第2章 コンクール、出る?出ない?(8)
「昨日は休んですみませんでした!」
秀紀たち2年生部員は、合唱部部長の美里に向かって頭を下げた。
昨日は秀紀が病欠し、他の3人もお見舞いのため午後からの授業と部活を無断で欠席した。要するにサボりである。
美里はちょっと苦笑しつつも鷹揚に手を振った。
「気にしないで、たまにはそんなこともあるでしょ。3人とも、秀のお見舞いよね? 先生から聞いたわ」
「おっしゃるとおりです……」
「私たちはいいんだけど、担任の先生には叱られなかった?」
拓がしょんぼりとうなずいた。
「出口先生にお説教されました」
拓がいる21Hの担任、社会科の出口先生は、学年主任でもあり、校則にはかなり厳しい。普段は温厚な人物であるのだが。
「ごめん、拓。僕のせいで」
「気にすんなって」
「真衣と千早は?」
「香野先生には、不気味なくらい何も言われませんでした」
「私は……ちょっと事情聞かれただけです」
「ラッキーだな、2人とも」
拓が羨ましそうな目をした。
「……ところで、今日も何人かお休みですか?」
真衣が部室内を見回した。そろそろ部活が始まる時間だが、いつもより人数がはるかに少ない。優路も、楓も、他の1年生たちもいない。
「ああ……」
美里が、笑顔のままこめかみを押さえた。
「優路は休み。さっき連絡があったわ。1年は……どうかしらね」
真衣が素早く美里の顔を見た。
「昨日、何かありました?」
「あった。けど……そんな大したことじゃないわ」
「えー、どうしたんですか? 教えてくださいよー」
千早にせがまれ、美里は肩をすくめた。昨日の出来事を思い出すと、苦々しい感情がこみ上げる。なるべく中立的に話そうと頭を巡らせながら、後輩たちの顔を見渡した。
__昨日も部活動の参加人数が少なく、練習もどことなく寂しい雰囲気が漂っていた。2年生たちはいつもふざけているが、彼らがいるだけで部室が和むのだ。普段にぎやかな1年生も、この日は3年に遠慮して、ぎこちなく練習に参加しているようだった。
美里は2年生の欠席理由を知っていた。福原に伝えられたからだが、部員全員に共有するまでもないと思った。今考えればそれが失敗だったかもしれない。
基礎練習後の休憩時間に、楓が質問した。
「どうして、2年生の先輩たちがいないんですか?」
優路が柔らかく答えた。
「特に聞いてないけど、何か用事があるんじゃないかな?」
これまでにも、部員が私用で休むことは何度もあった。理由を問いただしたり、咎めてもしょうがないので、「私用」の内容を突っ込んで聞いたことはない。
だが、楓はそれが気に入らなかったらしい。
「どうして、聞いてないんですか? それっておかしくないですか? サボりにしか思えないですよ」
「あの子らがサボりってことはないよ」
「本当にそう思います? 欠席する理由くらいは聞いた方がいいと思いますけどね。簡単に休めるようにしてたら誰も部活に来なくなりますよ」
「楓、落ち着いて。風邪で休んだ秀のお見舞いにいったんだって先生から聞いてるわ」
「お見舞い、ですか。じゃあそんなに長居しないですよね。学校に戻ってくるんですか?」
「さあ、それは……」
美里は言葉に詰まる。そこまで考えてはいなかった。そのまま帰宅するのだろうと当たり前のように思っていた。
「前から思っていたんですけど、皆さん部活舐めすぎです。練習時間も短いし、平気で休んだり遅刻したりするし。そんなので本当にいいと思ってます?」
優路が顔を強張らせた。
「それの何がいけないんだ。誰だって用事くらいあるだろ? そんなギチギチにルール決めたら楽しく活動できなくなる」
「楽しく? 優路さんの言う「楽しく」って、ぬるま湯につかったみたいなゆる~い部活で、大事なこともなあなあにして過ごすことですか。そんなの、全然楽しくありません! 皆が本気で練習に取り組むから、部活は楽しいんです!」
楓の後ろで、毅志もひそかにうなずいていた。
「楓が言う本気って、コンクールに出ること? だったら、少なくとも僕は全く楽しいとは思えない。合唱を競争にするのは嫌いだ」
楓はフンと鼻を鳴らした。
「負け犬!」
美里は声を詰まらせた。明確な侮辱だ。だが優路がすかさずやり返す。
「じゃあ楓は闘犬だね」
ふふっ、と誰かが吹き出した。慌てて口を押さえたのは御影だ。楓と優路は彼に構わず、睨み合う。
「コンクールに出ることの、何がそんなに楽しいんだ? 知らない人に点数つけられて終わる本番なんて僕はいやだよ。お客さんに楽しんでもらうためのコンサートの方がずっといい」
「何も分かってないですね。コンクールで大事なのは結果や本番じゃないんです。コンクールまでにどれだけたくさん練習して、成長できるかが一番大事で、何よりも楽しいんです! 今までみたいにテキトーに練習してたら、絶対分かんないでしょうけど」
