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聖蹟駅はちょっと遠い  作者: 六福亭
2年目
34/49

第3章 波乱と苦難の5月(1)


 4月末、部員たちの前に4つの楽譜が並べられた。

「コンクールで歌う曲、先生とも話し合っていくつか候補を用意したの。この4曲をしばらく練習して、その中から1つ選びましょう」

 美里がにこにことそう言った。

「しばらくって、いつぐらいまでですか?」

 真衣が尋ねる。

「連休明けくらいまでかな。出場申し込みの締め切りが5月中なんですって。それまでに決めなきゃね」

「美術館コンサートで歌ってもいいね」

 楽譜を手に取りながら優路が言った。

「あと、ゴールデンウィーク中の練習日程も決めたから、お家の予定を確認してね。どうしても大事な用がある時は休んでも大丈夫だから、早めに教えて」

 楓が不満げな顔で口を開きかけ、結局何も言わずに閉じた。その後ろで、拓がこくりこくりと船を漕いでいる。

「拓、聞いてる?」

 優路に声をかけられ、拓は目を覚ました。

「あっ、す、すみません」

「はい、楽譜。歌いながら寝るなよ」

「それはさすがにないっす」

 部員たちはさっそくピアノのところへ移動した。ピアノの練習をしていた福原が手を止める。譜面置きには4つの楽譜が並んでいた。


 連休中も、部員たちはほとんど合唱の練習のために登校した。他の部活も同じで、いつも平日とあまり変わらないほど生徒たちが闊歩している。違いといえば、皆制服ではなくユニフォームやジャージを着ていることぐらいだ。


 連休最後の日も、午後から練習だった。17時までみっちり4曲と、課題曲の練習をして、それから美術館コンサートの曲のおさらいをした。そのおかげで新しい曲の譜読みは順調に進み、連休明けから本格的にコンクールに向けての練習ができそうだと3年生は胸をなで下ろしていた。優路はCDで音源を毎日繰り返し聴いたし、美里はピアノを弾いて曲調をつかもうとした。


「では、今日の練習はこれで終わりね。ありがとうございました」

「ありがとうございました!」

 終わりのあいさつをひときわ大きな声で言ったのは拓だった。楓が笑う。

「あはは、拓さん、なんか店員さんみたい」

「え、そうかな?」

 たしかに、と秀紀たちも同意する。声の大きさだけでなく、イントネーションもどことなく店員のようだった。

「ゴールデンウィーク終わりかー、授業受けるのやだなー」

「ほんと。ずっと部活だけしてたいわ」

「知ってます? 7月までもう連休ないんですよ」

「えーっ、うそ!」

「ほら、カレンダー見てください」

「うわ、最悪だ」

 わいわいしゃべる部員たちのむれをかき分け、福原が拓に近づいた。

「拓。ちょっと来なさい」

「あ、はい」

 拓は福原の後をついて、部室をでた。


 福原はピアノの教室の前を通り過ぎ、階段を降り、B棟を出た。

「……あの、どこまで行くんですか?」

「教会だ。誰かに聞かれたくない」

 そう返事された時、拓はどきりとした。

 

