3話 八歳と魔法
ダズが八歳になった。
家族の言いつけをよく守り、人前では決して力は使わなくなった。
その様子を見て両親は安心したのだろう、徐々に屋敷で働く領民の人とも交流が増えた。
屋敷で働く彼らは、はじめは物珍しげにダズを見た。
領主の次男坊。
居るのは知っていたが、今までとんと目にしなかったのだから当然だ。
はては病弱な子供なのか可哀想に、と思われていたが、そんな事はなかった。
言葉遣いも丁寧だし、実に元気だ。
兄とも実に仲が良い。
そんなこんなで、ダズはすぐに溶け込んでいった。
その日、ダズは苦悩していた。
隣には優しい兄。
優しいが、この時だけは悪魔のようだ。
「ほら、ここも間違ってるよ」
ダズは勉強中だった。
優秀な兄に教えてもらっているが、この優秀な兄はダズの失敗を決して見逃してくれないのだ。
「はい…」
すごすごと問題を解き直し始める。
そんな弟の様子を見て、アレスは活を入れてやることにした。
「全部終わったら、父上と剣の稽古だろう?あと少しだから、頑張るんだよ」
途端にダズはやる気を取り戻す。
これさえ終われば、後はお楽しみの時間なのだ。
「はい」
ダズは必死で脳細胞をフル稼働させはじめた。
やがて、全ての問題が正解となった。
「ありがとうございました、兄様」
ダズは一度アレスに頭を下げると、いそいそと部屋を出て行こうとする。
「うん。頑張っておいで」
みるみるうちに活力を取り戻して行くその背中に、アレスは苦笑を隠し切れない。
「はい、兄様」
ダズがいなくなると、アレスは自分の勉強に取り掛かりながら考えた。
弟のあの現金なこと。
アレスは、ふと昔、勉強を教え始めた時にダズが言い放った事を思い出した。
「私が兄様の分まで剣を覚えるから、兄様が、私の分まで勉強を覚えれば良いのではないでしょうか?」
あの弟は、そんなに勉強が嫌いなのだろうか。
アレスは吹き出すのを堪えるのに必死だった記憶がある。
「そうだね。そうできればね」
あの時はそう答えたはずだ。
しかし、弟にも最低限の知識だけは持っておいて欲しい。
それに教えたことはちゃんと覚えるのだ。
弟も、馬鹿では無いはずだ。
どこか抜けているが。
屋敷の中庭。
そこで、いつも通りフラムが剣を振っていた。
いつから振っているのだろうか、フラムは既に汗まみれだった。
しかし、それでも剣筋に乱れはない。
「父様」
一心に剣を振る父に、ダズは声をかける。
すると、フラムは素振りをやめ、手ぬぐいで滝のような汗を拭いながら笑いかけてきた。
「勉強は終わったか?」
「はい。兄様から許可は貰えました」
ダズが答えると、フラムは満足そうに笑って、木刀をダズに放り投げてきた。
幼いダズのため、まだまだ軽く、柔らかい材質だ。
しかし、それを構えるダズの姿は既に様になっていた。
「よし、ではやるか」
フラムも剣を構える。
「はい」
ダズが頷くと、フラムはゆっくりとダズに切りかかった。
体を鍛えるのは最低限。
体の動かし方、剣の使い方を教えているのだ。
切りの良いところで、休憩となる。
「うむ。やはりダズは才能がある」
フラムは実に嬉しそうに、ダズを褒めた。
「ありがとうございます」
褒められたダズも嬉しそうにはにかむ。
それを見て、フラムは僅かに遠い目をしながら呟いた。
「アレスはこちらの才能は無かったからなぁ。代わりに、頭は俺の子とは思えんほど良いが」
最後には苦笑し、冗談交じりに呟いた。
しかし、
「はい。父様より物知りです」
ダズは無邪気に頷き、がぶがぶと水を飲み始めた。
「……」
フラムはこっそりと悲しそうな顔をしたが、水を飲む息子はそれには気づかなかった。
それからも、訓練は続いた。
そして夜、日が暮れ、領民達が屋敷からいなくなった頃。
「よし、ありでやるか」
フラムがダズにそう告げ、木刀を構えた。
「はい」
ダズも同様に構えると、一気呵成に飛びかかった。
それは、とうてい少年の出せる速度ではなかった。
しかし、足と『手』で地を蹴り、『手』で体を支え、手と『手』で木刀を握る。
生まれた時からあるソレを、ダズは容易く操った。
正しく、手足の様に。
「ぬっ!」
それを受け止めたフラムの顔も真剣だ。
それも当然、剣を伝って感じるその威力の尋常ではないこと。
「はぁっ!」
ダズを弾き返しながら、フラムは考える。
日毎に、着実に威力があがっていく。
『手』が無しならまだまだ負ける気はしないが、ありならそろそろ負けそうだ。
しかし、この日も父の面子は保たれた。
ちなみに、『手』を使った相手への妨害は、反則であると告げてある。
訓練初日に、足払いを食らって木刀を奪われた挙句、四方から石だの何だのが飛んできたのだから仕方ない。
どないせーっちゅうねんな。
アレスが指先に光の球を灯した。
