第2章 コンクール、出る?出ない?(5)
秀紀がクラスメイトと焼き肉に行った翌日の日曜日は、午前練習だった。コンクールに出るにしろ出ないにしろ、次の本番は美術館で開催されるミニコンサートだ。今年はもちろん、1年生も参加する。昨年歌った“Simple Gifts”や、「春に」などの定番曲いくつかを用意していた。
「この歌、すごく好きです」
練習の途中に、楓がこっそりと千早にささやいていた。
「わたしも」
うなずく千早。2人はもうすっかり、旧知の仲のように打ち解けていた。もともと明るい性格の千早は、楓とも馬が合うのだろう。
正午になると軽くミーティングをして、練習は終わった。来週の土曜日は時間をたっぷりとって、コンクールに出るか出ないか話し合おうと改めて美里が皆に言う。楓ははりきった顔でうなずいたが、優路や拓はやっぱり浮かない顔をしていた。
解散して、3年生たちはすぐに部室を出て行った。塾に行くのだと言う。彼らももう受験生なのだ。まだのんびりする予定だった1,2年生に部室の鍵が託された。
秀紀はふと、部室の隅で漫画を読んでいる毅志に目を止めた。
「なあ、毅志も元バレー部だったよな」
毅志は漫画から顔を上げ、うなずいた。
「はい」
「この後ヒマか? 昼飯食べた後体育館借りて、久しぶりにバレーやらない?」
「いいっすね」
真衣や拓とトランプをしていた千早が、目を丸くする。
「どうしたの? 急に」
「なんか、たまには体動かしたいなーって思ってさ。千早たちもやろうぜ」
「あ、うん。いいけど」
「あたしたちも!」
楓が、紗也香の腕をつかんだまま手を上げた。聖華は帰宅してもういないが、御影がピアノの教室でぼうっとしていたので、彼も連れて行くことになった。
「体育館空いてるかな?」
「3つもあるんだから1つくらいは空いてるよ、たぶん」
「大丈夫ですよ」
毅志が静かに言った。「バレー部は、日曜日は活動していないらしいですから」
「くわしいね。見学に行ったんだっけ」
「はい。あんまり熱心じゃないみたいだったんで、入りませんでしたけど」
毅志の言う通り、普段男女バレー部が活動している体育館は無人だった。別の体育館から聞こえてくるバドミントン部や卓球部のかけ声を聞きながら、早速コートを設営する。
「バレーのルールあんまり知らないけど、大丈夫かな?」
と千早が言った。
「大丈夫、試合じゃないから」
「じゃあ、普通にボールを受け止めてもいいですか?」
「それはダメ」
コートとボールを用意した後は、グーパーでチーム分けをした。秀紀、紗也香、御影、千早のチームと、毅志、拓、真衣、楓のチームができた。秀紀が3人にボールの打ち方を教えている間、向こうのチームは円陣を組んで気合いを入れていた。
「熱いですねぇ」
「うちもあれ、やる?」
「別にいいって、そんなの」
御影はアンダーパスの練習にいそしんでいたが、何度やってもボールが明後日の方向に飛んでしまうらしい。紗也香は最初こそ失敗していたが、すぐ上手に打てるようになった。千早も運動神経がかなりよく、力強いスパイクを打ち込んでいた。
しばらくチーム内で練習した後、いよいよ対戦することになった。毅志が真剣な目で秀紀たちを睨み、最初の1球を打つ。ボールの軌道をしっかり目で追い、秀紀も応戦した。紗也香はボールに備えてずっとアンダーパスの構えをとっているし、御影も千早もボールの落下に合わせて積極的に動いていた。
誰も点数を数えていないことに気がついたのは、1時間以上経ってからのことだった。なし崩しに休憩となり、皆コートの中で腰を下ろした。汗をかいていたので、Tシャツでぬぐう。
「どうせなら、しっかり点数カウントして勝負したいですね」
そう言ったのは毅志だった。戦っているうちに、すっかり楽しくなったらしい。普段の練習よりずっと大きな声でチームメイトをフォローしていた。
「そうだね、でも、スコアラーがいないしなあ」
「あ! 福原先生呼んできましょうか!」
楓がぱっと立ち上がる。
「どこにいると思います?」
「本命はピアノのとこ、次点は職員室。そこにいなかったら教会」
「分かりました!」
楓は体育館を飛び出していき、10分ほどして帰ってきた。
「断られちゃいましたー……」
「まあ、そりゃそうか」
「じゃ、オレが得点係やりましょうか」
御影が手を上げるが、秀紀は首を振った。
「いいよ。せっかくだから皆で戦おうぜ」
その時、体育館の入口から声がした。
「おーい、何やってんだ」
「隆!」
秀紀の友人たち、隆と浜崎がのぞいていた。
「お前ら合唱部じゃなかったっけ?」
「バレーで遊んでるだけ」
「ふうん」
楓が目を輝かせ、隆に近づいた。
