第3章 波乱と苦難の5月(3)
その日の放課後、合唱部の部室でもバイト事件の話でもちきりだった。
「1年生の間でも、話は広まってますよ」
毅志がそう言った。
「バイトやりたい奴って結構多いから、衝撃が走りました」
「そっか。申し訳ないわね、うちの福原先生が」
「お母さん視点?」
紗弥香が呑気に口をはさむ。
「拓さん、バイトやってたんですね。お店に遊びに行きたかったなー」
「どこでバイトしてたんだっけ?」
「さあ、そこまでは……」
「カフェだといいなあ」
「それか、ファミレス!」
「ラーメン屋とかも似合いそうっすよね」
好き勝手言う後輩たちを尻目に、秀紀は辺りを見回した。拓はまだ来ていない。福原もだ。まさかサボることはないだろうけど。
「最近やけに拓の居眠りが多いなと思ってたんだ。そう言うことだったんだね」
「そういえば、たしかにー」
「あんまりあれこれ言っちゃだめよ」
美里がたしなめた。
楓が部室に来て、
「聖華は休みだそうです」
と言った。
「あら。学校も?」
「はい!」
真衣が眉をひそめる。
「あの子、よく休むね」
「まあ、先生と一緒に住んでるんだから、大丈夫でしょ」
美里は大して気に留めていないようだ。楓がふと、首を傾げた。
「前から気になったんですけど、どんな家なんでしょうね」
「何? 先生の家?」
「ええ。姪っ子と叔父が一緒に住んでるって、あんまりなくないですか? すごい大家族とか? それとも、二人きりでしょうか?」
「うーん、どうなんだろう。先生からそういう話聞いたことないからなあ」
「逆に、楓は聖華から何か聞いてないの?」
「それが、あの子も全然話してくれないんですよ。水くさいんだから」
部室の外で、足音がした。まだ来ていないのは、拓、千早、福原だ。待っていてもなかなか入ってこない。気まずいのかもしれない。
秀紀が部室を出ると、廊下に拓がぽつんと立っていた。片手に英単語帳を握りしめている。
「拓!」
秀紀が呼びかけると、拓はびくっとした。
「大変だったね。出口先生に怒られなかった?」
拓は首を横に振った。
「そりゃそうか、拓は別に悪くないもんな」
秀紀がそう明るく言うと、拓は何故かいっそう沈んだ表情になった。
「……まあ」
秀紀はまだ職員室での福原の態度に腹を立てていたので、ここぞとばかりに
「先生もバカだよな! そんな大事な書類忘れるなんて。そんなだからみんなに__」
「違う!」
拓が声を荒げた。
「……違うんだ。先生は悪くない。オレのせいなんだ」
「いや、でもさ」
「頼むから、先生のことを悪く言わないでくれ」
秀紀は口をとがらせた。拓のやつ、やけに歯切れが悪い。僕知ってる、こうやってまごまごしてる奴は大抵秘密があるんだ。
「分かったけど……何か隠してることでもあんの?」
拓は顔を強張らせた。
「ないよ」
「嘘だね、目が泳いでる。拓は嘘つくの下手だなー」
「秀に言われたかねえよ」
言い返し、拓は英単語帳を開いた。そういえば、期末で学年トップとらなきゃいけないんだった。
「勉強の計画表、作ってきたよ。見る?」
「あ、ありがとう」
「ただし、秘密を教えてくれたらね」
「それは無理だ」
「何でだよ、ケチ!」
「……二人とも、何ケンカしてんの?」
口を挟んだのは、千早だった。いつの間にか来ていたらしい。
「別に、ケンカなんてしてないよ」
「そうだな、秀にカツアゲされてただけだ」
「おい!」
千早は非難の目を秀紀に向けた。
「……やめなよ、秀。よくないよ」
「う、ごめん」
「……仲良くしなよ」
そう言って、千早はゆっくりと部室に入っていった。楓が明るく挨拶する声が聞こえてくるが、対する千早の返事は小さかった。
「……なんか、千早も元気なくない?」
「ああ……」
秀紀は、リュックの中からキャンパスノートを取り出した。
「ほい、計画表。毎日家でやってきて」
「すまん、ありがとう」
「練習終わったら、勉強会やろう。どの教科が一番ヤバい?」
「数学と英語」
「了解」
そのうち福原がやってきて、部活が正式に始まった。福原はやっぱり、まず謝罪をした。
「俺の不注意で、拓にも、君たちにも多大な不安と迷惑をかけて申し訳ない。これからはこのようなことがないよう、一層気を引き締め、汚名挽回できるように__」
秀紀は素早く手を挙げた。
「先生! 『名誉挽回』です!」
珍しく、福原が言葉に詰まる。美里と優路が、笑いを必死にかみ殺しているのが見えた。「汚名挽回」だと、汚名がもう一度来てしまう。
「……失礼。名誉挽回できるように努力します」
福原も動揺しているのだろうか。国語教師らしからぬ間違いに、部室の空気が緩んだ。拓だけが、固い表情で縮こまっていたが。
その日の練習は、コンクール自由曲の候補を順番に練習した。4つあった候補曲は、だいたい3つに絞られた。『海・風・光』、『証』、『流浪の民』だ。
皆の人気は、『証』に集中している。やはり定番の名曲だからだろう。
「好きな曲と、コンクールで勝てる曲は違いますからね。他の学校と被らない曲の方がいいかもしれません」
楓がそう言った。
「『流浪の民』って、中学の時にどっかのクラスがやってたなあ。古い曲なんだけど、妙に頭に残るのよね」
「僕は『海・風・光』が面白くていいと思います」
美里が皆を見回した。
「どうする。多数決とる?」
「そうだね」
多数決をとると、『海・風・光』が最下位だった。
「『証』か『流浪の民』か」
「先生はどっちがいいとかありますか?」
「君たちの好きなように」
「はいはい」
2つの楽譜を見比べて、真衣が言った。
「この2曲でしばらく練習すればいいんじゃないですか。今日すぐに決めなくても」
「そうね。今週いっぱい、この2曲を練習しましょう。美術館コンサートがもうじきあるから、その時両方やってみましょうか」
「あ、じゃあ、お客様にアンケートとれないでしょうか? 客観的に、どっちがよかったか知りたいです」
わいわいと練習するうちに、拓や千早の表情も明るいものに戻っていた。




