21話 目覚めると
ダズは目を覚ますと同時に跳ね起きた。
「スイ?!」
そして叫んだ。
しかし返事は無かった。
ダズは素早く周囲を見回して、同時に自分が剣を持っていることを確認した。
見覚えの無い光景だった。
どこかの山の中腹だろうか。
ところどころに木が生えていたが、視界は開けていた。
見覚えのない光景であることには驚いたが、周囲に脅威は感じない。
気を失う前に感じた、嫌な予感も消えている。
ダズは深呼吸をして気持ちを落ち付けた後、意識を失う直前の情報を思い出した。
突然何かに引っ張られる気配を感じて、抵抗する間もなく、そのまま引っ張られた。
混乱する視界が見たのは、焦燥に塗れて、こちらに手を伸ばすスイだ。
そこまでしか、記憶は無かった。
「…」
スイのあんな顔は初めて見た。
普段はいつも口元を歪ませていて、世界中の全てを小馬鹿にしたような雰囲気を醸し出していた。
常に絶対の自信に溢れており、興味本位でどれくらい強いのか聞いた時には、『世界を滅ぼせるが』と言っていた。
他の知恵ある竜と戦うとどうかと聞くと、ニヤァ、と口を歪めて『纏めて5分で消滅させてやる』と言い切ったくらいだ。
そのスイが、あんな顔をしていた。
何かよろしくないことに巻き込まれた気がする。
スイも探したい。
そうは言っても、見知らぬ場所で身一つ。
持っているのも剣くらいしかない。
ダズは、スイ程には強くは無いのだ。
警戒を高めながら、ダズはひとまず山の下に見える水場に向かうことにした。
「…………」
道中、見たことも無い植物があった。
見たことも聞いたことも無い動物が居た。
ダズも全てを知っているとはとても言えないが、少なくとも故郷の森には存在しない生き物ばかりだった。
ダズは更に警戒を強めて、少しずつ歩き続けた。
「ふぅ……」
半日ほども歩いたが、特に問題なく水場に辿り着いた。
非常に大きな湖だ。
ダズが居た山以外にも、湖を囲む様に山がいくつかある。
恐らくこの湖は、それらの山から流れた水で出来ているのだろう。
かなりの距離を歩いたダズは、まず喉を潤した。
そして途中で見つけた良く分からない動物を狩って作った水筒に水を入れ、ぎゅっと口を縛った。
生臭いが、四の五の言っていられない。
ダズは死にたくは無いのだ。
とにかくまずは、どこか人里に向かわなければならない。
あわよくばスイが自分を探し出してくれるかもしれない、と考えていたが、半日経っても音沙汰も無いのだ。
その期待は一旦保留しておいた方が良いだろう。
ダズはこの湖を中心に、まず周囲を散策することに決めた。
水もあるし、動物も居る。
少なくとも数日は困らないだろう。
そう思った時だった。
ダズの警戒に引っかかるものがあった。
「え」
ダズは思わず呟いて、湖を見つめた。
透明度の高い湖だ。
魚の影もちらほら見える。
気配は、そこから感じた。
「ちょっ、ちょっと……」
どんどん気配が大きくなっていく。
湖の奥から、見る見る影が近づいて来る。
そして、慌てて湖に背を向けて駆けだしたダズの背後で、バッシャァァン!と大きな水音が鳴った。
その音が鳴ると当時に、ダズはそれと向かい合った。
そして呆然と呟いた。
「わぁぉ…」
そこに居たのは、竜だった。
水色の鱗の、スイよりは一回りは小さい、しかしダズに比べたら十分すぎる程に巨大な竜が現れた。
「ちょっと、待って!話を聞いて!」
ダズは思わず叫んだ。
スイとは一年も付き合っていたので、会話が通じるかもしれない、と考えたのだ。
「どぉあっ!!」
問答無用でした。
竜の口から恐ろしい勢いでブレスが吐き出された。
同時にダズは、全力で地面を蹴って回避した。
『手』も使った、全力の回避だ。
