【タヌキの後編】
<三>
この場合、ミナコが誤射、ということはあり得なかった。彼女は機械のように体で反応し、自分を狙う標的の発せられた拳銃のポジションから、発砲した人物の額の位置を正確に割り出して瞬時に狙撃している。
その通り、少年の腕には狙撃用ハンドガンが握られていた。弾丸は不発だ。
……ええ?! この少年がヒットマン?! なわけないわよね……
しかし少年は額に弾丸をうけながらも崩れない。全く動かない。確かにヒットしたはずの額からは血が噴き出るどころか、その形跡もミナコのいる場所からは、はっきりと確認できない。ミナコは床に這いつくばったまま片膝を立て、すぐに横っ飛びできる態勢を作りつつ、反射的に少年の心臓へ照準を合わせ、両手でぐっと拳銃を構えていた。
ミナコは既にアラサーの年増女ではあったが、未婚であり、まだまだ恥じらい多き女性である。ゆえに彼女はホテルの女性用制服のボトムがパンツスーツではなく、ややタイトめなプリーツスカートであったことを腹だたしく思った。動きにくいし、いちいち男の視線が気になって仕方がない。ミナコのスカートは、今やハチャメチャにまくれ上がっていて、殆ど腹巻きに近い状態になってしまっている。
……うーん気になる。うしろにいる筈の劇画に登場するヒットマンのようなちょっといい男の視線……
うしろにいる筈の、劇画に登場するヒットマンのようなちょっといい男は、緊張のあまり股間をびしょびしょに濡らしていたが、幸か不幸かミナコからはその様子が見えない。
緊張感がやや欠けてきたので、現場の状況に話を戻そう。
今は命を懸けた闘いの最中だ。
ミナコが這いつくばって、少年の心臓へ照準を合わせ、両手でぐっと拳銃を構えていたところから……。
少年もミナコの額のど真ん中に両手でしっかりと照準を合わせたままである。彼は目が見えるのか……。お互い銃を構えながら、しばらく向き合う二人。ミナコの頭の中にはみるみる昔の記憶がよみがえってきた。その少年の顔は、あの時、誤射で撃った男の子の顔になっていた。
当時、男の子は死んでいなかったのか。
いや仮にあの時一命をとりとめたとしても、今、ミナコは殺してしまったはずだ。
少年は微笑んでいる。確かに額を貫いたはずなのにいったい何がどうなっている?
少年の方からそれらしい声が聞こえてきた。殆ど表情も変わらず、唇の動きも見て取れない。
「おばさん。今さっきパパのこと、殺さなかったね。どうして?」
「……パパ? ……」
ミナコはさらなる疑問に包まれ頭が真っ白になり半ば放心状態に陥った。
……おばさんって、誰だ? まさか私のことじゃないよね? ……
――あのねえ。ミナコ。真面目にやってね! 疑問はそこ(おばさん)ではないのよね。ここは、ヒットしたはずの人間がなんで喋ってるか、でしょ! さっき膝を割ったヒットマンは、この子の父親なの? でしょ! ――
「ねえ。なぜパパを殺さなかったの? どうして?」
気が付くと、会場内の二十名ほどのボディーガード連中がほとんど全員、ミナコに向けて短銃を構えている。銃を構えた少年の方へは全く向けられていない。どうやら先ほど男性の膝を撃ち砕いた犯人はミナコだとバレてしまっているようだ。
彼らが銃を構えるのは当然のことである。非常事態に備えるのが本来の彼らの仕事なのだから。でも、彼らは全然事情を分かっていない。
