表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
学園を支配したいじめっ子は洋館に囚われる  作者: にゃんこ雷蔵


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/2

第1夜

夜が来る――

その瞬間を、私は“肌で”感じ取った。


館の空気が変わる。

まるで肺の中まで黒い霧が入り込んでくるような圧迫感。

シャンデリアの灯りが一つ、また一つと消え、最後に残った炎がふっと揺れて消えた。


「……暗い、ね」

零が震える声で言う。

彼女の指先は冷たく、私の袖を掴んで離さなかった。

玲奈が前に出て、低く構える。


「来る。音がする。」


廊下の奥。

コツ、コツ……と規則的な靴音が近づいてきた。

姿が見えたのは、やがて。


黒い燕尾服。

背筋を伸ばし、白い手袋をはめた男。

その顔には、何も――目も鼻も口も――なかった。


「……執事?」

零の声が震える。

でも、その“もの”は何も答えない。

ただ、ゆっくりと首を傾けた。まるで、私たちを“識別”するかのように。


「ようこそ……お嬢様方。」

声は、確かに聞こえた。けれども、それは空気が直接脳に話しかけてくるような感覚だった。


初めての“訪問者”。

これまで誰かのイタズラか、復讐かと考えていたけれど、あの存在は違う。

背筋に冷たいものが走る。


だが私は、恐怖を押し殺し、ただその姿を観察した。

――考える。

――次の行動を選ぶ。


玲奈が動いた。

「黙れ、クソ野郎ッ!!」

叫ぶと同時に、彼女の拳が閃く。

空手と総合格闘技で鍛えた腕が、まっすぐに亡霊の顔を打ち抜く――はずだった。


しかし、拳は何も捉えない。

次の瞬間、亡霊の白い手が玲奈の胸に触れた。


「――ぁ」


それだけで、玲奈の身体が跳ね飛ばされた。

床を転がり、息を詰まらせてうずくまる。

彼女の目は見開かれ、恐怖に濁っていた。


「触られただけ、なのに……ッ」

彼女の声は途切れ、喉を押さえる。

亡霊の“手”には実体がない。

けれど、その指先から、拒絶と怨嗟が染み込むように流れ込んでくる――そんな感覚が、見ているだけで分かった。


零が泣き出す。

「やだ……玲奈……!」


私は冷静に近くの扉を確認した。

周囲の扉は閉ざされている。逃げ道はない。

廊下もだめ。窓も開かない。

残るのは、ただ後ろの階段から“逃げ続ける”しかない。


「走って、零!」

私が叫ぶと、零が反射的に動く。

私たちは階段を駆け上がった。


背後から、コツ、コツ、と靴音が追ってくる。

一定の間隔で、まるで儀式のように。


執事服のナニかは、玲奈のことを一旦無視したようで少しほっとする。彼女なら1人でも逃げられるだろう。


息が乱れ、心臓が痛む。

振り返ると、暗闇の中で執事の亡霊がこちらを見ていた――“顔がない”のに、確かに見られているのがわかった。


「だめ、追ってくる……!」

零が悲鳴を上げ、曲がり角で転倒する。

私はすぐに手を伸ばすが、零の身体は震え、痙攣していた。


「触られた……」

彼女の頬に、見えない何かが這うような跡が残っている。

唇が白くなり、呼吸が荒い。

泡を吹き、目を見開いたまま――動かなくなった。


「零ッ!!」

私は彼女の肩を揺さぶったが、返事はない。


亡霊が、廊下の向こうに立っている。

首を傾げ、ゆっくりと歩み寄ってくる。

私は立ち上がり、後ずさった。

恐怖が全身を貫く。

けれど、逃げるしかない。考えている余裕なんてない。


「……来るなら来なさいよ」

唇が勝手に動いた。

震えているのに、なぜか笑えてしまう。

人間って、限界を超えると笑うのかもしれない。


亡霊の影が伸び、私の足元に触れた。

瞬間、全身に拒絶の感覚が広がった。

まるで心臓を素手で握られたような痛み。視界が歪み、血の音が耳の奥で爆ぜる。


「いや……ッ!!」

床を這い、壁にぶつかる。頭の奥で何かが裂けた。

それでも私は、立ち上がった。

