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ジジジジ、と目覚ましの音で目を覚ます。
時間は、朝の六時四十分。じいちゃんから言われている集合時間は朝七時。どうやら寝過ぎたらしい。
重たい瞼をこすりながらベッドから抜け出し、湯を沸かす。昨日大量に買い込んだカップラーメンを適当に取り、湯を注いで蓋の上に箸を置く。待ち時間は、身支度を調える時間だ。
ジーンズとトレーナーという簡単な格好に着替え、少しツリ目の目が柔らかく見えるように目尻を下げた。
台所に戻るとほど良い時間で、醤油味のカップラーメンを二分で片付ける。そして緑のエプロンを持って部屋を出て、玄関の鍵はジーンズのポケットに入れた。
「おはよー、じいちゃん」
「わしのことは園長と呼びなさい。それより、時間ギリギリじゃないか。明日からはもっと早く来なさい」
「でも、間に合ってんじゃん」
「五分前からすぐ作業に取りかかれるようにしておくのが、社会人のマナーだ」
腕を組んで俺を待っていたじいちゃんは、早く入るように促し中へ入っていく。俺もそれに倣って裏口から入り、下駄箱へ靴を入れる。室内用の靴に履き替え、マットが敷かれた廊下を歩く。右手には、調理室が見えた。
正面玄関の脇に設置された柱時計がボーンボーンと鳴り、七時を知らせる。
「ほら悠真。早く来なさい。皆に待ってもらっとるんだから」
じいちゃんに呼ばれ、玄関のすぐ隣にある職員室に入る。
「おはようございます、今日からここで勤める……」
挨拶をしながら入り、俺は入口の正面に立っていた人物を見て自分の目を疑った。
「マジで?」
見間違いでなければ、チェック柄のシャツを着たその人は、昨日電車で見た人。一目惚れをした女の人だ。今日は昨日みたいに寝ていないけど、間違いない。
色白の肌と、横の髪が少し長い髪型は特徴的だ。細めだけど瞳は大きくて、鼻が小さい。なんか、パーツが顔の中心にバランス良くあるって感じ。
かわいい。目を引く。
こんな偶然はあるものかと、俺は女の人を凝視する。もしかしたら夢を見ているかもしれないと思って、自分の頬をつねる。
……うん、痛い。夢じゃない!
もう一度彼女を見る。視線を向けられている彼女は、俺の姿を確認するなり眉をひそめた。
「こら、悠真。まだ寝ぼけとるのか。そんなところに突っ立っとらんで、早く入って自己紹介を済ませなさい」
「あ、えっと、おはようございます。朝海悠真です。あなたのお名前を教えてください」
自己紹介をしながら歩を進め、彼女の目の前に行く。
……うわー。近くで見ても、やっぱり美人だな……。背も、ちっさいし。
じろじろと観察していると、彼女はじいちゃんの所へ行ってしまう。小声で何を話しているのかわからないけど、何か文句を言っているらしいということはわかった。
彼女は、眉間にしわを寄せている。
「あのー……あなたのお名前は……」
どうしても彼女の名前を知りたくて、俺はじいちゃんの周りをうろちょろする。でもすぐ邪険に扱われ、彼女は職員室を出て行ってしまった。
「園長先生。あの人の名前は?」
「和泉君のことより、これから一緒に働く保育士を覚えなさい」
「イズミさんっていうんだ? うん、うん。確かに゛イズミさん″って感じがする。イズミさんはどこを担当してんの?」
しつこくじいちゃんの周りをうろついていると、少し高めの声が聞こえた。
「おやつや園児の昼食を作ってくれているんだよ」
肩を叩かれて振り返ると、茶色い長い髪を二つに結んだ原色の赤いパーカーを着ている女の人がいた。イズミさんより背が低い。
乳幼児は最初に赤を色として認識するらしいから、良い色を着ていると思う。
「そうなんですか。えーと……」
名前がわからず視線を彷徨わせていると、赤いパーカーの女の人が笑顔で教えてくれる。
「あたしは葵ノ本ひより。二歳と三歳の子がいるゆり組みを担当しているよ」
「朝海悠真です。これからよろしくお願いします」
「よろしくー。ところで悠真君。達哉君は美人だけど君と同じ男の人だよ?」
「えっ!?」
葵ノ本さんが笑顔で言ったことが信じられず、すでに姿が見えなくなっているイズミさんを捜す。
「えっ、でも、あんなに美人で小さくて細くて肌が白いんですよ? イズミさんが男の人だなんて、あるわけがないじゃないですか」
「あるわけないって言っても、事実だからねぇ」
「いや、あり得ませんって。イズミさんが同性だとしたら俺が一目惚れするわけありませんもん」
「へぇ。悠真君、イズミさん(傍点)に一目惚れしたんだ?」
「そうなんですよ! 実は昨日、電車の中で……」
葵ノ本さんに昨日の出来事を話そうと意気込んでいると、職員室にイズミさんが帰ってきた。
俺はすかさずイズミさんの前に行く。
「イズミさん! 俺、昨日電車でイズミさんの隣に座ってたんですけど覚えていますか?」
イズミさんが俺を見上げる。俺の顔を確認するように、じっと見つめてくる。
これはきっと、俺のことを覚えてくれている反応だ!
