そのじゅうろく:魔導卿の優雅じゃない日常
わりと日常的なやらかしとは。
鬼の霍乱、という言葉があるが、これはまさにそういう事態だろう。
まずそう考えてる時点で実は相当慌てているんだよな、と己の心理状態を分析しながら、大島はソファーに沈没している寺井にため息をついて見せた。
「燃費が悪いのは自覚しておきなさい」
「……すみません」
寺井のこれを一言で言うと、エネルギー切れである。
実験がてら魔力を使い過ぎて、空腹で目を回したらしい。力尽きる直前に本人が気付いて何とか連絡してきたら良いものの、そのまま倒れてたら数日は放置されていた可能性がある。今日が休日で、かつ、万一に備えて鍵を預かっている大島の手が空いている日だった事もあって、数時間で様子を見に来ることが出来たが、そんなものはただの幸運だ。
「魔力実験はあちらでやったほうが安全だね」
あちらでも魔力のない大島には無縁の話だが、寺井はこちらでも日常生活の中で使えてしまう。使えるが故に発生する事故ではあるだろう。
「ちょっと、こっちの環境でどうなるか見てみたかったもので」
「それで倒れてどうするんだ。人目のあるところでやりなさい」
バーランの寺井邸なら、心配性の家令がいる。
戦争ばかりだった時代に寺井に拾われたジャハドは忠誠心も強く、一時的な不興を買う事をおそれず主の体調管理を優先することもできる。開発に没頭し始めるとそれ以外に頭を使わなくなる、迂闊が服を着ているような寺井にとって、得難い部下と言えるだろう。
「あっちじゃ環境が再現できなかったんですよ……」
「研究熱心なのもいいが、ほどほどに。ほら、とりあえずこれを飲んでおきなさい」
手軽にカロリー供給できるよう常備してあったゼリードリンクのふたを開けて渡してやると、気だるげに吸っていた。
「こういうものを常備しているんなら、作業中に手の届くところに置いておくと良いんだよ」
「……今後はそうします」
「何か作ってやるから、そこで休んでなさい」
「……はい」
まだしばらく復活しそうにない寺井は、ソファーから起き上がろうともしなかった。
──────────
寺井めぐみが叔父の家に押しかけるのは、母親と喧嘩したときばかりではない。
今日は気が向いたので遊びに来てみたのだが、なんだか場違いな感じになった。
「えっと」
「お邪魔してるよ」
エントランスで正面玄関を解錠してもらった時もなんか変だと思ったが、叔父の家には知らない男性がいた。
叔父はどこかぼーっとした顔でテーブルについて、もそもそとパスタを食べている最中だし。
「あ、はい、えと……はじめまして?」
「二度目だけどね、ちょっとしか顔を合せなかったからさすがに覚えてないかな。大島です、叔父さんの友達だよ」
「え、そうなんですか?」
「めぐみさんが小学校低学年の頃だったかな、一度だけ会ってるんだよ」
叔父が海外と日本を行ったり来たりしてたという頃のことだろう。
当時、叔父が何をしていたかは誰も教えてくれないのだが。
「……もう少し食べるか?」
叔父の前にある皿が空になったのに気が付いて、そう聞いている。
めずらしくぼんやりしてる叔父の面倒を見ている様子からすると、大島は叔父とかなり親しいように見えた。
「叔父さん、大丈夫?」
「まあなんとかね……」
返ってくる答も力がない。いつも隙のない叔父がこれだ、明らかに異常である。
「どうしたの?」
「エネルギー切れだよ」
めぐみの質問に返事をしたのは大島だった。
「めぐみさんは見たことが無いんだろうけど、寺井君は時々やらかすんだ。今はお腹がすきすぎて、どうにもならない状態だね」
「……え、なんですかそれ」
「一つのことに熱中し始めると、食事を忘れるんだよ。あげくに空腹で倒れる」
今回もそれだよ、と苦笑した大島は、呆れ半分といった様子だった。
「……心配して損した!」
思わず本音が漏れた。
「なにそれ、バカすぎ」
「……そこまで言わなくても」
「いいね、もっと言ってやってくれないかな」
「大島さんも、酷すぎないですか」
「寺井君、君もそろそろ学習したほうが良いよ」
「……味方がいないんですが」
「君が倒れることを肯定するわけにいかないから。ほら、おかわりあるぞ」
「……いただきます」
なんというかこの大島という男性、ずいぶん甲斐甲斐しい。
もそもそと食べ続ける叔父の前には、ちゃんとランチョンマットが敷かれていて、おかわりのパスタは盛り付けも整っている。スープカップやサラダの小鉢や飲み物のグラスもきちっと出してあるし、ついでに言うと紙ナプキンまで用意してあった。
中年男性の手料理にしては、ずいぶん気を使ったセッティングだ。
そしてセッティングだけでなく、サラダのプチトマトがカットされていたり、トマトベースのパスタにはドライパセリがふってあったりと、ちょっとした手をかける手間を惜しんでいない。
