第3章 (10)
ジャージ姿でもやっぱり可愛い柚里は、戸惑っている秀紀の隣に並び、池を見下ろした。
「何見てたの?」
「あ、さ、魚とか」
「ほんとだ。たくさんいるね」
魚を探す柚里の表情は明るかった。とても、秀紀を怖がっているとは思えない。なーんだ、やっぱり嫌われてないじゃないか! とっさに飛び上がって踊り出したくなるのを、必死にこらえる秀紀である。
「高島……いや、ユズは、魚好き?」
「うん。お肉より好き。おいしいから」
「そっか」
柚里は、秀紀がドキドキしていることには気づいていない様子で、白鳥ボートに目をやった。今まさに、同級生たちがふざけ半分でボートにのろうとしていた。
「あれ、楽しそうね」
「ああ、あの白鳥の? でも、漕ぐの大変そうだよな」
「うん」
柚里がくすっと笑った。
「ユズは最近大変そうだね」
「教会コンサートのこと? 真衣ちゃんも手伝ってくれるから平気」
「そっか。真衣もしっかりしてるからなー」
「うん」
柚里が、秀紀との距離を一歩分詰めた。秀紀はどきりとする。
「秀紀くんと真衣ちゃんって、つきあってる?」
「ええ!?」
びっくり仰天だ。あわてて首と手を振った。
「つきあってないよ! 誰が言ってたんだ、それ」
「そうなの?」
柚里はほっと息を吐いた。
「よかった」
僕は柚里一筋だ。そう言おうと思ったけど、恥ずかしすぎるのでやっぱりやめた。
「そういえば、合唱部もコンクールに出るの?」
そう聞かれ、秀紀はうなずいた。
「うん。夏にね」
「どうして?」
柚里の顔を見ると、表情が曇っていた。「どうして、コンクールなんかに出るの」
「出ちゃ悪い?」
むっとして秀紀は言い返す。
「そっちだって毎年コンクールに出てるじゃないか」
「吹奏楽部と合唱部は全然違うでしょう。何も、わざわざコンクールに出なくたって」
「わざわざ?」
秀紀の低い声音に、柚里がひるむ。けれど秀紀は、そのまま続けた。
「ユズにだけは、そんなこと言ってほしくなかった」
柚里が息を呑んだ。これまで彼女に対してこんなに怒ったことはなかったし、この先もないだろう__でも、今だけ。今だけ秀紀は猛烈に腹を立てていた。
「そりゃ吹部に比べたらしょぼく見えるかもしれないけどさ、僕らだって頑張ってるんだよ。勝負を捨ててるだの、一緒にするなだの、馬鹿にされる筋合いはない!」
コンクールに出ないことを軽蔑する田邊と、コンクールに出ることを非難する柚里。どちらの言い分も身勝手なものに思えて、怒りが収まらなかった。
「そうやって、合唱部のことをずっと見下してたんだろ。コンクールに出たってどうせ大した結果は出ないと思ってるんだろ。じゃあ、何のために合同演奏なんてやるんだよ。僕らを馬鹿にするため? 吹部はやっぱりすごいんだって自慢するため? そんなんだったら、僕も出たくない。福原先生と一緒に辞退するよ」
「待って、秀紀君。話を聞いて」
いきなり怒り出した秀紀に混乱しながらも、柚里は口を開いた。ところが……
「あれ、柚里!」
吹奏楽部の友達が二人、柚里と秀紀を見つけてやってきた。同じホルンパートの明莉と、パーカッションの渚だ。
「合唱部の澤田君じゃん! ひゅーっ、やってんね……って……」
柚里をからかおうとした友人達だが、秀紀と柚里の表情を見て険悪な雰囲気を察したらしい。
「……どうしたの?」
秀紀は相変わらず怒った表情で、柚里に言った。
「嫌なこと言ってごめん。それじゃ」
「あ……うん」
秀紀が大股で去っていくと、すかさず明莉達が柚里に駆け寄った。
「ねえ、どうしたの!?」
「まさか、フラれた……?」
柚里はこくんとうなずいた。
「やっぱりあの合唱部の子とつきあってたの?」
「ううん。でも、怒らせちゃった」
遠くで集合の合図の笛が鳴った。クラスごとに写真撮影をして、学校に帰るのだ。集合場所に向かいながら、明莉たちは柚里を励ました。
「帰りにゆっくり聞かせて、柚里」
「ひどいこと言われたんだったら、あたしらついてるからね」
「……ありがとう」
「澤田君のこと、演奏で見返してやろーよ」
「……うん」
演奏で見返す。それは、柚里達にとって合い言葉のようなものだった。何か嫌な人がいたら、自分達が立派な演奏をすることで相手に勝とう。感心させてやろう。
だけど、見返す相手が吹奏楽部のことを大嫌いになってしまっていたら、どうすればいいんだろう?
