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2.


 ジュエリアル帝国とサフィーラ王国は隣接する同盟国だが、それぞれの首都を行き来すると馬車で十日ほどかかる。

 広大な国土を誇るジュエリアル帝国の帝都が国のほぼ中央に位置するためだ。

 少人数で早馬を乗り継げば六日で着くが、仮にも皇女の輿入れだ。嫁入り道具やら何やらも運ぶとなると国を挙げての大行列となった。

 また道中で宿泊のため立ち寄った帝国内の街や村では盛大に祝宴が開かれたため、いつも以上に出国までに日にちがかかり今回の行程には二週間を要した。

 その間に、花婿となるはずの王太子が急逝したのだという。

 そして既に葬儀も埋葬も終えている、と。


 キャロライナとサフィーラ王国王太子のジークフリードの婚約が決まったのは今から五年前、キャロライナが十三歳の頃だった。

 その五年の間、キャロライナは婚約者であるジークフリードと数えるほどしか会ったことはない。

 不仲だとかそういうことではなく、単純に、二人が住まう両国の首都が気軽に行き来できる距離ではなかったためだ。

 そもそもキャロライナがサフィーラに訪れるのも、今回が初めてだった。

 顔を合わせたのは、五年前に婚約の儀を交わしたとき、キャロライナのすぐ上の兄の成人の儀の際、そしてキャロライナ自身の成人の儀の際にジークフリードが帝国に訪れたときくらいだ。

 婚約期間中ずっと手紙のやり取りはしていたが、ジークフリード本人が書いていたかどうかもわからない。

 判断できるほどには、キャロライナは彼のことを何も知らなかった。


 それでもキャロライナ自身はこの婚約に前向きだった。

 数度の邂逅と半年ごとに送られてくる絵姿でしか知らない婚約者の姿に心をときめかせたりはしなかったけれど、夫婦として、国を統治する王族として、良好な関係を築いていきたいとは思っていた。

 幼い頃から幾度となく言い聞かされた「夫となる人を愛し、敬い、支えなさい」という教えに忠実であろうと決めていた。

 その決意がすべて水泡に帰すだなんて、誰が想像できただろう。


 婚約者の死は、キャロライナに衝撃(・・)を与えた。そして同時に、自分がいかに薄情な人間であるかを思い知らされた。


「ねー、ヒメサマぁ。コンヤクシャの人死んじゃったってことは、もうここに用は無いんだよね?いつ帰るの?明日?明後日?早く帰ろうよぉ」


 従者にしてはやけにくだけた口調で尋ねられ、キャロライナは眉をピクリと動かす。

 だがそれは無礼な言葉遣いが不愉快だったわけでも、甘えるように膝に乗せられた頭が重かったわけでもない。


「……口を慎め、アッシュ。誰が聞いているかわからないんだぞ」


 皇女に似つかわしくないやけに雄々しい口調で質問の主を咎める。

 手慰みに膝に乗せられた頭を撫でてやると、質問の主――アッシュはくすぐったそうに目を細めた。

 侍女や乳母が見れば小言が止まらなくなりそうな光景だが、二人にとっては「いつものこと」だ。

 ソファーに片肘を預けてほとんど寝そべる姿も、まとわりつく従者を引き剥がさない様子も、麗しの姫君から出るはずの無い粗野な口調も、この空間にあるものすべてがおかしい。通常では考えられない。

 だが祖国では「騎士姫」と呼ばれ型破りな武勇伝をもつキャロライナにとっては、このおかしな光景こそが「日常」だった。


 サフィーラ王との謁見を終えたキャロライナは、「王の間」がある王宮の西側に建つ西宮の一室で寛いでいた。

 「晩餐会まで旅の疲れを癒したまえ」という王の言葉に素直に従ってのことだ。

 案内してくれたサフィーラの王宮メイドの話によると、西宮は他国の貴賓が滞在するための離宮らしい。

 キャロライナに宛がわれた部屋は主室と寝室が扉一枚で続き部屋となっている部屋だった。

 日当たりはあまりよくないが、むしろそれはサフィーラ側の気遣いのようだ。

 ジュエリアルの南部に位置するサフィーラは、この時期ジュエリアルに比べてかなり暑い。

 夕方といっていい時間帯になりようやく涼しくなってきたが、先程までは気温は高く、室内でもじんわりと汗ばむほどだった。

 あまり日当たりがよすぎると暑さに耐えられないだろうという配慮なのだろう。


 部屋の指定も調度品の指示もすべてジークフリードが出したのだという。

 少しでもキャロライナが快適に過ごせるように、と。そんな婚約者――元婚約者の心遣いに満ちた部屋で、キャロライナは座れば沈むソファーに身を委ね、ほとんど横になった状態で寛いでいた。

 キャロライナ以外の人間、ジュエリアルから連れてきた侍女や従者は皆慌ただしく動き回っているが、キャロライナにはできることがないのだ。

 やらなくてはいけないことはあるのに、今は何もできない。

 あまりにも手持無沙汰で何か手伝うことは無いかと訊いたら、大人しくしておいてください、とすげなくされた。

 状況が状況なだけに、文句も言わずふて寝することにした。


 すると同じく暇を持て余したアッシュが膝枕を強請ってきた。というか問答無用に我が物顔で人の膝を占領してきた。

 一応騎士見習いとして祖国から連れてきたアッシュは、その実、キャロライナの愛玩動物(ペット)だ。

 騎士にするには若いというよりも幼く、侍女にするには教養が足りず、小間使いにするには粗忽者すぎる。

 苦肉の策で対外的にはゆくゆくは騎士に、ということにしたのだが、今のところ扱いは、猫やウサギと変わらない。

 本来ならば複数人用の広いソファーでも主と同じ椅子に乗るなど許されることではないのだが、口の利けるペットがじゃれついてきたとて、目くじらを立てるようなことでもない。