めぐみの父が得意な『大雑把丼』とはえらい違いである。
「おしゃれですね……」
こうしてあると叔父の家にある食器も立派に見えるなあ、などと、めぐみはちょっとズレたことを考えていた。
「こういうのは気分も大切だからね。普通のメニューでも、こうするだけで見栄えする」
「すごい」
「ありがとう。寺井君、野菜も食べなさい」
「……えー」
大島が注意するのも当然で、サラダに手を付けた様子が無かった。パスタに入っている茄子と玉ねぎは食べているけど。
「姪御さんの前で子供みたいな真似をするんじゃないぞ」
「あー……はい」
「めぐみさんも、少し食べるかな?」
笑顔で勧めてくるあたり、完全に『できる』イケオジだった。
それこそ、同好会の先輩だったらネタだと言って飛びつきそうなくらいに。めぐみの通う中等部ではまだまだ理解しがたい趣味だが、高等部の先輩ともなると、イケオジの出てくるストーリーが大好きな女子もいる。コワモテの叔父ですらイケオジとキャアキャア言われるくらいなのだから、甲斐甲斐しい大島ならなおさらだろう。
「あ、いえ、帰ったらすぐ晩御飯だと思うので、いいです」
「じゃあ、お茶にしようか。寺井君、食後のお茶は何が良い」
「……あるものなら、なんでも」
「君のところにあるもの、ねえ?選びにくいなあ」
にこにこしているところをみると、叔父の趣味も良く知っているのだろう。
甘いもの好きの叔父はスイーツに合わせるお茶もそれなりに拘りがあって、叔父の台所には紅茶だけでも数種類、それも専門店で扱っているような茶葉が置いてある。だから成人男性がスイーツや紅茶に詳しい事はめぐみにとって普通のことで、同級生や先輩に驚かれたことに逆に驚いた。学校で聞いた範囲だとどうやら、男性としては珍しい趣味らしい。
「ダージリンのファーストフラッシュ、残ってますよ」
どこか上の空でも茶葉の話だけはちゃんとできるのは、叔父らしいと言えば叔父らしいことだった。
「いいのか?」
「どうぞ」
「コンビニスイーツには勿体ない気もするけど、いただくかな」
言いながらさっそくキッチンに向かっているのだから、実にマメな男性だった。
「デザート、何ですか」
面倒を見てもらっている叔父のほうは、何も感動していないようだが。
「プリンだよ。君も気にしてた、ちょっと堅めの」
「……ああ、良いですね」
「あの、足りるんですか?」
めぐみが来ることは想定していなかったはずだ。そう気が付いて聞いてみると、大島はカウンターの向こうで顔を上げて、にっこり微笑んだ。
「大丈夫だよ。寺井君の分を一つに減らすから」
「え?」
「彼の分は二つ買ってきたんだけど、主食をちゃんと食べさせたからね。デザートは一つに減らすよ」
「……叔父さん、いつもそんなに食べてたんですか?」
「バテてる時は、甘いもの以外喉を通らないこともあるみたいでね。念のために余計に買ってきたんだよ」
「それで太らないんだ……」
服のサイズと食欲を天秤にかける年頃の女の子としては、うらやましいを通り越して妬ましい話である。
「燃費が悪いんだよ……」
やる気なさそうにサラダをつついていた叔父は、あんまり嬉しくなさそうで、
「自覚があるなら、倒れる前にちゃんと食べるんだね」
大島も苦笑気味だった。
しばらくすると湯が沸いたので、大島が紅茶を入れていた。
テーブルに持ってきたティーポットには、ちゃんとティーコゼーがかぶせられている。専用の砂時計の砂がきれいに落ちてからカップに注がれたのは、華やかな香りをした淡い水色のお茶だった。
ずいぶん優雅なひと時になりそうなものだが、席についているのが半分寝ぼけた叔父では、雰囲気が出るはずもない。
半分寝ぼけていても背筋が伸びているあたりは、さすがとしか言いようがないが。
「片付けはやっておくから、少し休んだらどうだ」
デザートまできれいに平らげた叔父に、大島がそんなことを言っていた。
「ああ、すみません。よろしく」
叔父も素直に応じて席を立つと、リビングのソファーベッドに横になっていた。
横になってすぐ、寝息を立てている。
「……歯磨きくらい、すればいいのに」
あまりの寝落ちっぷりにめぐみも呆れるしかなかったが、
「眠気の限界だね、あれは」
くすくす笑っている大島は、慣れているのだろう。
「あれは恒例行事みたいなものだから、気にしないほうが良いよ」
手際よくテーブルを片付けて食洗器に食器を入れながら、大島は朗らかにのたまった。
ダメなおっさんであるところの魔導卿の面倒をみられるジャハド氏は、優秀な家令なのです。
【作中レシピ】
大雑把丼:
適当な野菜と肉を炒めて、どんぶり飯の上に乗せたもの。
味付けはその時の気分で決める。




