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Love letter  作者: 冬野 暉
本編
5/12

5 それは、偽りという名の(1)

 昔から病院というところはあまり好きじゃなかった。

 まるで水底にいるような静けさ。薬品のにおいが混じった、ひんやりとした空気。陽が射しているのにどこか薄暗い廊下を歩いていると、だんだん息苦しくなってくる。

「二美花ちゃん、大丈夫?」

 隣を歩く日高さんが顔を覗きこんできた。

「え?」

「なんだか顔色が悪いよ。さっきからずっと黙りっ放しだし」

「……そうですか?」

 ――だから顔が近いんですってば!

 気遣わしげに訊いてくる日高さんに曖昧な笑顔を返しながら、あたしはさりげなく彼と距離を取った。

 癖なのか、日高さんは人と接するとき、相手の距離をあまり考えていないことが多い。今だって間近で見つめてきたりする。しかも無自覚だから尚更たちが悪い。

「まぁ確かにこんな、心気臭ぇとこにいれば気持ち悪くもなるよなぁ」

 あたしたちの後ろを歩く真柴さんが、なぜかにやにやしながら呟いた。日高さんは眉間に皺を寄せる。

「おまえな、そういうこと言うなよ。……なんだよ」

「別にぃ?」

 にやにや笑いが更に深まる。……明らかに「別に」っていう顔じゃない。

 日高さんは何か(たぶん文句を)言おうとして、結局、長いため息をひとつ洩らした。

「……おまえと話してると、ホント疲れる」

 ちょっぴり同意したくなったのは、真柴さんには内緒だ。

 そうこうしているうちに、目的の病室にたどり着いた。スライド式のドアの横の札には、『407号室 杉村綾羽』の文字。受付で確認したとおりの部屋番号だ。

 着いてしまった。とうとう来てしまった。

 さっきの会話で浮いていた心が、一気に重くなる。なんだかよくわからない、いろんな感情が入り混じったものがこみ上げてきて、喉の奥が嘔吐したあとのような、いやな感じになった。

 だけど、行かなくちゃ。

 日高さんがドアをノックする。

「綾羽さん、徹です。康多と……二美花ちゃんを、連れてきました」

 しばらくして、やわらかな女性の声が返ってきた。

「――どうぞ」

 心臓がとどろいた。

 このドアの向こうに、お兄ちゃんの奥さんがいる……。

「失礼します」

 日高さんの手がドアにかかり、そして――開かれた。

 あまり広くない個室だった。陽が射しこむ大きな窓があり、磨いたように青い空と――お兄ちゃんが好きだった、真夏のきらめく海が見える。そのそばに置かれたベッドの上にいる線の細い女性と、視線が絡まった。

 彼女の顔を目にした、その瞬間。

 あたしは――どうしようもないくらい、泣きたくなってしまった。

「…………はじめまして」

 彼女も同じだったのだろうか。

 その色の白い、……あたしとそっくりな顔に、涙を堪えるような笑みを浮かべた。

 どうしてだろう。あの、小さな頃にお兄ちゃんと交わした約束を思い出す。

(じゃあ二美花が大きくなって、ちゃんとおとなしくしてられるようになったら描いてやるよ)

 お兄ちゃん。

 お兄ちゃん、お兄ちゃん、――お兄ちゃん。

「一至くんの妻の……杉村綾羽です」

 どこか、遠い場所で。

 今、一番聞きたい声が、呼んでくれたような気がした。

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