「あの、もしヒマだったら得点係やってくれませんか?」
「お、おう。別にいいけど。休憩しようと思ってたし」
「いいの? 隆、浜ちゃん」
「ちょっとだけな」
「顧問が戻ってきたら、帰るからね」
浜崎はにこにことそう言いながら、毅志たちが持ってきた得点板に手をかけた。
その後何故かバドミントン部の部員たちも試合に加わりながら、バレーは続いた。気づけば時刻は午後4時だ。結果は毅志たちのチームの辛勝で、彼らは大喜びしながらハイタッチを繰り返していた。
「わたしたちもいい線行ってたよね?」
千早が秀紀に尋ねた。
「行ってた、行ってた」
「次は勝ちたいですねー」
紗也香がのんびりと言う。あまり悔しがっている様子はない。御影も楽しそうにうなずいた。隆たちは自分たちの練習場に引き上げていく。
「そろそろ片付けようか」
「はーい」
体育館を出て、玄関に行くまでの通路に自販機がある。真衣が財布を出しながら、後輩たちを呼び止めた。
「勝利のお祝いに、おごってあげよう」
「いいんすか?」
「わ、やったー! 真衣さん大好き!」
「ぎゃっ、後ろから抱きつくな! 首がしまる」
楓に振り回されながらも、真衣はまんざらでもない表情だ。ちょろいなと秀紀は思った。
「結構遅くなっちゃったね」
「でもまだ全然明るいし」
「吹部はまだ練習してるんだろうね」
真衣がそう言いながら、ちらっと秀紀を見た。秀紀は気づかないふりをして、財布を出した。紗也香と御影にも何か奢ろうと思ったのだ。
玄関で解散した後、真衣はわざわざ駐輪場まで秀紀についてきた。
「最近どうなの、彼女とは」
「彼女って?」
「ゆずりんのことに決まってるじゃない」
「ああ__」
秀紀は笑ってみせた。
「あんまり、気にしないことにしたんだ」
「…………何で?」
真衣は眉をひそめる。「何かあった?」
「何かってほどでもないけどさ、最近避けられてるみたいだし。先生にもアドバイスもらったから」
「アドバイスって?」
「彼女のことをあんまり考えないで、他のことに専念してみたらって。だから、ユズに話しかけたり、考えたりしないことにした」
真衣は一瞬口をつぐみ、それからくわっと口を大きく開けた。
「アホか!!!」
思わず秀紀はのけぞる。
「な、何で? 何が?」
「秀のアホ!! 大バカ! 聞くな、そんなクソバイス! がんがん話しかけた方がいいに決まってるでしょうが!」
「クソって……福原先生が言ったんだよ」
「そんなこと分かってる! 本当にあんたも、福原もアホ! 女子の気持ちを何も分かってない!」
「で、でも、ユズが僕を避けてるのは本当なんだって」
「それはいつからのこと? 何があって避けられてんの?」
「クラス発表があった日に……ちょっとその、合唱部にユズがいたらよかった、みたいなことを言ったんだ。その後からだと思う」
「めちゃくちゃ前じゃん。で? ゆずりんはそれに何て返事したわけ?」
「聞いてない。それ言って、すぐ自転車にのって帰ったから」
「つまりあんた、逃げたわけね」
辛辣な真衣の言葉に、身が縮む。真衣は腕組みをして、きっぱりと言った。
「携帯出しなさい」
「え?」
「ゆずりんに、アポをとって。話したいことがあるって。今。今すぐ」
「いや、でも……」
「つべこべ言わない! ゆずりんと仲直りしたいの、したくないの?」
「そりゃ、できるものならしたいけど……」
「じゃあ今すぐゆずりんにLINEを送りなさい! それから、いい、次話すときにはあんたの気持ちを彼女に伝えなさい。その時の話し合い次第で運命が決まると思いなさいよ」
まるで福原のような口調で真衣は命令した。
「それってつまり……ユズに……告白するってこと?」
「そう!」
一瞬で秀紀の顔は真っ赤になったに違いない。
「や、それはまだ、心の準備が……できてないというか……」
「じゃあいつできるわけ? あんた外部進学でしょ? あとどれくらい彼女と一緒にいられると思ってんの? 学校祭も、修学旅行も、彼女と一緒に回りたくないの?」
「いや、でもさ、向こうの気持ちもあるし」
「その気持ちを確かめるために、話し合うんじゃない! ほら、さっさと送る!」
しぶしぶ__いや、本当は自分もかなりその気になったかもしれない__秀紀は柚里にメッセージを送った。練習中のはずだが、既読はすぐについた。可愛らしいキャラクターが親指を立てているスタンプが送られてくる。
『いつがいい?』
と秀紀が送ると、
『明日、練習の後でどうかな。玄関で待ち合わせしよう』
その返事を見て、真衣がガッツポーズをした。
「よし! 頑張れ秀!」
「急すぎないかな……」
「まだ分かってないの? 4月1日にあんたとしゃべって以来、ゆずりんはずっと待ってたんだよ」