「それにわたしは帰らないぞ」

「なんで!?ケッコン相手死んじゃったのに!?」

「だからそういう言い方をするな。そんなに帰りたいならお前一人で帰ってもいいぞ?小侯爵たちが帰るとき連れて帰ってもらうか?」

「やだー!!なんでそんな意地悪言うの!?ずっとヒメサマのお傍においてくれるって言ったじゃん!!ウソだったの!?ボクのこと弄んだの!?」

「人聞きの悪いことを言うな」


 うつぶせになり、キャロライナの太ももに顔をうずめて足をばたつかせる。

 二人乗って激しく動いてもびくともしないのはさすが、いいソファーを用意してくれたようだ。

 きっとジークフリードもそんなことで実感してほしくはなかっただろうが。

 通りすがった侍女がさすがに見かねたのかアッシュの脚を叩き行儀が悪いと叱りつけると、脚を動かすのをやめ再び寝返りをうつ。

 やはりキャロライナの膝枕については誰も気にしていないらしい。

 今度はあおむけで主の膝を占用しても、もう侍女も何も言わない。


「いい子にするから捨てないで、ヒメサマ。ずっといっしょにいてよぅ……」

「わかったわかった」


 犬猫をあやすようにアッシュの顎下を撫でる。

 かまってやると機嫌は直ったのか、くすぐったいと笑いながら気持ちよさそうに喉を鳴らした。

 祖国でも散々悪趣味だと眉を顰められたが、アッシュはキャロライナのペットだ。

 親も無く家も無く路傍で行き倒れていたところをキャロライナが拾い、育て、慈しんできた。

 最初は野生動物さながら警戒心をむき出しにしていたアッシュも、次第に心を開き、こうして膝枕を強請るほど懐いた。


「こら。わたしの上で寝ようとするな」

「んー……ヒメサマもいっしょにお昼寝しようよぉ。疲れてるでしょ?」

「そんな暇は無い。眠いなら寝ていてかまわないから、降りろ」

「んー……」


 人の膝の上で寝息を立て始めたアッシュに、躾がなっていないと蹴り落とそうかと思案していると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。

 随分ひかえめな音量で、入室を許可すると蒼い顔をした侍女のクレアが入ってきた。

 帝国からキャロライナの侍女として連れてきたクレアは、馬車酔いと長時間の移動のせいで体調を崩し臥せっていたはずだ。

 少しは楽になったのか、けれどおそらくは全快はしていないであろう顔色のまま、ボードリエ公爵夫人が訪ねてきていると告げた。


「公爵夫人が?何の用で?」


 この忙しいときに、と言外に含める。先刻サフィーラ王に告げられた晩餐会まであと三時間しかない。

 亡き王太子の追悼も兼ねているため通常の夜会のように華美に着飾る必要はないが、一国の皇女として、王太子の婚約者としてふさわしい装いをしなくてはいけない。

 本来ならこうしてアッシュと戯れている時間など無いのだ。


「それが……姫様の晩餐会の用意をお手伝いされたいと……。たぶんドレスとかアクセサリーとか持っていらしてます……どうしましょう……」


 どうしましょう、と言われても、それを適切にさばくのが侍女の仕事だというのに。体調不良のせいか、著しく判断力が落ちてしまっているようだ。

 一応彼女の名誉のために言っておくと、普段はもっと頼れる優秀な侍女だった。

 聞けば、厨房に水をもらいに行こうと廊下を歩いていると、訪ねてきた公爵夫人にうっかり出くわしてしまったのだという。

 先触れの無い訪問などいくら公爵夫人相手とはいえ断るべきなのだが、薬でぼんやりしていたせいもあり、「はぁ……」という相槌を向こうが「了承」と判断してしまったらしい。

 あまりにも強引かつ無礼だ。


 とはいえ。


「取り次いでしまった以上追い返すわけにもいかないだろう……。公爵夫人はどちらに?」

「申し訳ありません……。向かいのお部屋でお待ちです……」


 キャロライナが通されたのは主室と寝室が扉一枚で続き部屋となっている客室だった。

 この部屋に案内してくれた王宮メイドは滞在中西宮内では(・・・・・)好きに過ごすようにというサフィーラ王からの伝言を告げたが、どうやら訪問者はキャロライナよりよほど自由に過ごしているようだ。


 おそらくは馬車酔いのせいだけではなく蒼い顔のクレアをもういいととりなす。

 相手の無礼でクレアを責めたところで、何の発展性も無い。


「誰かアルフォート小侯爵を探して来い。クレアはこのソファーを使って構わないから横になっていろ。アッシュはクレアを起こさないように静かにしていろ。それと絶対にこの部屋から出るなよ」

「えー」

「えーじゃない。わたしの言うことが聞けないなら箱に詰めて送り返すぞ。いい子だから大人しくしていろ」

「むー……。はぁい……」


 絹糸のような真白の髪をひと撫でし、キャロライナは立ち上がる。

 そして少し乱れた自分の髪やドレスを整え、公爵夫人の待つ部屋へと向かった。


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