第2章 コンクール、出る?出ない?(4)
福原と話してから数日。秀紀は決意した通り、柚里のことをなるべく考えないように努めた。ちょうど大事な模試を控えていたため、学校でも家でも勉強以外のことに頭を使う暇はあまりない。下校時間を少し早めたり、他クラスの教室に近づかないように気をつけていると、彼女に出会う機会は全くなくなった。
本音を言えば少し寂しい気がするけれど、これでよかったのだ。そう思うことにしていた。彼女は彼女で吹奏楽を頑張っているんだし、邪魔をしないのはむしろ良いことだ。きっとそう。田邊とかいう奴が彼女と仲良くしていようが、秀紀の知ったことじゃない。
その週の土曜日は、まる一日模試で潰れた。秀紀の所属する2年6組と、理数系特進クラスの7組だけが登校し、静かな校内で試験を受けた。何時間も続くとうんざりするけれど、夕方、全ての試験が終わった時の爽快さは別格だった。
「お疲れ様」
解答用紙を全て回収した福原は、そう言って生徒たちに微笑みかけ、教室を出て行った。生徒たちは一斉に問題用紙と教科書をかき集め、自己採点を始めた。模試の結果が出るのは少し先のことになる。それよりも前に、どれぐらい点を取れたか自分で確かめて安心したかった。
「あーあ、結構間違えた」
「ぎゃ、ここ丸つけ忘れた。何て書いたっけ」
「俺、今回全然勉強してなかったからなー、マジでクラス最下位かも」
「嘘つけ」
わいわいとしゃべっている中、宮本が立ち上がり、皆に呼びかける。
「この後、皆で打ち上げ行かないか?」
「いいね!」
ほとんどのクラスメイトが賛成する。
「どこ行く?」
「焼き肉!」
「近くの店?」
「いや、2駅離れたとこに食べ放題が安い店があるから、そっちに行こう」
宮本が出欠をとると、クラスメイト20人中16人が参加に手を上げた。秀紀もその1人だ。行かないと言う生徒は、塾や先約があるらしい。
「よっしゃ、肉だ」
「臭いついちゃうよねー、Tシャツに着替えていこっかな」
「そんなの別にいいって」
ぞろぞろと皆で教室を出る。秀紀も家族にメールを送ってから追いかけた。もう廊下は薄暗く、人の少ない校舎を歩いているとぞくぞくするような愉快さがあった。
焼き肉屋で、4人1組に分かれて卓に着く。秀紀と網を囲むのは、隆、赤坂、隆と同じバドミントン部の浜崎という男子だ。童顔で背も低い浜崎は、クラスの男子
からも女子からも弟のように可愛いがられている。
「めっちゃお腹すいたー」
そう言いながら、赤坂がトングをカチカチ鳴らす。その隣に座る浜崎は、注文をするタブレットを手に取った。食べ放題コースを選ぶと、表示画面が変わった。
「今日一日で頭すげえ使ったもんな」
隆は疲れているらしく、テーブルにぐったりと腕を投げ出した。「火傷するよ」と浜崎が諫める。
「ドリンクとってこようか」
ドリンクバーは少し離れたところにある。秀紀と赤坂が立ち上がると、隆はひらひらと手を振った。
「荷物番しとくから、オレたちの分も頼む」
「オッケー。何飲みたい?」
「何か、適当に」
「浜ちゃんは?」
「あ、コーラで」
赤坂と二人で、他のクラスメイトたちの卓を通り抜けた。バスケ部の宮本・國田、テニスの橋場、野球部の松田はいつものグループだ。男女2人ずつの卓は、ダンス部と外国語部をかけもちしている山根とその彼氏である荒川、家庭部の稲庭・野球部の北村カップルと、ダブルデートの様相を呈している。お調子者の和田は、男子1人で中川・馬場・平木の女子3人に囲まれて居心地が悪いかと思いきや、持ち前のトーク力で場を盛り上げていた。
卓に戻ってくると、隆と浜崎が肉を焼き始めていた。秀紀たちはそんな彼らの目の前に、濁った色のジュースを置いた。
「はい、ドリンク」
「なんだこれ!」
「『何か適当に』ジュースだよ」
赤坂がくすっと笑う。
「いくつかのジュースを混ぜてみた」
「何やってんだよ、普通でよかったのに」