ミナコは抵抗をあきらめて、拳銃を床に置き、ゆっくりと立ち上がり、掌を頭の後ろへ回し指を組んだ。
横の方へ目を移すと、ミナコにひざを撃たれ動けなくなっていた少年の父親とおぼしき男が気を失ったまま担架に載せられている。
何かを感じて再び車椅子の方へ視線を戻すと、車椅子にいた少年の姿が忽然と消えてしまっていた。
「車椅子の少年は?」
銃を構えながらミナコの方へ近付いてきたボディーガードの男に、ミナコは問いかけた。
「何のことだ」
「あれ、あそこにいた少年……」
ミナコはわざと車椅子を指差した。
男は、ミナコの指差す方向に目を移した。そして慌てて気が付いた。
「あっ、こら! お前、腕を頭から離しやがったな!」
気が付いたのも、あとの祭りだ。ミナコは二mほどまでに近付いたその男の鼻の穴に、伸ばした腕の指先を突っ込み、反対の手で腕を捻りあげ拳銃を奪った。
「フガッ!」
すばやく男の腕を背中に捻り、その男を盾にするように後ろに回ってこめかみに銃を突きつけた。
「ひいっ、あれ~!」と男。
「静かになさい!!」とミナコ。
ミナコはもう一度、車椅子を確認した。
…私、夢を見ていたのかしら。あの少年……
<四>
その数秒後である。
ミナコはとてつもない恐怖を予感した。
……こいつは、罠だ! ……
……人形かあ! 少年は人形だあ!! ……
世界最強のヒットマンは車椅子の斜め後ろ。そこにいた。
タヌキの大きな着ぐるみをかぶっているヤツだ。今はヒットマンのオーラを出しまくっている。
ミナコはそのタヌキの着ぐるみに、ワルサーPPK拳銃の気配を感じ、盾代わりにしていた男の影に瞬時に身を隠し、しゃがみ込んだ。
男の股間ごしに見えるタヌキのヒットマンの『匂い』に、ミナコは確かな覚えがあった。通称、『鉄のオカマR18』。そして『幻のヒットマン』。直接会ったことは過去一度だけある。ミナコがY国の特殊部隊に所属していた当時、ゲリラ組織にいた超ド級の狙撃手だ。
しかしこんなトリックは今だかつて見たことがない!
少年の人形とたんたんタヌキの着ぐるみ……。
彼(?)は当時からもさらに相当腕を上げているに違いない。
この勝負。技術的には明らかにR18ヒットマンに軍配が上がることは疑いの余地もない。しかし、この至近距離では技術の差は殆ど問題にならない。最終的にはどちらが命を捨てる覚悟を持てるか、に勝負の行方は絞られている。
ミナコの体は瞬時に彼女の意志とは全く関係なしに動いていた。
これは、訓練の賜物なのか。
それとも彼女自身の動物的な習性のせいなのか。
弾丸はR18ヒットマンがミナコの額を撃ち抜く直前に極めて正確にタヌキの着ぐるみの額の真ん中をとらえ、これを貫通していた。
R18ヒットマンの弾丸はミナコが発射する前に彼女の額の端辺りに達していた。しかしそれは僅かにミナコの頭をかすめた。至近距離で信じられないような決定的なミスを超一流のヒットマンは犯してしまったのだ。僅か〇・二秒以内の命の駆け引きの中で、最も単純なミスをR18ヒットマンは犯した。R18ヒットマンは何を慌てていたのか……。
慌てること自体がヒットマンとしては失格である。それは考えられない偶然だったのか、あるいは、もう命がないと思ったミナコの心理がR18ヒットマンの精神をいまだかつてないほど混乱させたのか。
しかし、タヌキの着ぐるみをかぶっているR18ヒットマンがその場に崩れることはなかった。
何故だ!
