第3章 波乱と苦難の5月(6)
話が終わると、香野と柚里は帰っていった。
練習が終わった後に、実行委員で打ち合わせをするのだという。
「ごめん、真衣。ありがとう」
秀紀はこっそり真衣にお礼を言った。
「どういたしまして。いつでも代わってあげるよ」
「いや、遠慮しとく」
田邊の険しい顔を思い出し、秀紀は苦笑いした。
楓や紗弥香、千早たちが楽しそうにしゃべっている。
「教会でコンサートだって! 楽しそう!」
「去年はいろいろあって出られなかったのよ」
「そうなんですか? じゃ、今年は倍頑張らなきゃ!」
美里が皆に向けて言った。
「教会コンサートの事は、一旦真衣たちに任せるわ。今はコンクールと美術館コンサートに向けて集中しなきゃね。さあ、練習始めましょう!」
「はい!」
部員たちは、声をそろえて返事した。
柔軟体操とトレーニングに15分、発声と基礎練習に1時間。基礎練習にしっかり時間をとる方針は、昨年から変わらない。けれど、楓から教わった新しい発声の楽譜や練習方法をいくつかとりいれて、バリエーションが豊富になった。体に負荷をかけることなく声量を上げる方法を模索する日々である。
やっぱりコンクールに出ると決めてから、上手く歌いたいという気持ちは前よりも強くなった気がする。せっかく大会に出るからには、結果を出したい。そのためには、何をすればいい? 誰もが、自分なりにそれを考え続けていた。
基礎練習や全体合唱を指導するのは部長の美里である。練習する曲数の多いこの時期を、厳格なタイムテーブルで仕切っていた。その内容は結構スパルタである。
「あら、まだ歌詞がうろ覚え? じゃあ、覚えるまでやりましょう」
「ほら、休憩はもう終わり。次は『証』よ。5分も休んだら十分でしょ」
「先生、そのフレーズ難しいですか? 10回連続で成功できるまで練習してください」
「休憩してる間は、音源を聴いてね。いろんな団体の演奏をつめこんだCDを焼いてきたの」
もう1人の3年生、優路は1年男子の指導にかかりきりだった。楽譜を読むのも初めてだった御影や毅志に、音の取り方やリズムを教えこんだ。そのおかげで、御影たちも少しずつ慣れてきたようだ。
秀紀たち2年生は、自分の技術を磨くことに必死だった。1年の頃のような、ただ先輩たちの歌声に混ざって好きなように歌っていればよかった時代はもう過ぎた。去年はただ声が大きいだけで褒められたけれど、今年はそうはいかない。美里たちからも、福原からもお前たちが合唱部の歌の土台なのだと言い聞かされていた。
18時になって練習が終わると、3年生と福原はピアノのある教室で会議を始めた。秀紀たちはさっさと帰るのもつまらないので、なんとなく部室に残っていた。ただ歌うと先輩たちの邪魔になると思ったので、例によってトランプを始めた。
「御影も、最近だいぶ歌上手くなったよ」
秀紀の言葉に、1年の御影はぺこりとうなずいた。
「あざっす」
「そうだ、面白いことやろう!」
秀紀が大きな声で言うと、部室にいた皆が__隅の方で秀紀に渡された新書を読んでいた拓まで__顔を上げた。
「何ですか、面白いことって?」
楓が目を輝かせて質問する。
「イントロクイズ! アカペラで歌を歌って、皆にあててもらうんだ。音程とリズムがちゃんととれてないと伝わらないから、いい練習になりそうだろ?」
「たしかに!」
「じゃあさっそく御影から」
盛り上がる秀紀たちを尻目に、真衣が立ち上がった。
「真衣さん、どっか行くんですか?」
「教会コンサートの打ち合わせにね」
「あっ、ありがとう。よろしく」
「はいはい」
「いってらっしゃーい!」
陽気に見送る楓に手を振り返し、真衣は部室を出た。
柚里は、吹奏楽部のホールで待っていた。単身乗り込んでいった真衣に、四方八方から好奇の視線が飛ぶ。
手近な客席に座り、真衣と柚里は打ち合わせを始めた。
「全体の時間はどれくらい?」
「1時間とちょっと」
「結構がっつりやるんだね」
「そう。ミサの後だから、お客様も多いみたい」
「そっちは何の曲やるか決めてんの?」
「えっと__」
手元のメモをめくる柚里を、真衣はこっそり観察した。彼女の意図がつかめない。わざわざ同期の男子を送って秀紀を振っておきながら、平気で合唱部の部室にやってくる。大人しい顔をして、案外いい性格しているのか、それとも香野に言われて仕方なく実行委員になったのか。
まさか、彼女が秀紀を嫌っていたとはね。真衣は内心ため息をついた。田邊に一方的に告げられるまで、真衣も秀紀も彼女の本心に気づけなかったのだ。人の気持ちを読むのは得意だと思っていたのにな。
「__吹奏楽部だけの曲で、カヴァレリア・ルスティカーナ、秘儀Ⅲ、カーペンターズ・フォーエバー。とりあえずこれは絶対入れたいと思ってる」
「今年のコンクールでやる曲?」
柚里は照れ笑いした。
「よく分かったね」
「まあね。いいんじゃないの? うちも、コンクールの自由曲と課題曲はやらせてもらうつもりだし」
「えっ、コンクールに出るの?」
柚里が驚いた。真衣は彼女の目を見て、ゆっくりとうなずく。
「うん、そうだよ」
柚里はほほえんだ。
「__頑張って」
「どうも」
その日のざっくりした日程と曲数などを話し合い、その日の打ち合わせは終わった。ホールを出て行こうとした真衣に、柚里が呼びかけた。
「__藤野さん」
「何?」
真衣が振り返ると、柚里は一瞬ためらい、それから急き込むように尋ねた。
「秀紀くんと、つきあってるの?」
真衣は迷った。もし今『そうだよ』と答えたら? 柚里はそれを信じるのだろうか? そうしたら……。
「……本人に聞けば?」
それだけを答え、真衣は今度こそホールを出ていった。