竜が吐き出したのは、ブレスと言うか水だった。
ウォーターブレスとでも言うべきか、さながらウォーターカッターの様に圧縮された水鉄砲だった。
一瞬前までダズの立っていた地面に、パックリと亀裂が生まれていた。
ダズはだらだらと冷や汗を流しながらそれをちらりと見て、竜の動きを見逃さぬように睨み付けた。
ダズは冷静に戦力分析をした。
絶対勝てない。
スイ程突き抜けてはいないが、普通に勝てない。
そう確信した瞬間、ダズは逃亡することを決意した。
しかし背を向けて走ったら、竜はウォーターブレスを吐いて来るだろう。
竜は一瞬戸惑った様子だった。
ウォーターブレスを避けられるとは思わなかったのだろう。
しかしそれで諦めてくれる訳ではなく、再びウォーターブレスを吐こうとしてか、大きく息を吸い込んだ。
「ッ!!」
ウォーターブレスが吐き出される瞬間、ダズは『手』をいっぱいに伸ばして、竜の顎にアッパーカットを叩き込んだ。
竜の口が強制的に閉じられ、爆発したかのように水を破裂させた。
その結果を見ることも無く、ダズは竜に背を向けて一目散に駆け出した。
不意打ちは成功した。
が、二度は通じないだろう。
背後からまたバッシャァァン!と大きな水音が聞こえて来る。
上手く行って、倒れてくれたのだろう。
『手』をフルに使った全力疾走で、ダズはあっという間に湖から逃亡した。
ダズは逃げ切れたらしい。
背後から竜の怒りの咆哮が聞こえて来るが、竜が怯んでいる間に視界外に逃げ切ることが出来たのだ。
そのまま身を隠してこそこそと身を潜めると、やがて竜は諦めたのか怒りの気配は居なくなった。
そしてそれを確認すると、ダズはどっかりと座り込んだ。
「……まじか」
命がけの全力疾走は流石に疲れた。
周囲の警戒は怠らないように意識していたが、正直かなりぞんざいになっていただろう。
それでも何も寄って来なかった。
あの竜の縄張りのすぐそばなのだから、それも当然のことだろう。
「くっそ……」
しばらく休憩したダズは悪態をついて立ち上がった。
湖を大きく迂回して、暫く周囲をうろつくと、ちょろちょろ流れる小川を発見できたので、小川を伝って歩き出した。
少し歩くとすぐに森の中に通じた。
見るからに、人が踏み入れたことが無い地面が広がっている。
人里が近くにある様子は無い。
同時に問題も発生した。
人間生きているだけで腹が減る。
ましてや半日歩き通した後に全力疾走までさせられたのである。
人里も、近くにある様子は無い。
背に腹は代えられなくなって来た。
「……」
生き物の気配を感じたダズは息を殺し、そっと木陰から顔を覗かせた。
そこには、やはり見たことが無い動物が居た。
見た目は小型の猪だ。
ダズに気付いた様子も無く、暢気に草に顔を突っ込んでいる。
しかしその猪の背中には、トサカの様なものがあった。
覚悟を決めたダズは、その猪もどきを仕留めた。
ダズは難しい顔で、猪もどきの死体を見つめる。
やはり見覚えはない。
背中にこんなものが生えている猪など、聞いたことも無い。
剣でトサカを突いてみたが、柔らかくプニプニしている。
ダズは少しばかり悩んだが、それでも見た目は猪なのだ。
「大丈夫、かな」
ダズはその肉を焼いて食べた。
腹痛とかに悩まされることは無かったので、大丈夫だったようだ。
ダズはそれから五日ほど歩いた。
小川があるので水は問題ない。
食料も、今のところいくつかの獣を狩って食べたが問題は無さそうだ。
「お」
五日目にして、道を発見した。
獣道の様ではあったが、かなり踏み固められている。
ようやく人里に出ることが出来るかもしれない。
ダズは表情を緩めて、その道を辿り始めた。