「何だって?」
早く仲裁しなければ、と美里は一歩踏み出した。だが彼女が口を開くより前に、優路が険のあるため息をついた。
「そんなにコンクールに出たいんだったら、もっと合唱が強い学校に行けばよかったじゃないか。うちがどんな部か分かって入ってきたくせに、君の理想を押しつけないでほしいな」
楓が目をつり上げる。
「あたしが入部したのが間違いだって言いたいんですか?」
彼女の声には、涙が混ざっていた。聖華が心配そうに楓の顔を見る。優路はまっすぐ楓の目を見て、うなずこうとした。
だがその時、毅志が低い声で言った。
「俺も楓に賛成です。最初から勝負を捨ててるような部活、腐っていくだけですよ。目標があるから団結できるんでしょう」
優路が反論する。
「僕らはこれまで、コンクールには出ずに楽しくやってきた」
「それって本当に楽しかったんですか?」
楓が優路と、美里を交互に見つめて問いかける。
「もっとやれるのにって思ったこと、退屈だったこと、本当になかったですか?」
美里は息を呑んだ。物足りなく思ったこと、練習をつまらないと感じたこと__それはある。確かにあった。テレビのNコン特集を観て心を震わせたことも。
ただ楽しいだけでは済まない世界を、見てみたい。それは確かに美里の心の中にある願いだった。けれど、自分は部長だから、部員たちをまとめることに集中しなければならない。そう思って、自分の気持ちに蓋をした。
「楓たちの意見は、よく分かったわ。ミーティングの時にたっぷり話し合いましょう。でも今は練習の途中だから」
「そうですね」
一応は矛を収めた楓だったが、対する優路はまだ不満そうな表情を隠さない。
「優路も、落ち着いて。1年にきついことを言わないで」
「……ごめん」
優路は手に持っていた楽譜を机に置き、ぼそっと言った。
「頭冷やしてくる。気にしないで練習しててくれ」
「……ええ」
優路はしばらく帰ってこなかった。その間に福原が来たので、伴奏つきの練習を始めたが、皆やはりどこかよそよそしい雰囲気で互いを見合っていた。
「……で、優路さんは今日休み、と」
「そう。楓たちもまだ来ていないし……」
「大変でしたね、美里さん」
「やっぱ昨日部活行けばよかったなー」
「ほんとそれ」
美里の話をすっかり聞いた2年生たちは、口々に感想を言う。
「そりゃ、いつかは優路さんと楓がぶつかるだろうとは思ってたけどさ」
「事態は結構深刻ですよねー」
「このままどっちかがやめちゃうとか、ないですよね?」
「まさか、それはさすがに」
「分かんないよ。去年だって廉さんが退部届け出す事件あったでしょ。何とか解決したけど」
「あれはさあ、外部の敵との戦いだったじゃん。でも今年は内輪もめだよ。気をつけないと部が分裂しちゃう」
「11人しかいないのにな」
紗弥香と御影が「こんにちは!」と部室に入ってきた。美里たちは驚きつつも胸をなで下ろす。
「こんにちは、遅かったわね」
「掃除に時間かかっちゃって」
「楓たちは一緒じゃない?」
そう聞くと、紗弥香が顔を曇らせた。
「多分来るとは思うんですけど、昨日から何か元気ないんですよね」
「そう……」
迎えに言った方がいいだろうか。美里が考えている間に、御影が秀紀に話しかける。
「秀紀さん、風邪大丈夫っすか」
「おう、平気だよ」
「心配するな、こいつのはズル休みだから」
拓が笑いながら口を挟む。
「えっ、そうなの?」
「あ。……はは、まあ、はい」
あながち楓の意見も間違いではなかったというわけだ。
「珍しいわね。秀がズル休みなんて」
「ちょっと、落ち込むことがあって」
「それで、わたしたちでお見舞いに言ったんです」
美里は笑った。
「秀はそれで元気になった?」
「はい! まさか、3人が来るとは思わなかったけど」
「ま、同期だからね」
真衣の言った何気ない一言が、美里の胸を刺す。
「……そうね。4人は同期だものね」
「美里さん、ひょっとして優路さんのこと考えてます?」
千早が図星を突く。
「優路さんも今頃落ち込んでるかもしれないですよね」
「……ええ」
「もう帰っちゃったんでしょうか?」
「まだ放課後だから、学校にいるかもしれないけど……」
「行ってあげてください!」
そう明るく言ったのは、秀紀だった。
「僕、皆と話したらめっちゃ気分が楽になったんで。多分優路さんも喜ぶと思います!」
美里は一歩足を動かした。
「……でも、練習が」
「そんなの、わたしたちに任せてください」
千早が胸を張る。真衣は、
「1年が生意気なことを言ったら、ひとひねりですよ」
と、冗談とも本気ともとれない声音で言った。
「ありがとう。でも、ひねるのはやめて」
