第1話 情報量の多すぎるスポーツ、ルーン・ラッシュ
スタジアムを縦横無尽に駆ける四人の美少女。
俺はそれをただただ、ぼーっと眺めていた。
フィールドには三つのボールが舞い、少女たちは比喩なしに飛び、彼女らの手のひらから放たれた魔法の弾が、スタジアムを覆うバリアで跳ね返っている。
「ジャスミン! 赤ボールお願い!」
「おっけー、任せて」
ジャスミンと呼ばれた少女が、よく晴れた空に溶け込みそうな長い髪をなびかせて疾走する。
その隙間から覗く尖った耳を見て、ああ、人間じゃないんだな、と思った。
どうやらエルフ、という種族らしい。
そこまでは、さっき分かった。
「熱っ! あつあつあつあっ――ついなもう!」
赤ボールというのは、たぶん、あれのことだ。
三つあるうちの一つ。
ずっと燃えている、触ったら絶対に火傷しそうなやつ。
ジャスミンは何か魔法を使って、燃え盛るそれを直接触れないように引き寄せ、
バリアの外周に設置されたリングへと放り投げた。
――火の玉ストレート。
そんな言葉が、脳裏をよぎる。
リングの内側にボールが触れた瞬間、
掲示板の数字が一つ増えた。
……たぶん、点が入ったんだと思う。
ということは、あれがゴール、なんだろう。
しかし、まずいことになった。
意味の分からないスポーツを見せられているだけならいい。
テレビで中継を眺めていても、ルールを全部理解しているわけじゃないことは多い。
それに何より、目の前で美少女たちが青春の汗を流している。
眼福だ。正直、最高だ。
ただ――問題が一つ。
「これ……この後、コメント求められるよな。絶対に」
どうやら俺は、この意味不明なスポーツのレジェンドプレイヤーに転生してしまっているらしい。
当然だが、こんな競技、俺は知らない。
コメントを求められても、「最高でした」とか「本当にありがとうございました」とか、その程度のことしか言えそうにない。
それでも――
何かそれっぽいことを言わなければならない。
女の子を泣かせないため。
そして、俺が不審者としてその場で取り押さえられないために。
こうなった理由はシンプルだ。
話は、俺がこの世界に転生してきた――約一時間前に戻る。
目が覚めて最初に目にしたのは、青々とした木々の作る暖かな木漏れ日だった。
緑溢れる公園に寝そべっている――鼻腔をくすぐる草の匂いが、俺にそう告げていた。
ポスターで埋め尽くされた自室で寝ていたはずだったのだが、いつの間にか外に出ていたらしい。
意味もなく外出して、あまつさえ自然を享受するなどオタク失格だな。
そう思って身体を起こした時に、まず最初の違和感があった。
「身体が……軽い」
思わず呟いたその声が、二つ目の違和感だ。
やたらと渋い、大人の声だ。家族以外とほとんど話さない高校生から出るはずのない貫禄が漂っていた。
立ち上がると、思った以上に景色が下にある。
「……高くないか?」
そう呟いて、首を傾げる。
念のため辺りを見回すと、少し離れた場所に、城壁のような建物が見えた。
駆け寄って、窓ガラスに反射する自分の顔を覗き込む。
「……なかなかイケメンだな」
顔が変わっていることをこのリアクションで済ませていいのか、とは自分でも思う。
だが、外に出なさすぎて肌が白いことだけが取り柄だった俺が、あごひげの似合うダンディな大人になっている。
……悪くない。
「なるほど、異世界転生だな」
わからないことが多すぎて、俺はそう結論づけた。
その方が、楽しいからだ。
「見たところ、剣は持ってないんだな。まあ、顔がいいだけでお釣りがくるとしよう」
窓の向こうは、図書館……いや、図書室か。
制服に見えなくもない、統一された服装の少女たちがいる。
「角……と、あれは……羽?」
一瞬、ハロウィンかとも思ったが、どうやらそういう世界に転生してきた、という線の方が濃そうだ。
さて。
あれが図書室で、ここが学校だとすると。
中にいるのは、どう見ても女子生徒ばかりだ。
男子の姿は見当たらない。
……なるほど。女子校か。
「このダンディなイケオジの俺は……なんだ?」
可能性その一。
この学校の教師。
可能性その二。
女子校に侵入した、不審なおじさん。
「やばいやばい。マジでどっちだ?」
普段着ないようなオシャレな革ジャケットの、ポケットというポケットを必死に探る。
教師なら、ICカードとか、それっぽいものを持っているはずだ。
「……ない。ない! なんにも!」
財布すらない。
一文無し、身分証明書なしの不審者おじさんが、ここに誕生した。
「一旦、見つからないうちにここを離れよう」
窓の中から見られないように身をかがめ、
どこにあるのかも分からない出口を探して、
そのまま歩き出した。
――その時だった。
「あ……あのっ!」
背後から、可憐な声が俺を呼び止める。
「違うんです! 本当に!