「まあまあ、飲んでみろよ。変なものは入れてないし」
隆は不審がってなかなか口をつけようとしなかったが、浜崎が先にぐいっとグラスを傾けた。
「あ、意外とうまい」
「ほんとかよ」
「隆も飲んでみな」
「まずかったら秀が残り全部飲めよ。…………甘ったるいけど、悪くないな」
「だろ」
秀紀はトングでカルビをひっくり返しながら、にやっと笑った。
「何入れた?」
「コーラ、レモンスカッシュ、やまぶどうジュース、オレンジ、アップル」
「どうりで甘いわけだ」
肉が焼けると、皆遠慮なく箸を伸ばす。ご飯も運ばれてきたので、たれに浸した肉と白米を合わせて食べた。赤坂がしみじみと叫ぶ。
「おいしーい!」
「模試終わりだから、余計にな」
噛んでいたタンを飲みこんで、隆がため息をついた。
「これで、当面は部活に集中できるな」
「でも、5月には中間試験あるぜ」
「嫌なこと思い出させるなよ」
隆と秀紀のやりとりを聞いていた浜崎が、笑みをこぼす。
「模試の前でも、がっつり練習してただろ」
「まあな、大事な時だからな。模試ごときで練習の手を抜くわけにはいきませんよ」
「気合い入ってんね、バドは」
バドミントン部の二人を眺め、赤坂が笑う。彼女は陸上部でハードルをやっているらしい。
彼女の言葉に、隆は拳を固めてみせた。
「おう、気合い入ってるぞ。今年のバド部はひと味違うぜ。な、浜ちゃん」
「インハイ行けちゃうかもしれないね」
浜崎はのほほんと同調するが、彼だって隆とペアを組んで、毎日遅くまで練習しているらしい。要は2人とも、熱いのだ。
「すごいなー、2人とも」
「合唱部はコンクールとか出ないのか?」
「うーん、出るかもしれないし、出ないかもしれない」
「優秀不断ってやつだな」
「優柔不断だよ。福原に怒られるよ」
顔をしかめる隆に、秀紀は問いかけた。
「皆コンクールコンクールって言うけどさ、大会に出るのがそんなに普通なの?」
「中学でバレーやってたんだろ? 試合とかなかったのか」
「あったよ。でも、スポーツと音楽は違わない?」
「あたしピアノやってたけど、毎年コンクールとかあったよ」
と、赤坂。
「やっぱり誰かと競争した方が、盛り上がるんじゃないかな」
浜崎は生の肉を網にのせながら、そう言った。
「誰にも負けたくないって思ったら、やる気も出るしね。試合もそうだけど、入試も競争だよね。何万人の同級生と、枠を取り合うんだから」
「やる気は出るかもしれないけどさ、負けた時が怖いよ。みんなの落ち込んだ顔とか見たくないし」
「何言ってんだ、負けるのなんか当たり前だろ」
隆がこともなげに言った。
「オレだって、バド始めてから今まで、何百回負けたことか。そん時は悔しいけど、すぐに忘れるもんなんだって。死ぬわけじゃないんだし」
「あたしなんか1回も地区大会以上に出たことないよ」
赤坂はあっけらかんとしている。
「でもさ、惨敗しても次があるじゃん。負けた時のこと怖がらなくてもいいんじゃない?」
「……たしかに」
「まあ、どうしても競争が嫌いっていうのなら、無理する必要はねえと思うけど」
そう言われ、秀紀は一瞬のうちに、コンクールに立つ自分たちのことを想像してみた。漫画みたいに審査員が何人も座っている目の前で歌う、秀紀たち合唱部。ピアノは福原で、指揮はいない。少し怖い気がした。けれど、自分たちがそんなに低く評価されるはずがないとも思った。教会で開いた定演は好評だったし、毎日真面目に練習しているのだから。
秀紀が口を開きかけた時、違う卓にいた宮本が立ち上がり、大きな声を出した。
「皆、今日はお疲れさん!」
松田たちが「会長様のごあいさつだ」と冷やかす。秀紀たちや他の席のクラスメイトも、自然と彼の方に顔を向けた。
「腹いっぱい肉食ってるか? 食ってるよな。模試でからからに絞りきった脳に、たっぷり栄養送っておこうぜ!」