“支配される”のが、何よりも嫌だった。


そして、暗闇の奥で――轟音。


「うおおおおおおおおッッ!!!」

炎がはじける。

階段の下から、玲奈が現れた。

彼女の手には装飾用の長剣。刃先には布が巻かれ、燃えている。


「てめえ、幽霊でも燃えんだろッ!!」

叫びと共に、玲奈が剣を振る。

炎が空気を切り裂き、亡霊の身体を焦がす。

剣から抜け落ちた布が絨毯を焦がし、黒い煙が上がる。

亡霊は一瞬だけ後退し、黒い煙が私たちの姿を隠す。


「今よ、走って!」

私と玲奈は、両脇から零の身体を抱え上げる。

廊下の奥に進み、三人で突き当たり手前の部屋へ転がり込む。

扉を閉め、机を押し当てた。


外からは音がしない。

息だけが響く。

玲奈の顔は汗で濡れ、唇が震えていた。

「……効いたのか?」

「少しだけ。でも……奴は、まだいる。」


私たちは、互いに寄り添うように、隠れるように床に座った。

零の手は冷たい。だが、まだ微かに脈があった。


夜は、永遠のように長かった。

外から、時折、コツ……コツ……と靴音が聞こえた。

それが近づくたび、私は息を止めた。


やがて、どのくらいの時間が経ったのか、館の奥から――鐘の音が鳴った。

低く、重く、それでいてどこか優しい音。


――ゴォォン……


一度鳴るたびに、空気が少しずつ軽くなる。

二度、三度……

亡霊の気配が消えていく。

まるで夜そのものが溶けていくようだった。


玲奈が剣を手放した。

「……朝、だ。」


窓の外に、薄い光が差し込んでいた。

あれほど冷たかった空気が、少しだけ温かく感じる。


「零、しっかりして……」

私は彼女の頬を叩いたが、返事はない。

呼吸も脈も安定している。しかし、体は異様に冷たかった。


私は、玲奈と二人で館を見回る。

執事の姿は、どこにもなかった。

焦げ跡だけが、廊下に残っている。


机の上の黒い本が勝手に開いた。

ページに、新しい文字が刻まれていく。


『第一の夜――“執事”来訪。

生存者:三名。

状態:一名、意識不明。

亡霊の特徴:他界より来たりし男。自我を失い、怨嗟を巡らせる。

接触により、精神を侵す。』


赤黒いインクの跡が、まだ乾いていなかった。


私はそのページを見つめたまま、何も言えなかった。

インクが、まるで脈を打つように微かに動いている。

まさか、こんな……


「……なんなんだよ、これ」

隣で玲奈が呟いた。声が震えていた。

あの玲奈が。総合格闘技の大会で優勝して、男子を素手でねじ伏せるような彼女が、まるで子どものような顔をしていた。


「本なんかが勝手に動くとか……ふざけんな……」

彼女は机を叩こうとして、途中で拳を止めた。

その手が、かすかに震えていた。


私だって同じだ。

頭が追いつかない。

数時間前まで、私たちは教室にいたはずだった。

放課後、零が「プリント渡すの忘れてた」と言って笑って、

玲奈が「お前ら先帰ってろ」なんて言って――

次に目を開けたら、この館だった。


そうして、気づけば夜で、これまで見たこともないような恐ろしいものに襲われて、死人のような冷たさをした零が横たわっている。


「……玲奈、零を運ぼう」

私は本を閉じて言った。



日差しの入る部屋を探すのに時間がかかった。

この館は、明るい場所がほとんどない。

ようやく見つけた南向きの部屋には、埃まみれのカーテンと、古びたベッドが一つだけあった。


零の身体は軽かった。

あの子、見た目よりずっと華奢なのよね。

遠縁だから、小さいころから顔を合わせてきた。

いつも笑ってた。

私が他人にどんなに酷いことをしても、零は「美桜ちゃんが楽しそうなとこ好きだよ」なんて笑ってた。

――まさか、こんな形で隣にいるなんて。


「寝かせよう」

玲奈がシーツを広げる。

血の跡も傷もない。

だけど、彼女の肌は氷みたいに冷たく、唇は青白い。


「……生きてるんだよな」

玲奈が問う。


「ええ、息はある。脈も。」

私は冷静を装って答えた。

でも、心の中では違う声が響いていた。

“このまま、目を覚まさなかったら?”


