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聖蹟駅はちょっと遠い  作者: 六福亭
2年目
38/49

第3章 波乱と苦難の5月(5)


 その日の終礼が終わると、秀紀はすぐさまリュックを担ぎ、福原に呼びかけた。

「先生! 部活に行きましょう」

「あ……ああ」

 秀紀の勢いに福原は若干引いているようだったが、構うことはない。邪推と悪意が渦巻く(言い過ぎかも)この教室から早いとこ逃げ出したいのだ。

 

 教室を出るなり、福原が呆れた声で言った。

「お前、友達と連れションするタイプだろ」

「しませんよ!」

 不当な偏見に、秀紀は抗議した。

「僕はただ、合理的に動きたいだけです。ほら、先生も僕もどうせ部室に行くんだから、一緒に行った方がお得じゃないですか」

「何が合理的だ、せっかく職員室で仕事をするつもりだったのに」

「でも今だったら、職員室よりも部室の方が居心地良いんじゃないですか?」

「それは嫌みのつもりか? 良い度胸だな」

 言い合いながら歩いていた二人は、自販機の前に一人の女子が佇んでいるのに気がつき、足を止めた。千早だ。財布を出すでもなく、ぼんやりと自販機を眺めている。

「千早ー!」

 秀紀が大声で呼ぶと、千早は一瞬びくりとして、のろのろと振り返った。

「何買うか迷ってんの?」

「……まあね」

 そのくせ千早は自販機に背を向け、一本の飲み物も買わずに秀紀の隣に並んだ。

「あれ、喉渇いてんじゃないの?」

「ううん、いいの」

 福原が心配そうに千早を見下ろした。

「最近ずっと元気がないな。何があった?」

「別に何も。大丈夫です、先生」

 大丈夫じゃなさそうな返事に、秀紀と福原は顔を見合わせた。

「どうしたんだよ、千早。まさか千早もバイトやってるとか?」

「それは勘弁してくれ」

 千早はちょっと笑った。

「ううん、バイトはしてないよ。大丈夫」

「担任と上手くいってない?」

「まっさか、うちのクラスじゃあるまいしー」

「……秀、お前今度居残りだ」

「嫌です!」

 くだらないやりとりをしていた秀紀と福原だが、千早の表情を見てすぐにやめた。

「体調でも悪いのか」

「真衣とケンカした?」

「まさか、いじめにでもあってるんじゃ__」

「もー、ほっといてください!」

 とうとう千早が切れた。

「大丈夫だって、さっきからずーっと言ってるじゃないですか!!」

「ご、ごめん」

 千早はふんと鼻を鳴らし、さっさとB棟の階段を登っていった。秀紀と福原も、慌てて後を追いかける。


 B棟の4階に着くなり、部室から駆けてきた楓にぶつかりそうになった。

「おっと、危ない」

「あ、すみません!」

 楓は動揺しているようだった。荒く息を吐き、目を大きく見開いて、秀紀たちに訴えた。

「大変です!」

「ど、どうした?」

 楓は息を整えてから、言い放った。

「吹奏楽部が、カチコミに来ました!」


 