ミナコはまたも信じられないというような目をした。
よく考えれば誰でもわかることなのよね。そう。たんたんタヌキの額は、R18ヒットマンの額ではないのよね。たんたんタヌキの額の中はスッカスカポンポンだから……。
……しっ、しまった! ……
回りにいたボディーガード連中は、皆、ただただ呆気に取られて二人の一瞬の銃の応酬を見ていた。
一発必殺のヒットマン同士、至近距離でなんと両方ともが弾をはずしてしまったのである。
ミナコが大きめの瞬きをする間に、タヌキの着ぐるみはすぐ脇の奥の出口からパーティー会場の外へ抜け出していた。
ミナコには何故R18ヒットマンが逃げるように去っていくのかがわからなかった。
……また罠か?! ……
ミナコは、どうもこれは誘い水のような気がしたが、逃げるものを追うのは彼女の習性である。今やどちらがヒットマンかワケがわからない。
会場の外へ追いかけて行って、ミナコは立ちすくんだ。
……やっぱり罠だった……
<五>
通路には、たんたんタヌキの着ぐるみが、何と二十人くらい、うろうろとしていたのである。
『小説家になろう・ユーザー懇親の夕べ(仮面仮装パーティー会場)』
……仮面仮装パーティーだとぅ?! ……
「はーい。貧困にあえぐユーザーさんには、ボランティアで着ぐるみを無料貸し出ししていまーす。着ぐるみをお持ちでない方は、どうぞ後ろの暗室にタヌキの着ぐるみがありますので、ご利用下さーい」
「…………」
ミナコはタヌキの着ぐるみをかぶった受付のモデルさんのような美しい女性に呼び止められた。
――美しいって、顔、見えないだろ! スタイルも全くわからないし――
「はい。私、華ちゃんでーす。そちらの方も、どうぞ」
……何となく、キャラが被っている……
ミナコはむかつきながら言った。
「いえ! 私はホテルのウエイトレスですから……けっ、結構です!」
華子はにこにこしている。
ミナコはかつてのシリアス小説で完璧な主人公であったので、その実力が認められていたといえども、まさかコメディーの主人公になるとは予想だにしていなかったのである。
もっと、むかつくこと。
作者はミナコより若いと言っているが、到底いい加減な作者の言葉を信用できるものではない。
ミナコは作者の華子に対し、キャラがますます被っていることについて、かなりの不満を抱いていた。
……こいつがアホの作者、華子か。配役にいちいち面倒な注文をつける頭の軽い作者。とうとう自分の小説にまで出てきやがったな。今度こそマグナム弾で、頭、破壊させたろかい! ……
有名なギャグアイドル、『お尻くん』の着ぐるみもいた。えっ? いや、その質感。着ぐるみではない。本物だ!
――もう、この作者のやることは手がつけられない。メッチャ苦茶だ! ――
兎の着ぐるみもいる。
当代、稀に見る絶世の美女だ。
――だから、顔、見えてないっつーに! ――
ミナコがこちらのパーティー会場を覗くと、たんたんタヌキさんが『うようよ』といる。
『なろう』のユーザー先生はどうも貧乏な方が多いようである。
ミナコはもはや絶体絶命であった。頼みの勘(匂い)も混乱していて利かない。肝心のヒットマンを全く特定できないのだ。今この瞬間にも、R18ヒットマンはミナコに照準を合わせている筈だ!!
◇◆◇
その時である。
突然、天井の方から少年の声が降りてきた。
「おばさん。お父さん助けてくれてありがとう。ボク、心配だった。お父さんがボクの復讐するって。そんなことしたら、きっと逆に殺されちゃうよって、何度も言ったんだけどね。お父さんには聞こえなかった。」
「!!」
……だから、おばさんて誰よ! 私、おばさんじゃゼッタイないから……
「お父さんの代わりに今度はボクがおばさんのこと助けてあげるから。いい? おばさんは化粧室に隠れていて……」
何だかワケがわからないまま、ミナコは声の言うとおり化粧室に隠れ込んだ。
ぶちっ!!
