5 それは、偽りという名の(2)
同じ顔のひとが目の前にいるっていうのは、なんだか奇妙な気分だった。
綾羽さんはあたしよりもずっと年上で(たぶんお兄ちゃんと同い年くらいだ)、病人だからか、折れてしまいそうなくらい華奢だった。髪の長さも違う。でもその顔立ちは、まるで鏡に映したようにあたしと似ていた。血のつながりがないのが不思議なくらいだ。
この街へ向かう電車の中で見た日高さんの複雑な表情、昨夜の真柴さんの発言の理由がやっとわかった。
「……びっくりしたでしょう?」
パジャマの上に薄手のカーディガンを羽織った綾羽さんは、困ったように微笑んだ。なんというか、あたしよりもずっと優しい表情をする女性だ。
あたしと日高さんと真柴さんは、病室に備えつけられていたパイプ椅子を引っ張ってきて腰かけていた。綾羽さんは上体だけ起こして、枕をクッション代わりに背中に当てていた。
開け放たれた窓から生ぬるい風が吹きこんでくる。そこに潮の香りを見つけることはできなかった。
「わたしも、知っていたけど、驚いたわ。こんなにそっくりだったなんて……」
ため息をつくような声。あたしはきゅっと拳を握りしめると、綾羽さんに尋ねた。
「あの」
「なんでしょう」
「知っていたって……兄は、その、あたしと似てるってこと、言ってたんですか?」
隠していたとばかり思っていた。だって……普通は言えないじゃない。あなたは私の妹にそっくりなんです――なんて、そんなこと。
だけど、綾羽さんの答えは違っていた。
「教えてもらいました、何もかも。最初から、出会ったばかりの頃に」
それは――。
彼女はいつの間にか、自嘲するような笑みを浮かべていた。
「二美花さん。わたしは、……あなたの身代わりだったんですよ」
身代わり。
聞き慣れないその言葉に、あたしは思わず息を詰めた。
「一至くんの心は、いつもあなたに向いていました。わたしが入りこむ隙なんてないくらいに。彼はわたしを通して、あなたを見ていました。でも、わたしはそれでもよかったんです。わたしは一至くんを愛していたから」
綾羽さんは、そっと目を伏せた。色素が抜け落ちたように青白い頬に落ちる睫毛の影は、あたしよりも長かった。
「妹さんの代わりでもいいからそばにいさせてほしいって、わたしから言ったんです。彼は優しいから……そしてあなたの面影を求めていたから、わたしの願いを聞いてくれたんだと思います」
そんなの。
そんなのって、あんまりだ。
悲しくて、虚しいだけじゃない。そばにいたって、苦しくて、つらくて、傷つくだけじゃない。
それなのに、どうして?
「……兄は、あなたを愛していたんじゃないんですか」
掌にぴりっと痛みが走った。拳を強く握りしめすぎていたせいで、伸びた爪が皮膚に食いこんで血が滲んでいた。
「二美花ちゃん、手……」
それまで黙っていた日高さんが驚いたような声を出した。
「大丈夫です」
我慢できないほどの痛みじゃない。みんなの目から隠そうと手を引っこめようとしたけれど、それよりも一瞬早く、綾羽さんに手首を掴まれた。
「ちゃんと手当てしなきゃダメよ」
彼女はまるで自分が怪我をしたような顔をしていた。
「康多くん。床頭台の一番下の引き出しに救急箱が入ってるはずだから、取ってくれる?」
「おっけー」
真柴さんはひょいっと椅子から立ち上がると、言われたとおりに引き出しを開け、小ぶりの救急箱を取り出した。
「あいよ」
「ありがとう」
綾羽さんは救急箱を受け取ると、中から消毒液と絆創膏を取り出した。床頭台の上のティッシュを取り、傷口の周りを拭ってから容赦なく消毒液をぶっかける。
「いっ……!」
さっきよりも数倍の痛みに、思わずあたしは声を上げた。綾羽さんはてきぱきと手当てを進め、最後に大判の絆創膏を貼った。
「はい、終わり」
「あ……、ありがとうございます」
「どういたしまして」
救急箱の蓋を閉めながら、彼女はにっこりと微笑んだ。だけど、たちまち陰りを帯びる。その視線が再び下を向いた。
「さっきの質問、まだ答えていませんでしたね」
綾羽さんは救急箱の把手を指先でいじりながら、呟いた。
「……その愛はきっと、わたしの欲しかったものじゃありません。だって――一至くんが『愛していた』のは、あなただもの」
愛していた。
その意味を自分自身にごまかすことは、できなかった。
「あなたに、お渡しするものがあります」
綾羽さんは顔を上げると、あたしをまっすぐ見つめて言った。
「受け取ってもらえますか?」
それは質問じゃなくて確認だった。
「――はい」
あたしは頷いた。