第3章(9)
5月の半ばには、遠足がある。
小学生じゃあるまいしと思う人もいるかもしれないけれど、これは本当のことだ。学年ごとに別れて、自然公園やちょっとした山、古墳などにぞろぞろと向かうのだ。もちろん徒歩で。ジャージ姿で外を歩くのは女子に総スカンを食らっているし、帰ってきた後は筋肉痛に襲われる。一体何のための行事なんだろうね?
遠足の日は、さすがに部活も休みだ。自主練くらいは許されているが。1年生たちは、またファミレスに行くらしい。
「聖華から、返信が来たんです!!」
遠足の前日、楓がそう報告した。喜びで瞳が大きく開いていた。
「ほんと!? 何て?」
「迷惑かけてごめんなさいって。あと、会いたいって!!」
「よかった。辞めたいわけじゃなかったのね」
「でも、どうしてずっと学校休んでたの? 体調不良?」
「ま、そこはおいおいと聞き出しますよ」
楓はにっと笑った。
「とりあえず、遠足の日にまたココス会します! もちろん聖華も一緒に!」
「楽しみ~」
紗弥香も声を弾ませた。美里が微笑む。
「聖華をよろしくね」
「はい!」
上級生たちは、ほっと胸をなで下ろした。聖華がこのまま学校に来ないままだったらどうしようと、引っかかっていたのだ。
部室の隅で英語の絵本を読んでいた拓は、ふと隣に座る秀紀に尋ねた。
「秀のクラス、今どんな感じだ?」
「うーん、世界大戦勃発直前って感じ。皆、先生が出欠とっても全然返事しないんだ。宮本も号令をかけようとしないし。先生はそれでずっと苛々してる」
「そうか」
「僕にとばっちりくるから、ほどほどにしてほしいんだけど」
「とばっちり?」
「先生にうっかりため口使ったら、めっちゃ怒られた。八つ当たりだよな」
「それはいつものことじゃないのか」
「あはは、そうだっけ」
拓は部室を見回した。
「真衣はどこ行った?」
「ユズと教会コンの打ち合わせ」
「ふーん」
拓は数日前の出来事を思い返した。福原が、教会コンサートを辞退すると香野に言ったらしい。香野の口ぶりからすると、現実になることはなさそうだが。
福原は一体、何を考えているのだろう。香野と共演するのがそんなに嫌だったとか? それとも……柚里にフラれたばかりの秀紀を気遣ったのだろうか。
いや……それはないか。横目で見ると、秀紀はぼんやりと宙に視線をさまよわせ、頬を微かに赤らめていた。柚里のことでも考えているのだろう。
遠足当日。2年生は、少し離れた場所にある自然公園に向かう。人数がとにかく多いので、出発時間を少しずつずらし、横2列は厳守と言い含められていた。目的地に到着するまでは、他クラスの列に混ざることも禁止である。
「昼のピクニックだなー」
「ピクニックってほど良いもんじゃないだろ」
秀紀は隆と並んで歩く。隆は早々にジャージの上着を脱ぎ、半袖になっていた。
「だせえよな、この体操着。せめて部活の時の格好にさせてくれ」
「剣道部とかかわいそうじゃん」
「そういや、菓子はちゃんと持ってきたか?」
「もちろんだね。ちゃんと500円以内に収めてきたよ」
「バナナは?」
「バナナはないけど、母さんがイチゴつめてくれた」
「お、いいな。後でくれよ」
「隆のおやつと交換ならいいよ」
最初のうちはこまめに休憩を挟んでいることもあり、皆表情に余裕があるのだが、目的地が近づくにつれてだんだん疲れ、惰性で歩くようになってくる。
「あー休みたい」
「さっき休憩入れたばっかりだろ」
「隆は元気だな」
「だって毎日走ってるし。合唱部が運動でバド部に勝てると思うなよ」
「僕だって毎日腹筋やってるよ」
隆はふと、真面目な表情になった。
「合唱部って毎日練習あるんだったよな?」
「うん、ほぼ」
「じゃあ、例えば……週に3回くらいしか来れない部員とかはお断りか?」
秀紀は歩きながら隆の顔をまじまじと見た。
「隆も、合唱部に入んの?」
「オレじゃない」
隆は手をひらひらと振った。