柚里のその疑問は、簡単に答えが出なかった。
遠足が終わった後、合唱部の1年生は玄関で集合し、ファミレスに向かった。この日は部活も休みだから、みんなで食事会をする約束をしていたのだ。
「聖華も向かってるって!」
スマホをいじっていた紗弥香が、明るく報告した。
「おお、よかった!」
「せいちゃんがこないと、始まらないものね」
ファミレスに入って、大きめのテーブルに案内された。メニューを見ている間に、背が高い少女が近づいてきた。
「聖華!」
真っ先に気づいた毅志が手を振った。顔を上げた紗弥香と楓が、歓声を上げた。
「せいちゃん!」
「かわいいー!」
早速席をつめ、聖華を真ん中に座らせた。学校をしばらく休んでいる聖華は、青いワンピースを着ていた。
「元気だった?」
「その服めっちゃ似合ってる!」
「はい、メニュー。何でも食べな~」
矢継ぎ早に声をかけられ、聖華は困ったように微笑んだ。
「ありがとう。……ごめんね、心配かけて」
「全然いいって。見て、わたしの新作」
言うなり紗弥香は、両手を使ってすごい変顔を披露した。楓と毅志が吹き出す。いきなりのことに固まった聖華は、やがて遠慮がちに笑い声を上げた。
「ちょっとさーや、その顔ひどすぎる!」
「女子がする顔かよ」
あっという間に元の顔に戻った紗弥香は、自慢げにおじぎした。
「歌ってる時にこの顔したらどうなるかな」
「怒られるって」
「笑って歌えなくなっちゃうじゃん!」
御影が呼び出しボタンを押した。めいめい注文してから、ドリンクバーを取りに行く。
「今日は遠足だったのよね」
聖華が少し寂しそうにつぶやいた。御影がうなずく。
「楽しかったよ。なんもない公園だったけど」
「来年は絶対行こうね、せいちゃん」
「うん」
うなずく聖華の顔が曇っていたことを、楓は見逃さなかった。
一足先に運ばれたポテトをつまみながら、部活の話をする。
「……って、千早さんが言ったの。それから千早さんが……」
「楓ってほんと千早さんが好きだな」
「だってめっちゃ可愛いし、優しいんだもん」
「真衣さんは?」
「真衣さんは面白いけど、毒舌だからなめれないのよね」
「他の先輩のことはなめてんのかよ」
毅志が笑った。
「毅志は秀紀さん派でしょ」
「同じバレー部出身だしな。でも、最近拓さんとキャッチボール始めたんだ」
「親子じゃん」
「拓さんって大人みたいな貫禄あるよねー」
「でも、2年生今みんな大変そうじゃない?」
「そうね、拓さんはバイトばれた後めっちゃ勉強してるし、秀紀さんもなんか元気ない時あるよね」
「真衣さんは教会コンサート? の打ち合わせだっけ」
「そう考えると、3年生の安定感はすごいよね。人数少ないけど」
「優路さんと美里さんって仲良いけど、つきあってるのかな?」
「一緒に帰ってるところはたまに見かけるけど……」
「ちょっと、誰か今度聞いてみてよ」
「そういや……」
毅志が首を傾げた。
「秀紀さんと吹奏楽部の人、結局どうなったんだ?」
毅志は、秀紀が柚里に告白するらしいというところまでしか知らなかった。
「フラれたらしいよ」
情報が早いのは楓だ。
「マジか。お気の毒に」
「結構ラブラブって聞いてたのにね、上手くいかないものなんだなあ」
「吹部と合唱って仲悪いらしいもんね、ロミオとジュリエットよ」
料理が運ばれてきた。熱々の包み焼きハンバーグやらパスタやらを食べながら、話はさらに進む。聖華は主に相槌を打ってばかりだったが、食べ終わるころにはリラックスした表情になっていた。
デザートを食べている時、楓がぽつりと言った。
「またたくさん集まろうね」
「どうした、急にしんみりして」
「だって、さみしくなっちゃったんだもん」
楓はまっすぐに聖華を見た。
「ね、せいちゃん。このままやめちゃうなんてこと、ないよね?」
聖華はスプーンを持ったまま、動きを止めた。紗弥香がにっこり笑う。
「わたしたち、やっぱり聖華がいないと調子出ないよ」
御影と毅志もうなずいている。聖華はスプーンを置き、うつむいた。
「……学校、怖いの」
「どうして?」
すかさず問う楓を、そっと紗弥香が止めた。
「……小中ずっと不登校だったって、前にも話したけど……だから、私に友達って一人もいないの。みんなとどんな話をしたらいいのか、何を言ったら怒らせちゃうのか、どんなことをしたら喜んでもらえるのか、全然わからない……いつか私がうっかり言ったことで、みんなに嫌われて、また一人ぼっちになっちゃったらと思うとすごく怖い」
聖華が、暗い表情で話し続けた。
「お父さんはね、私に家にずっといてほしいって思ってる。だから学校に行くよりも休む方がずっと気持ちが楽で……中学までみたいに休んじゃう。でも、叔父さんはそれじゃ駄目だって言うから、最近ずっとお父さんと叔父さんが喧嘩してる」
それを間近で聞かされる聖華も辛いのだろう。ぶるぶると震えている彼女に、楓が抱きついた。急なことに目を白黒させる聖華に、楓が明るく言った。
「嫌いになんかならないよ! だってあたし、合唱部のみんな、大好きだもん! ケンカしたって、仲直りすればいいんだよ!」
「そうだよ。わたし達、仲間でしょ」
そう言って紗弥香は、また変顔をしてみせた。
「笑って、聖華」
「もう笑ってるだろ」
毅志が聖華の肩を叩いた。
「学校、来いよ。皆聖華のこと待ってるから。クラスとかで嫌なことあったら、楓がすぐに飛んでいくから」
「僕も竹刀持って行くよ」
御影がのんびりと言った。
「ちょっと、ミカエルが言ったらしゃれにならないんだけど」
「竹刀でぶちのめすつもりじゃないだろうな」
答える代わりに、御影は竹刀を振る真似をしてみせた。笑い声が弾ける。聖華を囲んで、放課後の食事会はまだまだ続いた。