「これが、魔法だよ」
小さな小さな光だ。
しかし、アレスの指先に灯る光を、ダズはキラキラと輝く瞳で見ていた。
「これが……」
まるで宝石を見るような目で光を見る弟に、アレスはこっそり鼻高々になった。
そして突然悲痛な叫びが響いた。
「ああぁーッ?!」
「「っ?!」」
兄弟揃って、仰天して声の方向を見る。
そこにいたのは、二人の母、ネリアだった。
子供二人を生んだとは思えぬ童顔のネリアは、その心も子供っぽかった。
「わ、私が、教えるはずだったのに…」
剣はフラムが教える。
代わりに、魔法はネリアが教える。
夫婦間でそう決めていたのだが、そうとは知らぬダズが兄に質問し、同じく知らないアレスが魔法を見せてしまったのだ。
今にも泣きだしそうな顔でわなわなと震えるネリアに、アレスは慌てて謝った。
「す、すいません、母様」
そして頭を下げながら、ちらりと弟を見る。
正に以心伝心。
弟は兄の意思を悟り、慌ててまくし立てた。
「……か、母様の魔法も見てみたいです!そ、それにそうだ!ま、魔法ってどうやって使うんですか?!」
幸いにも、まだアレスに質問した直後。
アレスからの魔法の講義は受けていない。
「……」
ネリアは、拗ねた瞳でちらりとアレスを見つめると、アレスは首を横に振り、まだ教えてないよとアピールした。
「仕方ないわねぇ。ダズにはまだ早いのだけど、少しだけ教えてあげるわ」
ネリアはころりと機嫌を直した。
上手く行った様だ。
アレスとダズは、内心胸を撫で下ろした。
ネリアが臍を曲げると、高周波音の様な泣き声でわんわんと泣くのだ。
あっと言う間に機嫌を直したネリア(27歳)は、得意げに講義を始めた。
「ます魔法は十歳から学びます。これはね、魔力が発現するのが十歳からです」
アレスは既に、一度聞いている。
そのため疑問に思うことなく聞いているが、ダズは目を丸くした。
「…皆十歳なんですか?」
ダズはまだ八歳。
魔法はまだ使えないのだろうかと不満が湧き出てくる。
「うーん、少し早かったりする人もいるみたいね。でも、基本はやっぱり十歳みたいなの」
ちなみに、同じ質問をアレスにも受けていたネリアは、すらすらと答えた。
「……」
魔法はまだ数年お預けと知り、ダズは肩を落として無念を醸し出した。
魔法よりもとんでもないことが出来るのだが。
「さて、十歳になって魔力が発現しました。でも、すぐに魔法を使える訳ではありません」
「ええ!?」
ダズの悲鳴がひっくり返った。
「まずは、『どの魔法を』、『どれくらい』使える様になるかを決めるのよ」
「……?」
ダズのおつむが悲鳴をあげ始めた。
「簡単に言うとね、『火』を、『これくらいの大きさ』出せるように決める、っということよ」
ネリアは指で輪っかを作った。
「決めないと、ダメなんですか?」
先ほどから首を捻りっぱなしのダズは、首が疲れたのだろう、反対側に傾げた。
「ええ、実はね、決めてからが、本番なの」
「??」
「決めたら、それが出来るようになるまでずっと練習しないといけません。はじめはもっと、小さな火しかでないのよ」
ネリアの言葉に、ダズは眉で落胆を示す。
「……じゃあ、すぐに凄い魔法は使えないんですか?」
「残念ながら、そうよ。それにね、大きさを決めても、そこまで到達できなかったりするのがほとんど。後はそうねぇ、一度魔法を決めるともう取り返しがつかないの。何故かね、殆どの人は、もう他の魔法は覚えれなくなっちゃうのよ」
「……」
ダズが渋いものを食べたような顔をした。
思わずアレスを見つめたが、アレスも重々しく頷いた。
本当らしい。
一度決めたら取り返しがつかない。
しかも、どの程度使えるかもわからない。というより、ほとんどはしょぼいらしい。
人によっては、様々な種類を豆粒ほどの大きさ出現させるよう、決めることもあるそうだ。
魔法が非常に残念なことは、ダズにも理解出来た。
「だから、今からどの魔法にするかじっくり選んでおきましょうね?ふふふ、ちなみに、私は風の魔法だわ。お掃除がとっても楽になるの!」
ネリアの足元で起きた小さなつむじ風を微妙な顔で見つめながら、ダズは気の抜けた返事をした。
「……はーい」
この時点で、アレスはダズが魔法に対する興味をほぼ失っていることに気づいたが、気付いていない母の為、懸命にも何も言わなかった。
第一、大規模な魔法を発現できる人材など世界にも数える程しかいないのだ。
賢者、聖女と呼ばれるような大物か、知恵ある竜のような規格外の化け物だけだ。
たとえダズが軍人になろうとも、魔法で攻撃を受けることなど無いと言っても過言ではあるまい。
一般人にとっての魔法は、ほぼ誰でも使えるが、ただの便利な道具のようなものなのだ。
幼少期はすっ飛ばしていかねばならんですね