そのに:魔導卿と、ごく平凡なトラブル
寺井も日本ではただのおっさんですから、ごくありふれた日常もあるわけです。
その連絡が入ったのが、私が会食を終えて屋敷に戻った時だったのは、お互いにとって都合が良かっただろう。
「は?めぐみが家出?」
なんというか生じたトラブルのあまりのささやかさに、思わず聞き返していた。
『すまんなー、やっぱり難しい年頃でね』
「軽く言うなよ」
話題の主は今年中学2年生になる姪で、画面の向こうにいるのは兄である。
『その格好だと、今は「あちら」か。今忙しいのか』
日本じゃ絶対に着ないだろうドレスシャツにレースのタイを結んでるんだから、そりゃバレるに決まっているが、兄はすでに気にしていない。
召喚被害者には家庭の事情で帰還できない者もいる中、こうして事情を知ってなお迎えてくれた家族がいる私は、被害者の中でも特に恵まれた環境だ。もっとも最初は兄もどう接して良いか決めかねていたようで、生きて帰ってきたのに文句を言うなと義姉に尻を叩かれているうちに、こうなったのではあるが。
「用は済んだよ。で、めぐみの家出がどうしたって?」
『おまえのとこに泊めてもらうってさ。泊めてやってくれないか?』
姪が言う私の家とはもちろん、日本で所有しているマンションの話である。
「それ家出っていうのか」
親公認で、行き先まで判明している家出とはいったい。
『親と喧嘩して家から逃げたんだから、家出で良いんじゃない?』
「親ならもっと焦ったらどうだよ」
『健司んとこに行くの判ってるんだし、居場所がわかってて無事ならまあいいかなあと。お前の時みたいな事なら焦るけど』
「あー、学習しすぎてたか……」
そりゃまあ、弟がいきなり行方不明になった挙げ句、戻ってきた時は障害者になってたという経験がある兄なんだから、子供の家出ごっこ程度で驚きもしないのは当然か。
『めぐみのスマホの位置からすると、こっちの時間であと30分位で最寄り駅だな』
「判った判った、家で待機するから」
『忙しいのに、めんどくさいのを押し付けてすまん』
「ご機嫌取りは期待しないでくれ」
中学生の姪の機嫌を治す方法など、思いつくはずもなかった。
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家令に一言ことわりを入れて、着替えて荷物を最低限まとめて転移するのと、マンションのエントランスからの呼び出しが入ったのはほぼ同時だった。
エントランスを開けてやり、数分後に姪が入ってきた時には、なんとか荷物だけは作業部屋に押し込んでいたが。
「叔父さん、仕事だったの?」
姪にとって私はどうやら『ずっと家にいる人』のようで、ワイシャツとスラックスという格好を見て驚いたようだった。
「さっき戻ったとこだよ」
嘘は言っていない。会社の仕事ではないが、あちらでは会食も立派に仕事のうちである。
「ふうん……今日泊めて」
「そういうのは来る前に言いなさい。留守にしてたらどうするつもりだ」
実のところ、本人から事前連絡があっても受け取れなかったのだが、一応は言っておく必要があるだろう。
「どこか友達のとこに泊まる」
「家に帰ればいいだろう」
「おかーさんと喧嘩したし」
「またか。今日は泊めてやるけど、明日は帰れよ」
まったく面倒くさい年頃である。
細かい話を聞く気にもならないので、食事と風呂と寝る場所だけ提供し、あとは放置。
そしていつものことだが、自分の洗濯物は自分で片付けさせる。押しかけてきたんだから、自分の下着ぐらい自分で洗えというものである。
翌朝には学校に行ったので、特に問題なかったんだろう、うん。
─────(一方その頃、兄とその妻は)─────
「また健司くんに迷惑かけたの?」
娘の家出を教えると、開口一番に妻が言ったのは、この一言だった。
「適当に保護して放置するだけだよ、あれは」
妻の眉根にシワが寄ったのに、和亮は弟のいつもの行動を思い出しながら言った。
何を考えているかさっぱり分からない弟だが、あれでも情がないわけではない。姪であるめぐみのことも、それなりに面倒は見てくれる。
「健司くん意外に面倒見良いから、そこは心配してない。問題はめぐみでしょ」
「よくある反抗期だよなあ」
「それで済んだら苦労しない」
「まあなあ」
すっかり距離を置かれている父親と、何かと反発される母親。よくある構図だが、親としては頭が痛い。
「あいつ、健司に甘えてることは自覚してないんだよなあ」
「あー……うん、たしかに。甘えてる。甘えすぎ。相手の迷惑考えてほしいわ」
「健司のことなら気にしなくて良さそうだぞ、ほら」
SNSのメッセージを見せると、妻が半分呆れたように笑った。
「まったく…『よそのジジイに懐かれるよりマシと思って安心してくれ』って何よそれ」
「本音だろ、あいつの。妙にジジ臭いんだよなあ」
「苦労したせいでしょ」
行方不明だった間のことは殆ど話さない健司だが、『あちら』で負傷したことも含めて、相当苦労したのだということは和亮にも見当がついていた。
健司がインドア系なのは昔からだが、行方不明になる前はそれなりに賑やかな青年だったのに、帰ってきたばかりの頃はまさに能面のような無表情ばかり。静かという表現すら足りないほど無口な男になっていたのだから、人が変わるにも程がある。
足の治療を終えて歩けるようになった頃から、徐々にもとの明るさを取り戻してはいるのだが。
「え、やだ、めぐみ、健司くんの家に着替え置きっぱなしにしてたって」
弟からの返事を読んで、妻が顔をしかめていた。
「ありえないでしょ。いくら叔父さんだからって、独身の男性の家に着替えを置くなんて非常識」
「健司が嫌がってなきゃ良いんじゃない?」
「ちょっとは気を使えってこと。健司くんに彼女でも出来たらどーすんの?子供の下着なんか置いといて、変に誤解されたら困るでしょ」
「誤解以前に、彼女なんてできそうにないよな」
あの弟が彼女を作ってイチャコラしているところなど、まったく想像もつかなかった。
はっきりいってモテる要素が見当たらないんじゃないだろうか。
「そういう事言わない。健司くんだって、大学生の頃は付き合ってたカノジョがいたでしょ」
「なんで私より君のほうが知ってるのかね」
「伊達に長年、嫂やってないし?」
「今の健司に勝てるのって、君くらいだよなあ」
帰ってきた当初の、無表情なのに無駄に迫力だけはあった弟に、帰ってきた安堵に泣きながらも2時間近くお説教していた妻である。
あくまでも一般人の女性なのだが、ここぞという時に見せる大胆さは侮れない。
今でも弟をたじろがせられる、数少ない人間の一人である。なぜか弟も頭が上がらないらしいし。
「力関係は変わらないのよ。お義姉さまに勝てる義弟がいるわけないでしょ」
「あーはいはい、そうでしたね」
和亮と妻が付き合い始めたのは高校時代だったが、その頃から妻も健司のことは知っている。
一人っ子として育った妻にとっては、弟ができたようで嬉しかったようだ。
その後の行方不明騒動で悲しんでいたのも、戻ってきた健司の豹変ぶりを嘆いたのも妻の本心からの事だからこそ、弟も無下に出来ないのだろう。
「それは置いといて、ちょっとめぐみもやり過ぎよね。あとで叱っとかなきゃ」
「お手柔らかに」
そうは言ったものの、また母娘の大喧嘩になるのだろうなあ、と和亮はいささか遠い目になった。
弟が異世界に出張中でもさらっと流す兄と、行方不明になったあとも帰ってきたからそれで良しと割り切った義姉、お似合いの夫婦です。




