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3.


「ジュエリアルの麗しき花、皇女殿下にご挨拶申しあげます。ボードリエ公爵夫人、アウローラ=フォン=ボードリエと申します。お目にかかれて光栄ですわ」


 黒に見えるほど深いグリーンのドレスを纏った公爵夫人は、入室してきたキャロライナに優雅なカーテシーを披露する。

 公爵夫人といえば、現状王女のいないサフィーラにおいて、女性では王妃に次いで二番目に身分が高い。

 しかもアウローラは現国王の妹で、降嫁して公爵家に入った王妹でもある。

 元々は侯爵家だったボードリエ家はその際公爵家に格上げされたらしい。


 サフィーラ王と同じハニーブロンドの髪をもつアウローラは、年齢もサフィーラ王とそう変わらない。

 既に不惑の歳に差しかかり、キャロライナの母よりもいくつか歳上だ。

 そのせいか、キャロライナを侮っている雰囲気がひしひしと伝わってくる。

 先触れもなくいきなり押しかけてきてキャロライナより先に名乗り促される前に着席したのもその証拠だ。


 けれど王位継承権も無い公爵夫人のアウローラと、帝国の第一皇女で次期王太子妃として来訪した国賓であるキャロライナでは、キャロライナの方が身分は上だ。

 アウローラがそのことを知らないはずがない。

 知ったうえでこの態度なのだとしたら、目的は何なのか。ジュエリアルとの間に波風立てたいのだろうか。

 だとしたら、何のために。


「……ごきげんよう、ボードリエ公爵夫人。来国早々わざわざの御挨拶、恐れ入ります。せっかくお訪ねいただいたのに慌ただしくてお恥ずかしいかぎりです。なにぶん到着したばかりで勝手もわからず、右往左往しておりますので」


 言外に漂う「忙しいときに押しかけて来るな」をおそらくは感じとっているはずなのに、アウローラは眉ひとつ動かさない。

 肝が据わっているのか、皇女といえど他国では何の力も無い小娘と侮っているのか。

 優美な笑みからは読み取ることができない。


 降嫁してなお王族然と振舞うアウローラは、サフィーラの社交界の中心人物らしい。

 流行を生み出し、情報を発信し、絶大な影響力をもつ。彼女に気に入られた者は社交界でもてはやされ、逆に機嫌を損ねた者はつまはじきにされる。

 ならば彼女と友好関係を築いておいた方がいい。そんなことは百も承知だ。

 だが皇女としてのプライドが、彼女に媚びへつらうことを許せない。

 若いから、女だから、側妃の子だから。そうやって侮られることが、キャロライナは何より嫌いだ。

 わざわざ嫁いできてそんな扱いを受けるなんてまっぴらだ。

 どう立ち回るのが正解か。腹の探り合いは得意ではないながらも必死に考えをめぐらせていると、ふいにアウローラが視線を落とし、いかにも沈痛な面持ちで口を開いた。


「王太子殿下の御不幸、もうお聞きになったんですってね?来国早々お労しいことです。皇女殿下の心中お察しいたしますわ」

「え?え……えぇ……」


 急な話題に戸惑うも、不可解なのはアウローラの口ぶりの方だ。

 常識的に考えて、今の発言は明らかに不自然だ。ますますアウローラの腹の中が見えない。思った以上に厄介な人物かもしれない。

 不用意な発言をしないよう、慎重に口を開く。


「……御心遣い感謝いたします。ですが王太子殿下のことは、わたくしよりもサフィーラの皆様の方がおつらいでしょう。特に公爵夫人は王太子殿下の叔母君でいらっしゃいますし……」


 冷たい言い方だが、キャロライナはジークフリードにとって、あくまで婚約者。

 言ってしまえば他人だ。しかも他国の。

 数えるほどしか会ったことのないそのキャロライナがどうして、自国の王太子を亡くしたアウローラに気遣われているのだろう。

 ふつう、逆だ。キャロライナがアウローラを労わるならまだしも――。


「まぁ、何というお優しい御言葉。ジークフリード様のおっしゃっていたとおり、皇女殿下は慈愛に満ちた御方ですわね」

「王太子殿下が……?」

「畏れ多くもジークフリード様はわたくしにとって息子同然の存在でしたの。そんなジークフリード様の愛した皇女殿下の御力になりたいと考えておりますのよ」


 沈痛な面持ちから一転、アウローラの声のトーンが上がる。そして持っていた扇を鳴らした。それが連れてきた従者への合図だったのだろう。

 まずい、と感じたときには従者が扉を開け、黒のドレスがかかったトルソーとジュエリーボックスを抱えた壮年の男たちが入室してきた。


「突然のことで、本日サフィーラにいらしたばかりの皇女殿下は喪服の用意も間に合いませんでしょう?お困りかと思いまして、僭越ながらお持ちしましたの」

「喪服……」

「殿方はこういったことに疎いですし、王妃(義姉)もショックで臥せっておりますので気が回らないと思いまして。皇女殿下のために仕立てたんですのよ。ぜひ受け取ってくださいませ」