 秀紀がとっさに思い出したのは、昨年の嫌な出来事である。前部長の廉と吹奏楽部の部長が殴り合いの喧嘩をして、どちらの部活も活動停止になったのだ。

「落ち着いて、楓。まずは体制を整えよう。こっちは人数が少ないけど、団結して部を守るんだ」

「お前こそ落ち着け、秀」

 秀紀をたしなめてから、福原が楓に尋ねた。

「とにかく、吹奏楽部の誰かが来たんだな。何の話か聞いたか? 部室には今誰がいる?」

「私と紗弥香だけだったんです! そこに吹部の先生と、2年の部員が来て」

「はあ」

「大事な話があるから部員と先生を早く呼べって言うんです!」

「相変わらずの上から目線だな」

「大事な話って何でしょう?」

「聞いてみなけりゃ分からない」

「本当にカチコミだったらどうします? 合唱部を乗っ取ろうとしてるとか!」

「向こうに何のメリットがあるんだ」

「誰がカチコミですって?」

 柔らかな、しかしよく通る声が廊下に響いた。福原の顔が傍から見て分かるほどに強張る。

「妙な言いがかりはよしてもらいましょうか」

 吹奏楽部顧問の香野が、部室から歩いてくる。その後ろに付き従う女生徒に気がつき、秀紀も固まった。

「……ユズ」

 誰にも聞こえないほどの小さな声で、彼女の名を呼んだ。高島柚里も、まっすぐに秀紀を見つめていた。



 合唱部員が集まると、香野はにこやかに言った。

「今日は皆さんに提案したいことがあって来ました。例年、6月末頃に教会でコンサートを行います。ご存じの通り、去年はハンドベル部が演奏していましたね」

 ご存じどころではない。昨年の経緯を覚えている2・3年は、疑いの目で香野を見た。

「単刀直入に言います。今年は、吹奏楽部と合唱部で合同演奏をしませんか? きっと双方、良い経験になると思うんです」

 秀紀は驚いた。まさか、吹奏楽部側からそんな提案が出てくるなんて。でも、面白そうだ。ただ一つ、大きな問題__フラれたばかりの相手、柚里と顔を合わせなければいけないことを除いて。

 美里がそっと手を挙げて、尋ねた。

「コンサートの構成は、どのようにされるおつもりですか?」

「合同演奏と、それぞれの部単体での出番を設けようと思っています。ただ詳しいことは、実行委員の柚里と話し合ってもらいたいな」

 香野が、柚里を促した。柚里は一歩前に出て、透き通るような可愛い声で言った。

「教会コンサートの実行委員、高島柚里です。皆さんと良いコンサートを作っていきたいと思っています。よろしくお願いします」

 頭を下げた柚里に、美里や優路、1年たちが拍手を送った。

 福原が口を挟む。

「ちょっと待て、急にそんな話をされても」

「何を仰います、福原先生にもこの話はしたじゃないですか」

「聞いてないが」

 香野はひょいっと眉を上げた。

「これは申し訳ない。うっかり伝えるのを忘れていたみたいです」

「……ああ、そうですか」

 楓が無邪気に尋ねた。

「福原先生へのあてつけですか?」

 香野は楓を見て、首を傾げた。

「そう見えるのなら、そうかもしれないね」


 凍りついた部室の空気を砕いたのは、柚里だった。

「あの、すみません。香野先生は本当におっちょこちょいなんです。悪気があるわけじゃありません」

 柚里は合唱部員と福原を見回した。

「私は、合唱部の皆さんと一緒に演奏ができたら、本当に嬉しいです」

 美里が応えた。

「私も、すごく楽しみだわ。よろしくね、高島さん」

 優路もうなずいているし、1年も新しい本番にわくわくしているようだった。けれど……。


「そっちからも1人、実行委員を出してほしいな。澤田君とかどう?」

 指名され、秀紀はうっと息を呑んだ。

「えっと……僕は……」

 柚里が秀紀を、張りつめた表情で見ている。彼女が今何を考えているのかがさっぱり分からず、秀紀は二の句が告げずにいた。

 その時、真衣がまっすぐ手を挙げた。

「私がやります」

 柚里が目を見開いた。真衣は挑戦的に微笑み、右手を差し出す。

「よろしく、高島さん」

 柚里の眉根に皺が寄った。ぱっと手を出し、彼女は真衣の手を一瞬だけ握った。

「こちらこそよろしく、えっと……」

「藤野真衣」

「藤野さんね。忘れない」

「そりゃどうも」


 香野が福原にこっそりささやいた。

「……柚里と澤田君は付き合っているんじゃなかったっけ?」

「喧嘩別れしたらしい」

「え、そうなの!?」

 顧問同士のやりとりがしっかりと耳に入ってきた真衣は、密かに舌打ちした。デリカシーのないおっさんどもめ!



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