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聖蹟駅はちょっと遠い  作者: 六福亭
2年目
31/49

第2章 コンクール、出る?出ない?(7)

 その翌日、秀紀は学校を休むことにした。


「しんどいし熱っぽい」と朝母親に伝えると、すんなりと休む許可をもらえた。今まであまりずる休みをしようとしたことはなかったから、信用されたのだろう。

「病院行くなら、有給とるけど?」

 母親はそう言ってくれたが、秀紀は首を振った。病院なんかに行ったら、仮病であることがバレてしまう。

「今は、いいかな」

「そう。じゃあ、今日一日ゆっくり寝てなさい。解熱剤は戸棚にあるからね。悪化するようだったら電話するのよ」

「わかった」

 両親が出勤すると、秀紀は自分の部屋に戻り、ベッドに寝転がった。すぐに眠気がやってくる。体調が優れなかろうが元気だろうが、二度寝は気持ち良いものだ。


 次に目を覚ました時、時計は11時過ぎを指していた。とっくの昔に学校は始まっていて、今頃皆は4限目の授業を受けているころだろう。

 柚里も授業を受けているのだろうな、と思うと、胸の奥がずしんと重くなった。


 昨日の田邊の言葉は、鮮明に覚えている。柚里を守ろうとする彼の真剣な目も。彼は柚里が秀紀のことを嫌い、怖がっていると明らかにした。秀紀にとっては寝耳に水だったけれど__柚里の代理という彼の言葉を信じないわけにはいかなかった。

「怖がらせるつもりなんて、なかったのに」

 昨日と同じ言葉を、ひとりぼっちの部屋の中で呟いた。それに冷たく言い返す田邊は、ここにはいない。だから、思いっきり感傷にひたることができた。


 高校に入学してからの1年間、ずっと柚里のことを想い続けてきた。彼女とは少しずつ、適切な態度で距離を縮めてきたつもりだった。無理やり迫ったり、追いかけ回したことなどなかったはず。それでも、彼女にとっては迷惑だったのだ。


 何て無駄な時間だったんだろう。叶うことのない好意に振り回されて、犠牲にしたものはたくさんあったはずだ。勉強する時間、部活への情熱、そして__柚里の心。秀紀にとっては何よりも大切なもの。


 目を閉じると、彼女の笑顔がありありと浮かぶ。でも、それは田邊の言によれば、無理やり作った笑顔だったのだろう。一刻も早く、忘れてしまいたい。いやいや、そんな簡単に忘れられるはずがない。秀紀は柚里に近づきすぎた。彼女の顔も、声も、性格も、心に焼きつけてしまうほどに。


 布団をかぶり、また眠ってしまおうと寝返りを打った。けれど、それまでたっぷり寝てしまったせいで、もう眠気はやってこなかった。空っぽの頭に忍び込んでくるのは、柚里との思い出ばかりだ。

「はは……学校行けばよかった」

 友達としゃべったり、集中して授業を受けたり、部活をしていれば、気が紛れたかもしれない。安易に逃げようとしたせいで、かえって昨日受けた傷に向き合う羽目になった。


 昼近くになっても、食欲は全くわかなかった。勉強するでもなく、テレビを見るでも、漫画を読むでもなく、ただぼんやりと柚里のことを考える長い時間を秀紀は過ごした。



 意識がゆっくりと遠のいていったころ、玄関のチャイムが鳴った。

「……はーい……」

 宅配か、宗教の勧誘か。ぼさぼさになった髪の毛をおざなりに整え、部屋着姿で秀紀は扉を開けた。

「秀!」

 扉の前にいたのは、真衣、拓、千早の3人だった。秀紀は目を丸くする。

「……え? どうしたの?」

「どうしたのはこっちの台詞!」

 千早が、中身の入ったビニール袋を突き出した。

「お見舞い、持ってきた!」

「……いやいや、まだ昼すぎじゃん。学校は?」

「さぼった」

 と答えたのは真衣だ。

「あんたに会いに26Hに行ったら、風邪で欠席って聞いたからさ。昨日何かあったなと勘づいた」

「……さすが真衣だね」

「まあね」

「なあ、中に入ってもいいか?」

 拓が聞いた。秀紀はうなずく。

「もちろん、どうぞ。あ、父さんも母さんもいないから」

「ありがと、お邪魔しまーす」

「お昼食べたの?」

「まだ。そっちは?」

「秀んちで食べようと思って、弁当持ってきた」

「秀にはおかゆでも作ってやろうか?」

「いいよ。本当は風邪じゃないし」

「やっぱりな」

 どかどかと玄関から上がり、3人は家の中を見回した。

「とりあえず、僕の部屋に来て」

 部屋は4人がくつろぐには少しせまいけれど、汚くはないはずだ。椅子や床にクッションを敷いて座った3人は、興味深げに本棚や机の上を眺めていた。

「わ、このシリーズ全巻あるんだ」

「参考書の量多いな、さすが特進」

「ねえ、これ定演の時の写真!?」

 好き勝手にしゃべる3人を前にして、秀紀はほっと頬を緩めた。合唱部の仲間たちとしゃべったら、何だか楽になった気がする。サボりはよくないけれど(秀紀が言える台詞ではないが)、来てくれて本当に助かった。