「友達の友達なんだけどよ、合唱部に興味ある奴がいるんだ。陸上部だから毎日参加は難しいらしいけど」
「今の部を辞めるつもりはないってこと?」
「らしいな。くわしいことはよく知らん。とりあえず、秀はいいやつだけど顧問はめんどいぞって言っといた」
「何でだよ。良いことだけ伝えてくれよ」
「そこまでの義理はねえよ」
隆がそう笑った時、前にいた生徒たちが突如走り出した。顔を上げると、目的地の看板がでかでかと見えた。先生たちの諫める声を無視して、秀紀たちも駆けだした。ちょうどよく、12時のサイレンが聞こえてくる。
昼食休憩を含めて、2時間ほど自由時間がある。その間公園を散策しても、アスレチックに挑戦してもいい。その後クラス写真を撮り、学校に帰る。生徒たちは早速ばらけ、思い思いの場所で弁当を食べ始めた。
隆や浜崎といた秀紀の元に、拓と真衣がやってきた。
「あれ、2人とも」
「一緒にメシ食わないか?」
「勿論千早もね」
秀紀は一瞬迷い、隆を見た。隆は鷹揚に手を振った。
「行ってこいよ。オレもバドの面子で食うからさ」
「うん、ありがとう」
3人で千早を探すが、なかなか見つからない。
「クラスで固まってんのかなー」
「かもね。本当はクラスの人たちと食べなさいって言われたし」
守っている生徒はきっとほぼいないだろう。
「友達と食べてたら、引っ張り出すの悪いかなぁ」
「そもそもどうして拓は私らを集めたわけ?」
どうやら、拓が真衣を誘ったらしい。拓は曖昧に笑った。
「まあ、ちょっと話したくて」
「ふーん。……あ、あれ千早のいるクラスじゃない?」
「お。千早いるか? ……」
秀紀たちはすぐに千早を見つけた。そして、黙り込んだ。
いくつものグループが、敷物を敷いて和やかに談笑する中、千早は一人ぼっちで、木の陰に隠れて弁当を開いていた。彼女を誘いに来る者はいない。
ただ、何人かの女子が弁当を食べながら千早を見て、笑っていた。遠くからでも分かる、嫌な感じの笑い方だった。
拓が呆然と呟く。
「あいつ……」
秀紀は何と言っていいか分からず、傍らの2人を交互に見た。
最初に動いたのは、真衣だった。平然とした顔で、つかつかと千早に歩み寄り、見下ろした。
「ご飯食べよ」
千早はしばしぽかんと見上げていたが、やがてうなずいた。その様子を見て、ひそひそささやき交わす女生徒たちを真衣は一瞥し、千早に手を伸ばした。
千早のクラスメイトから遠く離れた林の中で、4人は座った。昼食におあつらえ向きの、あずまやとテーブルを見つけたのだ。
真衣が口火を切った。
「千早、あんたのクラスメイト、感じ悪いね」
「……そう?」
「うん。私ああいうの嫌いだわ。千早、あんた理転しなさい。うちのクラスにおいで」
「……無茶言わないでよ」
「拓が学年トップとるより簡単でしょ」
「やめてくれ、気が重くなる」
流れ弾を撃たれた拓が、悲鳴を上げた。よく見ると、英単語帳を弁当箱の下に忍ばせている。
「ずっとああなの?」
「ううん。ここ最近」
「ふうん。早めに先生に相談しなよ。担任誰だっけ?」
「押水先生」
押水先生は、若い女性の先生だ。生徒からは友達のように慕われている。
「言いにくいなら私が言おうか?」
「いいよ。先生忙しいもん」
「いくら忙しくたってねえ」
「それに……いじめ、とかされてるわけじゃないし」
千早の表情が陰った。それを確認した秀紀は、こっそり真衣と目を交わす。事態はなかなか深刻な気がした。
「さ、食べよ食べよ。お腹減ったでしょ? ごめんね」
千早が無理に明るい声を出す。弁当箱を取り出しながら、真衣が彼女の目をまっすぐに見た。
「千早。私達は千早の味方だから。忘れないで」
「うん。ありがと」
にっこり笑った千早に、秀紀は何も言えなかった。
昼食をとりながら、他愛のない世間話をした。部活のこと、昨日見たテレビのこと。秀紀はさりげなく真衣に尋ねた。
「教会コンの話、どう? 順調に進んでる?」