辿り始めてすぐに違和感に気付いた。
「…?」
ところどころに見える足跡が、やけに大きい。
かといって獣の足跡ではない。
残っているのは人の足跡なのだ。
しかし、ダズの倍はあろうかという巨大さである。
更に進むと、生臭い匂いを感じ始めた。
ダズは眉を顰めて、臨戦態勢を整えて歩みを進めた。
また進むと何かの気配を。
更に進むと、『ぶふー、ぶふー』と言う荒い息遣いが聞こえて来た。
ダズは、今追っているこの足跡の正体が人間ではないことを確信した。
「……」
出会ったのはダズの予想通り人ではなかった。
いや、体は人のように見えた。
ただし、身長がダズの倍はあり、全身が力瘤で盛り上がっている様な、だ。
そしてその体の上には、体の大きさに見合った牛の頭が乗っていた。
その目の尋常ではないこと。
ギラギラと危険な瞳に輝かせており、突然木を殴ったりしている。
恐ろしいのはその腕力で、枯れ木でもないのに、殴られた木がへし折れていた。
「…魔物、か?」
見たことは無い魔物だ。
聞いたことも無い。
兎にも角にも、こんな危険な生き物と、遭難中に戦う理由は無い。
ダズはそっと身を翻し、そいつから離れようとした。
そこで、バギィッ!と言う音が響いたかと思うと、ダズの目の前に木が倒れて来た。
あの怪物が適当に木を殴ったのだろう。
それが運悪く、ダズの方向に倒れて来たのだ。
「ッ!」
ダズは咄嗟に回避した。
回避したおかげで、倒れる木がたてる以外の音を鳴らしてしまった。
怪物の顔が俊敏に動いた。
ダズの鳴らした物音の方向へ。
即座にズシンズシンと駆けこんで来る。
「ちっ!」
ダズは、もう逃げることは諦めた。
逃げて逃げれないことは無いだろうが、こんな土地勘も無く、視界も悪い中で走り出して迷ったらどうなるか分かった物ではない。
即座に始末し、逃げ出すことに決めた。
そうと決まれば話は早い。
ダズは剣を抜き放ち、駆けて来る怪物に向けて飛び出した。
怪物にとっては突然茂みから出て来たように見えただろうが、そいつは全く怯むことも無く剛腕を叩き付ける様にして振るってきた。早い。
見た目の割に鋭い。
「ぬっ!!」
ダズは精一杯身を縮めてその剛腕を回避した。
頭の上をぐぉん!と腕が通過し、髪が数本持っていかれた。
ダズは駆ける勢いを止めることなく、怪物の横をすり抜けた。
すり抜け様に、隙だらけの脇腹を剣で切り裂きながら。
「りゃっ!!」
筋肉に覆い尽くされた脇腹は、あっさりと裂けた。
手応えの無さにダズが驚いたほどの簡単さだった。
しかしダズは驚きをかみ殺して横を駆け抜けると、更に間合いを取ってから振り返った。
ダズの一撃は狙いたがわず、怪物の腹を半分ほども切り裂いていた。
怪物はあっという間に下半身を血で染め始め、内臓すら覗いている。
どう見ても致命傷だ。
だと言うのに。
怪物は再びダズに向けて駆けて来た。
流石に先ほどよりも遅いが、その目は全く怯んでいない。
ダズは再び迎え撃つために駆け出した。
先ほどよりも随分と襲い攻撃を、今度は余裕をもって回避して、怪物の逞しい片足を切った。
「せいっ!」
一撃で、筋肉ばかりか骨ごと断った。
片足を失った怪物が体勢を崩したところで、ダズは降りて来たぶっとい首筋に剣を叩き込んだ。
「ッ!」
首を失った怪物はどさりと倒れ込んだ。
しかし首を失ってなお、体がビクビクと痙攣している。
ダズは油断せず、しばらく痙攣する体を睨み続けた。
数分もの間痙攣を続けた体が、ピタリと止まる。
流石にこと切れた様だ。
しかしむせ返る様な臭いにつられてか、周囲からざわざわと何かが近寄って来る気配を感じる。
ダズは血の匂いの漂う場所を早々に離れ、慌てて小川を伝って降り始めた。