突然、鎖の切れるような音がして、十五mほどの高い天井から直径三メートルあまりの大きなガラス製のシャンデリアが落下した。
どどどーーーん。がっしゃーーーん。
「きゃあーーー!」「ぎゃあああ!」
仮面仮装パーティー会場の床の真ん中辺りから、噴煙が上がり、ガラス製の大きなシャンデリアは木っ端微塵になった。会場内は大パニックだ。しかし、ミナコが音と振動に驚いて、化粧室の入り口から顔を出して見渡したところでは、怪我人や死者はいないようである。どうやら、シャンデリアは人のいないところへ落下したようだ。
いや、違う。
間違いなく、一匹のタヌキ、いや一人の人間がシャンデリアの下敷きになっていた。
その着ぐるみの手には、ワルサーPPK拳銃が握られていた。握りの部分に純金を巻いた特注品で、小銃の割りにどっしりと重く安定している。そしてダウンライトの光を反射して金色に輝いている。
ミナコは混乱の中で一歩一歩、確認のためシャンデリアの落ちたところへ近づいていった。
タヌキの着ぐるみのアタマが外れて、中からR18ヒットマンの髭ずらの顔が見えた。
「ア…ン…タ…、何…者…カ・シ…ラ?」
その声は、魂の底から絞り出されてくるような深遠な響きだった。オネエ言葉だけれども……。
世界最強のヒットマン。オカマさま。その目はミナコに対して驚愕の念を発している。
ミナコは何か、映画の『プレデター』のラストシーンを作者がパクッテいるような気がした。中途半端なパクリは、ズルをしているようで良くない。そこですかさずミナコも言葉を添えた。
「あんたこそ、何者よ?」
「知・ラ・ナイノ? テツカマ18ヲ。言ウヨネ~~。ドンダケェ~~~」
空気を読めないようなセリフが返ってきた。でも、死にかけてる人に「空気を読めよ!」はムリか。
……知ってるよ。成り行きで言っただけ。あなたは間違いなくこの世でナンバーワンのヒットマン。でも、あなたに続く人が、そのナンバー2の栄誉を辞退しないかどうか心配ね……
R18ヒットマンの出血はタヌキの着ぐるみに中で噴出しており、助かる見込みはなかった。
『そーれを見ていた小ダヌキがあ、父ちゃんいいもの持ってるねえ……』
寂しい鼻唄がミナコの頭には浮かんできた。
<六>
ミナコは、これ以上逃げ隠れするのをやめ、元のパーティー会場に戻っていった。
事件の発生に、パーティーはとうに中止されていて、何人もの警察関係者が検証を行っていた。
もう一つの会場で起こったシャンデリアの落下事故が伝えられ、警察関係者はおろおろとホテルの通路を走り回っていた。
ミナコは会場入り口の脇にいた図体のでかい、震えているボディーガードのお腹を指で突いた。
その男は、ミナコの顔を見るなり、腰が抜けたようにその場にへたりこんだ。
「どうしたの? 早く私を警察につき出しなさいよ。これ以上バイオレンスを続けさせない方がいいんじゃない? この先、何がどうなったって知らないわよ」
少し離れたところに、元首相の妻のボディーガードがいて、ミナコのその声が彼には届いたようだ。
彼は、ただ一人、今の状況の中で判断力を残しているようである。
彼は、ミナコを見ながらしっかりとうなずいていた。
…そう。ヒットマンなんてやめだ。今の依頼も断ろう。私は普通の人間になるんだ……
鉄のオカマR18、世界で多くの名声を得た幻のヒットマン。その哀しい末路を目の当たりにして、ミナコはそう決心していた。
◇◆◇
「狙撃用のハンドガンが車椅子の上に有りました。一発発射されています。シャンデリア落下事故の会場の弾痕はおそらくこいつのものです」
警察関係者の一人の報告がミナコの地獄耳に入ってきた。
ミナコは車椅子の方を見た。
少年が腕に構えていた狙撃銃が、警察関係者の腕の中にあった。
ミナコは思った。
……これって本当にR18ヒットマンの罠だったのかしら……。そうじゃあないわ。きっと……
……シャンデリアの落下は、きっと、事故じゃない……
その狙撃用ハンドガンは、夢と現実、或いは、あの世とこの世の両方の世界が同時に存在していることを伝えようとしていたのかも知れない。
「ありがとう、少年……」
ミナコは、そう言って目を閉じ、天井へ向かってひたすらに掌を重ねた。
今は秋も随分と深まってきている。
この会場の一方面はその半分くらいがガラス張りになっていて、中庭の大きな木々が秋の嵐に激しく揺れているのが見える。
風に耐え切れなくなった木々の葉たちが目の前で舞い始めた。
ミナコの目には、これが落ち葉舞う、金色の嵐のように輝いて見えていた。
河野夜兎先生、気持ち元気になったかなあ……。
【華】