言葉の切れ目に、拍手を送る。周りの客が、何だ何だとちらちら視線を送っていた。
「明後日からまた、担任との戦いが始まるからな。先は長いが、福原の独裁に共に抵抗しよう、仲間たちよ!」
松田や橋場たちが歓声を上げる。おざなりに拍手しながら、隆が肩をすくめて言った。
「7日間戦争でもやる気かよ」
「宮本は福原アンチの急先鋒だもんね」
「オレだって福原は嫌いだけど、戦うつもりはねえよ。たかがうざい担任ごときに」
そう言って隆は、秀紀に笑いかけた。
「それに、福原と戦うなら、秀を敵に回すことになるもんな」
「何だよ、それ。勝手に僕をそっち側にすんな」
「いや、どう考えてもそっち側だろ」
「澤田君、自覚ある? 宮本が先生の悪口言うたびに、すごい嫌そうな顔してるよ」
「してないよ」
「今度鏡貸してあげる」
そんな会話をよそに、浜崎はせっせとエビやしいたけを焼き続けている。
「赤坂はどっち派だ?」
「え? 先生に好きとか嫌いとかないよ。普通に授業してくれるだけで十分」
「大人だな」
「好きな先生とかいないの?」
「いないねえ。先生ってうちら高校生とは別人種だもん」
秀紀の見る限り、赤坂は現代文の上川や、副担任の若い男性教師、内海になついているようだったが。意外とドライらしい。
「浜ちゃんはどうだ?」
「福原先生? 嫌いじゃないよ。留学の相談に乗ってくれるし」
「え、浜ちゃん留学すんの?」
秀紀は驚いて声を上げた。隆は平然としている。前から聞いていたのだろう。
「短期語学留学の方にね。大学は海外の学校に行きたくて」
「英語とフランス語、めっちゃ頑張ってるんだよな」
隆は浜崎の兄か父親のように、誇らしげに言った。
「すごいなあ。留学か……」
「秀は説明会に来てなかったから知らないかもしれないけど、うちのクラスにも留学志望の奴は何人かいるよ。例えば、山根さんとか」
「ああ、噂の美月ちゃん?」
「アイドルのな」
隆がそう言った瞬間、当の山根本人がひょいっと顔を出した。赤坂が驚いて声を上げる。
「呼んだ?」
山根は芝居がかった仕草で耳に手を当てた。
「呼んでないけど、ちょうどみっちゃんの話してた」
赤坂がそう答えると、山根はにっこりと笑った。長くてカールしたまつげに縁取られた、茶色いアーモンド型の瞳に、愛嬌のある顔立ち。男女隔てなく気さくに話せるので、誰からも好かれていた。本人も学年のアイドルを自負しているようで、学校祭などでダンスを張り切って披露してくれる。彼女が笑顔を絶やしたことは、秀紀の知る限りでは1度もなく、柚里や聖華とは系統の違う魅力のある女子だ。
「どんな話?」
「山根さんも留学志望だって話」
「そうね、浜ちゃんとあたしは留学仲間だもんね」
隆が珍しく、羨ましがるような目で相棒を見た。
「どのコースにするんだ?」
「今のとこ、半年コース希望なの。通るかはまだ分かんないけどね」
「半年もいなくなるのか」
「寂しいね」
「あたしも、皆と離れるのは寂しいわ。でも、夢があるから、頑張らなきゃなの」
「夢って?」
山根は胸に手を当てて言った。
「世界中に通用するアイドルになること!」
秀紀は感心した。
「すごい夢だ……」
「だから、ダンス頑張ってるのね」
「そうなの。見ててね、あっちのダンス大会で賞とってみせるから」
山根が自分の卓に戻った後で、秀紀はため息をついた。
「皆頑張ってんだな……部活に、夢に」
「何落ち込んでんだよ」
「あたしは?」
と赤坂が自分を指さす。
「赤坂は……うーん、僕と同じかも」
「何か失敬なこと言われた気がする」
頬を膨らませる赤坂の皿にホルモンを積み上げながら、隆は言った。
「そんなこと言うなら、秀も何かやってみればいいじゃねえか。高校生活は長いんだからさ」
「福原先生と同じこと言うね」
「げっ、じゃあ今のなし」
秀紀たちは笑い声を上げた。楽しい親睦会は、まだまだ続く。食べ放題の制限時間は、まだたっぷり残っていた。




