いつか見た夢の続き
約1ヵ月ぶりですね。
なにか都合のいいものに触発されて書きました
──死ぬことは救いだ。
何もかも忘れられるから。
──死ぬことは救いだ。
自分のことだから。
──死ぬことは救いだ。
そこに始まりはないから。
──私は大嫌いだ。生きることが。
理由を問われれば、上手く答えられないけれど、それでも私は生きることが嫌いだと自覚している。
だけど、私は死ぬことをしないのはなぜだろう。死にたいのに、絶対的な理由がないから死ねない。なぜ理由がないのだろう。なぜ、私は生きているのだろう。
あの日の夕暮れに出会った彼は言っていた。
「生きる理由が見つからなくなったんだ。でも、僕には死ぬに値する理由があった。
僕は死ぬことにするよ。君はまだ生きているといい。まだ、君は生きるだけの理由があるんだろう?なかったら死んでいるはずだからね。
生きる理由?そんなのなんでもいいんだ。
痛そうだとか、怖いとか、そんなんでもいい。そんな誰でも持っている本能的な『感覚』だよ。
でも、生きる理由を探してみてよ。僕にはないけど君にはあるんじゃないかな?
家族や友達ともっと一緒にいたいとか、恋人がいるからだとか。
そんな『感情』が生きる理由になる。
でも、僕には『感情』がなくなってしまったんだ。そんな大切なものがなくなってしまった。家族はいない。友達もいない。恋人なんてもっての他だ。」
私は何も言えなくなった。
「君は生きるんだ。この言葉が君の『感情』になってくれることを祈るよ」
私の先を越して彼は空中に投げ出され、重力に従って地面と背中合わせになった。下を見ると赤い花が咲いていた。
今の私は彼の言葉が理解出来る。
今の私だから彼の『感情』と『感覚』の欠如を理解出来る。
つまり、これはそういうことなのだ。
死にたいから死ぬのではない。生きれないから死ぬのでもない。決して死にたいのではない。死ぬしかないから死ぬのだ。
人の本能的な生存欲求を覆してしまうほどの「死ぬしかない状況」に押しつぶされて、人は自殺するのだ。
日々、死にたいと言っていたのにいざ本当に死のうとすると少し足がすくんでしまう。
彼はこんなに高いところから落ちたのか。自分の意思で死んでいったのか。
「すごいなぁ」
自然と声に出る。私は今すぐにでもここから逃げ出して別の自殺の仕方を試していたいぐらい怖い。
怖い。怖い怖い怖い怖い。
これはなんだろう。死にたくない。死にたいのに何故か私は死ぬことを躊躇ってしまっている。
ここが、彼と私の違う所だ。彼はすぐに決断した。この世から離れる決断をした。
友人からも家族からも必要とされていないと思い込んでいた彼は自殺したのだ。
愚かだろうか?いいや、そんなわけはない。彼にとってそれが事実であり、その後に繰り返された茶番なんて興味の外であったのだろう。
私はそうやって彼に幻想を見ていたのだろうか。
私はそうして足を前に──。
──いつか見た夢。
見たはずのその夢を私は思いつくことが出来ない。思い出すことが出来ない。夢を見たという記憶が無い。
だが、分かる。私は夢を見ていたことを自覚できる。自覚し、理解できる。そのはずである。
でも、思い出せない。全く分からないのだ。分かるのに分からない。なにか、実態のない影をただ追い続けているかのような虚無感。インクのないボールペンで絵を書いているかのような徒労感。
ただ、私は起きて言う。
「死にたい」
──月明かりに照らされた病室は空っぽになっていた。
時には明るいテーマも扱ってみたいものですね。