あの、間違えてここに来ちゃっただけで!」
我ながら、
声に出す前から言い訳している勢いだったと思う。
半ば振り返るようにして、
恐る恐る後ろを見る。
そこに立っていたのは、どこか困ったように笑う、エルフの少女だった。
雪のように淡い色の髪が、肩口でふわりと揺れている。
光を受けるたび、透明感のある青みが差して、
思わず目を細めたくなるほど柔らかい。
すっと通った鼻筋に、少しだけ下がった眉。
困っているはずなのに、その表情は不思議と穏やかで、こちらを責める気配はまるでなかった。
尖った耳は、髪の隙間から控えめに覗いている。
「私はエルフです」と主張するでもなく、ただそこにあるだけなのに、妙に目を引く。
背は高くない。
体つきも華奢だが、頼りないという印象はなく、
むしろ、きちんと誰かの前に立つ人間の立ち姿をしていた。
その笑顔を向けられて、俺は一瞬だけ、「あ、この子は怒っていない」と直感した。
それが今の俺にとって、
どれだけ救いだったかは言うまでもない。
――だが。
このエルフの少女が、次に発した言葉が、
無情にも俺を悩ませた。
「あの……レオニスさん、ですよね?」
「あー……えっと……」
俺の名前は相原順平だ。
だが、この姿は――レオニス、ということになるのかもしれない。
正直、よく分からない。
だが少なくとも、彼女は「レオニス“さん”」と言った。
つまり、レオニスなら不審者ではない、ということだ。
俺はその可能性に賭けることにした。
「……ええ。まあ。レオニスですけど」
「やっぱり!」
エルフの少女は、
両手を胸の前で合わせ、ぱっと笑みを咲かせた。
よし。
もう決めた。
これからしばらく、俺はレオニスだ。
「あのっ……わたし、ルーン・ラッシュ部の部長をやらせてもらっているジャスミンっていいます」
「な、なるほど……?」
何部と言ったのかは分からない。
聞いたことのない部活動だ。
「その……今日だけでもいいので、練習を見ては……もらえませんか?」
ジャスミンは、怯えているように目に涙をためながら、言葉を選ぶように問いかけてくる。
美少女に、こんな風にお願いされて、断れるわけがない。
「もちろん!」
俺はなるべく自然な笑顔を作り、反射的にそう答えていた。
「本当ですか!? ありがとうございます! あの――万色の覇者と呼ばれたレオニス・ヴァル=クロウ選手に練習を見てもらえるなんて……感激です!」
ぴょん、と。
一拍遅れて、もう一度。
喜びを全身で表現するジャスミンを見て、思わず視線が胸元に引っ張られ――かけたが。
それどころではなかった。
「……クロマ・ドミネーター?」
意味は分からない。
だが。
とんでもない名前を名乗ってしまったという事実だけは、直感的に理解できた。
冷や汗の、最初の一筋が、背中を伝って落ちる。