そう言い置いて、美里は部室を出た。優路に電話をかけると、すぐにつながった。
「もしもし優路? 今どこにいるの?」
『……教会にいる』
「教会? わかった。私もそこに行っていい?」
『うん。……ごめん』
「いいえ」
電話を切ると、美里は廊下を走った。
教会には優路と、案の定福原もいた。重い扉を勢いよく開けた美里は、上がった息をその場で整えた。
「大丈夫? ごめん、こんなところに呼んで」
「優路が呼んだんじゃないわ。私が来たのよ」
「それもそうだね」
優路が引いた椅子に腰かけ、美里はまだドコドコ言っている胸を押さえた。
「練習、始まってる?」
「ええ。2年に任せてきた。楓と聖華と毅志が遅刻みたい」
「理由は?」
「まだ聞いてない」
優路はふんと鼻を鳴らした。
「昨日あんなに怒ってたくせに、自分は無断遅刻か」
「お前らしくもない嫌みな言い方だな、優路」
福原がたしなめた。
「僕はこういう人間ですよ。嫌みも言うし後輩と喧嘩もします。悪かったですね」
「そう開き直るなよ」
美里は福原と優路を見比べた。
「2人で何を話していらっしゃったんですか?」
「廉さんの話とか」
「……え、なんで?」
「優路の理想とする部活体制を話していたら、自然と廉に行き着いたのさ」
たしかに、優路は廉を慕っている。そうか、と美里は納得した。優路がコンクールを嫌うのは、廉がコンクールを否定していたからだ。
「コンクールに出たくないのは、去年の廉さんたちを否定したくないから?」
「それだけじゃない。去年は楽しかった。誰に何と言われようと、僕らなりに一生懸命練習してたし、本当に楽しかったよ。だから僕は、今年も同じようにやれたらいいと思った。……でも、それって生ぬるいのかな」
優路は長机に突っ伏した。
「楓や毅志の言うことは、分かるよ。せっかく入部してくれたんだから仲良くやりたいし、皆の希望も尊重したいよ。でも……コンクールのための練習ばかりになって、部内がギスギスするのは嫌だ」
美里も福原も、黙って優路の言葉を聞いた。
「コンクールに出るか、のんびり活動するか、どっちかを選ばないといけないんだったら、僕は皆で楽しく練習する方を選ぶ。せっかく廉さんが3年かけて作ってくれた基盤なんだから、壊さずに受け継ぎたい」
美里には、優路の気持ちがよく分かる。大好きな先輩たちが残した伝統を守りたいのは、彼女も同じだ。一昨年も去年も皆と過ごす部活が楽しくて楽しくて、毎日足を弾ませて部室に向かったこと、下らないことで盛り上がっていつまでも笑いが止まらなかったこと、教会で歌った特別な定演__全て今年に引き継げたらどんなに幸せだろう。
でも、廉や泉はもういない。いつのまにか美里たちが最高学年になり、合唱部として活動できる期間は1年を切った。時間は確かに先に進み、何もかもが少しずつ去年とは違う。去年と全く同じことをしても、もう行ってしまった卒業生の想いと、今ここにいる1年生の望みに、隙間ができるだけなのだ。
「優路」
福原の穏やかな声を聴いた瞬間、彼も自分と同じことを考えていると美里は気がついた。
「コンクールに出ることと楽しく部活をすることは、決して二者択一じゃない。上を目指しながら、楽しさを失わないことも、お前たちならできるはずだ」
美里もうなずいた。驚いたように顔を上げる優路に、微笑みかける。
「そんなこと、できるでしょうか? 情けないけど、楓のペースに巻き込まれっぱなしなんですよ」
「昨日ペースを崩したじゃないか。日出島さんをそんなに怖がるな。いつも喧嘩しろとは言わないが、お前も思ったことを遠慮なく口に出せばいい。勿論、美里も、他の部員たちもな」
「みんな仲悪くなっちゃいませんか?」
「そのたびに仲直りをすればいい。そうやって衝突と和解を繰り返して、良い関係ができていくものだ。仲間の気持ちを知れば、部活全体を無理なく変えていける。その結果、楽しく合宿や定演を迎えることだって、コンクールで良い成績を残すことだってできる」
優路はうめく。
「……ずるいですよ。そう言われたら、頑張るしかないじゃないですか」
「本当に嫌なら無理強いはしない。だが優路、今まで、コンクールで金賞をとる自分たちの姿を想像したことは一度もないか?」
「…………あります」
それを聞くと思わず美里は笑みをもらした。仲間だ。
「でも、金賞なんて簡単にとれるはずないし、全国大会なんてもっと夢のまた夢……」
「お前たち全員が団結すれば、できないことなど何もない」
福原はきっぱりと言った。胸元で、銀の十字架が微動だにせず光っている。
「優路。美里。最後の年だ、悔いややり残しのないように時間を使いなさい」
優路は美里を見た。美里も優路を見た。そして、2人同時に返事をした。
「はい!」




