「別に優しくないぞ。ムカつく奴はすんなり殴るタイプだ。いいから、起きるのか、起きないのか」
「はぁー、起きても行く場所がありません。商売に失敗して、全財産を失ったばかりですので」
「そんなことか。俺はさっきまで財産なんてなかった。財産なんてなくても、少し腹が減るだけじゃないか。まあ、あったら美味しいものを食べられてラッキーだけどな」
一国の王から褒賞をねだっておいて、随分と財産のことを軽く扱う男である。
しかし、その飄々とした様子が、おじさんに変な元気を分けた。
おじさんはスカイの手を借りず、自分で立ち上がって見せた。
「なんだか、君を見ていると自然と元気が湧いたよ。そうだね、財産がなくてもお腹が減るだけ、か。ちょうど太ってきてた頃だし、いいダイエットになりそうだ」
無理やりかもしれないが、そういって笑顔を作って見せたのだ。
おじさんは少しずつだが、無事心も体も立ち直ったようなので、スカイも一安心だ。
「俺も普段は酷い金欠だけど、今はタイミングよく金が大量にある。よっと、このバッグ内にあるの全部やるよ」
おじさんは半ば強制的に、スカイに手渡されたバッグを受け取った。
ズシリと重いが、何が入っているかの検討はつかない。
大した額は入っていないだろうと思っているが、何よりも気持ちが嬉しい。
「それで再起出来たらいいな」
「ありがとうございます。ええ、やりますよ。私はまた登り詰めて見せます!」
おじさんがすっかり息を吹き返したので、スカイは軽く手を振って歩き出した。
これっきりの縁だと思っていたが、おじさんが後ろから呼びかける。
「君の名は?」
なぜか名言っぽくなってしまうのは不可抗力である。
「ああ、スカイっていうんだ。覚えてなくていいよ」
「いえ、覚えさせてもらいます」
深く頭を下げるおじさんを最後に一瞥して、スカイは学校への戻り道を進んだ。
すっかり修繕が進んだ学校は、正門に今も騎士団が警護で来ている。
まだ仰々しさは多少残るが、それでも生徒たちの明るい生活は確実に戻りつつあった。
時間は夕時を迎える前あたり。
今日は休みだが、きっとレメは生徒会室で会長の雑務の手伝いでもしているのだろうと思って、そこを訪ねた。
予想通り、生徒会室には会長、副会長、そしてレメがいた。
いろいろと書類を決済しているが、それほど忙しい様子でもない。
「戻ったぞ」
スカイが王城へと出向いていたことは皆知っていたので、この少し危うい男が無事に戻って来たことをまずは喜んだ。
「おかえり!」
駆け寄って喜びを示したのはレメだ。一番心配していたのも彼女なので、嬉しさも人一倍である。
「ただいま。休みなのに真面目だなー。ま、らしいっちゃらしいけどな」
「会長はみんなの為に働いているの。感謝を述べなさい。感謝を!」
会長崇拝者のレメに詰め寄られたので、素直に礼を述べた。こうしておけば無難であることを知っている。
「みんな飯はまだだろ?」
「ええ、そうよ」
「よーし、スレインズを倒した打ち上げもしてなかったし、何かいいものでも食べに行こう!」
ちょうど腹も減った良いタイミングだったし、何よりも褒賞を得た男の誘いだ。
きっと豪勢なものにありつけると思い、レメは手を合わせて喜んだ。
「きゃー、会長!スカイってば、褒賞で金塊20キロも貰っているんですよ。今日は好きなだけ奢られちゃいましょう!スカイは普段生徒会の雑務をやらないんだもん。こういうときに活躍してもらわなきゃ!」
無事に戻って来た時よりも、更に人段階テンションを上げて黄色い声を室内に響かせる。
レメの明るい様子に、スカイだけでなく、会長、副会長も気分を明るくした。
「いや、褒賞はもうないから、会長の奢りだぞ」
「は?」
「え?」
「いや、は?」
「いや、え?」
瞳孔の開ききったレメの両手が、スカイの胸倉をつかんだ。
思いっきり体ごと引っ張り上げる。
「うぉい、何すんだ!」
「金塊20キロ貰ったんじゃないの?」
「いや、30キロ貰った」
「尚更どこに行ったのよ!」
弁明しなければ、殺されるかもしれないと理解して必死に思い出す。
「孤児院に結構置いてきたな」
「……うん」
スカイの寄付の件はレメも知っているので、素直に信じる。
他人の善行を責めるのは流石にどうかと思い、レメの腕の力が少し緩んだ。
「ちょっと待って。結構ってことは、全部じゃないのね」
「当たり前だ!俺だって自分で使うくらいは残すに決まっているだろ」
「じゃあ、なんでないのよ!」
「帰り道、商売に失敗したっていう、死にそうな顔をしたおじさんがいたんだ。商売の再起に金がいるだろうから、金塊を渡した」
「残り全部を?」
「いや、当初貰った量からするとほんの少しだが、結果的に全部渡してしまったことになるな」
「言い訳がましい!」
視界がぐるりと回り、教室の隅にまで投げ飛ばされる。
スカイは体を鍛えているからいいものの、普通なら怪我してもおかしくない勢いだ。
「レメ、待つんだ。おじさんのあの悲壮感を見たら、お前だって金を渡すはずだ」
「渡すか!あんたね、それどう聞いたって詐欺よ。詐欺!騙されたのよ、人の弱みにつけこんだ、嫌らしい詐欺なのよ!」
「おじさんの悲壮感はそんなレベルじゃなかったんだ……」
「もう!このアホを一人にするんじゃなかった!」
頭を抱えて項垂れてしまう。
すぐに会長が駆け寄って、レメを元気づけた。
場の空気を良くしようと、会長は自分が奢ると言い出す。
もちろん、それなりにいい店だ。
「ほらな、会長の家は金持ちなんだからいいんだよ」
「良くない!あんたは野菜だけ食べてなさい!会長のお金で、肥させはしないわ!緑色のもの以外は絶対食べさせないから!」
「うぅ……」
結局会長が奢ることになり、4人は飲食店へと向かった。
有言実行、レメは本当にスカイに野菜しか食べさせなかった。
おじさんに説明したときのセリフを使って、レメが言うのだ。
「金塊を手放してもお腹がすくだけでしょ。あら、大したことないわね!」
皮肉がスカイの心に突き刺さる。
今度何か収入があったら、少しだけでもいい、絶対に自分の分も確保しようとスカイは心に決めた。果たされるかどうかは怪しいが。