真衣は秀紀の背中をバンと強く叩いた。
「今晩、彼女に何ていうかじっくり考えなさいよ。でも、ポエムは作らないようにね」
月曜日、秀紀はずっとそわそわし通しだった。授業中も、休み時間も、弁当を食べていても、放課後のこと__柚里のことが頭から離れない。何を言おう。彼女は何と言うだろう。僕らはどうなるのだろう__。
「今日の澤田君、ヤバいね」
昼休み中、赤坂にそう指摘され、秀紀ははっと我に返った。
「そ、そうか?」
浜崎も同意する。
「目は真っ赤だし、落ち着きないし、弁当も全然食べてないし」
「何かあった?」
「あったというか、これからあるというか……」
濁しながら、秀紀は顔を両手で覆った。2人が言うような「ヤバい」顔で柚里に会いに行ったら、ドン引きされてしまうだろう。放課後までに何とかしたい。
「よく分かんないけど、青春してるね」
赤坂が屈託なく笑った。
「そういえば、篠原君は?」
「福原先生に呼び出されてるよ」
秀紀はそれを聞いて驚いた。
「何で?」
「提出物チェックに引っかかったってさ。さっきもそう言ってたじゃんか」
「聞いてなかった……」
「本当にどうしたの? 大丈夫?」
「大丈夫じゃない……」
その時、憮然とした表情の隆が戻ってきた。
「おかえり、どうだった?」
「どうもこうもない。最悪だ、あいつ。今日居残りだってよ」
福原は提出物にもうるさい。26Hの担任になってからは、生徒の課題提出状況を毎日調べ、未提出がある生徒を呼び出し説教しているらしい。そんなことをするからますます嫌われるのだ、と進言する勇気は秀紀にはないが。
「大変だね」
呑気にそうねぎらった秀紀の肩に手を置き、篠原は叫んだ。
「次はお前だー!!」
「な、何?」
「福原がお前を呼び出してるぞ。数学の課題を出してないってさ」
「え!? そうだっけ?」
「あいつが言うからそうなんだろ。さあ、行ってこいよ。早くしないと余計長引くぞ」
「くそー、何で……」
「何でって、そりゃあ」
「課題出してないせいでしょ」
浜崎と赤坂が、声を揃えてつっこんだ。彼らはまだ1度も呼び出されていない。だから涼しい顔で、しぶしぶ立ち上がる秀紀を送り出してくれた。
その日の練習は居残りのせいで途中参加だった。昼休みにきつく叱られたせいでかなり気分は下がっていたのだが、真衣の顔を見ると、あっという間に柚里と会うことを思い出した。歌いながら何度も時計を見上げ、時間が経ちませんようにと願う。いや、いっそ早く過ぎてくれる方が楽になるだろうか。でも、まだ準備ができていない。このままだと、柚里を目の前にすると緊張のあまり何も言えなくなってしまう気がする。
練習が終わると、真衣が近づいてきて、ささやいた。
「応援してる。頑張って、行ってらっしゃい」
「うん……」
「絶対大丈夫だから。落ち着いて、ありのままを言えばいいだけだから」
真衣は気つけとばかりに秀紀の肩を叩いた。楓も「頑張ってくださいね!」とささやく。真衣から話を聞いたに違いない。
「秀紀さん、前言ったこと取り消します。秀紀さんは全然つまんない人じゃない。だから、きっと上手くいきますよ!」
「……ありがと」
重い足をのろのろと動かし、秀紀は部室を出た。歩いているうちにたまらない気持ちになり、走り出した。正面玄関にはあっという間に着く。しかし、それからが長い。だって吹奏楽部はまだ練習しているのだから。
薄暗い玄関で、通りかかる生徒たちをやり過ごしながら、手持ち無沙汰の秀紀はストレッチをした。本当は歌った方が、緊張がほぐれるけど、ここではちょっと歌えない。もうちょっと部室にいればよかった。でも、いつ彼女が来るか分からないし。
彼女に言いたいことは、たくさんある。好きだ。大好きです。付き合って下さい。何百回もシミュレーションをした。でも、秀紀がそう告げた時の彼女の顔だけは、上手く想像できなかった。あの世界一可愛い顔に、どんな表情が浮かぶのだろう? 笑顔であってくれればいいと思う。あまり、嫌悪に顔を歪めたり、鼻で笑う気はしない。でも、本当のところはその時になってみないと分からない。
大きく息を吸い、それから吐いた。腹式呼吸は、合唱部と吹奏楽部の基本だ。先輩たちに教えてもらい、練習するうちにできるようになった。腹式呼吸も、楽譜の読み方も、合唱の楽しさも__柚里がいなければ、知らないままだったかもしれない。
後ろから、肩を叩かれた。
秀紀はさっと振り向いた。
「ユズ」
そう呼びかけたのは条件反射だ。だが……、
後ろに立っていたのは、吹奏楽部の田邊という2年男子だった。
「悪いけど、俺は柚里じゃない」
田邊は一瞬間を置いて、秀紀の目をまっすぐに見た。
「柚里の代理で、ここに来た」




