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二章・2

 ……これが昨夜、病院の屋上であったこと。

 朝自分のベッドで目を覚ましたとき、正直、それらのことは夢かと思った。

 頭のおかしい夢かと思った。


 しかし体に残る変な疲れと、手帳に記された「病院前 八時」という文字が夢ではないということを俺に教える。

 バックレてやろうかと思いもした。どうせ名前しか知られていないのだ。

 しかし、三園の嬉しそうな顔が俺の脳裏をよぎる。


 まあ……俺は今仕事を辞めているので、特にすることはない。それにしても、仕事がないからやることがないとか、俺現代社会の寵児すぎるな。でも、だから、仕事がだめになったからって理由で死のうとしていたのかもしれない。


 まあ、とにかく、少しぐらいなら、付き合ってやってもいい。

 どうせ今日だけだろうし。

 子どもの遊びにちょっと付き合うくらいの気持ちでいい。


 そう思い、俺は車で病院までやってきたのだ。

 決して、今まで病気で外出できなかったという三園に同情したわけではない。s

 病院に着くと、正面の入り口ですでに三園が待ち構えていた。

 三園は昨日の入院着とは打って変わって、清潔感のある真っ白なワンピースを着ており、さらに頭にはつばの広い帽子をかぶっていた。

 ところで、その両手で持っている小さなピンクのカバンには何が入るんだ? 財布を一つ入れたら何も入らないんじゃないのか? むしろ財布一つすら入らないんじゃないのか? 実用性が皆無じゃないか。女性の、物に対する価値観というのはよく理解できない。


 「こんにちは。あなたが美弥子の先生ですか?」


 「え、ああ、まあ……」


 三園が目を輝かせて俺の車を四方八方から見ているのを眺めていると、初老の男性が俺に話しかけてきた。


 「はじめまして。私は、美弥子の父です」


 「ああ、そうでしたか。はじめまして。おれ、いや私は、伊嶋と言います。こんにちは」


 俺は慌てて自分を取り繕った。社会に出てから自然に身に着いた技術だ。


 「伊嶋さんは、NPO法人で子どもの支援をしていらっしゃると美弥子から聞いたのですが」


 どうやら三園は、父親に俺をそう説明したらしい。服を選ぶのが面倒でスーツを着てきたのだが、どうやら正解だったようだ。


 「はい。何らかの事情で教育を受けることが難しい子どもたちの、少しでも力になれたらと思い、活動しております」


 用意していたわけではないのに、すらすらと適当な文言が俺の口から出てきた。こういうのは得意だ。


 「伊嶋さん。美弥子は生まれつきの体のせいで、ろくに病院から外に出たことがないのです。ですから、どうか、よろしくお願いします……」


 三園の父親はそう言って、深々と頭を下げてきた。


 「わかりました。大事なお子様を、責任を持って預からせていただきます」


 俺も頭を下げ、そう言った。


 「お話は終わりましたか? でしたら早くいきましょうよ」


 三園は俺の素手を強めに引っ張った。


 「ああ、わかった。では、これで」


 俺は三園の父に軽く頭を下げ車に向かった。


 「はい、よろしくお願いします」


 「お父さん、行ってきます」


 「いってらっしゃい。精一杯、楽しんでおいで」


 三園は父親に元気よく手を振っていた。

 三園の父に見送られ、俺と三園は車に乗り込んだ。

 助手席に座った三園は帽子を取り、カバンと一緒に膝の上にちょこんと乗せた。


 「じゃあ行くか。シートベルト締めろよ」


 「……えっと、つっきー」


 「なあ、その呼び方やめないか?」


 恥ずかしくて仕方がないのだが。


 「やめません」


 「そうかよ」


 「それでですね。つっきー、シートベルトって、なんですか?」


 三園は助手席から俺の顔を覗き込むようにしてそう言った。


 「……お前、車に乗ったことは?」


 「ありません。今日が初めてです! だからわくわくしています!」


 「そうかよ。……お前の左後ろにあるベルトを引っ張れ。それに金具がついているから、それを右側にある赤い差し込みに差すんだ」


 「…………ん?」


 まるで宇宙人からわけのわからない指示を受けたように、三園はピクリともせずに固まってしまった。


 「……ちっ。ちょっとじっとしてろ」


 俺は自分のシートベルトを外してそう言うと、体を運転席から浮かせて三園の方に向けた。そして上半身だけを助手席の方に向け、助手席に座っている三園に覆いかぶさるような形になった。


 「……えっと、いきなりすぎませんか? こういうのはもっと段階を踏まないと」


 すると三園は顔を真っ赤にし、体を縮こまらせて言った。


 「何の話だ?」


 「ほら、まだ朝ですし、お父さんもまだそこにいますし……」


 「妙な勘違いをするな。シートベルトを締めてやるだけだ」


 ませたことを言うやつだ。


 「あ、そうでしたか」


 「じゃあ、両手をあげろ」


 「強盗さんごっこですか?」


 「いいから早くしろ」


 「はーい!」


 三園は元気よくそう言い、そして元気よく両手をあげた。

 結果俺のあごを、三園の手がかちあげた。骨と骨とがぶつかるいい音が車内に鳴った。


 「んごっ!?」


 「あああ、ご、ごめんなさい!」


 「……誰が勢いよく上げろと言った?」


 俺はあごを押さえながらそう言った。


 「ごめんなさい……」


 三園はそう言うと、さっきまでの元気がどこかに行ったかのようにしゅんとした。

 …………ああ、もう。やりにくい。


 「ちっ……謝ることはない。気にするな。だから元気を出せ」


 「え……?」


 「それよりもお前、手、何ともないのか?」


 「え? あ、はい」


 「見せてみろ」


 「はう! ふぇふぇ、ふぇっ!?」


 俺が三園の手を取ると、三園は奇妙な声を上げた。

 気にせず俺は三園の手を見た。

 その手はパールのように真っ白で、肌は絹のように滑らかで、指はほっそりと長く伸びていた。まったく汚れていないきれいな手だ。

 そんな手の甲に一点だけ、赤くなっているところがあった。


 「ここ、痛くないのか?」


 俺は顔を俯かせている三園に聞いた。


 「は、はい……」


 「ならいい。だけど、気をつけろよ」


 「はい……」


 俺が手を取ってみている間、三園はずっと下を向いたままだった。よくよく見てみれば、耳が少し赤くなっていた。

 俺としては別に変な意図はなかったのだが、そんな反応をされると、少し困ってしまう。


 「……それじゃあ、手を上げたままでいろ。ベルトを締める」


 俺はそう言い、さっさと三園のシートベルトを締めた。


 「じゃあ出発するぞ。お父さんにあいさつしておけ」


 俺は助手席側の窓を開けてやった。どうせ開け方なんか知らないだろう。


 「わっわ! 窓が、下りていく!」


 どうでもいいことで感動している。ある意味うらやましい。


 「美弥子、いってらっしゃい」


 「行ってきます、お父さん!」

 親子のやり取りを確認してから俺はギアをドライブにいれ、アクセルを踏んだ。

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