 朗々と喋るアウローラを見つめ、彼女の意図を必死に考える。

 ただの「親切」で公爵夫人がこんなことをするはずがない。

 彼女の言うように王太子の死によって王室が混乱しているとしても、彼女自ら用意する必要などない。王の側近に進言すれば済む話だ。


 考えられる動機のうち最も有力で単純なのは、キャロライナに恩を売るため、だ。


「……公爵夫人の御心遣い、恐れ入ります」


 決して礼は言わず、ドレスに視線をやる。

 黒のドレスかと思ったが、よく見れば青みがかっていて、胸元にはグリーンの糸で細かな刺繍が施されている。

 公爵家の使用人か宝石商かわからないが、壮年の男が持ってきたジュエリーボックスの中のアクセサリーについた宝石も、すべて緑系だ。

 キャロライナの瞳の色はエメラルドに似た碧だが、それよりも幾分黄色みが強く、明るい。

 いったいどういう意図があるのか。

 キャロライナが必死に考えていると、扉を叩くノックの音が聞こえた。


 その音がキャロライナには救世主に思えた。


「失礼、シズリー嬢」


 アウローラに一言断りを淹れ、傍に控えていた侍女に命じて扉を開けさせる。

 入ってきたのは、ジュエリアルの外務官を従えた、背の高い三十前後の黒髪の男だった。

 キャロライとの面識は無い。だが見覚えはある。

 先程「王の間」でサフィーラ王に謁見した際、王座のすぐ傍に控えていた男だ。

 そのとき言葉を交わすことはなく向こうは名乗ることもなかったが、彼がどういう身分で誰であるのか予想はつく。


「あら、ヴィンセント」

「……何をなさっているのです、ボードリエ公爵夫人」


 親しげに微笑み名を呼ぶアウローラに問う声は、低く堅い。

 今しがた入ってきたばかりの彼にも、この混沌を引き起こしたのがアウローラだということはわかっているのだろう。

 どちらかといえばタレ目がちで柔和な顔立ちなのに、険しい表情でアウローラを睨んでいる。


「何って、皇女殿下に今夜の晩餐会に着ていただくドレスをお披露目していたところよ?夜会のためにジークフリード様がご用意されたドレスは着られないでしょう?」

「……ここのところ何かコソコソしていると思ったら……」


 悪びれた様子も無いアウローラの返事を聞き、男の秀麗な眉の間にますます深い皺が刻まれる。

 だが男はすぐに我に返ったのか無作法に気付いたのか、胸に手をやり紳士としての礼をとった。


「話しかける無礼をお許しください、皇女殿下。御挨拶させていただいても?」

「……えぇ。どうぞ」

「ジュエリアルの麗しき花、皇女殿下にお目にかかれて恐悦至極に存じます。クラヴェル公爵家当主、ヴィンセント=デュ=クラヴェルと申します。どうぞお見知りおきを。

 僭越ながら外交長官の任を賜っております。此度の皇女殿下の御滞在、ご不便なくお過ごしいただけるよう尽力する所存にございます」


 オレーリアへの態度から一変、穏やかな口調で口上する。

 おそらくはこれが彼の本来の話し方なのだろう。

 落ち着いた重低音には艶があり、甘いという形容が相応しい声色だ。


「ごきげんよう、クラヴェル公爵。お目にかかれて光栄ですわ。滞在中、苦労をかけますが頼りにしております」

「そうだ、皇女殿下。晩餐会のエスコートはぜひこちらの王弟殿下(・・・・)にお任せいただけませんこと?」


 型通りの挨拶を終えたとたん、アウローラが口をはさむ。

 いっそ無邪気に尋ねてくるアウローラに、困惑を通り越して感心してしまう。

 ヴィンセントの睥睨に気付いているのに無視しているのなら肝が据わりすぎているし、気付いていないのならそれはそれで大物だな、と。


 王弟殿下。

 現在そう呼ばれているのはこの国においてこの男ただ一人。

 ヴィンセント=デュ=クラヴェル公爵。

 彼は現国王の歳の離れた弟で、成人と共に公爵位を賜りクラヴェル公爵家を興したが、アウローラと違い王位継承権は保持したままのため、身分としては現在も王族だ。

 そして王妹であるアウローラは、ヴィンセントにとっては姉になる。


 アウローラの「提案」を聞き、キャロライナはすべてを察する。

 よくよく見れば、彼女の用意したアクセサリーについた宝石の色は、ヴィンセントの瞳の色同じ色だ。

 亡くなったジークフリードは、空のような青い眸をしていた。先程謁見したサフィーラ王の瞳は深い琥珀色だった。

 ペリドットに似た明るい緑は、ヴィンセントだけがもつ色だ。


 あらゆる状況証拠からアウローラの意図は察した。

 だが目的がわからない。キャロライナにヴィンセントの色を身に付けさせて晩餐会に出席させることに、何の意味があるというのか。