「……それで? 昨日、何があった?」

 そう尋ねたのは拓だった。真衣は何故か、暗い顔をして黙っている。秀紀はできるだけ明るい声を出そうと努めた。

「フラれた! というか、彼女が迷惑してるって、田邊に言われた」

 3人は絶句した。秀紀はさらに言葉を重ねる。

「昨日、高島じゃなくて田邊が来たんだ。彼女の代わりだって。それで、僕のことを高島が怖がってるから、もう近づくなって言われた」

「そんな……まさか」

「ほんとだよ! 録音しとけばよかったね、あはは」

「秀……」

「気にすんなって、拓。僕も、もうすっきり忘れることにしようと思ってんだ。あ、高島、どうしてた?」

「なんか元気はなさそうな感じだったけど……そういや、田邊がやけにべたべた話しかけてたな」

「そっか。いやー、高島には悪いことしちゃったな。ストーカーみたいに思われてたなんて」

「秀!」

 千早が呼びかけた。

「無理するのはやめなよ。私たちの前でくらい、しんどいって言えばいいよ。誰かのせいにすればいいよ!」

「ううん、平気だよ。いや……平気になりたい」

 秀紀は口の端をつり上げてみせた。

「高校生活は短いんだから、切り替えていかないと。田邊にも、女々しい奴だってこれ以上馬鹿にされたくないし」

「……他にも何か言われたの?」

 秀紀はためらった。田邊が合唱部について放った言葉は、部員たちに伝えるには毒が強すぎる。でもその時、黙ったままの真衣が顔を上げて、促すように秀紀を見た。

「『最初から勝負を捨ててる合唱部と、自分たち吹奏楽部を一緒にするな』って」

「……なに、それ」

 千早が唖然として呟いた。拓は顔をしかめ、黙り込んだ。代わりに真衣が吐き捨てるように言った。

「自分たちの活動だけが正義と思い上がる傲慢さ、去年から何も成長していない」

 秀紀はとっさに、高島はそうじゃないよと言おうとした。けれど田邊は彼女の代理と言っていた。田邊の言葉はそのまま柚里の意見かもしれない。そうであればとても悲しい。彼女が、合唱が好きと言っていたのは、偽りだということになるのだから。

「……ごめん、秀。わたしのせいだ」

 真衣が絞り出すように言った。秀紀は慌てて首を振る。

「真衣のせいなんかじゃない。僕がずっと勘違いしていたのが悪かったんだ」

「ううん、わたしが間違ったアドバイスをしたせいだ。あんたをたきつけるような真似までして……」

 真衣の震える肩を、千早がそっと抱きながら怒ったように言った。

「でもさ、まさかそんなに嫌な奴らだと思わなかったよねー。去年の1年と山崎さんは確かにちょっとアレな時があったけど、反省したと思ってた」

「自分たちが特別だって意識がある限り、吹部の奴らの考え方は変わんないよ」

 と、真衣。

「コンクールに出てることがそんなにえらいのかよ」

 と拓は呆れたように言った。

「まあ、コンクールで結果出してるのはえらくはある。でも、だからって他の部を見下していい理由にはならない」

 真衣は冷静だ。

「あたしらもコンクールに出る?」

 と、千早が軽く言った。

「練習時間増やしたら、秀も気が紛れるかもしれないし」

「吹部ほど良い賞をとれる未来は見えないけど、それでもいいならわたしものるよ」

 真衣がまだ怒っているような口調で言ったのは、田邊や柚里に対抗意識を燃やしているのかもしれなかった。

 拓は

「しょうがねえな」

 とつぶやき、秀紀の背中を叩いた。

「別にコンクールに出たいわけじゃないぞ。秀の失恋に免じて、だからな」

「う、うん」

「よし、次のミーティングで皆にそれ言おう」

「待って、失恋云々は言わないでくれよ」

「え、駄目なの?」

「駄目に決まってるだろ!」

 狭い部屋の中で笑いが弾けた。その時やっと秀紀は、自分が空腹であることに気がついた。



 3人は夕方には帰っていった。午後の授業をサボったことが気まずいから、そのまま家に帰るらしい。彼らを見送りながら、秀紀は強張っていた体を伸ばす。昨日の夜に比べて体が格段に軽い。


 携帯を見ると、福原からの着信が入っていた。ついさっきかけてきたらしい。慌てて折り返すと、2コールほどで出た。

「もしもし、澤田です!」

『元気そうだな、秀』

 秀紀は思わずコホンコホンと空咳をしてみせた。

「ま、まだちょっと体調が……」

 電話の向こうで、福原が含み笑いをしたのが聞こえた。

『明日は学校に来られそうか?』

「はい!」

『そうか。__ところで、真衣、拓、千早の3人が昼からの授業を全て欠席したそうだが、何か知ってるか?』

「あ、それは……その……」

『お前の家に来たんだろう?』

「まあ……はい」

 叱られるかと構えたが、福原の声は優しかった。

『お前に何があったかは聞かないが、仲間がちゃんと心配してくれていることを忘れるな。3年部員も1年も、皆が味方だ。__じゃあ、また明日』

「はい」

 その時、秀紀は通話を終えようとする福原に向かって、祈るように言った。

「先生、僕、コンクールに出たいです」

 福原はしばらく黙っていた。秀紀が焦り始めたころ、やっと返事がくる。

『そうか、分かった。せっかく出るなら、金賞を獲らないとな。険しい道だが、覚悟はいいな?』

 はい、と秀紀はささやいた。


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