「うん。ゆずりんとよろしくやってるよ」
「何だよその言い方」
真衣はにやりと笑った。
「吹奏楽部に、合唱の伴奏もお願いしようと思って。合唱と吹奏楽用に作られた楽譜もあるからさ」
「あ、それいいね。楽しそう」
「吹部全員じゃなくて、アンサンブル(少人数で演奏すること)になりそうだけどね」
拓が顔を曇らせた。
「……なあ真衣、教会コンってなくなったりしないよな?」
「は?」
真衣は眉をつり上げた。
「どうして? なくならないよ。なんでそんなこと聞くの?」
「いや、それがさ……」
拓は口ごもっていた。真衣たち3人で拓を見つめると、やがて彼は白状する。
「……福原先生が、教会コンを辞退するって香野先生に言ったらしいんだ」
「うそ!!」
3人は叫んだ。
「何、何で? そんな……!」
「いや、香野先生は断ったっぽいんだけどな」
「なんだー、よかった」
ほっとしたのは秀紀である。だが真衣は険しい顔で立ち上がった。
「どうした、真衣」
「先生に聞いてくる」
「ケンカすんなよ」
「しないよ。冷静に会話してきますよ」
そういうわりに、彼女の顔は怖かった。
公園の中をぐるぐる歩き回り、ようやく真衣は福原を見つけた。教員は休憩もそこそこに公園を見回っている。こっそり敷地内から抜け出す生徒がいないか、他の利用者に迷惑をかけていないか。
福原はアスレチックで遊ぶ生徒たちを遠巻きに眺めていた。教員もたくさん歩くため、彼もジャージ姿だ。似合ってないな、とこっそり思う。
「先生」
真衣が呼びかけると、福原はすぐに振り向いた。
「ああ、真衣」
真衣は福原に近づき、切り出した。
「教会コンを辞退する気なんですか?」
福原は顔をしかめた。
「拓から聞いたのか?」
「そうです」
「あいつ……」
「辞退する理由を教えてください。今年は何も問題を起こしてないし、吹奏楽部とのコラボで十分良い企画になると思いますが?」
本気で合唱部が辞退するなら、真衣と柚里が今まで話し合ってきたことは何だったのだ!
福原はため息をついた。
「話が変わっている。香野先生に申し出たのは、俺「だけ」がコンサートに出ないという希望だ。君達全員じゃない」
「それでもまだ意味がわかりません。先生が出ないのなら、ピアノはどうなるんです? アカペラで出ろってことですか?」
「吹奏楽部の中にもピアノを弾ける生徒はいくらでもいるだろう」
「コンクール間近の吹奏楽部員に、ピアノの練習までさせるつもりだったんですか?」
そりゃ香野も断るはずだ。
「……どうして? しかも、私達に何の相談もなく。結局顧問同士で大事なことをやりとりするのなら、実行委員なんて何の意味があったんですか?」
福原は黙っていた。
「せめて理由を聞かせてください。その日なんか用事でもあるんですか? それとも何か出たくない事情でも?」
福原はすぐには答えなかった。真衣は待つ。小学生のように騒ぐ同級生の笑い声が、側を抜けていく。
教会での本番は、コンクールのリハーサルも兼ねるつもりだった。だから伴奏の福原が出ないことなど論外だ。去年あんなに香野とコンサートを巡って争っていたのに、今年は出たくないと言うのも不自然な気がした。
根負けしたのか、ようやく返事がきた。
「……まあ、何となく気が乗らないだけだ」
その言葉を聞いた真衣は、突沸した怒りのままに吐き捨てた。
「顧問失格ですね」
そして、公園の奥へとずんずん歩いていった。
昼食を食べ終わった秀紀は、公園を散策することにした。千早と拓は昼寝をしたいなんて言い出したので、あずまやに置いていく。真衣はどこかに行ってしまった。一人でぶらぶらと、初めて来る公園を歩いた。
大きな池があり、白鳥ボートが停まっている。面白そうだったけど、お金がかかるみたいなのでやめた。池をのぞきこむと、魚が何匹も泳いでいるのが見えた。
小さな足音がして、近くで止まった。
「秀紀君」
秀紀は、はっと顔を上げた。
柚里が、側に立っていた。