零の髪を撫で、毛布を掛けた。

彼女の指先は微かに動いたが、意識は戻らなかった。



二人で館の中を回った。

食料を探さなきゃと思った。

生きるために。

冷蔵庫なんてあるわけもなく、食器棚や扉をひとつずつ開けていく。


「……あった」

私は古い戸棚の奥から缶詰を見つけた。

埃をかぶっていたが、未開封。

他にも乾パン、瓶詰のジャム、硬くなったパン。


玲奈が息を吐く。

「マジかよ……よく見つけたな。」


「私、こういうの得意だから。」

少し笑った。

笑わないと、壊れてしまいそうだった。


キッチンの椅子を引き、二人で座った。

パンを温める道具なんてないから、そのまま噛みちぎる。

固くて、味がほとんどしない。

けれど、胃の中に何かが入るだけで、少しだけ安心した。


しばらく沈黙が続いた。

噛む音だけが響く。

やがて、玲奈が口を開いた。


「なあ、美桜。あの“執事”……あれ、なんだったんだと思う?」


「わからない。でも、“生きてはいない”のは確かよ。」

「じゃあ、死んでるのか?」

「死んでる。けど、死にきれてない。……そんな感じ。」


玲奈はしばらく黙った。

その後、テーブルに拳を置いて、小さく呟いた。


「俺、殴ったのに、効かなかった。

 あいつの手が触れた瞬間、頭ん中に……なんか変な音がした。

 “お前もここにいろ”って、そんな声が……」


私は黙って聞いていた。

それは怨念だ。

黒い書物にも書かれていた――“接触により、精神を侵す”。

玲奈は、あの亡霊の怨嗟を少し取り込んでしまったのかもしれない。


「……気にしない方がいいわ」

「無理だろ、あんなの……!」

玲奈の声が一瞬、怒りに弾ける。

けれどすぐに俯いて、拳を握りしめた。


「零、起きるかな」

「すぐには無理よ。」

私は静かに答える。

「たぶん、数日は眠ったまま。」


「なんで言い切れるんだ?」

「感覚の話よ。あの亡霊の“拒絶”を、まともに受けたんだもの。」


玲奈はうつむき、無言でパンをちぎった。

火を通してないパンの匂いが、胸の奥に刺さる。

私は、目の前の現実を受け止めようとしていた。


“これは夢ではない。”

痛みもある。匂いもある。

それに――あの本。


テーブルの上に置いた黒い本を、私は見つめた。

まだ、ページがほんのり温かい気がした。


「玲奈」

「ん?」

「今後どうするか、考えなきゃ。」


「考えるって……どうすんだよ。出られねぇだろ?」


「でも、何もしないわけにはいかない。

 出られないなら、生き延びることを考える。」


「夜になったら、また“来訪者”が来るってことか……?」

玲奈の声に、私は頷いた。


「ええ。書物にそう書いてあった。」

「ふざけんなよ……」

玲奈がテーブルを軽く蹴った。

それでも、彼女の目は諦めていなかった。


「……わかった。次に何か出てきたら、俺が時間稼ぎする。

 その間に、お前は逃げろ。」


「命令口調やめなさい。玲奈。」

思わず言葉が出た。

玲奈がこちらを見る。

その目の奥には、いつもの戦闘前の光が宿っていた。


「美桜、お前は頭が回るし意思が強い。俺は殴るのが得意。

 零は…裏方だ。

 だから、役割分担はもう決まってる。」


彼女の声は、震えているのに、どこか頼もしかった。

その姿に、私は小さく笑ってしまう。


「あなた、ほんと便利ね。」

「暴力装置だろ? 知ってる。」


沈黙。

窓から差す朝の光が、少しずつ部屋の中を照らしていく。

その温かさが、ほんの一瞬だけ、この異常な状況を“現実”に変えていく。


私は零の寝ている部屋を振り返った。

白いカーテンの隙間から光が入り、彼女の頬を淡く照らしている。

まるで、まだ夢の中にいるようだった。


「玲奈」

「ん?」

「零が起きるまで、絶対に死なないで。」


「お前もな。」


そう言って、玲奈は半分笑った。

その笑いが、妙に心に刺さった。

私たちはパンの欠片を食べ尽くし、冷めた紅茶のような水を分け合った。


そして、誰も何も言わなくなった。

館の奥から、時計の針がカチ、カチと音を立てる。

それが妙に心地よく聞こえる。


昼も夜も曖昧な世界。

だけど今だけは、光がある。

その光が、私たちをわずかに現実へと繋ぎとめていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