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Love letter  作者: 冬野 暉
本編
7/12

6 果たされた約束

 綾羽さんに手渡されたのは、一通の手紙とひとつのキャンバスだった。

 飾り気のない封筒の表には、懐かしい筆跡で『二美花へ』と書かれている。裏をめくると『一至より』の文字。

 お兄ちゃんからの、最後の手紙だ。

 そしてキャンバスには――。

「これ……」

 あたしは言葉を失った。

 そこに描かれていたのは、ひとりの少女だった。入道雲が浮かぶ夏空と波頭のきらめく海をバックに、屈託のない笑顔をこちらへ向けている。彼女が立っているのは波の打ち寄せる白い砂浜だ。

 少女は、あたしと同じ顔で笑っていた。

「……綾羽さん?」

「いいえ、これはあなたです。ちょうど同じ年頃でしょう?」

 確かに、言われてみれば少女は十六歳――あたしの年齢ぐらいに思える。その笑顔も、綾羽さんが浮かべるガラス細工のように繊細なものじゃなくて、年相応の快活な表情だった。

「向日葵みたいだね」

 あたしの後ろからキャンバスを覗きこんだ日高さんが、ぽつりと呟いた。

「その絵は、一至くんがわたしを参考にして描いた、あなたの肖像画です」

 綾羽さんの言葉に、あたしはハッと息を呑んだ。

 彼女はほのかな笑みを浮かべた。それは過去を懐かしんでいるようにも、悲しんでいるようにも見えた。

「わたしと一至くんのはじまりは、それがきっかけだったんです。『モデルになってくれないか』って声をかけてきて……。彼が本当はだれを描こうとしていたのかを知ったのは、ずいぶんあとになってからですけど」

「……約束したんです」

 あたしはぎゅっとキャンバスを抱きしめた。

 目の奥が熱い。じわりと視界が滲んで、歪んでいく。

 お兄ちゃんの死を知った瞬間凍りついたものが、ゆるゆると溶かされていく。まるでキャンバスが燃えているように、その熱に冷たい氷は崩れて、溶け出した水は涙になってこぼれ落ちた。

「いつか、あたしが大きくなったら……絵を、描いてくれるって……っ」

 最後は言葉にならなかった。

 唇が震える。喉の奥が引きつって、掠れた嗚咽がこぼれた。

 ずっと、ずっと不安だった。

 お兄ちゃんはあたしのことをどう思っていたんだろう。嫌いだったんじゃないか。憎かったんじゃないか。お兄ちゃんの居場所を、あたしは奪ってしまったんじゃないんだろうか。

 だから、……家を出たんじゃないんだろうか。

 怖かった。

 気まぐれに送られてくる絵はがきにすがるように、たくさん、たくさん手紙を書いて。お兄ちゃんにあたしのことを知ってほしくて、嫌いになってほしくなくて。

 だって、あたしは。

 あたしは、――お兄ちゃんのことが、好きだから。

 お兄ちゃんのことが、大好きだから。

 ねぇ、お兄ちゃん。

 今ならわかるよ。

 あたしはずっとずっと昔から、あなたに恋していたんだ。その優しさに、その笑顔に、そのぬくもりに、恋していたんだ。

 だからこんなにも、あなたがいなくて悲しい。寂しい。

 涙が止まらない。

 ねぇ、お兄ちゃん。

 なんで死んじゃったの? なんでいなくなっちゃったの? なんで――何も言ってくれなかったの?

 お兄ちゃん。

 お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん……お兄ちゃん。

(どうした、二美花)

 思い出のなかの、お兄ちゃんが甦る。

 幻だっていい。

 お兄ちゃんに会いたい。声が聞きたい。抱き締めてほしい。

 でも――叶わない。

 窓から吹きこんでくる風が頬を撫でていく。それはどこか、もう二度と触れることのない、お兄ちゃんの指先のようで。

 あたしは小さな子どものように、声を上げて泣いた。

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