「恐れ入ります、殿下がた。発言を許可していただけますでしょうか」


 ヴィンセントの発するピリついた空気などものともせず、彼と共に入室しいつの間にかキャロライナの座るソファーの後ろに控えていた外務官のダニエルが口を開く。

 突然の横槍に、アウローラはすっと目を細め「こちらの方は?」とキャロライナに尋ねた。


「失礼いたしました、ボードリエ公爵夫人。こちらはアルフォート小侯爵、わたくしの従者です」

「小侯爵?」

「ジュエリアル帝国宰相ロワル=アルフォート侯爵が嫡男、ダニエル=アルフォートと申します。お目にかかれて光栄に存じます、ボードリエ公爵夫人」

「……」


 ダニエルの口上に応えることなくアウローラは持っていた扇を開いて口元を隠す。

 値踏みするようにタレ目がちな双眸が細められ、顎が上がる。小侯爵ごとき(・・・)が自分に意見するのかと言いたげな態度だ。

 たしかに公爵家と侯爵家では、家格は前者の方が高い。しかもアウローラは公爵夫人で、ダニエルは小侯爵――侯爵令息だ。


 本来ジュエリアル帝国において小侯爵とは、単なる次期(・・)侯爵にすぎない。

 家門内で正式に跡取りと認められているだけで、社交界における立場は確立されているものの、爵位そのものは保持していない。

 貴族社会における身分でいえば、アウローラの方が上位だ。


 しかしダニエルの父親は帝国の宰相だ。

 加えてアルフォート侯爵家は代々海運業を牛耳る家門でもある。その嫡男ともなればあからさまに邪険に切り捨てれば国交にかかわる。

 不満を口に出さないのは、アウローラもそのことを理解しているからなのだろう。

 どうやらそれくらいの判断力は備えているようだ。


「御歓談中、出過ぎた真似をお許しください。ですが今宵の晩餐会、皇女殿下はジュエリアルの皇族代表として出席することになっております。決してサフィーラの方々の御手を煩わせることのないようにとも、皇女殿下の兄君より堅く仰せつかっておりまして」

「……兄君?」

「はい。第二皇子のレオンハルト殿下です」


 よどみなく語り出したダニエルに今度はキャロライナが目を剥く番だった。


 ダニエルの出した名は、キャロライナの次兄の名だ。

 昨年成人し公務にも関わるようになった兄は、非常に見目麗しく聡明で、帝国内のみならず近隣諸国でも「ジュエリアルの若き太陽」と名を馳せている。

 その兄とダニエルがそんな話を交わしていたなど初耳だ。

 だが考えてみればキャロライナがダニエルと関わるようになったのは輿入れが決まったここ数ヶ月の間の話で、アルフォート侯爵家は元々どちらかと言えば「第二皇子派」だ。


「皇子殿下は私の妹と婚約中でいらっしゃいまして、畏れ多くも同じ妹をもつ身同士、何かと気にかけていただいております」

「まぁ……妹君が、第二皇子殿下と……?」

「左様でございます。ですから万事私にお任せください。公爵夫人の御手を煩わせぬよう誠心誠意皇女殿下に尽くす所存です」


 だから余計なことをするな、と言外の声を聞き取ったのか、アウローラは扇を閉じる。

 きっと忌々しくて仕方ないだろうに、表情に出さないのは腐っても公爵夫人といったところか。


「……姉上。そろそろお暇いたしましょう。あまり長居しては皇女殿下の御支度に障ります」

「……」

「きっと義兄上も姉上の御帰りをお待ちですよ」


 それまで黙って傍観していたヴィンセントがアウローラの肩にそっと手を置く。

 ダニエルが彼と共に入室してきた理由がわかった。

 アウローラを言い負かすだけならダニエルだけで十分だが、穏便に引き取ってもらう役目がヴィンセントが適任だったのだろう。


 弟に促され、アウローラはようやくソファーから立ち上がり、見とれるほどに美しいカーテシーを披露する。


「……本日はこれで失礼いたします、皇女殿下。貴重な御時間をありがとうございました。またのちほど、晩餐会にてお会いできることを楽しみにしておりますわ」

「御心遣い感謝いたします、公爵夫人。お気をつけてお帰りくださいませ。

 ……クラヴェル公爵も、わざわざの御足労感謝いたします」

「もったいない御言葉にございます」


 キャロライナの言葉に、ヴィンセントは紳士としての礼をとる。

 頭を下げた拍子に艶やかな髪が揺れる。

 黒髪だと思っていたが、ヴィンセントの髪は漆黒ではなく少し青みがかっていることに気付く。

 それはアウローラの用意したドレスの生地と同じ色だった。


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