8-2.
場面等変わらず、前回更新分の続きです。
「そのお考えは、ジュエリアル皇室の標準なのですか?」
「いえ……母からの教えです」
「失礼ですが……皇女殿下の御母上は、側妃でいらっしゃる……」
「はい。わたくしの母は第三皇妃です」
「そうですか……それはさぞご苦労されたことでしょうね」
しみじみ言われるも、何が「それは」でどう「ご苦労」なのかわからない。
ジュエリアルにおいて皇帝の子は正妃の子だろうと側妃の子だろうと皆平等に扱われる。
皇女としてならともかく、側妃の子として不自由したことも不幸だったことも一度もない。
何だろう、先程から。
少しずつもやもやする。
不愉快や憤りを覚えるほどではない。ただ何となく喉に小骨が刺さったような、得体の知れないすわりの悪さがじわじわと広がっていく気がした。
冷たいフルーツティーを飲んでもやはり暑さで苛々しているのだろうか。
せっかく軟禁生活から解放されたが、もう部屋に戻った方がいいだろうか。
どう切り出すべきか考えていると、再びヴィンセントがじっと見つめていることに気付く。
その視線には、先程とは異なる熱を感じた。
「あの……何か……?」
「いえ……恐れ入りますが、第三皇妃殿下は皇女殿下と同じ髪の色をされてますか?」
「え?え、えぇ……」
「瞳の色も同じで?」
「はい……」
「では昔、ジュエリアルを訪ねた際に御母上と皇帝陛下がごいっしょのところをお見かけしたことがあるかもしれません。小柄で、妖精のように愛らしい御方ですよね?」
「妖精……」
「違いましたか?」
「いえ……おそらくはそうだと思います……」
確かにキャロライナの母は二児の母とは思えないほど若々しく可愛らしい顔立ちをしているが、四十手前の実母を「妖精」と言われて肯定するのは何というか心理的抵抗感があった。
「おそらくはお忍びで出かけられていたのでしょうが、とても仲睦まじいご様子でしたよ」
「……お恥ずかしいかぎりです」
「素敵なことです。王と妃が寄り添い合う姿は、民の心に力を与えますからね」
たとえそれが側妃であってもですか。
そう尋ねるのは、意地が悪いだろうか。
浮かんだ問いが口から出ないよう吞み込む。
別に揚げ足取りや意趣返しがしたいわけではなかった。
ヴィンセントに訊かれたとおり、キャロライナの母は皇帝の側妃――第三皇妃だ。
母が嫁いだときには既に父には二人の妃がいた。
アデルバートの母と、レオンハルトの母だ。
いずれも高位貴族の令嬢で、それぞれにタイプの異なる美貌のもち主だった。
「氷華の女帝」と讃えられる正妃アンジェリカと、「太陽の女神」と謳われた第二皇妃のマリアンヌ。
誰もが二人の美貌を前に息を呑み、心を奪われた。
けれどそれほどまでに美しい二人を妻にもちながら、現在の皇帝の「寵妃」はキャロライナの母である第三皇妃のセレスティアとされている。
キャロライナが生まれてから、ずっと。
「……失礼ですが、公爵は御結婚は……?」
「恥ずかしながら一度も。この歳まで縁が御座いませんで」
本当は、ヴィンセントの答えを聞く前から彼が独身であることは知っていた。
アウローラがやたらとキャロライナとヴィンセントの仲を近づけようとしていたことを不審に思い、またアクアディオニスとプリムローザ公爵令嬢の件もあったため、念のためにとダニエルが調べてくれたのだ。
結果現在妻子がいないことや婚姻歴が無いことも判明した。それどころか、ヴィンセントはこれまで婚約したことすらなかった。
この結果は、かえってあまりにも不自然だ。
サフィーラ王の歳の離れた弟であるヴィンセントは、今年で三十一になる。
清廉という形容がよく似合う、優しげな顔立ちのサフィーラ王やジークフリードと違い、ヴィンセントは大人の色香が漂う妖艶な美丈夫だ。
少しウェーブのかかった黒髪とタレ目がちなペリドットの瞳の目尻にある泣きボクロが何ともいえない色気を醸し出している。
キャロライナは他人の美醜にこだわりは無いが、彼のような男はジュエリアルの社交界でも令嬢たちの間で人気を博していた。
魅力的な容姿に加えて王弟、公爵、外交長官という肩書があれば周りの有力貴族がこぞって縁を結びたがるだろう。
もちろん当の令嬢たちも放っておかないはずだ。
それなのにいまだ独身を貫いているのは、どう考えてもおかしい。
「まぁ……御冗談を。公爵なら引く手数多でしょう」
「ならばこの手を差し出せば、貴女にとっていただけますでしょうか」
囁くように尋ねた形のよい唇が、弧を描く。
ただそれだけなのに、妙に艶っぽい。昼間の庭園だというのに、一気に夜の雰囲気になった気がした。
その微笑に見惚れ、キャロライナは知らず頬を染める。
それを見咎めた――後ろに立っているのにどうして察せたのか――ダニエルの咳払いで、我に返る。
「は……ッ。あ……え……っと……」
「……失礼。年甲斐もなくお世辞に浮かれてしまいました。ご不快にさせてしまったなら申し訳ありません」
「いえ……そんな……とんでもない……」
不快、ではない。慣れない体験に動揺を隠せなかっただけだ。
先程のヴィンセントの口ぶりや雰囲気はまるで、キャロライナを口説いているかのようだった。
初めての体験だ。
十八歳のうら若き乙女ではあるものの、或いはあるからこそ、キャロライナは色恋に対する免疫がまったく無い。
十五歳でデビュタントを迎えてからは社交界で異性と関わる機会は増えたが、「騎士姫」と名高いじゃじゃ馬でしかも婚約者のいるキャロライナを口説いてくるような命知らず、ジュエリアル国内にはいなかった。
妹を溺愛する兄二人をはじめ、美しいだの愛らしいだのと賛辞の言葉には事欠かなかったが、こんなふうに湿度を孕んだまなざしを向けられるのは初めてで、どう反応していいかわからない。
それこそ「お世辞」で「社交辞令」だとわかっているのに、何だかやたらと頬が熱くて心臓がバクバクうるさい。
「……恐れ入ります、皇女殿下。公爵閣下もお忙しいですし、あまりお時間をとらせてはご迷惑かと。そろそろお部屋に戻りましょう」
「あ……そ、そうだ……そうですわね」
キャロライナとヴィンセントの間に漂う妙な雰囲気を打開しようとダニエルが口を開く。
おそらくはヴィンセントも「助け舟」だとわかっているのだろうが、ダニエルの提案に同意してくれた。
「もうそんな時間ですか。楽しい時間はあっという間ですね。名残惜しいですが、夕刻から雨も降るようですし、そろそろ戻りましょうか。お部屋までお送りする栄誉を頂いても?」
「……ありがとう存じます」
キャロライナの返答を聞き、立ち上がったヴィンセントは回り込み、そっと手を差し出す。
腕ではなくてのひらだったことにためらいながらも、キャロライナは自らの手を重ねた。




