その二
6853
真実に私を慰めるものとは必ず同時に私に課題を与えるものです。使命を告げるものです。実はそれこそが慰めの本体だからです。何もしなくて可い、ただ其処にそうして在るだけで一切は上手く運ぶだろうと、そうは言いません。私が動いて何事かをしなければ私自身が破滅だという厳粛な秩序を私に教えるのです。
この世に於ける慰めとは何なのか。それは実は憧れ、目指し、動き、到達しようとしている者にしか論理的に存在する事が出来ないのではないでしょうか。
6854
誰だって生活に余裕が欲しいです。私だって月に一万円の余分があれば随分気持ちが楽だと思います。現状では正に『気を抜いたら終わり』ですから。しかし考えてみればこれも贅沢な話です。私は気を抜いたら終わりという状況を苦にしていますが、私の暮らしている場所は空からミサイルなど降って来ませんし、私の大切な人達は皆平和に暮らす事が出来ているのですから。現時点で私自身を含め誰も病気に罹ってもおりませんし。
何があれば嬉しいかという話は、斯くそれ自体かなり相対的な次元に横たわるものだと思います。詰まり状況に拠ってそれは変わります。ところが人にとって本当に重要な事というのは状況に拠って変化しない幸福、自分の幸福の素因です。その幸福をずっと目指して生きる事の出来る変わる事の無い目当てです。それを見付けるべきではありませんか。見出すべく努力すべきではないでしょうか。暑ければ潤沢な冷房費が欲しいし寒ければ暖房費、そして旅好きならば旅行代金などと、くるくる変わるその時々の欲求に基づいた『願望』ではなく生涯を通じて自身を導いてくれる希望を探すべきです。
6855
若しも私自身、今日と十日後で一番欲しいものが変わって仕舞っていたら私は自分という人間を馬鹿だと見做すでしょう。別に馬鹿だと見做したいという欲求が私の中に在る訳ではないのですが、それでも自己に対する信頼と謂うか自ら恃む心持ちと謂うか、そういうものを抱く気持ちになれません。そんな感じでは一ヵ月後私は何を欲しがっているか分かったものではありません。そんな自分を何うして信頼する事が出来ますか。私は思うでしょう。私は一人の、歴史をもった、統一統覚されている人間なのかと。
だから臨機応変に『適応』する事のみをもって恰も人生の波の上を上手に乗り継いで行く人を見ても、私は更々憧れる気持ちを起こしません。あれはいつの日か波間に没するだろうとの予測を立てます。それも決して遠からず。私が倣いたしとの念を抱くのはいつも目的をもって生きている人の姿です。その目的を知りたい。それが私の抱く目的と本質に於いて本当に異なるものであるのかを確認したいのです。それが真実に私の抱くものと全然違うものであってそれでいてそれだけの生きる動力を紡ぎ出しているというのであれば、その時私は最も素直な意味に於いて驚嘆するでしょう。
6856
愛する人を瞼に思い描きましょう。心に想いましょう。あなたが外科手術をする医師であるとかその看護士であるとか、或いは運転機械操作に従事するミスの許されない仕事に就いていてその仕事中でないのならば。
大抵の事をしているよりもその事の方が値打があります。違いますか。私ならそう思いますが。
ブログは毎日更新しています。
https://gaho.hatenadiary.com/