 福原が教会の扉を開けた時、拓は去年の夏を思い出した。たしか、教会での福原と香野の密談を、秀紀たちが盗みぎきしていたのだ。

「あの、教会はやめときませんか?」

「なぜ?」

「えっと……中に誰かいてもなかなか分かんないし……」

「それもそうだな」

 あっさりと納得した様子の福原が向かったのは、彼の車だった。

「乗りなさい」

「はい」

 助手席にのりながら、拓は困惑する。

「ドライブするんですか?」

「いや。ここなら邪魔されずに話ができると思っただけだ」

 言われてみれば、誰か近くに来ればすぐに分かるし、外から中の会話は聞こえない。


運転席に座った福原が、拓の目をまっすぐにのぞきこんで言った。

「拓。最近のお前はよく居眠りをしているな。なぜだ?」

「なんでって……」

 拓は唾をのんだ。

「……えっと、寝不足で」

「寝不足の理由は?」

「……勉強とか、ゲームとかして、夜更かししてしまって」

 そう答えると、福原は眉をひそめた。

「正直に答えなさい」

 拓の背中を、冷や汗が伝う。バレている。そう思った。

「お前の担任の、出口先生にも聞いた。1年の3学期ごろから、お前の授業中の居眠りが目立つようになったと。しかも、1日のほとんどの授業でだ。一体何時に寝ている?」

「それは……」

「拓、お前、バイトしているんだろう?」


 広はとっさに首を横に振った。だが、福原にじっと見つめられ、とうとううなずいた。

「……はい」

「申請書は出していないな?」

「……はい」

 福原がため息をつく。この学校では、バイトをする時は申請書を出して、教師に承認をもらわなければならない。また、バイトの時間帯は夕方7時まで、業種にも制限がある。

「どの時間帯に、何のバイトをしている?」

「……夜中に、コンビニです」

 福原はこめかみを押さえた。拓は狭い車内で縮こまる。

「校則をいくつも破っていることは、分かっているんだろうな。なぜ申請をしない? そんな深夜に働く必要がある?」

「……申請しても、絶対その時間じゃ許してもらえないと思って……」

「当たり前だ。睡眠時間を損なうのはよくないし、高校生が働くには遅すぎる」

「……でも」

「でも?」

 拓は福原の様子をうかがいながら、口を開いては閉じてを繰り返した。

「事情があるのなら、話してみなさい」

 福原が促した。

「…………うち、お金ないんです」

 拓は目を伏せて話し出した。どうしても声が震えてしまう。福原はそれを黙って聴いてくれた。

「オレの学費、やっぱり相当家計を圧迫してるみたいで。父も母も頑張って働いてくれてるけど、厳しいのはオレでも分かるんです。下に弟妹もいるし、オレばっかりお金使うわけにいかなくって。でも……合唱も、学校もやめたくない。みんなと一緒にいたい……だから、バイト始めました。放課後働けば怒られないのかもしれないけど、それだと合唱できないと思って、それだけは絶対に嫌でした」

「時給は?」

「え? 800円です」

「随分足元を見られてるな」

「……まあ、高校生なんで」

「親御さんは、お前がバイトをしていることを知っているのか?」

「はい。バイト始める時、サインもらいました。……無理して働かなくていいって、言ってくれるけど」

「でも、申し訳ない?」

「はい……」

 福原はしばらく黙って何かを考えていた。たっぷり10分ほど経ってから、おもむろに彼は車を出てどこかに行った。そして戻ってきた時、1枚の紙を携えていた。

「これを書きなさい」

 見ると、バイトの申請書だ。拓はボールペンを借りて慌てて書き始めた。

「あ、日付は今日じゃないぞ。バイトを始めたのはいつだ?」

「今年の1月からです」

「じゃあその日付にしておけ。今夜親御さんにサインをもらってきなさい。何か聞かれたら俺が説明するから、電話しろ」

 拓が書き終えた頃、福原は厳しい声音で言った。

「いいか、この申請書は、1月に俺が受理したが、不注意で決裁に回すのを忘れていたことにする。誰かに聞かれたら、必ずそう答えなさい。バイトを始める前に顧問に申請書を出し、とっくに承認されたものと思っていたと。分かったな?」

「先生、それ……」

「いいな?」

 強く念を押され、拓はこくりとうなずいた。

「それから、バイトは今日限りでやめろ。学費に関しては俺に考えがある。もう、無理して深夜に働くようなことは決してするな」

「……はい」

「よし。部室に戻ろう」


 部室に戻ると、まだほとんどの部員たちが残っていた。福原はその中で2年生3人を呼び集めた。

「何かご用事ですか?」

 秀紀がわくわくした顔で、福原を見ている。

「ああ。お前たち3人に頼みがある」

「頼み?」

 拓も福原が何を言い出すのか分からず、緊張した。

「__拓を次の中間……いや、期末試験で、どうしても学年トップにしたい。勉強を教えてやってくれ」

 拓も、他の3人も驚いた。けれど秀紀はすぐに元気よく返事をする。多分、何が起きているのかも分からないままで。

「任せてください! 拓を東大に行けるくらいの天才にしてやりますよ!」

「お、おい」

 うろたえる拓に、福原がささやいた。

「成績優秀者は、学費が安くなる。今学期の試験が勝負だ。本気で勉強に取り組みなさい」

 自分が大好きな場所にいられるために。拓はゆっくりとうなずいた。


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