「誰?」
「えっ……」
イズミさんは素っ気なく言うと、俺の横を通り過ぎる。振り返りもしない。
「ま、まあ、イズミさんは寝ていたわけだし、俺のことを覚えていなくても……」
口に出すと、寂しさが増した。
葵ノ本さんにぽんと背中を叩かれる。寂しさがさらにプラスされた。
でも、俺の心境なんて全く関係なく時間は流れていく。自分の所に来ていたイズミさんに、じいちゃんが質問する。
「和泉君、どうしたんだね?」
「ああ、そうでした。園長先生。そろそろ園児が登園する時間です」
「もうそんな時間か。じゃあ葵ノ本君は悠真を案内してやってくれ」
「わかりました」
イズミさんの言葉を聞いて時間を確かめたじいちゃんは、職員室に残っていた残りの女性保育士二名と共に玄関に向かった。
案内を任された葵ノ本さんは俺を手招きし、職員室から出る。
「平日の朝七時半から子供たちが来るから、保育士は玄関で迎えるんだよ。ピンクの名札がさくら組、白がゆり組、黄色がたんぽぽ組になるから」
葵ノ本さんは園児をつれてきた保護者に会釈しながら、説明を続けてくれる。
「名札の色を見て教室に先導して、手洗いの指導をしたり健康チェックをしたり……朝は忙しいから色々大変だよ」
大変と言いつつ、葵ノ本さんの表情に陰りはない。保育士という職業を楽しんでいるように見えた。
「さくら組を担当するのが葛城京香先生。たんぽぽ組が桜ヶ丘夏樹先生。今は忙しいから、後で時間があるときに改めて自己紹介してもらうといいよ」
「わかりました」
「あ! 俊介君。良哉君。おはよー」
葵ノ本さんは登園してきた坊主頭の男の子と、大きいレンズの眼鏡をかけた男の子を発見して玄関に走り寄る。名札は白だから、葵ノ本さんが担当するゆり組の子なんだろう。
「悠真君! あと一時間したら落ち着くと思うから、案内はそれからね!」
葵ノ本さんは二人の園児をつれて教室に向かう。
俺は何をすればいいのかと突っ立っていると、葛城さんが手招きした。足を内股にして立っている男の子がいる。
「ごめん、朝海君。この子をトイレにつれて行ってあげて!」
「はい、ただいま!」
「園児用のトイレは突き当たりにあるから」
場所がわからず辺りを見回していると、葛城さんが教えてくれた。
「わかりました。ありがとうございます」
「せんせー、もれるー」と言う男の子を、すぐにトイレへつれて行ってあげた。
「じゃぁ、夏樹さん。ちょっと悠真君を案内するんで、あとはよろしくお願いします」
髪をお団子にまとめていた桜ヶ丘さんに葵ノ本さんが声をかける。桜ヶ丘さんは内気なのか、葵ノ本さんの話を聞いて頷いただけだ。でもそれはいつも通りのようで、葵ノ本さんは俺をつれて園内を歩き始めた。
「まず、職員室の正面に三クラスあって、その奥には園児用のトイレ。職員用のは医務室の隣。ここは二つしかないから、両方とも使用中だったらアパートの方を使ってね」
葵ノ本さんの後ろを歩きながら、窓から見えるクラスの様子を窺った。
たんぽぽ組には葛城さんがいる。ゆり組ではじいちゃんが園児たちの面倒を見ていた。その様子から、普段であれば葵ノ本さんも教室にいるはずだとわかる。
「すみません、案内してもらっちゃって」
「大丈夫。普段あたしも夏樹さんと一緒に玄関で待機しているから」
「そうなんですか。でも、葛城さんはたんぽぽ組にいましたけど、さくら組の子は見ていなくて大丈夫なんですか?」
「大丈夫。さくら組の心配はいらないよ」
さくら組は四歳と五歳がいるクラス。園児の中では年上の彼らだけど、就学前の子供だ。じっとしているなんて、できるんだろうか。
「悠真君。こっちから中を見てみて」
葵ノ本さんに言われるまま、さくら組の教室を覗いてみる。すると驚いたことに、十人以上いる園児たちは全員静かに椅子に座っていた。
「あれ……」
「たぶんそのうちわかると思うけど、京香さんは厳しいからさくら組の子たちはみんな大人しいんだよ」
どれだけ厳しく接すれば、こんな風に大人しくなるんだろうか。
さくら組の園児たちは、絵本を読んでいる子と何か絵を描いている二つのグループしかなかった。
「悠真君。そろそろおやつができていると思うから、一緒に運んでくれる?」
「わかりました」
さくら組の教室のすぐ近くにある調理室に行き、おやつが載せられているワゴンを引く。 四段あるワゴンには、ヨーグルトをかけたカステラが入っているガラスの器が並んでいる。ヨーグルトの上には、黄桃と白桃が一かけらずつ載せられていた。
「たんぽぽ組とゆり組は、九時からおやつの時間になってるよ。覚えておいてね」
「わかりました」
葵ノ本さんがたんぽぽ組にワゴンを運んだから、俺は手前のゆり組におやつを運び込んだ。




